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報道の自由と責任

一部マスコミの偏向報道について(1)



何を報道する自由か?


真理は、この世界にすでに存在するものであり、人間が作り出したものではありませんから、立場を異にしても、永遠に変わる事はありません。

例えば、釈尊が悟られた、この世に存在する全ての物は移り変わる(諸行無常)という大自然の摂理は、仏教徒には当てはまるが、立場を異にするキリスト教徒やイスラム教徒には当てはまらないという事は絶対にありません。

日本人には当てはまるが、アメリカ人や中国人や朝鮮人には当てはまらないという事もありません。

また、江戸時代には通用したが、平成の世には通用しないという事もありません。

立場が変わろうが、国が変わろうが、思想が変わろうが、人種が変わろうが、時が移り変わろうが、否定する事も疑う事も出来ないのが、「諸行無常」という大自然の摂理です。

この事から、「諸行無常」という大自然の摂理は、普遍的真理であり、誰も疑う事の出来ない絶対的真実である事が分かります。

では報道に携わる人々が声高に叫ぶ「報道の自由」は、どうでしょうか?

「報道の自由」は、立場が変わろうが、国が変わろうが、思想が変わろうが、人種が変わろうが、時が移り変わろうが、否定する事も疑う事も出来ない普遍的真理でり、絶対的真実でしょうか?

この問いに答える為には、そもそも「報道の自由」とは、何を報道する自由なのか、何を報道する事を前提に認められた自由なのかを考えてみなければなりません。

先ず確かな事は、それが、この世の普遍的真理や絶対的真実を伝える自由ではないという事です。何故なら、普遍的真理や絶対的真実は全てを超越し、真理の前ではあらゆる対立が解消し、対立を前提とする自由や権利という概念は存在しないからです。

さらに、絶対的真実を伝える為には、報道する側の人間が、普遍的真理を悟り、立場を異にしても変わらない絶対的真実とは何かを見極める智慧の眼を持たなければなりません。

つまり、悟りの智慧を持つ第二、第三…の釈尊が報道機関に誕生しない限り、絶対的真実を報道する事は、現実的に不可能なのです。絶対的真実を報道する事を前提とする限り、所詮「報道の自由」は、絵に描いた餅に過ぎません。

「報道の自由」には、そこまでのい使命は与えられていませんし、求められてもいません。

「報道の自由」に求められているのは、我々国民が正しい判断を下せるよう、「事実」を在るがまま正確に伝える事であり、それ以上でも、それ以下でもありません。

即ち、いかなる外部的圧力にも屈せず、有った事を有った、無かった事を無かったと、「事実」を在るがまま、出来るだけ正確に伝える自由と権利を保障されているのが、「報道の自由」であり、その為にあらゆる努力を惜しまないのが、報道機関の責務と言っていいでしょう。


報道機関が負うべき責任


ご承知のように、「報道の自由」という概念は、報道が権力から独立し、自由である事を標榜して生まれたものであり、権力を持つ側だけに都合の良い情報操作は許されないという、憲法第21条で保障された「国民の知る権利」を守る為に認められた権利と自由です。

権力の側に都合のよい情報だけを流し、不都合な情報を隠避する事は許されないという主張や、「事実」の自由な報道が、いかなる権力からの圧力をも受けずにできる事が「報道の自由」の生命線であるなら、報道する側は、その見返りに、あらゆる「事実」を正確かつ迅速に、包み隠さず国民に伝える責任を負う事になり、それもまた、「報道の自由」を守る生命線と言えましょう。

自由には責任が、権利には義務が伴うのは当然の事で、「報道の自由」には、「事実」を、在るがまま、包み隠さず、正確に伝えるという大きな責任が伴うという事です。

嘘でも欺瞞でも憶測でも推測でもねつ造でも何でもいいから、自分が報道したいと思う事をすべて報道できる事が、「報道の自由」では決してありません。

従って、報道に携わる者には、いかなる場合であろうと、報道の内容が事実に反していないかを常に厳しくチェックする真摯な報道姿勢と、それに耐えうる力量(能力)と、使命感(誇り)が求められます。

事実を正確に伝えるという事は、その事実にいかなる脚色も欺瞞も作為もねつ造も施さず、あくまで有った出来事を有った、無かった事実を無かったと、在るがまま正確に伝えるという事です。

