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日本の立ち位置

―靖国問題解決に向けて(5)―



誰の為の供養なのか?


靖国問題解決の為、安倍首相にどうしてもやって頂きたい最優先課題とは、日本が未来永劫、繁栄していく為に必要不可欠な不変の立ち位置である「神と仏の二本柱」の内、戦没者の慰霊施設にのみ欠けている「仏の柱」を一日も早く実現して頂く事ですが、その実現に当たり、忘れてはならない視点が一つあります。

それは、「誰の為の供養なのか?」と言う事です。つまり、供養とは、供養する側に立つ我々の為ではなく、供養される戦没者の為であるという視点を忘れてはならないという事です。

ご承知のように、靖国神社は、現在、先の大戦をはじめ過去の幾多の戦争で犠牲となられた数多くの戦没者の御魂を祀る、国内で唯一無二の慰霊施設と言ってよいでしょうが、いま我々が靖国問題解決に向けて、先ず考えなければいけない事は、慰霊する我々自身の気持ちではなく、靖国神社に祀られている戦没者の皆さんの気持ちを、どこまで真摯に受け止められるかという事です

何故なら、戦没者の気持ちを無視した慰霊も供養もありえないからです。

ここで皆さんに考えて頂きたいのは、そもそも「供養とはどういう事か?何をする事が真の供養となるのか?」という事です。

皆さんが供養をどのように考えておられるのか分りませんが、仏教でいう供養とは、ただ単にお花を供え、お香を焚き、お経を唱えて、亡くなられたお方の菩提を弔う事ではありません。

神道で言う慰霊や鎮魂も、玉串を供え、祝詞を唱えて、御魂を慰め、鎮める事ではないと思います。

何故なら、菩提を弔うとか、御魂を慰霊するというのは、あくまで供養する側に立つ我々の視点であって、供養される側にいる戦没者の視点ではないからです。

供養される側の視点に立たなければ、真の供養にはならない事を、まず我々は肝に銘じておかなければなりません。

供養される戦没者の皆さんの視点に立てば、供養する側の我々が考えるべき事は一つしかありません。即ち、「戦没者の皆さんは、私達に何を望み、何を願っておられるのか?」という事です。


亡くなった人に供養する


供養とは、供養される人々の側に立ち、その気持ちに寄り添う事であり、供養できるか否かは、この一点に尽きると言っても過言でありませんが、「供養」という文字の中にも、その事がはっきり示されています。

供養とは、読んで字の如く、「養い供える」事であり、養ったものを亡き人々の御魂に供えるから「供養」と言うのですが、何を養い供えるのかと言えば、菩提心を養い供えるのです。

菩提心とは、相手の事を思いやる心であり、お互いの立場を認め合って、相和す心を言いますが、要するに、供養する側の私達が菩提心を養い、思いやりの心に目覚め、助け合い、支え合って生きている姿をお供えし、安心して頂く事が、実は亡くなった人々への真の供養となるのです。

古の俳句に、「今日彼岸 菩提の種を蒔く日かな」と詠われているように、供養とは、私達一人一人が菩提心の種を蒔き、養い、育て、花を咲かせ、大きな果実を実らせ、それをお供えする事です。つまり、私達の生き様そのものが、供養なのです。

ですから、争ったり憎しみ合ったり、怒りの炎を燃やしていては、供養など出来る筈がありません。

その事が分れば、供養とは、「亡き人々供養」するのではなく、「亡き人々供養」するのだという事も、自ずと分ってきます。

「亡き人々供養」するとか「亡き人々の菩提弔う」というのは、あくまで供養する我々の視点です。供養される人々の視点に立てば、「亡き人々供養」し、「亡き人々の菩提弔わなければならない」事が分ります。

つまり、亡き人々にお供え出来るだけの心を養えているか否か、亡き人々の願いに応えられるだけの心を成就出来ているか否かが、供養を通して問われているのです。

何故なら、その心を成就する事が、実は生きている私達の幸せにとって必要不可欠だからです。

亡き人々が私達に供えて欲しいものは、高価なお花でも、豪華な供物でもありません。私達が互いに真心を供え合い、支え合い、助け合って生きている姿を見る事こそが、手向けの花となり、何よりの供物となるのです。

