ありがとうの一言を

作詞・作曲 大西良空

やさしさに 遇えた日の
思い出 いまも胸に
あたたかくよみがえり わたしをつつむの
ありがとうの一言を あなたに伝えたくて
苦しみに負けないで 大空を羽ばたくのさ
かがやく明日を信じて 翔けてゆくのさ

せつなさも さびしさも
こころの 奥にそっと
しまっていま微笑むのさ ひとりじゃないから
たとえどんなに辛くても 真心を忘れないで
悲しみを乗り越えて 大空に飛び立つのさ 
夢をあきらめないで 生きてゆくのさ

ありがとうの一言を あなたに伝えたくて
苦しみに負けないで 大空を羽ばたくのさ
かがやくあなたを信じて 翔けてゆくのさ
夢をあきらめないで 生きてゆくのさ

日航への50年越しの感謝

平成22年2月20日の読売新聞に、「日航へ50年越しの感謝」と題する次のような記事が掲載されました。

経営再建中の日本航空の株式はきょう20日付で上場廃止となる。その日航株を「半世紀前に日航社員から受けた親切が忘れられない」と、無価値になると承知で購入した女性がいる。「私にとって日航は幸せを運んでくれた乗り物。必ず再建してほしい」とエールを送る。
大阪府泉南市の造形作家松原タエ子さん(68)。日航の会社更生法申請が秒読み段階となり、100%減資の可能性が強まった先月14日、あえて1万株を11万500円で購入した。
松原さんを駆り立てたのは、祖母の夢をかなえた2人旅の記憶だった。松原さんは生まれてまもなく母方の祖父母の元に引き取られ、養女として育てられた。祖父は中学時代に亡くなり、女手一つで育ててくれた祖母には格別の思いがある。
初めての孝行が50年前の東京旅行だった。当時、祖母は80歳。「冥土のみやげに一度は飛行機に乗ってみたい」という祖母を連れ、大阪(伊丹)空港から羽田空港まで日航機に乗った。
ところが、羽田空港でアクシデントに見舞われる。足が不自由な祖母は飛行機のタラップを降りるのに時間がかかり、東京駅行きのバスに乗り遅れてしまったのだ。当時は本数が少なく、次のバスまで数時間待たねばならない。
「孝行が台無しになってしまう」。途方に暮れた時、日航社員が車いすを用意してくれた上、東京駅まで車で送ってくれた。
祖母はその2年後に亡くなったが、ことあるごとに「鶴のマークの会社の人が親切にしてくれはった」とうれしそうに話した。
昨年、経営悪化が報じられる中、「なんの足しにもならない」と分かっていながら株を購入したのは、あの時の感謝と応援の気持ちを伝えたかったからだ。
関西空港の日航カウンターには、祖母との思い出をつづった手紙も持参した。
先月末、松原さんの自宅を日航社員が訪れた。手には約400通ものカード。松原さんの手紙を読んだ社員からの返信だった。
「必ず再生したい」。カードを手に、「50年後も心に残る接客を心がけていきたい」と決意を語った地上スタッフの赤木芙美さん(25)に、松原さんは「必ず危機を乗り越え、魅力的な会社になって」と話しかけていた。

自分に何が出来るか

松原さんは、感謝と応援の気持ちを伝えたいと、あえて無価値になる事を承知で日航券を購入されたのですが、松原さんの心を動かしたのは、半世紀前に日航社員から受けた真心でした。
その日航社員は、松原さんと足の悪い祖母の事を思い、自分たちに出来る事は何かを考え、車椅子を用意して車で東京駅まで送ってくれたのです。
日航社員から受けた真心は、孝行が出来た松原さん(当時18歳)にとって、忘れられない鮮烈な記憶となって、魂の奥底に深く刻み込まれたに違いありません。
今回、松原さんがあえて無価値になると承知で日航株を購入されたのは、「50年前に日航社員から受けた真心に報い、応援の気持ちを伝える為に、「いま自分に出来る事はこれしかない」と思われたからでしょうが、松原さんの思いの中には、「親である会社の為に、いま自分に出来る事は何かを、日航社員の方々にも考えて欲しい」という思いが込められているような気がします。
日航は松原さんにとって他人ですが、日航社員にとっては、自分たちを生み育ててくれた親も同然です。
他人でさえ、「日航の再建のために出来る事をしたい」と、精一杯の応援をしているのに、子供である社員が、相変わらず親に甘え、親を頼っていては、日航の再生など夢のまた夢と言わねばなりません。
日航を利用するお客様の為に何が出来るかを考える前にまず、親である会社の為に何が出来るか、どうすれば親を助けられるかを、真剣に考える事が、苦しんでいる親に対する子供の真心であり、親から自立する第一歩と言えましょう。