桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
桜紋の扉 法徳寺の扉 御祈願の扉 汗露水の扉 御法歌 法話の扉 帰郷の扉 升紋の扉
信者を作らない理由法話の小部屋御同行の体験談

神の祝福か?輪廻の業か?(1)

― 仏教徒から見たイスラム過激派の行動 ―



「アラブの春」とアルジェリア人質事件


今年(平成25年)1月16日、北アフリカ、アルジェリアのイナメナス近郊にある天然ガス精製プラント施設が、イスラム過激派武装勢力によって襲撃され、現地にいたプラント建設会社「日揮」の日本人社員10名を含む外国人41名と、アルジェリア人150名が人質として拘束される事件が発生しました。

テロ組織とはいかなる交渉にも応じないとするアルジェリア政府軍による武装勢力掃討作戦によって、日本人10名を含む多数の外国人とアルジェリア人が犠牲になった事は、まことに遺憾という他はありません。

犠牲となられた皆様のご冥福をお祈りすると共に、ご家族、関係者の皆様には、心よりお悔み申し上げます。

今回のようなイスラム過激派武装勢力によるテロ事件は、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件をはじめ、世界各地で繰り返し起きており、その犠牲者は、一般人を含め数知れませんが、今回のアルジェリア人質事件の背景には、2010年から2011年にかけてアラブ諸国に広がった「アラブの春」と呼ばれる、民主化を求める大規模な反政府デモや抗議活動が影響している事は否定できません。

「アラブの春」によって、チュニジア、エジプト、リビア、イエメンなどでは長期独裁政権が倒され、シリアでは、いまも政権側と反政権側との間で激しい戦闘が繰り広げられていますが、一連の民主化運動は、今まで独裁体制によって押さえられていたイスラム過激派武装勢力を再び蘇らせてしまったのです。

しかも、打倒された独裁政権が抱えていた多数の武器が、政権崩壊によって武装勢力の手にわたり、従来はゲリラ戦や自爆テロといった戦い方しか出来なかった武装勢力の戦闘力を、今回の人質事件のような、警備体制が敷かれた施設内への襲撃が可能になるまで高めたのですから、何とも皮肉という他はありません。

それに加えて、アルジェリアの隣国マリの政権が弱体化している事も無関係ではありません。アルカイダと繋がるマリ国内のイスラム過激派が、国土の半分を支配下に収めるまでに勢力を急拡大させたため、今年1月11日、フランスが政権側を援助するため爆撃を開始しましたが、今回の人質事件は、その動きとも関連しています。

いずれにせよ、北アフリカ、中東諸国に広がった民主化を求める「アラブの春」は、イスラム過激派とそれに対抗する政権側との終わりなき闘いに拍車をかける結果となったことは間違いないでしょう。


「イスラム原理主義」台頭の背景


イスラム過激派の中心的存在といわれているのが、ウサマ・ビン・ラディン(注1)率いるテロ組織「アルカイダ」ですが、イスラム過激派の行動規範となっているのが、「イスラム原理主義」と呼ばれる思想です。

「イスラム原理主義」とは、文字通り、「預言者ムハンマド(マホメット)時代のイスラムの教えに帰ろう」という原点回帰の思想ですが、1990年代に入ってイスラム原理主義が台頭してきたのには、それなりの理由があります。

一つ目は、石油の利権を握る一部の王族や富裕層だけに富が集中し、その他の一般庶民との格差がどんどん拡大している事への民衆の不満が大きくなってきた事です。

神の下の平等を説くイスラム教の原点に帰れば、富の平等も実現出来るのではないかという期待感が、多くの人々をイスラム原理主義運動へと駆り立てているのです。

二つ目は、キリスト教とイスラム教の何世紀にもわたる確執と闘争の歴史です。

イスラム教徒は、十字軍の名の下に、キリスト教徒から幾度となく攻撃され、多くのイスラム教徒が犠牲になるという悲惨な歴史的体験を共有しており、欧米文化そのものとも言えるキリスト教には激しい敵対心を持っています。

そんな中、経済援助を通じて、様々な欧米文化が、イスラム世界に流れ込んでくるのは必然の流れと言えましょうが、欧米文化は、取りも直さず、キリスト教文化であり、キリスト教文化がイスラム教文化圏に次々と流入してくる事は、キリスト教的考え方がイスラム教の国々を侵食し、イスラム教の原理、原則が崩れていくことを意味します。

特にキリスト教文化を代表するアメリカに対するイスラム教徒の反発心は根強く、もう一度欧米文化を排除して、イスラム教本来の原理であるコーランの精神に帰ろうというイスラム原理主義が台頭してくるのは当然といえましょう。