それは、取りも直さず、供養する我々が亡き人々から逆に供養され、幸せを願われている事を意味します。

供養するに当って大切な事は、先ずその事に気付く事ではないでしょうか。

重ねて申しますが、靖国問題を解決するに当って心しなければならない事は、供養する側の視点にとらわれて、供養される戦没者の視点を忘れてはならないという事です。

戦没者の皆様から幸せを願われている事を常に肝に銘じ、その願いに応えるにはどうすればよいかを一人一人が考えていかなければならないのです。


戦没者の願い―国家安寧・国民融和・恒久平和


戦没者の供養は、亡き人々供養できるか否か、戦没者の願いに応えられるか否かで決まると言いましたが、戦没者の皆さんが願っている事は、私達一人一人の「菩提心の覚醒」であり、その先にある「国家の安寧と国民の融和」、そして「戦争のない世界の実現(恒久平和)」以外にはありません。

つまり、国家が栄えて、一人一人の国民の暮らしが平安となり、国民相互の融和と、世界中の人々との融和が図られ、醜い争いの無い平和な世界が実現する事が、戦没者の真の願いと言っていいでしょう。

その願いが実現した時、初めて戦没者の犠牲が犠牲に終わらず、生かされるのではないでしょうか。

問題は、今の我々が、その願いに応えられているか否かという事ですが、残念ながら、まだ願いに応えられているとは言えません。

それを象徴しているのが、まさに靖国神社問題であり、この問題の解決を避けて、戦没者の皆さんの願いに応える事は出来ないでしょう。

靖国神社は、戦没者の皆さんにとって、国民が融和し、一致団結して、国の安寧に取り組み、世界平和を実現していく上で欠かせない、まさに国民の精神的依りどころとなるべき聖域です。

その「国家安寧・国民融和・恒久平和」を実現する依りどころとなるべき靖国神社が、いま中国や韓国からの非難の矢面に立たされ、一国の最高責任者である総理大臣が参拝すれば、国外どころか、国内の一部マスコミから激しい非難を浴び、国民同士の対立と憎悪を生むという悪循環に陥っているのです。

この現実を見た時、誰よりも嘆いておられるのが、戦没者ではないでしょうか?

「こんな状況を作る為に、私達は一命を捧げたのではありません」

私には、そんな戦没者の嘆きが聞こえてくるような気がします。

国を守り、子々孫々の繁栄を願って散って行った多くの戦没者にとって、最大の精神的支柱であり、国民融和の象徴とも言うべき靖国神社が、国民同士を争わせ、憎しみを増幅させる要因となっているのですから、これ以上の悲しみはないでしょう。


日本の不変の立ち位置


何故靖国神社は、国家の安寧を揺るがし、国民の対立を増幅させる要因になってしまったのでしょうか?

勿論、中国、韓国の国策とも言うべき日本叩きと、それに歩調を合わせる一部マスコミの扇動が要因である事は言うまでもありませんが、それはあくまで表面的な理由に過ぎず、真の要因は、戦没者の供養(慰霊)において、日本が未来永劫、繁栄していく為に必要不可欠な不変の立ち位置である「神と仏の二本柱」の内、「仏の柱」がまだ欠けているからだと、私は思います。

私達がいま悟らなければならない事は、中国と韓国からの非難も、国論を二分する程の意見の対立もすべて、日本を在るべき立ち位置に戻そうとする神仏の大いなる力の為せる業であるという事です。

