桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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涅槃でお聞きなさい



「普門法舟」の名前の由来


今年(平成25年)1月14日、日本列島は、発達した低気圧の影響で、大雪に見舞われ、華やかな晴れ着や羽織袴、真新しいスーツに身を包んだ新成人たちにとっては、忘れられない雪の成人式となりました。

成人式に雪が降った事は過去にも何度かあり、新成人にとっては、まさに成人の日を祝う清めの雪となった訳ですが、雪景色を見ると、いつも思い出すのは、菩薩様が四国遍路に行かれた時の奇しき体験です。

昭和49年(1974年)早春、菩薩様は人生のどん底から救いを求めて、四国遍路に旅立たれましたが、その時の体験を、次のように書いておられます。

2月初めといえば、四国路といえどもまだ肌寒く、行く先々には遍路行者の姿は殆ど見かけられなかった。

巡り巡って、21番札所・太龍寺へ向う途中の山坂でのことである。道端に腰を下して、うつらうつらとしたであろうか、ふと目を覚まして坂の下を見ると太龍寺、錫杖の音と共に一人の修行僧が登ってくる。

あじろ笠の下からのぞくようにお顔を見れば、年の頃は50才を少し過ぎたであろうと思われる、やさしい豊かなお顔立ちである。

「御僧様、どちらからお参りですか」

声をかけたが無言である。小雪がちらつく中を、修行僧の後について札所へと登ってゆく。暫くたってから、もういちど、

「御僧様はどちらからですか」

と声をかけたが、相変らず無言である。

本堂と大師堂にお参りしたが、お経をとなえるでもなく、ただお参りして帰ってゆく。そこでもういちど、

「御僧様、私は今、身も心もボロボロになって四国霊場を巡っております。どうか苦しみからお救い下さい」

と哀願したが、やはり無言のままである。

そこで、「この御僧様は、きっと口がきけなくて四国霊場を巡っているのだ。だから何度おたずねしても教えてくれないのだ」と、そう思いながら、御僧の後について山を下りて来た。

そして民家のあるところへ来たところ、突然、御僧から、

「私はこれから托鉢にまいります。苦しいことや、わからないことがあれば涅槃でお聞きなさい。涅槃が何も彼も教えてくれます」

と言われた。

「涅槃というのはどこにあるのでしょうか」とたずねると、

「どこにでもございます」と言われた。

「次の札所にもあるでしょうか」とたずねると、

「ございます」とのことであった。

そしてその時、「ご接待(施し)をいたしましょう」と言われて、白紙の束に、衣の下からめずらしい矢立(注1)を出されて文字を書かれた。

「どうぞこれをお持ち下さい」と言われて、差し出された白紙の束を見れば、そこには「普門法舟(ふもんほうしゅう)」と書かれていた。

「御僧様、これはどういう意味なのでしょうか」とたずねたところ、

「これがあなたです。あなたの道です」と言われた。そして、

「あなたが帰られる頃は、きっと紀州高野山は雪でしょう。それでは」と言われて立ち去ろうとした。そこで、

「どうか御僧様のご住所をお教え下さい」と言うと、

「私の住所を聞いて何の役に立ちますか。それよりも早く涅槃でお聞きなさい」と言って立ち去っていった。


涅槃でお聞きなさい


それから巡り巡って、思い出したように、何ヶ寺かの札所で、「涅槃がございますか」とたずねたが、「うちには涅槃というのはありません」という。涅槃はどこにでもあるといわれた、御僧の言葉が思い出されてくる。

そのうち乞食修行と疲れから、涅槃のことをすっかり忘れていた。やがて50番札所も過ぎたであろう頃、涅槃ということを思い出し、札所で、「涅槃がございますか」とたずねたところ、「涅槃というのはお釈迦さんが死んだことだ」という。それを聞いたとき、背すじが冷水を浴びたような感じがした。

