質素倹約を旨とすべし
様々な改革を成し遂げた歴史上の人物を見れば、無駄を無くし、足りる心を知って贅沢を離れ、質素倹約を旨として生きる事がいかに大切であるかがよくわかります。
質素倹約と聞けば、徳川家康や徳川吉宗の名前を連想する人が多いでしょうが、筆頭に挙げられるのは、アメリカのケネディ大統領が「最も尊敬する日本人」として名前を挙げた米沢藩の第九代藩主、上杉鷹山(ようざん)ではないでしょうか。
鷹山が治めた米沢藩の初代藩主は、NHKテレビでも放映された大河ドラマ「天地人」の主人公、直江兼続が仕えた戦国武将、上杉景勝です。
一代で越後三百万石を築き上げた上杉謙信の死後、その養子景勝は、豊臣秀吉によって、会津若松百二十万石へ領土換えさせられ、その時一緒に貰い受けた米沢三十万石を、家臣の直江兼続に治めさせますが、秀吉の死後、関が原の戦いが起こり、石田三成率いる西軍に味方した上杉軍は、会津百二十万石から米沢三十万石に減封させられてしまいます。
米沢藩の初代藩主となった景勝は、直江兼続と共に、僅か十分の一となった所領を整備し、藩の体制を整えますが、三代目藩主が跡継ぎを定める前に急死した為、お家断絶の危機に直面し、忠臣蔵で有名な吉良上野介義央(よしなか)の子を養子に迎えて何とか断絶は免れるものの、所領は三十万石から更に半分の十五万石にまで削られて財政は破綻寸前に陥り、米沢藩存亡の危機に直面します。
その上杉家に第九代目藩主として迎えられたのが、上杉治憲、後の上杉鷹山ですが、僅か十七歳で藩主となった鷹山は、儒教の精神を取り入れて、前代未聞とも言える大改革を断行します。
特に質素倹約を徹底的に指導し、自らも一汁一菜を実践し、衣類等も質素にして経費の削減に努める一方、自ら鍬を持って農民たちに開墾を奨励し、養蚕や工芸品などの発展にも力を注いで殖産興業を推進し、米沢藩を存亡の危機から救ったのです。
当初は格式ばかりを重んじて、鷹山に反対する者もいましたが、反対する藩士達を不撓不屈の精神で説き伏せ、果敢に改革を成し遂げた鷹山こそ、まさに大自然の摂理に適った感謝と知足の精神によって米沢藩存亡の危機を救った立役者と言っていいでしょう。