中国や韓国からの非難と、国内の対立という表面的な部分だけを見て、怒りと憎しみの炎を燃やすだけでは、靖国問題の本質は見えてきません。

詳しくは、「日本の立ち位置〜慰安婦問題に寄せて(2)」をご覧頂きたいと思いますが、日本は聖徳太子の時代から、「神と仏の二本柱」で支えられてきた国です。

貴族中心の社会であろうが、武家中心の時代であろうが、我々の先祖は、必ず神と仏を国の柱として祀り、敬い、拝んできたのです。

古歌に、
   前は神 うしろは仏 極楽の
     弥陀の浄土も ひかりなりけり
 と詠われているように、日本は、「神の柱」と「仏の柱」の二本柱に支えられて初めて子々孫々の繁栄が約束される国であり、この「神と仏の二本柱」は、日本が繁栄していく為には絶対に踏み外してはならない不変の立ち位置なのです。

この「神と仏の二本柱」という立ち位置が変わらない限り、日本が繁栄していく事は間違いありません。しかし、一歩この立ち位置を踏み外すと、日本は次第に衰退していきます。

それは歴史を見ても明らかで、神道だけの国になれば、国そのものに衰退の流れが生まれ、日本という国そのものの存亡に関わってきます。


仏の柱を欠いた慰霊施設


日本民族が繁栄する為に絶対に踏み外してはいけない「神と仏の二本柱」という不変の立ち位置が壊され、「神の柱」一本になった時代がありました。それが、明治維新政府の下、明治元年(1868)に断行された『神仏分離令』による「仏の柱の排除(廃仏毀釈運動)」です。

『神仏分離令』は、本来、神道と仏教の分離が目的で、仏教排斥を意図したものではありませんでしたが、結果的に見れば、廃仏毀釈運動の名の下に、奈良の興福寺(注1)、内山永久寺(現在の石上神宮・注2)、妙楽寺(現在の談山神社・注3)、大御輪寺(現在の大神神社・注4)などを始めとする全国の寺院仏閣の大破壊活動が進められ、日本の仏教は壊滅的とも言える大打撃を受けました。

神仏習合の廃止、寺院の廃合、僧侶の神職への転向、仏像・仏具の破壊、仏事の禁止など、わが国の歴史上、最大の失政とも言うべき廃仏毀釈が強引に推し進められ、これが、やがて日本全体を戦争の泥沼に引きずり込む大きな要因となっていったのです。

廃された寺院は数知れず、残った寺院もその多くが神社となり、国の宝とも言うべき仏像が路傍に捨てられ、数多くの宝物が海外に流出したり、廃棄されたり、焼却処分されました。

このような歴史的事実を見ても分かるように、戦没者の慰霊において靖国神社が抱える最大の問題は、A級戦犯が祀られている事でも、それを外交カードに利用しようと中国と韓国が野望を抱いている事でもなく、実は日本が繁栄する為に踏み外してはいけない不変の立ち位置である「神と仏の二本柱」の一方が欠けている事なのです。

ご承知のように、靖国神社が創建されたのは、明治政府が断行した廃仏毀釈の嵐が吹き荒れようとしていた真っ只中の明治2年(1869年)で、まさに靖国神社は、「神と仏の二本柱」の内、「仏の柱」が取り外された廃仏毀釈運動の中で生まれた象徴的存在と言っていいでしょう。

国の為に殉じた人々を慰霊する施設としては、創建当初から、「仏の柱」が外されていたのですから、そこに衰退の流れが生まれ、戦争への下り坂を一直線に駆け下りていったとしても不思議ではありません。

敗戦後、国家神道(神の一本柱)は廃され、日本は、再び本来の立ち位置である「神と仏の二本柱」に戻りましたが、戦没者の慰霊の世界に限っては、未だに仏の柱が外されたままで、日本衰退の流れは止まっていません。

中国や韓国からの非難も、国内の対立も、すべては、日本の在るべき立ち位置を踏み外している事から来ている結果だと言っていいでしょう。

表面的に見れば、中国や韓国から非難攻撃を受けているように見えますが、その裏を悟ってみれば、戦没者の皆さんが、中国と韓国を代弁者として、「本来在るべき日本の立ち位置に、早く戻って下さい」と、私達に教えてくれているのです。

戦没者の慰霊寺院ができ、日本が繁栄する為に変えてはならない「神と仏の二本柱」が揃い、靖国神社と共に、戦没者の慰霊ができるようになって、初めて日本は、滅亡の道から繁栄の道へと大きく方向転換してゆけるのです。

一部の人々の間には、靖国神社に代わる宗教色のない代替施設を新たに作ればよいという意見もあるようですが、供養、慰霊という純粋な宗教行為を、宗教色のない慰霊施設で行う意味がどこにあるのでしょうか?

