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「憲法9条にノーベル賞を」運動に思う(7)



安全保障は一か八かの賭けではない


この運動の発案者の鷹巣さんは、「戦争放棄、非武装中立」を掲げてこの運動を始められたようですが、わが国を取り巻く厳しい現状を考えれば、この政策が、「相互の信頼関係の確立と国の安全保障は切り離せない」という前文と9条の根本精神に抵触している事は明らかでしょう。

「戦争放棄、武力放棄」という理想は、何度もお話しているように、相手に命さえも委ねられる強固な相互の信頼関係の上に成り立つもので、周辺国から様々な軍事的圧力や挑発を受けている現状では、絵に描いた餅に過ぎないばかりか、違憲の疑いさえある政策と言わねばなりません。

百歩譲って、「戦争放棄、非武装中立」政策が正しいとの前提で、これを実行に移したと仮定した場合、我々国民はどういう状況に置かれるでしょうか?

成否の行方は、覇権主義的野望に燃え、領土拡大を目論み、南シナ海や東シナ海で度重なる挑発を繰り返す共産党一党独裁政権の意向と、国際世論の動向にかかっていますが、この政策は、 武力をもって威嚇し、挑発してくる独裁政権に我々の命を委ねるに等しい行為ですから、最後に頼りとなるのは、国際世論しかありません。

つまり、1億2000万人の国民は、憲法前文に謳われている「平和を愛する諸国民の公正と信義」だけが頼りという、まさに薄氷を踏むような状況に置かれる事になります。

覇権主義的野望に燃える共産党一党独裁政権がわが国を侵略しようとする場合、世界中の世論を敵に回すか否かの選択を迫られる訳ですが、同時にわが国も、国際世論(平和を愛する諸国民の公正と信義)が信頼するに足るか否かの判断を迫られる事になります。

これはまさに一か八かの賭けで、吉と出るか凶と出るかは、蓋を開けてみないと分りません。

問題は、国際世論(平和を愛する諸国民の公正と信義)を、どこまで信頼していいのかという事ですが、そうなるとやはり、中国に侵略されたチベット出身のペマ・ギャルポさんが、衆議院憲法調査会の公聴会で述べられた次の証言が、我々の肩に重くのしかかってきます。


重い体験者の証言


憲法9条の一方的な戦争放棄に対して何らかの国際社会においての保証もなければ、それを尊重するような環境もないのが現実です。

私が生まれた祖国チベットは、7世紀以来仏教を信仰し、生命の尊重を願って他に危害を加えない平和を一方的に信じてきたが、残念ながら、1950年代にはその平和な生活は、中国によって一方的に侵略され、固有の価値観を否定され、約600万人の5分の1の人たちが、尊い命が奪われた。

国連の機関である国際司法裁判所は、これを大量虐殺(ジェノサイド)と判定し、国連総会において3回にわたって非難決議がされたが、結局、チベットは侵略されたまま、何の救済にもならなかった。

敬虔な仏教国チベットでは、指導者である僧侶達が殺生を禁じ「仏を拝んでいれば平和は保たれる」と主張し抵抗を禁じたが、その結果チベットは地獄になってしまった。中共軍が本格的に進入してきた時、チベット軍はすでに解体させられていた。

「インドに頼もう」とか「国連に訴えよう」とチベットは行動をおこしたが、インドは動かなかった。

そして95%の僧院が破壊され、120万人のチベット人が虐殺された。

日本人に言いたい事は、自分でいくら平和宣言をしても他国を縛る事はできない。泥棒を中に入れてから鍵をかけても遅いという事だ。

残念ながら、これが、鷹巣さんや実行委員会の方々が頼りとする国際世論(平和を愛する諸国民の公正と信義)の正体と言っていいでしょう。

「私が生まれた祖国チベットは、7世紀以来仏教を信仰し、生命の尊重を願って他に危害を加えない平和を一方的に信じてきた」というペマ・ギャルポさんの証言を見ると、鷹巣さんや実行委員会の方々、そして集団的自衛権行使容認に反対し、平和安保法案を戦争法案と言い換えて批判している方々の言う「戦後70年間、わが国の平和が保たれてきたのは憲法9条があったからだ。他国に武器を向けなかったのも、9条があったからだ」という証言と余りにも似ている事に気付かれると思いますが、決定的に違う点があります。

それは、ペマ・ギャルポさんの証言が、侵略された体験者の言葉であるのに対し、実行委員会や安保法案を戦争法案と言い換えて批判している人々の言葉は、一党独裁政権に侵略された経験のない人々のただの思い込みに過ぎないという事です。

