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信じる者は救われるか?(2)

― オウム事件から見えてきたもの ―



忠臣蔵に見る教祖と信者の関係


信者にとって、教祖は、まさに絶対的存在であり、救いの鍵を握っている最重要人物と言っても過言ではありませんが、だからこそ、「信じる者が救われる」為には、教祖が信じるに値する人物であるか否かを見極める事が重要になってきます。

では、教祖が信じるに値する人物であるかどうかは、何を以て判断すればよいのでしょうか。それについて、『忠臣蔵』を例にあげてお話したいと思います。

忠臣蔵は、私の大好きな時代劇の一つで、恐らく日本人が好きな時代劇の中でも、五本の指に入るのではないでしょうか。 毎年、討ち入りの12月14日が近づくと、必ずと言っていいほど、映画やテレビで上映されたり、歌舞伎や舞台で上演されるなど、年末恒例の行事となっています。

忠臣蔵には、見せ場がいくつもありますが、皆さんはどの場面がお好きでしょうか。

松の廊下での刃傷事件の場面、浅野内匠頭が切腹する場面、切腹を知らせるため早籠が赤穂へ走る場面、赤穂の家臣達が城に集まり、今後の対応を話し合う場面、最後まで残った浪士が江戸へ向う「江戸下向」の場面、大石内蔵助が浅野長矩の正室・瑤泉院の下を訪ね、今生の別れをする「南部坂雪の別れ」の場面、そして、吉良邸に討ち入る場面、見事本懐を遂げ、高輪泉岳寺にある浅野長矩の墓に報告する場面など、見せ場をあげれば限がありませんが、やはり、討ち入りの場面が好きだとおっしゃる方が一番多いのではないでしょうか。

討ち入りの場面は、私たちが最も期待している場面ですから、好きな方が多いのは当然ですが、私が最も好きなのは、討ち入りの場面ではなく、浅野家再興の道が絶たれた大石内蔵助が、最後まで残った浪士に連判状を見せ、自らの決意を明らかにする「円山会議」の場面です。

何故あの場面が好きなのかと言いますと、討ち入りの成否は、内蔵助と浪士たちの決意が一つになったあの瞬間に決まったと言っても過言ではないからです。

その後、浪士たちは、内蔵助と交わした決意を、苦労しながらも協力して実行に移し、無事主君の無念を晴らす訳ですが、すべての行動の原点は、あの場面の大石内蔵助と浪士たちの決意から始まっているのです。

大石内蔵助は、連判状を見せて、「主君の無念を晴らすため、みんなの命を私に預からせて欲しい」と、浪士たちに問いかけ、それに対し、浪士たちは、命を預ける事を誓い、血判する訳ですが、あの連判状は、浪士たちの心を決して裏切らないと誓う内蔵助の誓約書であると同時に、命を預ける事に二言はないと誓う浪士たちの誓約書でもあります。

だからこそ、忠臣蔵の中で、この場面が最大の見せ場だと思うのですが、この場面を宗教の世界に置き換えれば、まさに大石教の立教開宗の場面と言い換えてもいいのではないでしょうか。

大石教の教祖は、勿論、大石内蔵助で、信者は浪士たちですが、大石教祖が、「あなた達の期待に必ず応えるから、どうか私にいのちを預けて欲しい」と言って、浪士たちに本心を打ち明け、それに対し、浪士たちは、「大石教祖を信じ、すべてをお預けします」と言って、教祖に一身を投げ出したのです。

見事本懐を遂げることが出来たのは、大石教祖と信者の思いが一つになり、加持感応の妙が現われた結果と言っていいでしょう。


全責任を取って下さるのか


大石内蔵助が浪士たちの信頼を勝ち得たのは、連判状を見せて本心を明らかにし、絶対に裏切らない事を誓ったからです。

連判状は、「命を投げ出しても、必ずそれに応えてくれる。自分達を決して裏切らない」と、浪士たちが確信するに足る内蔵助の誓約書ですから、浪士たちは心を動かされ、内蔵助を信じて一身を投げ出したのです。

内蔵助の言葉を信じ切れたからこそ、浪士たちは、自分のいのちをすべて内蔵助に託する事が出来たのですが、この事実からも分るように、大石教祖への信心は、「あなた達との約束を裏切ることは決してない。あなた達のいのちを預けてもらう代わりに、その全責任は私が取ります」という大石教祖の誓約があって初めて成り立つのです。

