桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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コーチング理論について



個性を認めない教育


近年、「ゆとり教育」をめぐる様々な弊害が指摘され、教育方針の見直しがおこなわれようとしていますが、それは、行きすぎた悪平等を是正するという意味では、歓迎すべき事だと思います。

しかし、その反動で「詰め込み教育」に逆戻りするような事があっては、再び同じ轍を踏む結果になる事は火を見るよりも明らかでしょう。何故なら、いずれの教育方針も、子供たちから、やる気を奪う結果を招いているからです。

「ゆとり教育」とは、後から付いて来る子に歩調をあわせるため、先へ行く子の頭を叩き、待ったをかけるものです。幾ら頑張っても先へ進めないのですから、頭を叩かれた子供たちは、やる気を失くし、学力が低下するのも無理はありません。

その反対に「詰め込み教育」は、先に行く子に歩調をあわせるため、後から付いて来る子の尻を叩き、無理やり追いつかせようとするものですから、足の遅い子は、尻を叩かれても付いてゆけず、やがてやる気と自信を失くしてしまいます。

「落ちこぼれ」の烙印を押された子供たちは、益々やる気を失くし、自暴自棄に陥って、非行に走ったり、暴力を振るったりするのも無理からぬ事と言えましょう。

何人かの子供がいれば、その中には勉強が得意な子もいれば、スポーツが得意な子もいます。話すのが得意な子もいるでしょうし、笑わせるのが得意な子も、ダンスが得意な子も、歌うのが得意な子も、ピアノが得意な子も、絵を描くのが得意な子も、手先が器用な子もいるのです。

一人一人が、それぞれ異なる得意分野を持っており、それがまさに、その子の個性であり、一人一人が輝ける場所であり、誰にも負けないNo.1の世界なのです。

「詰め込み教育」であれ、「ゆとり教育」であれ、一人一人の個性を輝かせられる場所を与える事が出来なければ、子供たちにとっては、やる気を失くす修羅場以外の何ものでもありません。

先に行く子を赤色、後から付いて来る子を白色とすれば、「ゆとり教育」は、赤色もすべて白色にしようとする試みであり、「詰め込み教育」は、その反対に、白色をすべて赤色にしようとするもので、いずれも、それぞれの個性を無視した、まさに大自然の法則に逆行する教育と言わなければなりません。

同じ形や色や個性を持ったものを作らない大自然の教育方針は、それぞれの個性を尊重し、輝ける場所を与える事にあります。同じものを作れば、効率的で簡単ですが、大自然は、人間と違い手間隙を惜しみません。

赤色には赤色の個性があり、白色には白色の役割があり、大自然の懐では、すべての色に、その色でなければならない輝ける場所が与えられているのです。ですから、人間社会のように、落ちこぼれがありません。

白地の中心に赤丸が描かれた日本の国旗「日の丸」は、白と赤が、それぞれに与えられた役割を果たしているから、「日の丸」なのです。この白と赤の役割を無視して、赤地の部分も白色に染めようとしたのが、「ゆとり教育」であり、逆に白丸の部分も赤色に染めようとしたのが、「詰め込み教育」と言えましょう。

これでは、赤も白も、自らに与えられた役割を果たす事が出来ず、本来持っている輝きを削がれるのは当然と言えましょう。

真の教育とは、赤色にも白色にも、その個性を十二分に発揮できる場所を与える事であり、これこそが、真の平等ではないかと思います。才能を発揮できる場所を与えられれば、赤色も白色も、やる気を奮い立たせて、自ら為すべき役割を存分に発揮するのです。

「ゆとり教育」にせよ、「詰め込み教育」にせよ、最大の問題点は、無数にある色の個性を無視し、輝ける場所を見出そうとする彼らのやる気を奪っている事です。

例えば、勉強がよく出来る子だけを優先するというような、社会に都合のよい色だけを選び、それに他の色を同化させようとする姿勢は、同じ規格のものを作ろうとする発想と同じで、すべての個性を尊重し、一人一人の輝ける場所を与えてくれている大自然の法則と相容れず、反発を招くのは当然といえましょう。

個性を尊重され、輝ける場所を見出した子は、自ら考え、行動するようになりますが、画一的な規格の中で教育された子は、考える能力に乏しく、言われた事しか出来ない人間になってしまいます。

疑問を持たず、何も考えず、ただ言われた事だけに従う人間ばかりになった日本の将来を思うと、暗澹たる気持ちにならざるを得ません。


コーチング理論


教育とは、手取り足取り教える事ではなく、一人一人が輝ける場所を見つけ出せるよう、手助けする事ではないかと思います。しかも、その手助けは、必要最小限にとどめておかなければなりません。

