桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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第二の矢を受けず(2)



変わるべきは相手よりも先ず自分


ご相談者の男性は、ご家族の事で悩みを抱え、ご家族の心を何とか変えたいと、その手立てを求めて、各地の寺院を転々としながら修行を重ねて来られたようですが、恐らく世の中の大多数の方が、この男性と同じように、問題を解決する為には、先ず問題を起している相手の心を変えなければいけないと考えるのではないでしょうか。

しかし、相手に変わって欲しいと願うなら、その前にまず自らが変わる事を考えなければ、問題の根本的解決にはつながりません。

たとえ相手(家族)が自分にとってどんなに不都合な相手(家族)であっても、その不都合な相手(家族)との因縁を解き、拝めるまでの心になる事が先決なのです。

何故なら、不都合な結果も、不都合な相手も、自らが背負っている因縁によってもたらされたものだからです。

不都合な相手と家族にならなければならない因縁を、自らが作ってきている以上、その因縁を棚に上げたまま、いくら相手の非を責め、その心を変えようとしても、何の解決にもなりません。

不都合な因縁は、先ずその因縁を受け入れ、自らが変わっていく事によってのみ解けてゆくのです。

勿論、その道理をただ頭で理解しただけでは、不都合な相手(因縁)を受け入れられるようにはなりません。

その不都合な相手が実は不都合な相手ではない事を悟り、その相手でなければ自分が背負う因縁は解けない事を、心の底から納得し、拝めるまでの心にならなければなりません。

不都合としか思えない相手は、自分が背負う因縁を解く為に欠かせない存在である事が分かれば、自分が相手に苦しめられているのではなく、実は因縁を背負う自分が相手を苦しめているのだという事も分かってきます。

そして、今まで「家族が自分を苦しめているのだ」と誤解していた事への懺悔の気持ちと、「自分が罪深いために、家族みんなに苦労をかけているのだ」と言う家族への感謝の心が、自然に湧いて来るのです。

しかし、真相を悟れなければ、「苦労をさせられているのは自分の方であり、相手(家族)から懺悔と感謝をしてもらわなければいけない」という考え方しか持てません。


常識を超えた世界


これを、病人と病人を介護する人に譬えれば、「介護をされている病人が、介護してくれている人に感謝をするのが当たり前」という世間の常識的な考え方とは全く逆になります。

つまり、病人(介護される人)より病まれる人(介護する人)に因縁があるのだから、病まれる人が病人に懺悔と感謝をしなければ、背負っている因縁は解けていかないという事です。

何故自分は病まれ、介護しなければいけないのかという事の道理(真相)に目覚め、病んで下さっている内に、因縁を解かせて頂かなければならないのです。

病人に対し、懺悔と感謝の心を持って介護する事が出来れば、因縁を解く事も不可能ではありませんが、逆に懺悔と感謝を求める心がある内は、因縁を解く事は難しいでしょう。

そこまでの心に変わらなければ、自ら背負う苦しみの因縁は解けていかないのです。

勿論、これは、真相を悟って初めて見えてくる世界であり、真相を悟るまでは、心の底から納得する事は難しく、納得出来るまで、様々な試練の行が続く事は言うまでもありません。

試練の行である以上、自分の思い通りにいかない事や不都合な結果に見舞われる事も多々あり、その事をしっかり心に留めておかないと、思い通りにいかないと言っては神仏を逆恨みし、更なる罪を重ねていかねばならなくなります。

その試練の行を乗り越えられた人のみが、不都合な相手(家族)を拝めるまでの心を成就し、晴れて苦しみの因縁から救われ、真の勝者となれるのですが、その為には、仏法による導きが欠かせません。