ですから、教祖が本当に信じるに値する人物か否かを判断するには、全てを預けた教祖が、その後の全責任をとって下さるかどうかを見極めなければなりません。

もし教祖が全責任を取れない人物なら、つまり責任を信者に押し付けるような人物なら、その教祖は、信じるに値しない人物と断定してもいいでしょう。


私には責任がありません


さて、オウム真理教の麻原教祖は、信者が命を捧げてまでも信じるに値する人物だったのでしょうか。

残念ながら、そうではなかった事が、裁判で明らかになりました。

すでにマスコミ報道によっても明らかなように、麻原教祖は証言の中で、「あの事件は私には一切責任がありません。すべて信者が勝手にした事です。坂本堤弁護士一家殺害事件も、松本サリン事件も、地下鉄サリン事件も、その他もろもろの信者殺害事件も、すべて信者が勝手にした事です。私にはまったく責任がありません。私は無罪です」と言い切ったのです。

教祖を信じていのちを預けた信者を、自分の思うままに操り、その命令に従わせ、常軌を逸した凶悪犯罪を犯させた張本人ですから、その責任はすべて教祖自らが負わなければなりません。それでこそ、初めて教祖と信者との信頼関係が成り立つのです。

もし麻原教祖が、本当に信じるに値する人物であったら、きっとこう証言したに違いありません。

「すべての責任は、私にあります。私が信者に命じてやらせたのです。信者には、一切責任がありません」

ところが、麻原教祖は、「私には一切責任がありません。信者が勝手にやった事です。私は無罪です」と言い続けたのです。あれだけの重罪を犯した信者たちですから、憎んでも憎み切れませんが、教祖を最後まで信じ切って、その言葉に従った信者たちの心を思うと、自業自得とはいえ、哀れでなりません。


昭和天皇のお言葉


信者を完膚なきまでに裏切った麻原教祖と対照的なのが、昭和天皇です。

敗戦後、昭和天皇がGHQ(連合国軍総司令部)のダグラス・マッカーサー元帥に会いに行かれた時の逸話ですが、会見は、マッカーサー元帥に会いたいという、昭和天皇の意向によって行われました。

GHQ内部には「昭和天皇を呼び寄せてはどうか」と進言する者もいましたが、当時、アメリカ本国や連合国では、昭和天皇の戦争責任を追及する世論が沸騰していた事もあり、「こちらから呼び寄せなくても、天皇の方から会いに来るだろう」というのが、マッカーサーの考えでした。天皇陛下とマッカーサー

それから暫くして、マッカーサーの予想通り、吉田茂外務大臣を通じ、マッカーサー元帥に会いたいとの陛下の意向が伝えられ、会見が実現する事になりましたが、会見場所は、陛下のプライベートな訪問と言う形にした方がいいだろうというマッカーサーの意向で、GHQではなく、アメリカ大使公邸に決まりました。

すでに東條英機元首相をはじめ、数多くの政府要人が戦争犯罪人として逮捕されており、皇居を出発する会見当日の昭和天皇の表情は、非常に厳しいものであったと、同行の通訳が回想していますが、陛下は相当な覚悟で会見に臨まれたものと思われます。

それまでは、外国人が天皇を表敬訪問するのが当たり前でしたから、天皇がマッカーサーを訪問するなど、前代未聞の出来事でしたが、それだけ陛下の心が、一刻の猶予もおけない切迫した状況におかれていた事がうかがえます。

たとえ戦勝国の最高司令官とはいえ、天皇陛下が自ら会いに来られた訳ですから、玄関に出てお迎えするのが礼儀でしょうが、シルクハット、モーニングで正装した陛下を大使公邸の玄関に出迎えたのは、副官二人だけで、マッカーサーの姿はありませんでした。マッカーサーは、天皇を出迎えも見送りもしないと心に決めていたのです。

昭和天皇が会いたいと言ってこられた時、マッカーサー元帥が何を思ったかは知る由もありませんが、陛下に対し、あまり良い印象を持っていなかったのではないでしょうか。もしかすると、心の片隅には、陛下に対する偏見があったのかも知れません。

「これだけの戦争を始め、多くの尊い命を犠牲にした国の最高責任者だから、戦争責任は免れない。世界中の世論もそれを望んでいる。その事を案じ、命乞いに来るのだろう」

戦前の天皇と言えば、絶対君主であり、その言葉に背くことなど思いもよらぬ時代ですから、戦争を命じた天皇の責任は重大です。「天皇が自分に会いたいとすれば、理由は戦争責任を免れる事しかない」。マッカーサーがそう考え、「天皇は命乞いに来るのではないか」と推察したとしても不思議ではありません。

