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日本の立ち位置

―靖国問題解決に向けて(6)―



靖国問題の核心


これまで、日本は「神の柱」と「仏の柱」の二本柱に支えられて初めて子々孫々の繁栄が約束される国であり、この「神と仏の二本柱」は、日本が繁栄していく上で絶対に踏み外してはならない不変の立ち位置である事、その訳は、汚れを嫌う神の障りに触れた時、汚れを清める「仏の柱」がなければ、日本に衰退の流れが生まれる恐れがあるからである事について、繰り返しお話してきました。

仏教徒の視点から見れば、靖国問題の背景には、明治政府の神仏分離令(廃仏毀釈政策)によって排除された日本繁栄の立ち位置である「神と仏の二本柱」を復活させ、二度と同じ過ちを繰り返させたくないとのみ仏のお力が働いているような気がしてなりません。

一見すると靖国問題は、いかにもA級戦犯(注1)の合祀を戦前の軍国主義と結び付けて自国の軍国主義化を隠し、南シナ海や東シナ海で顕著になった共産党一党独裁政権による覇権主義的野望から世界の目を反らせたい中国や、国内の不満を抑える為、靖国問題と慰安婦問題を政治的に利用したい韓国の思惑、そしてその流れに呼応する日本の一部マスコミの偏向報道によって起きているように見えます。

しかし、問題の本質は、戦没者の慰霊が、日本が繁栄するために欠かせない不変の立ち位置である「神と仏の二本柱」によってではなく、「靖国神社」という神の柱だけで為されているところにあります。

「何故、戦没者の慰霊は靖国神社だけではいけないのか。何故、仏の柱としての靖国神社的役割を担う仏教寺院、つまり靖国寺とも言うべき仏教寺院での慰霊が必要なのか」について、少し角度を変えてお話したいと思います。


「国譲り神話」にまつわる因縁


平成25年(2013年)は、伊勢神宮の20年に一度の式年遷宮と、出雲大社の60年ぶりの遷宮が重なるという奇しき御縁の年となり、それを記念して様々な記念行事が催されましたが、伊勢神宮の御祭神である天照大御神(アマテラスオオミカミ)と、出雲大社の御祭神である大国主命(オオクニヌシノミコト)との間には、「国譲り神話」にまつわる浅からぬ因縁があるのをご存じでしょうか?

日本で最も古い歴史書である『古事記』(注2)と『日本書紀』(注3)には、その浅からぬ因縁について詳しく書かれています。

国譲りに至るまでの経緯を簡単にお話しますと、天照大御神の弟の須佐之男命(スサノオノミコト)(注4)は、天照大御神が治める天界の高天原(タカマガハラ)で乱暴狼藉を働いたため姉の怒りを被り、出雲の地へ追放されます。

須佐之男命は、追放された出雲の地で、胴体と首が八本ある八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の生贄にされそうになっていた櫛名田比売(クシナダヒメ)を救い、八岐大蛇の尾から出てきた天叢雲剣(アメノムラクモノツルギ)(注5)を天照大御神に献上した後、櫛名田比売と結ばれて多くの子供を産みますが、その六代目の子孫に当たるのが、出雲大社の御祭神である大国主命(オオクニヌシノミコト)です。

大国主命は、少彦名命(スクナヒコナノミコト)と協力して出雲の国(葦原中つ国)を治めていましたが、その様子を高天原からご覧になっていた天照大御神は、大国主命の下へ使者を遣わし、「出雲の国は私の子孫が治めるべき国だから、私の孫に譲りなさい」と申し入れてきます。

一人目の使者である天穂日命(アメノホヒノミコト)は大国主命の家来となり、二人目の天若日子命(アメノワカヒコノミコト)も、大国主命の娘と結婚して、結局二人とも失敗してしまいます。

三人目の使者として遣わされたのが、武勇の誉れ高い武御雷神(タケミカヅチノカミ)と天鳥船神(アメノトリフネノカミ)で、稲佐の浜に剣を突き立てて、大国主命に国を譲るよう迫ります。

最初は穏やかに国譲りを提案したものの、埒があかないので、武力を誇示して強引に国譲りを迫ったのです。

大国主命としては、苦労して治めた国を、素直に譲る訳にはいきません。そこで、「二人の子供が承知するなら、潔く譲っても良い」という国譲りの条件を出します。

長男の事代主神(コトシロヌシノカミ)は、武御雷神の武勇に恐れをなし、「分りました」と言って国譲りを承諾しますが、弟の建御名方神(タケミナカタノカミ)は強行に反対します。

