桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
桜紋の扉 法徳寺の扉 御祈願の扉 汗露水の扉 御法歌 法話の扉 帰郷の扉 升紋の扉
信者を作らない理由法話の小部屋御同行の体験談

天に祈りて地に懺悔

─地鎮祭・上棟式の目的─




地鎮祭の目的


3年前の平成23年(2011年)4月23日、高野山法徳寺で三つ目の御堂となる「帰郷庵」の地鎮祭が執り行われました。

地鎮祭には神式と仏式があり、「帰郷庵」の地鎮祭は仏式で行われましたが、仏式では、地の神様である地天と、八方を守って下さる神様である八方天を祀り、様々な供物をお供えして、その土地を使わせて頂くお許しとご加護を願います。

家やお堂を建てる時には、必ず建設予定地の四隅に竹を立て、注連縄を張り、結界をして地鎮祭を執り行いますが、そもそも地鎮祭は何のために行われるものなのでしょうか?

皆さんは、「建設予定地を清め、様々な障りや禍が降りかからないようにする為だ」と思われるかも知れませんが、地鎮祭の真の目的は、土地を浄める為ではありません。

地鎮祭という言葉は、「土地を鎮める」と書きますから、土地を浄める為の儀式だとお考えになっても無理はありませんが、地鎮祭を執り行う本当の目的は、土地のお浄めではなく、その土地に住む人をお浄めする事にあります。

その事について、法舟菩薩様は、次のようにおっしゃっておられます。

白い御幣を立てて、宮司さんにお祈りして頂く時に、「祓え給え、清め給え」と言うでしょう。「祓え給え、清め給え」と言う事は、禊(みそぎ)です。

禊とは何か、知っていますか。禊と言うのは、ご懺悔(さんげ)です。「祓え給え、清め給え」と言うその禊が、懺悔となるのです。「天に祈りて地に懺悔」と書いてあるでしょう。

天は神なり 地は仏
   天に祈りて 地に懺悔
   合わす両手に 神守る
 と言うのは、その事なのです。

土地と言うものは、今まで陽の目を見ていたのです。この辺りの土地も、いままで家も何も建っていなかったのに造成されて、今まで陽の目を見ていた、木も草も生えていたその土地が、木も草もすっかり無くなって、裸になって、これから五十年続くか、百年続くか分からないけれども、家を建てて、今まで太陽の恵みを頂いていた土地を閉ざしてしまうのです。

人間ならどうですか。五十年も百年も太陽に当たらなかったら、どうなりますか。太陽に一週間あたらなかったら、身体の何かが減るとか、ビタミンがなくなるとか言うのです。太陽の光が何もかも、身体の調節をして下さっているのです。

人間が家を建てたために、今後は、その土地が陽の目を見なくなるのです。そうしたら、どうすればいいかという事です。

住まいが必要な時には、建てないという訳にはいきませんから、そういう時には、祈りしかないのです。

「天は神なり地は仏」です。天と地は、父と母と言う様なものです。要するに天(神)と地(仏)があって、初めてそこに結果が生じるのです。父と母がいて、その谷間に育つ白百合が子供です。

ですから、「天に祈りて地に懺悔」をするのです。禊をするのです。心の禊です。罪業深いままで入ってはいけないのです。祈りがあって、敬いの心が生じて、そして入れて頂けば、その家自体が繁栄していくのです。

家を建てたために、色々な悪い事が生じて来た。家が燃えてしまった。泥棒が入った。色々な事があります。何故かと言うと、家に対する敬いが無いから、地に対する懺悔が無いから、家を建てて色々な事が起きて来ると言う事です。

家を建てると言う事は、オギャーと生まれる事です。子供がオギャーと生まれるのと同じです。オギャーと生まれれば、子供に対して、親の愛情がどれだけ注がれるか分からないでしょう。

ところが、家を建てて何をしますか。お酒を買って来て、色々なご馳走をこしらえて、新築祝いだと言って、誰を祝うのかと言えば、自分を祝っているのです。新築祝いで、どんちゃん騒ぎをして、それでご懺悔が出来るか、自分の心の禊が出来るかと言う事です。

だから、家を建てる時には、ここに書いてある通り、「天に祈りましょう。地に懺悔をしましょう」という事です。その心が、自分の心の禊と成るのです。

禊と成れば、中から有難い、もったいない、申し訳ないと言う心が出て来るのです。そういう心で、新しい家に入らせて頂けば、それこそ未来永劫、子々孫々までも、その家は栄えるという事です。万々歳と言う事です。


天に祈りて地に懺悔


この文章を読めば、何の為に地鎮祭をするのか、お分かり頂けたと思いますが、要するに、その土地に住む人の心を浄めるのが、地鎮祭の目的なのです。

菩薩さまがおっしゃる「心の禊」です。

これは何も地鎮祭に限った事ではありません。例えば、皆さんは、新車を買った時、神社やお寺へ、交通安全の御祈祷に行かれると思いますが、交通安全の御祈祷は何の為にするとお考えでしょうか?