三つ目は、パレスチナの地にイスラエルを建国したユダヤ教徒との対立です。

パレスチナの地を追われたパレスチナ難民は100万人を越えていると言われますが、パレスチナを追われた人々が、イスラエルに対抗するため、イスラム原理主義を唱えたとしても、何ら不思議はありません。

彼らの中から生まれた反イスラエル政治組織が「パレスチナ解放機構(PLO)」で、その中の最大組織である「ファタハ」(注1)の指導者アラファトがPLO議長となり、イスラエルと激しい戦闘を繰り広げてきましたが、パレスチナ暫定自治政府が設立されて初代大統領となり、次第にイスラエルとの和平を目指す穏健路線に転換してゆきました。

一方、イスラエルとの共存を認めない強硬派のイスラム原理主義組織「ハマス」(注2)との間で、路線を巡って対立してきましたが、2011年、和解が成立し、双方が暫定的な連立政権を組んで統一政府を作り、パレスチナ国家の独立に向けて準備を進めることになりました。


イスラエル王国興亡の歴史


ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の対立が、いま最も顕著に現れているのが、中東のパレスチナ問題と言えましょうが、教義の違い、辿ってきた歴史的経緯、領土をめぐる対立、石油の利権、利害関係を持つ諸外国の思惑など、様々な要因が複雑に絡み合っているため、解決の糸口を見つけ出すことは容易ではありません。

しかし、今でこそ激しく対立し合っている三大宗教ですが、元をたどれば、ユダヤ教もキリスト教もイスラム教も、人類を救済するため神によって選ばれた最初の預言者と言われるアブラハムを宗教的始祖とする、同じ親から生まれた兄弟関係にある宗教なのです。

当然ながら、信仰する神も同じで、ユダヤ教では「アドナイ」、キリスト教では「ゴッド」、イスラム教では「アラー」と呼ばれていますが、いずれも旧約聖書に出てくる唯一絶対神「ヤハウェ(エホバ)」であります。

そもそも、今日まで続く争いの発端は、絶対神「ヤハウェ」がモーゼに十戒を授けたと言われる紀元前1260年頃に遡ります。

遊牧民であったユダヤ人の祖先アブラハム、その子のイサク、孫のヤコブは、カナン(パレスチナ)の地に住んでいましたが、大飢饉に見舞われたため、ユダヤ人たちを連れてエジプトに移ります。

しかし、やがてエジプトの奴隷となり、400年もの間、迫害を受け続けるのですが、そのユダヤ人たちを救ったのが、預言者モーゼでした。

ユダヤ人の子として生まれ、エジプト王ファラオの娘に育てられたモーゼは、迫害を受けていたユダヤ人たちを引き連れてエジプトを脱出し、再び祖国カナン(パレスチナ)の地を目指しますが、途中のシナイ山で、唯一絶対神ヤハウェから啓示(十戒)を授けられ、契約を取り交わします。

モーゼの死後、紀元前11世紀頃、イスラエル初代の王サウルの下で建国を成し遂げ、後継者ダビデ王とその子ソロモン王の治世で、イスラエル王国は絶頂期を迎えます。

しかし、その繁栄も長くは続かず、ソロモン王の死後、後継者争いによって、北方の北イスラエル王国と、南方のユダ王国に分裂して、国力は次第に衰えてゆきます。

その後、紀元前721年、北イスラエル王国はアッシリア帝国に滅ぼされ、ユダヤ人たちは奴隷とされます。

紀元前612年、アッシリア帝国が新バビロニア帝国に滅ぼされ、ユダヤ人たちは、奴隷から解放されますが、紀元前597年、バビロニアがエルサレムに侵攻し、多くのユダヤ人をバビロンに連れ去ります。これが、エジプトを脱出した第一の迫害につぐ、第二の迫害と言われる第一次バビロン捕囚です。

更に、南のユダ王国も、紀元前586年、バビロニアに滅ぼされ、多くのユダヤ人が、バビロンへ連れ去られます(第二次バビロン捕囚)

紀元前538年、アケメネス朝ペルシャ帝国がバビロニアを滅ぼし、ユダヤ人は解放されてエルサレムに帰還することを許されますが、紀元前333年、ペルシャ帝国がマケドニア王国のアレクサンドロス大王に滅ぼされ、再びギリシャの支配下におかれる事になります。

アレクサンドロス大王亡き後、マケドニアは将軍ディアドコイ達によって分割され、紀元前198年、ユダヤ人たちは、セレウコス朝の支配下におかれます。

紀元前143年、セレウコス朝の影響を脱して、ユダヤ人の独立国家が回復しますが、実権を巡る権力闘争によって国力は次第に衰え、やがて、ローマ総督の支配化に置かれる事になります。