強大な武力を以て圧力を掛け、国を取り上げようとする天照大御神の強引さに、建御名方神が反対するのも無理はありません。

そこで、「力比べをして負けたら、素直に国を譲ろう」といって武御雷神に戦いを挑みますが、武御雷神の圧倒的な力に抗する事が出来ず、負けてしまいます。

諏訪まで逃げてきた建御名方神は、「今後、諏訪から一歩も出ません」と誓って諏訪にこもり、諏訪大社の御祭神となるのですが、二人の子供が承知した以上、大国主命も断わり切れなくなり、「お譲りしましょう。その代わり、私共の住む神殿を建てて、末代までも守って頂きたい」という条件の下に、出雲の国を天照大御神に譲る決心をします。

こうして大国主命から天照大御神への国譲りが実現し、天照大御神の孫である邇邇芸命(ニニギノミコト)が、神々を引き連れて、高天原から日向(宮崎県の高千穂の峰)の地に天下ってくるというのが「国譲り神話」の概略ですが、お気付きのように、邇邇芸命は天照大御神の孫、大国主命は天照大御神の弟である須佐之男命の子孫なのです。

「国譲り神話」とは、血のつながった姉弟とその末裔が出雲の国を巡って骨肉の争いをした神話なのですが、私達が考えなければならない事は、国を譲ったと言われている大国主命やその一族の思いです。


勝者の意向によって変わる歴史


『古事記』や『日本書紀』では、大国主命が天照大御神に潔く譲ったという事になっていますが、果たして真相はどうだったのでしょうか?

勿論、「国譲り神話」は、後世の人間が作った神話(架空の物語)であり、現実に起こった歴史的事件ではありません。

しかし、「火のない所に煙は立たず」の諺どおり、たとえ架空の話であったとしても、否、架空の話だからこそ、そこに、神話を生み出した時代の空気(歴史的背景)と、編纂者の意図が色濃く反映されているのではないかと思うのです。

その編纂者の意図を解明していく上で留意しなければならない事は、『古事記』や『日本書紀』が、国を譲った大国主命の側の人々ではなく、国を譲られた事になっている天照大御神の側の人々、つまり朝廷に使える人々の手によって書かれた神話であるという事です。

何故、国を譲った側の人々ではなく、国を譲られた天照大御神の側の人々が、このような神話を作ったのでしょうか?

「国譲り神話」が、天照大御神の要求に大国主命が屈した物語である事を念頭に考えれば、その裏に、国を譲られたとしなければならない何らかの事情があったと推測せざるを得ません。

もし譲った側の人々が書けば、事実をありのまま書くでしょうから、それでは譲られたと主張する側にとって都合の悪い事もあります。

そこで、不都合な出来事を隠すため、「国譲り神話」が作られたのではないでしょうか。

そうだとすれば、当然、勝者側にとって不都合な事実は削除され、都合の良い事実だけが書かれているか、若しくは、事実が勝者の都合の良い形に書き換えられている可能性が出てきます。

「国譲り神話」が、敗者側の人々ではなく、勝者側の人々の手で作られたという事実によって、かえってその背後に隠されている朝廷(編纂者)の意図が浮かび上がり、その真相が国譲りではなかったかも知れないという疑いを抱かざるを得ないのです。


東京裁判に見る勝者側の都合


何故、勝者側の人々が作った「神話」が素直に信じられないかと言えば、私達は過去において、勝者側の人々が、自分たちに都合の良い事実だけを取り上げ、不都合な事実を隠避して、歴史の真実を捻じ曲げてきた事実を、この目で見てきているからです。

最近の例としては、太平洋戦争の勝者である連合国側が、東条英機元首相をはじめとする敗戦国日本の指導者28名を、「戦争犯罪人」として裁くために開いた東京裁判(極東国際軍事裁判)を挙げる事が出来ます。

この軍事裁判が、勝者側に都合のよい結論を導き出す為に、都合のよい事実だけを取り上げ、敗者の意見など全く顧みない、裁判とは名ばかりの、公平性を無視した茶番劇であった事がすでに明らになっていますが、その不当性を示す好例の一つが、事後法の適用です。

事後法とは、後から作った法律によって、法律が出来る以前の行為を裁く事で、このような事後法の適用は、罪刑法定主義を大原則とする近代刑法では絶対に認められません。

ところが、連合国側は、ポツダム宣言を受諾する前には存在していなかった「平和に対する罪(A級)」「通常の戦争犯罪(B級)」「人道に対する罪(C級)」を、敗戦国日本の指導者を断罪するため、事後法として新たに制定し裁いたのです。

もし「人道に対する罪」の下に裁かれるなら、広島と長崎に原爆を投下し、20万人以上とも言われる無辜の一般市民を一瞬にして殺戮したアメリカの罪も裁かれなければなりませんが、アメリカが裁かれなかったのは、東京裁判が、敗戦国を裁く為の復讐裁判に過ぎなかったからです。