他の神社や寺院の事はよく存じませんが、少なくとも法徳寺では、自動車を御祈祷するのではなく、車を運転するそのお方を浄め、安全運転して頂けるように、御祈祷をさせていただきます。

御法歌(みのりうた)の中に、
  この車 親と敬え妻子と思え
     荷物背負わせ われが舵とる
 という法歌がありますが、「この車が大切なわが親だ。かけがえのないわが妻子だ。その親や妻子に重い荷物を背負わせ、自分が運転するのだ」と思えば、もうその車は、家族そのものであり、家族を心配させるような乱暴な運転は出来ません。

その事に気付いて頂く事が、交通安全の御祈祷の真の目的であり、その事に気付いて頂いた時、すでに交通安全の御祈祷は成就しているのです。

「車をお祓いしてもらったから、拝んでもらったから、もう明日からどんな運転をしても交通事故には絶対に遭わない」というような、免罪符を与えるものでは決してありません。

車を運転する人の心が、車を守り、自分を守り、家族を守る事に気付いて頂き、その心で安全運転をして頂く為の御祈祷なのです。

「帰郷庵」の地鎮祭も同じで、決して「帰郷庵」を建立する土地をお浄めする為ではありません。帰郷庵を何代にも亘ってお守りさせて頂く寺族関係者と、「帰郷庵」に御納骨して下さるすべての皆様の罪の御懺悔と、魂の浄化を御祈念する為の地鎮祭なのです。


忘れてはならない懺悔の心


御法歌「頼め彼岸へ法のふね」の最初の歌は、その事を詠った歌です。

 天は神なり 地は仏
    天に祈りて 地に懺悔
    合わす両手に 神守る

「天は神なり 地は仏」です。土地は、すでに清らかな仏と言ってもいいでしょう。その仏を、何故浄める必要があるのでしょうか。

土地に種を蒔けば、やがて芽が出ます。成長して花が咲き、果実を実らせます。土地には、すべての命を育む大いなる力があるのです。何故なら、土地はすでに仏の命そのものだからです。

では何故地鎮祭をしてお浄めをする必要があるのかと言えば、今もお話したように、仏の命そのものである土地の上に住む人々をお浄めする必要があるからです。

人の心を浄めるには、ご懺悔の心が欠かせません。御法歌に「地に懺悔」と詠われているのは、その為です。

今まで太陽の光に燦々と照らされて、生き物を育んできた土地が、家を建てる事によって、上から蓋をされ、太陽が当たらなくなるのです。命を育めない状態にして、その上に、私達人間が住む事になるのです。

勿論、家を建てない訳にはいきませんから、仏である土地の上に住まわせて頂くのはやむを得ませんが、大切な事は、どのような思いでその土地に住まわせて頂くかと言う事です。

地の神様、仏様に、「申し訳ありません。これからこの土地が必要なのです。この土地に住まわせて頂いて、世のため人のために働かせて下さい。どうかこの土地を使わせて下さい」と言って、ご懺悔の心をお供えして使わせて頂けば、災難や事故に遭う事もないでしょうが、ご懺悔と感謝の心を忘れていると、色々な障りに触れて、泣かなければならない事も起きるという事です。

昔から「普請祟り」と言って、家を新築したら、死んではならない人が急死したり、災難に遇ったりするという話をよく聞きますが、それは裏を返せば、土地に対するご懺悔と感謝の心、そして少しでも世のため人のためにお役に立つような生き方をしようという菩提心を忘れているという事です。

菩薩様がおっしゃっておられるように、罪深いままで入ってはいけないのです。


大地の徳を神格化したお地蔵様


高野山法徳寺の御本尊である「身代り升地蔵尊」は、私達が大変お世話になっている大地の徳を神格化したみ仏です。

お地蔵様は、文字通り、大地が持っているあらゆる徳を兼ね備えたお方で、大地という母なる懐に私達を抱き、日々排出するありとあらゆる廃棄物をも全て受け入れて下さっています。

山梨県北杜市明野町に、山梨県の産業廃棄物最終処分場があり、有害物質が土中に漏出したというので、一時、搬入が止まっていましたが、最近、赤字解消の目途が立たないという理由で、廃止される事が決まりました。

しかし、全国各地では、今も有害な廃棄物が捨てられ、様々な悪影響を周辺地域に及ぼしています。

勿論、産業廃棄物など一切出さない社会が実現できれば、それに越したことはありませんが、経済活動をしていく中でゴミを出さない社会を実現するのは至難の業で、人間が生きてゆく過程で、色々な産業廃棄物や排泄物が出るのは、やむを得ないかも知れません。