その責任が果たされる事を大前提として、我々国民は、その報道機関を信頼に足る報道機関と認め、彼らに「報道の自由」を与えているのです

一党一派に偏った報道や、嘘や欺瞞や扇動や誘導やねつ造された事実を報道して欲しい為に認めた自由では、決してありません。

勿論、立場の違いによって、各報道機関の主張に意見の対立が生まれるのは、已むを得ないでしょうが、我々国民が彼らに認めた「報道の自由」は、まず「事実」を在るがまま正しく伝えるという当たり前の責務を果たした上での事であって、その責務も果たさず、ただねつ造した偽りの「事実」を下に、自分達に都合の良い主張だけをする自由を認めた訳ではありません。

私達が報道の受け手となる時、常にこの点を深く精査し、彼らの報道姿勢を見極める必要がある事は言うまでもありませんが、この視点から見た昨今のマスコミの姿は、私達国民の眼にどう映っているのでしょうか?

残念ながら、新聞にせよ、テレビやラジオにせよ、報道機関の看板を掲げながら、非常に偏った報道がなされているのが実状と言わざるを得ません。

偏っているという意味は、事実を歪曲し、不都合な事実を隠避し、報道機関にとって都合の良い事実しか報道されていないという事です。

これでは、「事実」を正確に伝えるべき報道機関の責任を十分に果たしているとは、到底言えません。


笑うに笑えない朝日新聞の大失態


「報道の自由」にとって深刻なのは、マスコミ自身がその事に全く気付いていないか、気付いていても、気付いていない振りをして、偏向報道を続けている事です。

一部のマスコミが、「報道の自由」を与えられた本来の使命を果たせていない事は、もはや周知の事実と言っていいでしょうが、「事実」を在るがまま正確に伝えるという本分を忘れ、ねつ造した事実を下に、偏った自らの主義主張を誇示する為だけに、「報道の自由」という錦の御旗が利用されているとすれば、由々しき問題と言わねばなりません。

例えば、慰安婦問題一つをとってみても、「報道の自由」が如何に危機的状況に陥っているかが分ります。

慰安婦問題(注1)は、朝日新聞のねつ造記事が発端である事は、もはや周知の事実ですが、この記事以降、韓国や中国から、日本に対する謂われなき中傷や非難攻撃が浴びせられ、挙句の果ては、アメリカのグレンデール市に慰安婦像が設置され、アメリカ在住の邦人子弟が陰湿ないじめに遭うという悲劇的な結末をもたらしています。

我々国民から「報道の自由」を与えられ、国民を守るべきマスコミが、先頭に立って、日本人に刃を向けたこの慰安婦ねつ造事件は、一部のマスコミに巣食う病巣がいかに深刻であるかを、私達国民に教えてくれました。

詳細は、「怨みは怨みをもっては止まず」に書きましたが、これは、もはや私達がマスコミに与えた「報道の自由」の範疇を大きく逸脱し、何らかの意図をもって、我々国民を扇動し、国の行く末をも危険にさらそうとする悪意の情報操作以外の何ものでもないと言わざるを得ないでしょう。

つまり、自分達に都合の良い情報だけを流し、不都合な事実を隠避する事は許されないという、マスコミが権力の側に求めた情報操作を、皮肉にも、求めた側のマスコミ自身が犯すという、笑うに笑えない大失態を演じているのが現実であり、その先頭を暴走しているのが、実は慰安婦問題をねつ造した朝日新聞なのです。

私達がそこで見たものは、自分に都合のよい事実だけを取り上げ、不都合な事実は覆い隠すと言う、「報道の自由」とは名ばかりの、「報道しない自由」に名を借りた悪意極まりない情報操作であり、排他的で独善的な報道姿勢でした。

要するに、我々国民が、「国民の知る権利」の下に、マスコミに与えた「報道の自由」が、マスコミ自らの手によって、なし崩し的に葬られようとしている現実を目の当たりにさせてくれたのが、朝日新聞なのです。

政治権力機構とは異なる、もう一つの巨大な権力機構ともいわれるマスコミが、「報道の自由」という正義の御旗を隠れ蓑にして、自己の主張があたかも真実であり、正義であるかのように報道する姿勢は、まさに「羊の皮を被ったオオカミ」を彷彿とさせるものですが、昨今の一部マスコミが、このような状況下にある事を、私達は注意深く見守る必要があります。

勿論、これは、朝日新聞に限った事ではなく、偏った報道傾向が見られる他の一部報道機関も、他山の石としなければならないでしょう。

真理を悟られたお釈迦様のようなお方ならともかく、迷い多き人間が携わっている以上、真実の報道を期待するのは無理かも知れませんが、少なくとも、マスコミの使命が、「事実」の報道にあり、そこに「報道の自由」の生命線もある以上、事実を曲げて報道する姿勢は、決して許される事ではなく、まさに自らの手で自らの首を絞めるに等しい行為と言わねばなりません。