「御僧のいわれたことは、88番札所へ着くまでに、死ぬということの謎なのか、死んでから聞けということなのか」と思ったが、「そんなことは絶対にない。”普門法舟”と書かれた白紙の束までも接待して下さったのだから、死ぬということは絶対ない。絶対ない」と、そう思いながら修行を続けていたところ、どうしたことか、身も心もすっかり楽になり、肩の重荷を降ろしたような、すっきりした気持ちであった。

それから四国霊場の難所といわれる60番札所も楽に越え、巡り巡って88番結願札所・大窪寺に着いた頃は、もう日もとっぷり暮れて夕闇が迫って来ていた。

三月末というのに、雪模様のどんよりした空で、かなりの冷え込みであった。みやげ物店の店先を借りて休んでいると、見る見るうちに、あたり一面積雪となり、まるで真昼を思わせるような明るさであった。遍路修行も今日で結願と思うと、涅槃のことが気になってなかなか寝つかれない。

「涅槃で聞けとは、いったいどういうことなのだろう」と思いながら、うとうとしたであろうか。もう夜明けである。

昨日から降り続いていた雪もすっかりやんで、誰も踏みしめていない大窪寺の雪の階段を登ってゆくと、上から遍路姿の正装をした、背の低い女のお遍路さんが降りて来る。年の頃は70才近いであろうか、金剛杖に足元を確認するように降りて来る。

「この大雪の晩に、いったいお遍路さんはどこにおられたのだろう。こんなに朝早く」と思いながら、「気がかりになっている涅槃のことを聞いてみよう」と思った。

もしここに涅槃がなければ、御僧のいわれた言葉が、いったい何だったんだろうということになる。

「お尋ねいたしますが、このお寺には涅槃というのがございますでしょうか。私は、人生のどん底から、四国霊場に救いを求めて巡拝して来た者ですが、実は21番札所・太龍寺で、旅の御僧様にお会いして救いを求めたのですが、苦しいことや、わからないことがあれば涅槃でお聞きなさいと教えられ、何ヶ所かの札所で涅槃というのはございますかとお聞きしたところ、こちらには涅槃というのはないというお寺もあれば、涅槃というのは、お釈迦様が死んだことだというお寺もあり、この88番札所に着くまでに、私のいのちが終わるのではないかと思いながら、ようやく大窪寺に着かせていただくことが出来たのです」

と言うと、女のお遍路さんは、

「涅槃で聞けということは、あなたに悟れということです。苦とか楽とかは、みんな心の動き次第なのですよ」と言われた。そこで、

「御僧様は、涅槃というのはどこにでもあると申されましたが」と問うと、

「涅槃はどこにでもございます。このきれいな雪景色も、みんな涅槃のすがたなのですよ。あなたもご信仰を深めてゆかれますと、この世一切が涅槃の姿と心に映るのです。その御僧様は、きっとお大師様でしたね。この大雪では、高野山も雪でしょうね」

と言って立ち去って行かれた。

太龍寺での御僧との出会いといい、大窪寺でのお遍路さんとの出会いといい、まさに不可思議そのものであって、お大師様は、「私に修行が終るまで、涅槃ということを教えてくださらなかったのだ」と思うと、修行ということの大切さが身にひしひしと感じられずにはいられなかった。

そしてあのお遍路さんとの出会いは、「きっと私に涅槃のことを教えるために、雪降る大窪寺で、私の来るのを待っていてくださったのだ」と思うと、ありがたいやら申し訳ないやらで、万感胸迫る思いがしてならなかった。

そればかりか、思い出されることは、御僧と別れるときに、「あなたが帰られる頃は、きっと紀州高野山は雪でしょう」と言われたが、このお遍路さんも同じようなことを言われた。

私が高野山にお詣りすることも、高野山が雪であることも、誰知る由もないのにと思うと、御僧の姿も、お遍路さんの姿も、きっとお大師様の変化のお姿(注2)ではなかったかと思わずにはいられなかった。