どちらの発言が説得力を持つかは言うまでもないでしょうが、鷹巣さんたちが最後の頼みとする国際世論(平和を愛する諸国民の公正と信義)が、ギャルポさんの証言通りだとすれば、「戦争放棄、非武装中立」政策が吉と出る可能性は、皆無とは言いませんが、限りなく低いと言わなければなりません。

つまり、戦争放棄と武力放棄を実行に移しても、戦争の無い世界の実現はおろか、独裁政権の暴走を食い止める事さえ不可能で、この案が伝家の宝刀となる事は、万が一にもありえないという事です。

鷹巣さんや実行委員会の方々が、この証言をどのように受け止めておられるのかは知る由もありませんが、それでもあえてこの運動を推し進めようとされるのであれば、国際世論(平和を愛する諸国民の公正と信義)によって独裁国家の暴走を食い止められると確信している根拠を国民の前に明らかにしなければなりません。

勿論、国際世論(平和を愛する諸国民の公正と信義)の力を過小評価するつもりはありませんし、国際世論にも侮れない力があるのかも知れません。

しかし、大切な事は、1億2000万人もの国民の生命財産を、一か八かの賭け事のような天秤にかける事は出来ないという事です。


国民に覚悟を問わねばならない責任


鷹巣さんや実行委員会の方々が、「憲法9条があったから日本は平和だったのだ」と言われるなら、どうしても避けて通れない道があります。

それは、戦争放棄と武力放棄を行動に移した結果、起こり得るであろう最悪の事態を甘んじて受け入れるだけの覚悟があるか否かを、全国民に問わなければならないという事です。

つまり、鷹巣さんや実行委員会には、1億2000万人の国民に対し、平和実現のために武力を放棄し、独裁政権に命を委ねた為に侵略を許し、すべてを失ったチベットやウイグルのようになってもよしとする覚悟があるのか否かを問う責任があるという事です。

もしその覚悟を全国民が共有している事が明らかになれば、もはや躊躇する必要はありません。

全てを失ってもよしとする覚悟が出来ているのですから、あとは「平和を愛する諸国民の公正と信義」を信頼して、天命に委ねるだけです。

しかし、それを実行しようと思うのであれば、その覚悟があるか否かを、まず全国民に問わなければなりません。

そして、あらゆる疑問や不安と真摯に向き合い、全国民が納得出来るよう根拠を示して説得しなければなりません。

安保法案を戦争法案と言い換え、危機感を煽る野党議員がよく言う「説明責任」を果たす必要があるという事です。その責任を放棄しては、この運動に不安を抱く大多数の国民との溝は深まっても、賛同は得られないでしょう。

これは、ただ「私達はそう信じているから、何も言わず黙って後へついて来て下さい」と言って済まされる問題ではありません。

わが国を取り巻く厳しい安全保障の現状や、ISILによる無差別テロと、国を追われヨーロッパに押し寄せるシリア難民問題などをはじめ、今の世界情勢を見れば明らかなように、真の平和の実現は、わが国だけが戦争放棄、武力放棄を実行して実現できるほど、生易しいものではありません。

また一口に国際世論(平和を愛する諸国民の公正と信義)と言っても、それぞれの利害関係によって左右され、流動化するのが人の心の常であり、決して一枚岩ではありません。

そんな中で、わが国だけが高い理想論を掲げて先頭を突っ走っても、ペマ・ギャルポさんが証言しているように、国際世論はおろか、1億2千万人の国民の納得さえ得られないでしょう。

ましてや、わが国が一方的に、戦争放棄、武力放棄を実行し、独裁政権に国民の生命を委ねる道を選択するとなれば、国民の生命財産を危険に晒すだけでなく、祖国を失う恐れさえ出てきます。

そうなれば、子々孫々に顔向けができません。

前にもコメントしたように、真の平和とは、相手にわが命を委ねられるまでの相互の信頼関係の確立の上に立って初めて実現出来るものですが、その相互の信頼関係が崩壊している状況の中で、もし鷹巣さんや実行委員会の方々が、国際世論(平和を愛する諸国民の公正と信義)を信じてこの運動を続けようとしておられるのであれば、1億2000万人の国民は、かけがえのない命をその手に委ねる事になります。

その覚悟を問わねばならない全国民を受賞対象としながら、様々な疑問や不安に対し、真摯に向き合う姿勢が見られぬばかりか、世界中が共産党一党独裁政権の挑発と暴走に脅威を感じ、警鐘を鳴らしているにも拘らず、わが国政府の行動を一方的に批判するだけで、独裁政権の暴走と脅威には何も言わず黙認しておられる現状を見ると、平和を願う国民の誰もが、この運動が目指している方向性に不安と疑問を抱くのは当然と言えましょう。

合掌

平成27年10月18日


「憲法9条にノーベル賞を」運動に思う(1)
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