10年余り前の平成14年6月に、日本と韓国で共同開催されたサッカーのワールドカップは、今でも記憶に残っていますが、何と言ってもめざましかったのは、日本チームの活躍です。

その4年前の平成10年に開催されたフランス大会では、三戦全敗で一勝も出来なかった日本チームが、4年後のワールドカップでは、一回の引き分けを含めて予選負けなしの好成績で、見事決勝トーナメントに進んだのです。

残念ながら、決勝トーナメント一回戦で、決勝3位になったトルコに負けてしまいましたが、フランス大会と比べれば、格段の進歩と言えるでしょう。地元開催の有利さという点を差し引いても、選手の活躍には目覚しいものがあったと思います。

どうして日本選手が、これほど目ざましい好成績を残せたのかという事を、評論家や解説者の方々が色々と分析しておられましたが、一番多かったのは、やはり監督の指導法が前回と違ったという意見でした。

フランス大会は岡田武史氏が監督でしたが、日韓大会では、フランス人のトルシェ氏が日本チームの監督に就任されました。

岡田監督とトルシェ監督の指導法の違いが明暗を分けたと言えるでしょうが、4年間で一番変ったのは、日本選手の意識だそうです。

どう変わったのかと言いますと、フランス大会で監督だった岡田武史氏が当時、「日本の選手に不足していると痛感したのは、自分で判断する能力です。監督から言われた事は素直に受け入れて、その通り動くのですが、自分で判断して行動する意識が他の国の選手に比べて非常に不足しているという事を痛感しました」とコメントしておられましたが、トルシェ監督が日本選手に要求した事は、まさにこの点でした。

「自分で判断して行動しなさい。私に言われたことをそのまま鵜呑みにするのではなくて、何故こんなことを言われたのかという疑問を持ちなさい。疑問を持って、いまここで自分が何をしなければいけないかを、それぞれが判断して行動しなさい」

トルシェ監督が選手に教えた事は、この一点に尽きると言ってもいいでしょう。

フランス大会で岡田監督が日本選手に一番足りないと感じた「自分で判断して行動する意識」を、トルシェ監督は、その後の四年間に、徹底的に選手に叩き込み、それが平成14年のワールドカップで見事花開いて、めざましい日本選手の活躍につながったのです。


ワールドカップに学ぶこと


このように、個人がその能力を最大限に発揮出来るように指導する理論を、「コーチング理論」と言いますが、日産自動車のカルロス・ゴーン社長も、この理論に基づいて指導され、日産を再建されたと言われています。

いまこの理論が非常に注目を集めていますが、この考え方の特徴は何かと言いますと、自分で判断する事を重視している点で、これがこの理論の最大の骨子と言ってもいいでしょう。

何故自分で考えて判断する事が重要なのかと言いますと、自分で判断しない事には、次の行動に移れないからです。

人から言われた事をただ聞いているだけでは、自分が次に何をしたらいいのかが分かりません。自分で判断出来れば、自分がいま何をしなければいけないかが分かり、すぐに行動に移せるのです。だから、トルシェ監督は、このことを徹底的に選手に叩き込んだのです。

平成10年のフランス大会で日本チームが負けたのは、やはり自分で判断する能力が、他の国の選手に比べて不足していたからですが、その後の4年間で、この能力が、他国の選手に負けないほど、日本選手の心の中に植え付けられた事は間違いなく、その効果が好成績となって現れてきたのです。

サッカーというのは、行動するスポーツである以上に、考えるスポーツだと言われますが、トルシェ監督は、4年間で、「自分で考えなさい。何故という疑問を持ちなさい」という意識を、徹底的に選手に植え付けたのです。

ただ人から言われたことに従うのではなく、何故こんなことを言われたのだろうという疑問を持ち、自ら判断して行動するという事がいかに大切かという良い手本だと思います。


自ら判断出来ない若者


最近、自分で判断出来ない若者が非常に増えているという話を聞いた事があります。上司の人に言われた事はきちんとするのに、言われた以上のことはしないと言うのです。言われた事にはちゃんと従うのに、それ以上の事は何もしないそうです。

何故そんな若者が増えているのかと言うと、何も考えていないからです。言われた事はするけれども、考えていないから、何をしていいかが分からず、次の行動に移れないのです。

この若者達の姿を見ていると、「詰め込み教育」や「ゆとり教育」の中で、ただ知識だけを詰め込まれ、自分で考えるという最も大切な事を教えられてこなかった子供たちの悲劇を見ているような気がします。

判断するという事は、自ら考え、行動するという事です。考えなければ、自分がいま何をすればいいのか分からず、次の行動に移る事が出来ません。

常に考えるという意識が身に付けば、自分がいま何をしなければいけないかという事が、自ずと分かってくる筈であり、為すべき事が分ってくれば、自ずとやる気も湧いてくるのです。

合掌

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