無事結願を済ませて、御礼詣りにと高野山に登ったが、案の定、四月初めというのに、山もお寺も、全山白雪に覆われた涅槃そのものの世界であった。
  四国霊場を 巡りつつ
  仏縁奇縁に 助けられ
    大師みもとに 帰り来りゃ
    雪降りしきる 高野山(こうやさん)

奥の院の大師御廟に、結願の御礼と、菩薩行の誓いを立ててお詣りをすませ、白雪に覆われた、山やお寺の有様を眺めていたとき、今まで閉ざされていた無明の心が、いっぱいに開かれて、これが涅槃のすがたか、極楽の様かと、思わず歓喜せずにはいられなかった。
  降る雪も 悟れば涅槃のすがたかな
    山もお寺も 法衣まといて

全山白雪の法衣をまとった高野山も、上り下りの四国霊場も、まさに人生の修行道場であり、苦も悲しみも一切を摂受してお救い下さる、お大師様のあたたかい慈悲のふところであった。
  身を捨てた 行の中にぞみ仏の
    大慈大悲の すくいあるなり


無常悟れば涅槃に帰る


紀州高野山の「奥の院」にある弘法大師御廟にお礼参りをすませ、白雪に覆われた山やお寺の有様を眺めている時、菩薩様の心の奥底に、「やがて溶けてゆくこの白雪も、あなたも、同じなのですよ。有るようで無く、無いようで有る、移り変わりゆく儚い存在なのですよ」という、無常の真理を説法するみ仏の声なき声が聞こえてきたのでしょう。
  生死なく 欲も苦もなく我もなく
    無常悟れば 涅槃に帰る
            (法舟菩薩)

全山白雪に覆われた有様も、悟れば、真理(大法)の衣をまとった涅槃(極楽)の姿そのものであったと詠われた菩薩様の心には、一点の曇りもない、まさに清らかな湖面の如き境地であったに違いありません。

そして、結願札所である第88番霊場・大窪寺に来なければ、旅の御僧が言われた「涅槃でお聞きなさい」という言葉の意味が明らかにならなかった事を考える時、改めて修行というものがいかに大切かを痛感せずにはいられません。

私達は、人生において、好むと好まざるとに拘らず、様々な苦難や試練に遭遇しますが、み仏は、何の意味もなしに、苦難という心の修行を与えておられるのではありません。

そこには、私達を涅槃へ導こうとするみ仏の救済の一念が込められており、だからこそ、その苦難を悟りに変え、泣けぬ涙で慈悲(苦難)の鞭を打って下さっているみ仏のみ心に応えなければならないのです。

昔から「人生は心の修行道場」と言われますが、私達は、様々な試練に遭遇する中で魂を磨かれ、人の中の人となってゆくのです。
  人多き 人の中にも人ぞなし
    人と成れ人 人と為せ人
           (弘法大師)

合掌

平成25年1月18日

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(注1)矢立(やたて)とは、筆と墨壺を組み合わせて作った携帯用の筆記道具で、昔の人々は、旅先ですぐに筆が使えるよう、腰にさして持ち歩いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注2)変化身(へんげしん)とは、「如来三身」のひとつで、苦しむ人々を救済する為に、姿を変えて現れたみ仏のこと。
「如来三身」とは、
1、法身ー自性身(じしょうしん)
2、報身ー受用身(じゅゆうしん)
3、応身ー変化身(へんげしん)
のことで、真言宗では、法身仏として大日如来を現し、真宗では、報身仏として阿弥陀如来を現し、禅宗では、応身仏として釈迦牟尼仏を現わしています。
しかし、如来三身は一体ですから、大日如来も、阿弥陀如来も、釈迦牟尼仏もみな同じ心の仏であって、何の変わりもありません。
この世は一切が大日如来(法身)であり、大日如来より現れた大慈悲心が阿弥陀如来(報身)であり、阿弥陀如来の地上の御すがたが釈迦牟尼仏(応身)であり、様々な菩薩のすがたであります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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