残念ながら、世の中には、折角仏法の導きがあっても、それを受け入れる事が出来ず、法に反発するお方もおられます。

お釈迦様は、それらの人々を、「縁なき衆生は度し難し」とおっしゃっておられますが、改めて、この言葉の持つ意味を噛み締め、深く味わいたいものです。


間違っていた御来山の目的


翌日、ご相談者の男性からメールが送られてきました。お礼のメールと言いたいところですが、そうではありませんでした。

法徳寺からの帰途、早速、試練のお計らいを頂かれたようで、メールには、為す事全てが自分の思い通りにいかなかったと、怒りの言葉が記されていました。

JR中央本線・日野春駅は、法徳寺から車で7~8分、徒歩で40〜50分程の所にありますが、どこをどう歩いて帰られたのか、四倍近い3時間もかかった為、楽しみにしていた夕方のイベントに間に合わなかった事、頭痛を発症して他の人の仕事を手伝ったのに周りから非難を浴びた事、買ったばかりのイヤホンが片側聞こえず不良品だった事などを列挙され、一時間かけた回廊廻りの行が無駄だったと結論付けておられます。

「苦しめているご家族を拝めるまでの心になって下さい。ご家族の心を変えたければ、まず自分が変わらなければいけません」とお話した事も、全て綺麗事に過ぎないと感じられたようです。

恐らくこの男性は、法徳寺にお参りし、御回廊廻りの行をすれば、すべてが自分の思い通りになると期待しておられたのでしょう。

しかし、その期待は見事に裏切られ、すべてが正反対の結果となった為、御回廊廻りの行は無駄だったと、怒りのメールを送って来られたのですが、これでは元の木阿弥で、法徳寺へ来られる前と何も変わっていません。

何故変わらなかったのでしょうか?

その理由は、お参りの目的にありました。

法徳寺へ帰郷されるご同行の皆様は、みなご自分を変える為に来ておられます。恐らくこの男性も、その目的で来られたのだろうと思い、自分を変えるにはどうすればよいかについて、詳しくお話させて頂いたのですが、送られてきたメールを拝見する限り、ご自分を変える為ではなく、不都合なご家族や不都合な環境を変えたい為のお参りだったようです。

ところが、法徳寺からの帰途、不都合な出来事ばかり起こり、自分が期待した結果にならなかった事から、怒りのメールを送って来られたのですが、残念ながら、これでは、期待したご利益が頂ける筈がありません。

この男性が法徳寺へ来られた目的が、最初から間違っていたのです。


思い通りにいかなかった本当の理由


もしこの男性がご自分を変える為に来られたのであれば、為すべき事は一つしかありません。即ち、自分の思い通りにいかなかった時、それをどのように受け止め、どう悟っていくかという事です。

お参りされた当日、乗る予定だった30分前の電車に乗り遅れた事を、悪因縁や怨念の仕業と捉えておられましたが、法徳寺からの帰途、全てがご自分の思い通りに行かなかった事も、電車に乗り遅れた事と全く同じです。

ご相談者の男性は、夢殿の御回廊廻りの行をしたのに、思い通りにいかなかったから、無駄だったと結論付けられたのですが、菩薩様の教えを受けているお方は、このような場合、この男性とは正反対に、「御回廊廻りの行をしたからこそ、何もかも思い通りに行かなかったのだ。早速、菩薩様から試練のお計らいを頂いたのだ」と悟っていかれます。御回廊

何故なら、思い通りにいかなかった事をどのように受け止め、心の中で消化し、悟りに変えていくかを学ぶ事が、自分を変える為には避けて通れない道である事を知っておられるからです。

そもそも信仰のご利益とは、何もかも自分の思い通りになる事ではありません。

勿論、たった一度御回廊廻りの行をしただけで、人生がばら色に変るものでもありません。もしそうであるなら、この世に苦しむ人など一人もいないでしょう。

神仏を信仰する上で大切な事は、思い通りに行かなかった時、心がどのように動くかという事です。

本当の信仰が成就出来るか否か、救われるか否かは、思い通りに行かなかった時、それをどのように受け止め、自らの悟りに結び付けていくか、そして、どんな事があっても動じない不動の信心を確立する為にそれを生かせるか否かにかかっています。

そこを乗り越えない限り、不動の信心は確立できませんし、人生も好転しません。ましてや、自分が背負っている因縁が解ける筈はありません。

合掌

2017年11月28日


第二の矢を受けず(1)
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