ローマ総督の支配に反発するユダヤ人たちは、西暦66年、ローマに反旗を翻しますが、西暦70年のローマ軍の攻撃によってエルサルム神殿は崩壊、それを最後にユダヤ人たちは、祖国を追われ世界中をさまよう流浪の民となってしまったのです。


パレスチナ問題


こうして、ユダヤ民族は、その時々の支配勢力の興亡に翻弄されながらも、民族としての命脈を保ち続け、いつの日か神から約束された祖国パレスチナへ帰還できる事を夢見て、幾多の迫害に耐えてきたのです。

ユダヤ人に対する迫害が熾烈さを極めたのは、第二次世界大戦中のナチスによるユダヤ人大虐殺(オロコースト)ですが、この大虐殺によって、祖国を持たない流浪の民の悲哀を目の当たりにした多くのユダヤ人が、祖国へ帰還する夢を大きく膨らませた事は間違いないでしょう

そして、ついにその悲願が実現し、イスラエルが建国されたのは、祖国を追われ流浪の民となってから1800年以上も経過した1948年5月14日でした。

しかし、それは同時に、パレスチナに先住していたパレスチナ人の追放という新たな犠牲を強いるものであり、これによって、難民となったパレスチナ人との間で、果てしない領土紛争が始まることになったのです。

今日まで続く領土紛争の直接的発端は、19世紀後半からヨーロッパ(特に東欧および中欧)に興ったシオニズム運動(西暦70年に追われた祖国パレスチナに帰ろうという帰還運動)と、イギリス帝国の思惑、そしてユダヤ人のパレスチナ入植開始です。

第一次世界大戦(1914〜1918)に突入した2年後の1916年、イギリス帝国は、アラブがオスマン帝国に反乱をおこす見返りに、大戦後、アラブ国家の独立を認める約束をします。

その独立地域には、パレスチナも含まれていましたが、翌1917年、イギリスは、ユダヤ人に対しても、パレスチナにユダヤ人国家を建設することを認める約束をしてしまったのです(バルフォア宣言)。

まさに二重外交という他はありませんが、今日まで続くアラブとイスラエルの領土紛争の直接的原因は、この時のイギリス帝国の二重外交によって蒔かれたと言っても過言ではありません。

パレスチナ人にとって甚だ不条理とも言えるバルフォア宣言は、第一次世界大戦後、着々と実行に移されてゆき、第二次世界大戦後の1947年11月29日には、国連総会で、ユダヤ国家、アラブ国家、国際管理地区の3つに分けるパレスチナ分割案が賛成多数で可決されます。

この時、イスラエルに割り当てられた面積は、全パレスチナの57%を占めていましたが、人口は、パレスチナ人口192万人のわずか31%(約61万人)に過ぎませんでした。

しかも、その61万人のうち、当初からパレスチナに住んでいたのは、せいぜい十分の一ほどで、国連の分割案で承認されたイスラエル領内に住むユダヤ人は、アラブ人の51万人より少ない49万人だったのです。

土地所有の割合を見ても、1945年時点でユダヤ人の所有する土地は、僅か6%に過ぎず、このわずか6%ほどの土地所有者であるユダヤ人に、バレスチナ全土のほぼ3分の2が与えられたのですから、アラブ人が不当な分割案だと言って拒否するのは無理もありません。

しかし、ユダヤ側はこの分割案を受け入れ、翌1948年5月14日、イギリスによる委任統治期間が終了した後、テルアビブで、初代首相ベングリオンがイスラエルの独立を宣言します。

この独立宣言を、アラブ諸国が黙ってみている筈がなく、翌日、周辺アラブ諸国(エジプト、ヨルダン、シリア、レバノン、イラク)は、イスラエルの殲滅を目指してパレスチナに攻め込みます。

これが、第一次中東戦争で、結果は予想を覆してイスラエルの勝利に終わり、イスラエルの領域は更に拡張されて、パレスチナの80%を占めるに至ります。

この敗戦によって多くのパレスチナ人が、イスラエル領から追い出され、パレスチナ難民は100万人に達しますが、その後、二次、三次、四次と続く中東戦争によって、イスラエルは新たな占領地を次々と獲得し、それに伴って占領地から追われたパレスチナ難民はますます増加するという、領土問題解決には程遠い構図が出来上がってしまったのです。

このような状況下で、アラブ側が矛を納める筈がなく、イスラエルとイスラエルの背後にいるアメリカに対するアラブ人の憎悪は益々増大し、彼らを自爆テロや無差別テロへと向かわせる結果になったのです。


