この愛をあなたに

作詞・作曲 大西良空

夜空にかがやく 星座のように
みんな結ばれて 生かされている
明日を夢見て 生きてゆきたいから
今をあきらめないで 生きるのさ

人のやさしさに つつまれた日から
愛という字を 心にきざんで
みんなひとりで 生きてゆけないから
人に愛されるより 愛したい

こころとこころが そっと触れ合うとき
熱き血潮が胸に こみあげる
熱き涙が頬を 濡らすのさ

感動を呼んだ新聞記事

平成22年1月23日の北國新聞に、「受験生間に合った 新潟ー輪島 トラック善意の夜通し運転」と題する、次のような心温まる記事が掲載されました。

北國新聞の記事

航空高石川(輪島市)の推薦入試受験へ、埼玉県内から列車を乗り継いで同校へ向かう途中、大雪のため新潟県内で足止めされた中3女子が、ヒッチハイクしたトラック運転手の夜通しの運転に助けられ、間一髪で受験開始に間に合った。
同校では22日までに「困難にめげず頑張った、ある受験生の話」として全校集会で紹介し、夢実現へ努力する生徒達の胸を打った。
女子生徒は1月17日午前9時10分開始の試験に向け、前日から母親と夜行列車などを乗り継いで輪島市へ向かう予定だった。しかし、新潟県長岡市まで行ったところで、大雪による列車運休で足止めを余儀なくされた。
17日午前0時過ぎ、二人は試験に間に合わないと判断し、列車を降りてヒッチハイクを決意。通りかかったトラックに上越市内まで送ってもらい、さらに同市の給油所に立ち寄った車に同乗を頼んで回った。
寒風の中、数台に断られながらも必死に石川方面に向かう車を探すと、山形県内の運送会社のトラック運転手が快諾してくれた。
同乗は「金沢市まで」との約束だった。だが、運転手は同市に近づくと「よし、輪島まで行っちゃる」とハンドルを切り、進行方向を北に変えた。
試験開始の約10分前、二人は学校に到着、ぎりぎりではあるが、善意のリレーで間に合った。事前の電話連絡で「欠席」と踏んでいた教員が驚いて出迎えると、運転手は「うちの娘も受験生だから気持ちはよく分かる」と控えめに語り、名前や行き先なども告げずに立ち去ったという。
作文試験に臨んだ女子生徒は出題されたテーマを見て、目を丸くした。「私が感動したこと」。
迷うことなく、女子生徒は直前まで起こった「感動」をありのまま書き記した。深夜に見ず知らずの親子を運んだ運転手の温かさ、「絶対にあきらめない」と懸命に車を探してくれた母を通して「人の優しさに感動した」とつづった。
女子生徒の作文に目を通した浅川正人副校長は「運転手の善意に感謝でいっぱい。簡単にあきらめない生徒も立派だった」と目を細めた。
女子生徒には21日、合格通知が届けられた。

私は、この話を某テレビ局のお昼の番組で知ったのですが、毎日悲しいニュースばかりを見慣れている私の心に、大きな感動の輪が広がりました。

幸不幸を決めるもの

私達はみな、知ると知らざるとに拘らず、様々な縁によってつながっています。自分が生まれた家や親兄弟とは勿論、見ず知らずの多くの人々とも、みな縁によって結ばれているのです。
オギャーと生まれてきたのも、死んでゆくのも縁であり、愛する人と出会い、別れなければならないのも、遇いたくない人と遇わねばならないのもみな縁です。
その縁は、時として私達を幸せにもすれば、不幸にもします。昔から「縁起をかつぐ」「縁起が良い」「縁起でもない」「縁起物」等と、日常生活の中に縁起という言葉が盛んに出てくるのも、縁によって幸不幸が決まると考えられているからです。
しかし、私達の幸不幸に決定的な影響力を持っているものが、もう一つあります。それは、私達自身です。
つまり、私達は、知らず知らずの内に、自らの手で、幸せな縁を不幸にしたり、不幸な縁を幸せにしたりしているのですが、だからこそ、自分の思い方一つで、不幸な縁を幸せな縁に変える事も出来るのです。
今回その事を教えてくれたのが、この母子なのです。

悪縁を良縁に変えた母子の決意

この母子にとって、不幸だったのは、大雪のため列車が止まり、足止めされた事でした。足止めを余儀なくされた母子にとって、大雪は不幸な縁以外の何ものでもありません。
ここまでの不幸な出来事は、この母子の力ではどうする事も出来ない不可抗力と言えましょうが、母子の幸不幸を分けたのは、ここから先の二人の行動です。
この母子は、大雪という不幸な縁を、不幸なままでは終わらせず、ヒッチハイクをしながら試験会場に向かう事を決意するのですが、その決意は、不幸な縁を幸運な縁に変え、ついに目的を成し遂げてしまったのです。
善意あるトラック運転手さんとの出会いという良き縁に恵まれた事が、目的を成し遂げられた要因の一つですが、この良き縁を引き寄せたのは、最後まであきらめなかった母子の決意である事は言うまでもありません。
もし大雪による列車運休という不幸な縁に屈して輪島行きをあきらめていれば、その時点で全ては終わっていたでしょうし、この運転手さんとの出会いもなかったでしょう。
しかし、数台の車から同乗を断られながらもあきらめず、将来は航空関係の仕事がしたいという夢の実現に向けた女子生徒の強い思いと、夢を叶えさせたいという母親の決意が、不幸な縁を幸運な縁に変え、ついに長岡から上越、そして輪島へと、善意のリレーの輪がつながったのです。
しかも、作文試験に出題されたテーマが、「私が感動したこと」という、まるで良き縁のリレーによって目的を成し遂げた母子の為に用意されたようなテーマだったのですから、驚く他はありません。
この一連の出来事を、すべて偶然と見る人もいるでしょうが、少なくとも、この母子が、大雪による列車運休という最初の不幸な縁に屈していれば、その後につながる数々の良き縁にめぐり会えなかった事も事実であり、最後まであきらめなかったからこそ、「私が感動したこと」という、母子の為に用意されたようなテーマにも、縁によってつながったのです。
たとえ偶然であっても、ただ座して待っているだけでは、よき縁に巡り合える偶然は引き寄せられないのです。