それこそ中身のないただの空箱を作るだけで、戦没者の願いとはほど遠く、戦没者の慰霊など、夢のまた夢と言わねばなりません。

戦没者の供養は、戦没者の願いに応える事だと言いましたが、戦没者の願いは、慰霊において「神と仏の二本柱」が復活することであり、日本が繁栄する不変の立ち位置に戻ること以外にはありません。

要するに、中国、韓国との間の様々な問題を解決し、「国家の安寧と国民の融和」、そして「世界の恒久平和」を実現する為には、先ず、戦没者の慰霊施設である寺院(仏の柱)を早急に実現し、日本が繁栄する本来の立ち位置に戻る事が必要なのです。

勿論、国家神道を中心とする祭政一致政策が戦争を招いた事への反省から、今の日本では政教分離政策がとられている関係で、国費を投入する事は出来ないでしょうが、国民一人一人の力を結集すれば実現は不可能ではないと思います。

その実現に当たり、先頭に立てる人物は、やはり安倍首相以外にはいません。安倍首相には、この大事業を成し遂げる為、陣頭に立って、指導力を発揮して頂きたいと願わずにはいられません。

合掌

2014年1月13日

日本の立ち位置〜靖国問題解決に向けて(1)
日本の立ち位置〜靖国問題解決に向けて(2)
日本の立ち位置〜靖国問題解決に向けて(3)
日本の立ち位置〜靖国問題解決に向けて(4)
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日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(7)
日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(8)
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(注1)「神仏分離令」が発せられた明治元年(1868)、興福寺の僧侶のすべてが春日大社の神官となり、興福寺から僧侶がいなくなったため、塔頭や寺院の建物は見る影もなくなり、多くの仏像、仏具が処分され、使われている金銀箔を目当てに、経巻類が焼き払われた。
高い格式を誇った一乗院は、県に没収され、宸殿は奈良裁判所になり、大乗院は廃絶・撤去されて、その広大な跡地は、奈良ホテルとなった。
そのほか金堂は警察署となり、大喜院は450両で買収され、食堂は破壊されてその古材は学校の建築に使われた。
その中で奇跡的に生き残ったのが五重塔で、ただ同然の価格で売りに出され、金物を取るために焼却されようとしていたところを、地元から「風向きによっては類焼の恐れがある」と抗議が出たため、取り壊されずにすんだ。

(注2)内山永久寺(うちやまえいきゅうじ、現在の石上神宮)は、東大寺、興福寺、法隆寺に次ぐ大寺で、その規模の大きさと伽藍の壮麗さから、江戸時代には「西の日光」とも呼ばれた。寺領を没収されて経営基盤を失ったため廃寺となり、僧侶は還俗して石上神宮の神官となった。

(注3)藤原氏の祖である中臣鎌足の死後、長男で僧の定恵が唐から帰国後、父の墓を摂津から大和の地に移し、十三重塔を建立したのが、妙楽寺の始まりであるが、由緒ある大寺院も、廃仏毀釈により、僧侶が還俗し、談山神社と改称された。

(注4)大御輪寺(おおみわでら・だいごりんじ)は、三輪明神で名高い大神神社(おおみわじんじゃ)の神宮寺であったが、やはり神仏分離により廃寺となった。宝物や仏具類は、境内の池畔や初瀬川堤で焼き払われたが、ご本尊の十一面観音像は、捨てられるところを、大八車に乗せられて聖林寺に運ばれ、難を逃れた。現在は国宝になっている。

 

(聖林寺・十一面観音)

 


高野山法徳寺(たかのやまほうとくじ) TEL:0551-20-6250 Mailはこちらから
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