春を忘れない
作詞・作曲 大西良空
桜(はな)のいのちは はかないけれど
冬の寒さに 耐えて咲く
かけがえのない いまを美しく
生きてゆきたい だから春を忘れない
桜のやさしさに こころ癒されて
生きるよろこびを だきしめる
愛し愛され いまを輝いて
生きてゆきたい だから春を忘れない
桜の香りに つつまれ憩う
そよ風が頬を なでている
二度とないいまを 悔やむことなく
生きてゆきたい だから春を忘れない
愛し愛され いまを輝いて
生きてゆきたい だから春を忘れない
蜘蛛の糸
芥川龍之介の書いた『蜘蛛の糸』という小説があります。
極楽の蓮池のほとりを散歩しておられたお釈迦様が、ふと下を見ると、地獄の池の底で、カンダタという男が、もがき苦しんでいました。お釈迦様が、その男の過去の行状を見ると、一つだけ善い事をしていました。ある時、自分の側に寄ってきた蜘蛛の命を助けたのです。
そこで、お釈迦様は、その功徳に報いて地獄から救い出してやろうと、一本の蜘蛛の糸を、地獄へ垂らされたのです。
地獄の池で苦しんでいるカンダタが、ふと見上げると、極楽から銀色に光る一本の蜘蛛の糸が、カンダタの目の前に下りてきました。カンダタは、「これは有難い」とばかりに、その蜘蛛の糸につかまり、上へ上へと上り始めたのです。
ところが、途中まで来た時にふと下を見ると、カンダタの後を追うように、大勢の亡者が次々と、その細い蜘蛛の糸を上って来るではありませんか。
それを見たカンダタは、「この蜘蛛の糸は、俺一人のものだ。お前達、誰の許しを得て上ってくるのだ。早く降りろ」と叫び、すぐ下にいる男の頭を足で蹴飛ばしました。
その瞬間、蜘蛛の糸は、カンダタの手元からプツリと切れ、大勢の亡者もろとも、再び地獄の底へ真ッ逆さまに堕ちていったのです。
今為すべきことは
この小説を読んでいつも思うのは、「今という時をどのように生きればよいのか」という事です。
蜘蛛の糸を上ってきたカンダタにとって、今居る場所が現在であり、今まで上ってきた下の世界が過去を、これから上っていく頭上の世界が未来を現わしています。
カンダタがふと下を見ると、大勢の亡者が上ってきたので、これでは蜘蛛の糸が切れてしまうと思い込み、すぐ下の男の頭を蹴飛ばしたところ、カンダタの手元から蜘蛛の糸が切れて地獄へ堕ちていったのですが、ここでカンダタが見なければいけなかったのは、過去である下の世界でも、未来である上の世界でもなく、蜘蛛の糸を上っている自分自身であり、「自分が今何をしなければいけないのか」という事です。
カンダタは、自分が今しなければいけない事だけをしっかり見つめて、一歩一歩蜘蛛の糸を上って行けばよかったのでであり、そうすれば、極楽へ到達できたのです。
ところが、カンダタは、今自分が為すべき事を忘れて、下の世界を見てしまったのです。そうしたら、大勢の亡者が上って来るのが見えたので、下にいた男の頭を蹴飛ばした為、手元で糸が切れ、再び地獄へ堕ちていかねばならなかったのです。
カンダタの視点は、実は私達の視点でもあります。何故なら、私達もまたカンダタと同じように、今自分がなすべき事を忘れて、過去を見ては嘆き、未来を見ては絶望して、自らの首を絞めているからです。
私たちが生きるのは、過去でも未来でもなく、永遠に今という時しかないのです。1年後であっても1年後の今、10年後であっても10年後の今しか生きられないからこそ、今という一瞬をいかに生きるかが大事になって来るのです。