しかし、だからと言って、大地にゴミを捨てる事が当たり前であってはなりません。大切な事は、やはり私たちの、廃棄物を受け入れてくれている大地への思いではないでしょうか。

人間は、有害だと思えば、そこから避難する事も出来ますが、大地は、すべてを受け入れなければなりません。

現に、東電の福島第一原子力発電所の事故によって漏れ出た大量の放射性物質が、近隣の市町村に飛散したり、土や水を汚染したりして、周辺住民の方々は避難を余儀なくされていますが、大地は、どこへも逃げずに、放射性物質のようなものまでもすべて受け入れてくれているのです。

私たちは、み仏の命とも言える清らかな大地を汚しながら生きているのであり、そうしなければ生きていけない以上、どれほど懺悔しても懺悔し切れないほどの御苦労を、大地におかけしている事を、決して忘れてはならないと思います。

ご存じのように、お地蔵様は、私達の罪穢れを代わって背負うという代受苦の御誓願を立てておられますが、何故お地蔵様だけが代受苦の御誓願をしておられるのか、今の地球の姿を見ればよく分かります

「地球は青かった」(注1)と言ったのは、旧ソ連のユーリイ・アレクセーエヴィチ・ガガーリン宇宙飛行士ですが、この宇宙に浮んでいる惑星が、昔から「青い星」でも「水の星」でも「海の星」でもなく、「地球」と名付けられているのは、この星が「大地の星」だからです。

この星に生きる全てのものを生かしているのが、まさにこの大地であり、大地に根を張らなければ生きてゆけない私達であるからこそ、大地に対する敬いの心(畏敬の念)と、大地に生かされている事への感謝の心、そして大地に粗相し、ご苦労をおかけしている事へのご懺悔の心を決して忘れてはならないのです。


上棟式をする意味


「帰郷庵」建立に当って、地鎮祭と併せて厳修させていただいたのが上棟式です。上棟式は、天を仰ぐお堂の一番高い所に棟を上げる儀式ですが、ただ棟を上げて祝う儀式ではありません。

御法歌の中に、
  天は神なり 地は仏
    天に祈りて 地に懺悔
    合わす両手に 神守る
 と詠われているように、上棟式は、天に祈る儀式なのです。

つまり、「これから、この場所にお堂を建てさせて頂きます。どうかこの場所を末代までも使わせていただけますよう、お願い申し上げます」という感謝の思いを込めて、天に祈りを捧げ、わが心を浄めさせて頂く儀式なのです。

地鎮祭も上棟式も、すべてその土地に住む人々を浄める為に行われる儀式である事がこれでお分かり頂けたと思います。

いつ頃からこのような儀式が取り入れられるようになったのかは分かりませんが、建物を建てるに当たり、地鎮祭と上棟式という二つの儀式を取り入れた先人の叡智には、改めて敬服せざるを得ません。

菩薩様はよく、「家を新築しても、この心を忘れているから、色々な禍が起きてきたり、病気をしたり怪我をしたりするのだ」とおっしゃっておられましたが、まさに金言と言えましょう。

残念ながら、現代に残っているのは、ただ土地にお酒やお塩やお米を撒き、上棟をお祝いする形だけで、「天に祈り、地に懺悔して、自分たちの心を浄める」という儀式本来の目的が伝えられていないのが現状と言わざるを得ません。

地鎮祭や上棟式を執り行う本来の目的は何かを正しく伝え、関わる全ての人々の魂を浄めなければならない使命のある神社や寺院が、その本来の目的を知らぬまま、ただ儀式として行っているだけだとすれば甚だ残念であり、地鎮祭や上棟式を行う神社と寺院の取り組み方も、改めて問われなければならないでしょう。

合掌

平成26年2月11日

法話の小部屋Top


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック

サイト内検索 help
 


法徳寺の草花と自然

ジンチョウゲ(沈丁花)
(花言葉 不滅、永遠)

 


法話の小部屋Topへ



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注1)この言葉は、ボストーク1号で世界初の有人宇宙飛行を成功させたソ連の宇宙飛行士、ガガーリンが言った言葉として有名であるが、ソ連の日刊紙「イズベスチャ」に掲載された原文では、「空は非常に暗かった。一方、地球は青みがかっていた」となっていた。
この言葉が日本語に翻訳される際に、「地球は青かった」という表現は変わったのではないかと言われている。
ガガーリンの著書『宇宙への道』にも、地球の描写として 「地球はみずみずしい色調にあふれて美しく、薄青色の円光にかこまれていた」となっており、「地球は青かった」とは言っていない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高野山法徳寺(たかのやまほうとくじ) TEL:0551-20-6250 Mailはこちらから
〒408-0112 山梨県北杜市須玉町若神子4495-309 FAX:0551-20-6251 お問合せフォーム