一神教の宿命


ユダヤ人にとって、パレスチナの地は、神との契約によって認められた祖国なのですが、彼らがたどってきた道のりは、その契約とは裏腹に、祖国を持たない流浪の民として迫害と差別に耐えなければならない苦難の道のりでした。

だからこそ、自分たちの祖国であるパレスチナへ帰還したいという思いは、他のどの民族よりも強く、それはまさにユダヤ人の悲願であり、必ず果たされなければならない永遠の命題と言ってもいいでしょう。

しかし、ユダヤ人の入植によってパレスチナを追われた先住のパレスチナ人にとっても、そこが彼らの祖国である事に変わりはありません。

こうして過去の歴史的経緯や利害関係諸国の思惑などが複雑に絡み合い、双方とも引くに引けない状況に陥っているのが、今のパレスチナ情勢ですが、争いが泥沼化している背景には、彼らの宗教も大きくかかわっています。

つまり、アラブとイスラエル間の領土紛争は、お互いにとって引くに引けない宗教戦争でもあるのです。

イスラム教もユダヤ教も、同じ唯一絶対神ヤハウェを信仰する一神教で、親を同じくする兄弟宗教なのですが、ユダヤ教徒は、ヤハウェと救いの契約を結んだのはユダヤ民族だけで、救われるのはユダヤ民族だけであるとの選民思想を信じ、イスラム教徒もまた、3人の預言者(モーゼ、イエス、ムハンマド)の中で、最後の預言者であるムハンマドの預言が、唯一絶対神の真実の教えであると主張して、互いに一歩も譲ろうとはいたしません。

他人同士の争いより、血縁関係にある者同士の争いの方が醜く、解決が難しいと言われますが、ユダヤ教とイスラム教についても、全く同じ事が言えましょう。

昔から「骨肉相食む」という言葉がありますが、ユダヤ教とイスラム教が同じ親から生まれた兄弟とも言える宗教だからこそ、一旦争いに火がつけば、その火勢を止める事は難しく、双方が燃え尽きるところまで行かない事には、争いの火は消せないのかも知れません。

更に問題を複雑にしているのが、エルサレムの扱いです。と言うのも、エルサレムは、三大宗教にとって、絶対に侵すべからざる共通の聖地だからです。

ユダヤ教徒にとっては、ユダヤ人の祖先であるアブラハムが、神と契約して祭壇を作った場所(嘆きの壁)であり、キリスト教徒にとっては、イエスが処刑され埋葬され復活した場所であり、イスラム教にとっては、預言者ムハンマドが神の啓示を受けた場所であり、その理由こそ違え、エルサレムは、彼らにとって、かけがえのない聖地なのです。

中世西ヨーロッパのキリスト教(カトリック教会)諸国が、エルサレムに十字軍を派遣したのも、エルサレムがキリスト教徒の聖地だからであり、イスラム教徒に占領されていたエルサレムを奪還するのが目的ですが、イスラム教徒やユダヤ教徒にとっても、エルサレムが聖地である事に変わりはありません。

西暦1096年から1272年にかけて、八回に渡って行われた十字軍遠征は、イスラム教徒やユダヤ教徒の心に拭えぬ怨念を植えつける結果に終わりましたが、パレスチナ問題の背景には、こうしたユダヤ教とイスラム教とキリスト教の間で繰り広げられた過去の歴史が、暗い影を落としているのです。

合掌

神の祝福か?輪廻の業か?(1)
神の祝福か?輪廻の業か?(2)
神の祝福か?輪廻の業か?(3)
神の祝福か?輪廻の業か?(4)
神の祝福か?輪廻の業か?(5)
法話の小部屋Top


このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


サイト内検索 help
 


法徳寺の草花と自然

ソメイヨシノ

紅梅
(花言葉 高潔、独立)

 


法話の小部屋Topへ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注1)サウジアラビア出身のイスラム過激派テロリスト。アメリカ同時多発テロ事件を始め、数々のテロ事件の首謀者とされる。2011年5月2日、パキスタンに潜伏中のところをアメリカ軍によって殺害される。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注2)故アラファトPLO議長が率いていた「パレスチナ民族解放運動」で、イスラエルとの共存を容認し、ヨルダン川西岸地区を実効支配する。現在はパレスチナ暫定自治政府大統領であるアッバス議長が率いる。

(注3)アフマド・ヤーシーンによって創設されたイスラム原理主義組織。イスラエルとの共存を認めない強硬派で、ガザ地区を実効支配する。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高野山法徳寺(たかのやまほうとくじ) TEL:0551-20-6250 Mailはこちらから
〒408-0112 山梨県北杜市須玉町若神子4495-309 FAX:0551-20-6251 お問合せフォーム