しかし、それ以上に問題なのは、それが国民の「報道の自由」への信頼性を失わせるばかりか、「国民の知る権利」をも踏みにじっている事です。

それだけに、我々は常に、報道された内容が「事実」であるか否かの検証を怠ってはなりませんが、人間が十人十色であるように、報道機関もまた十人十色、玉石混交であり、更に「事実」を在るがまま報道するか否かは、マスコミの報道姿勢に深く関わっている為、数ある報道機関の中から、どの報道機関が事実に近い報道をしているのか、信頼に足る報道機関はどこなのかを見極めるのは、容易な事ではありません。

と言うのも、悪意ある情報操作をしようとする報道機関であればあるほど、我々国民に耳障りのよい事を言って、表向きは、如何にも「正義の味方」「国民の知る権利を守る白馬の騎士」であるかのように振る舞う術を心得ているからです。

それは、儲かると見せかけて、何の値打ちもない金融商品を売りつける詐欺商法にも似ていますが、それだけに、報道の受け手である我々国民は、耳障りのよい言葉に誘導される事のないよう、情報の真偽を判断する眼力を磨き、マスコミの言葉に踊らされない確固たる信念を持たなければなりません。


全責任が取れるか否か


報道機関が事実を正確に報道しているか否か、信頼に足る報道機関であるか否かを見極める上で留意しなければならない事が、一つあります。

それは、その報道機関が、報道の内容に対して全責任を負えるか否か、つまり、全責任を負う覚悟を持って報道しているか否かという事です。

この一点が、信頼に足る報道機関か否かを計る尺度と言ってもいいでしょう。

釈尊が説かれた縁起(因縁生起)の理法は、換言すれば「自己全責任主義」であり、自らが蒔いた種は、すべて自らの責任において刈らねばならないというこの世の大原則です。

この大原則は、釈尊が出られた2500年前も、今も全く変わっていませんが、この大原則に立った報道をしている報道機関は、間違いなく、信頼に足る報道機関と言っていいでしょう。

報道内容が事実に反していない事を証明でき、事実に反していれば全責任を負える報道機関は、事実を正確に伝える姿勢と、責任を果たし得る力量を、同時に兼ね備えているからです。

しかし、事実に反する偽りの記事をねつ造し、誤りを誤りと認める誠意も覚悟もない報道機関は、その姿勢も力量も欠如しているが故に、信頼に足る報道機関とは、ほど遠いと言わざるを得ません。

これは何もマスコミだけの問題ではなく、政治家や経営者や有識者や、我々のような宗教者を含め、人々を導く立場にあるすべての人々に言える事ですが、確かな事は、無責任主義の暗雲が厚く覆っている国や社会やマスコミや人間には、輝かしい未来は有り得ないという事です。

合掌

平成25年(2013)12月10日


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(注1)朝日新聞の韓国特派員であった植村隆記者が、1991年8月11日の朝日新聞に、初めて慰安婦に関する記事を掲載した。この中で、植村記者は、「女子挺身隊の名で戦場に連行され、日本軍人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人が名乗り出た」と報じたが、元従軍慰安婦とされる金学順が、日本政府に対する訴訟の原告として名乗りでた時の訴状に「親に40円でキーセンに売られた」と書かれているにも拘らず、植村記者はその事を敢えて伏せ、ねつ造記事を書いた事が明らかになっている。
植村記者が意図的に記事をねつ造したのは、彼の妻が韓国人で、訴訟の原告団長だった義母の訴訟を有利にする為、「日本軍の強制連行」という話をねつ造したのである。
しかし、未だに朝日新聞は、このねつ造記事を訂正しておらず、マスコミとしての報道姿勢が批判されている。
また、動画投稿サイトYoutubeに、「テキサス親父」の異名を持つアメリカのトニー・マラーノさんが、「慰安婦問題は、韓国のプロバガンダ(宣伝工作)だ」と批判した動画を数多く投稿し、ネットユーザーの注目を集めているが、最近、マラーノさんが、グレンデール市に設置された慰安婦像の顔に袋を被せる写真を、Facebookなどで紹介したため、世界中の注目を集めている。
動画URLはこちら。 


 

 

 

 

(トニー・マラーノさん

 

 

 

 

 

 

 

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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