その意味で、連合国11ヶ国の裁判官の一人であるインドのパール判事が、「この裁判は国際法に違反するのみか、法治社会の鉄則である法の不遡及まで犯し、罪刑法定主義を踏みにじった復讐裁判に過ぎない」と評し「全員無罪」の判決を下したのは、至極当然と言えましょう。

裁判に加わった他の判事の多くも、帰国後、裁判の不当性、違法性を証言し、更に東京裁判を開かせたマッカーサー最高司令官でさえ、後に「日本を侵略国として裁いたのは間違いだった。日本の戦争は、自衛戦争だった」と証言して、東京裁判が、裁判とは名ばかりの、勝者による一方的な復讐劇であった事を明らかにしました。

このように私達は、勝者の都合によって歴史的事実が捻じ曲げられるという悲しい現実を、過去に嫌と言うほど見てきました。

否、それは過去の出来事ではなく、今も続いている現実であり、日本の一部マスコミの偏向報道によって、靖国問題が政治カードとして利用できる事を知った中国や、戦勝国ではない韓国までもが、靖国神社へのA級戦犯合祀を戦前の軍国主義と結びつけ、東京裁判を利用した日本批判のプロパガンダ(政治宣伝)を繰り広げている事は、周知の通りです。

それ故、大国主命が国を譲ったという『古事記』や『日本書紀』の内容を、そのまま素直には信じられないのです。

合掌

2016年5月15日


日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(1)
日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(2)
日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(3)
日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(4)
日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(5)
日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(6)
日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(7)
日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(8)
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(注1)A級とは、極東国際軍事裁判所(東京裁判)において憲章第6条A項が規定する「平和に対する罪」の事で、これに違反する者をA級戦犯と言う。これに対し、憲章第6条B項の「通例の戦争犯罪」を犯した者をB級戦犯、C項の「人道に対する罪」を犯した者をC級と言う。
A級、B級、C級を罪の軽重の違いと誤解し、A級が最も重いと考えている人もいるが、これは罪の軽重の分類ではなく、戦争犯罪の分類に過ぎない。
なお、日本では、1952年(昭和27)の対日講和条約(サンフランシスコ講和条約)によって独立した後、全国で戦犯釈放運動が起こり、世論に押される形で国会において、戦犯と言われた人々の名誉回復決議がなされ、野党の社会党を含めた満場一致で採択された。
国際的にも、サンフランシスコ講和条約第11条にもとづき関係11ヶ国の同意を得て、A級戦犯は昭和31年、BC級戦犯は昭和33年までに全て赦免・釈放された。
その後、A級戦犯で閣僚を務めた者や、岸信介氏のように、A級戦犯元被指定者でありながら内閣総理大臣になった者までいたが、その際、中国や韓国は勿論、諸外国から異議が出る事はなかった。
この事実を見れば、すでに戦犯とされた人たちへの国会決議や名誉回復がなされ、国内的には言うまでもないが、国際的にもその事が広く認知されていた事が分る。
靖国問題を考える際には、先ずこの事実を念頭におかなければならないが、何故かマスコミ報道にはこの事実が全く出てこないし、報道しようとする姿勢も見られない。
このような事実を考えると、問題は中国や韓国側の対応よりもむしろ、何らかの意図を以てこの事実を全く報道しようとしない日本の一部マスコミの偏向体質そのものにあると言っていいであろう。

(注2)日本最古の歴史書。編纂者は太安万侶(おおのやすまろ)で、712年(和銅5年)に完成した。

(注3)国家的事業として編纂された六つの歴史書である六国史(りっこくし)の第一に位置する。編纂者は舎人親王で、720年(養老4年)に完成した。

(注4)伊弉諾尊(いざなぎのみこと)と伊弉冉尊 (いざなみのみこと)との間に産まれた三人兄弟の末子。太陽を神格化した天照大御神は高天原を、月を神格化した月読命(つくよみのみこと)は夜を、須佐之男命は海原を治めるように、父の伊弉諾尊から言われるが、須佐之男命はそれを断り、母の伊弉冉尊の下へ行きたいと言って父の伊弉諾尊の怒りに触れ追放される。ところが、追放される前に姉の天照大御神に別れを告げたいと高天原にやってくるが、姉は弟が攻めてきたと疑ったため、須佐之男命は疑いを晴らす為に誓いを立てる。疑いが晴れた須佐之男命は高天原に滞在する事を許されるが、乱暴狼藉を働いたので、天照大御神は、天の岩屋に隠れてしまう。そして、須佐之男命は、高天原から出雲に追放される事になった。

(注5)八咫鏡(やたのかがみ)、八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)と共に、三種の神器(さんしゅのじんぎ)の一つに数えられる。草薙の剣(くさなぎのつるぎ)とも言われ、名古屋の熱田神宮の御神体となっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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