だからこそ、マッカーサーは、出迎えも見送りもしないと心に決めていたのでしょうが、天皇陛下がおっしゃった言葉を聞いて、その態度は一変します。

昭和天皇は、同行した通訳と二人だけで、マッカーサーが待つ奥の部屋へ入られましたが、どのような会見がなされたのかは、今もって不明です。ただマッカーサーの回想録には、次のように記されています。

タバコに火をつけて差し上げたとき、私は、天皇の手が震えているのに気がついた。天皇の語った言葉は、次のようなものだった。
 「私は、国民が戦争遂行するにあたって、政治、軍事両面で行ったすべての決定と行動に対する全責任を負うものとして、私自身を、あなたの代表する諸国の採決に委ねるため、お訪ねした」
 私は、この瞬間、私の前にいる天皇が、日本の最上の紳士であることを感じとったのである。

昭和天皇は、「私は、日本国民が戦争を闘うために行った全てのことに対して全責任を負う者として、あなたに会いに来ました。この度の戦争責任はすべて私にあります。この身をすべて連合国に委ねます」と述べられ、戦争の全責任を負うために来訪したことを、マッカーサーに告げられたのです。

もしかすると、次のような事まで述べられたのかも知れません。

「国民には何の罪もありません。いま罪のない国民が、苦しい生活を強いられています。どうか、国民が一日も早く平穏な暮らしに戻れますよう、マッカーサー元帥、アメリカ合衆国、及び連合国のお力添えをお願いしたい」

こう言って、国民への寛大な処置と援助を嘆願されたのではないでしょうか。いずれにせよ、昭和天皇の真摯なお心と、国の最高責任者にふさわしい責任ある態度に接したマッカーサー元帥は、心を打たれ、当初の予定を変更して、陛下を玄関まで丁重にお見送りしたのです。

今の天皇は国民の象徴ですが、戦前の天皇は神であり、その命令はまさに神の言葉そのものでした。天皇陛下の命令は、絶対であり、正義であり、その命令に背く者はすべて悪であり、大罪であると見なされていた時代です。

しかし、それだからこそ、すべての責任は、頂点におられる天皇が負わなければならないのですが、陛下は、自らその責任を負うべくマッカーサー元帥に会いにいかれたのです。

そして、マッカーサー元帥は、「私にすべて責任があります」という陛下のお言葉に心を打たれ、非礼な態度を悔い、陛下を玄関まで見送るという、予定になかった行動によって、最大の敬意を示したのです。

戦争で亡くなった多くの英霊や残された遺族、更には空襲で犠牲になった国民の無念は、いうまでもありませんが、「国民には何の罪もありません。すべての責任は私にあります」という天皇陛下のお言葉を聞いて、どれだけ多くの英霊や御遺族、戦没者の心が慰められた事でしょうか。

許しがたい大罪を犯し、情状酌量の余地もないオウムの信者たちですが、もし麻原教祖が、法廷で「信者には何の責任もありません。責任はすべて私にあります」と証言していたら、彼らの罪が裁かれるのは当然としても、大罪を犯した信者たちの心は報われたのではないでしょうか。


最終解脱とは


麻原教祖と信者たちの関係は、まさに戦前の天皇陛下と国民の関係と同じと言ってもいいでしょう。現在の北朝鮮の主席と国民の関係もよく似たものでしょうが、麻原教祖は、信者達にとって、それほど絶大なる存在だったのです。

その麻原教祖が、自らを最終解脱者と言っているそうです。

最終解脱とは、仏教でいう迷いの世界(六道)から完全に解脱することで、要するに、いかなる不都合な出来事であっても、厳しいお計らいであっても、み仏のお慈悲と悟り、在るがまま受けとめられる心を成就することです。

人生には、何もかも自分の思い通りに行く事ばかりではなく、思い通りに行かない事も多々ある中で、思い通りに行かない事も、み仏のお慈悲と受けとめさせて頂ける心を成就する事が、解脱です。

その境地に到達すれば、もういかなる事があっても心が動じません。二度と六道に堕ちないのです。どんな事があっても、地獄の世界にも餓鬼の世界にも畜生の世界にも堕ちていかないのです。

人間というものは、自分の思い通りにならないと、腹を立てたり、憎んだり、愚痴嫉妬に狂います。思い通りに行っている時は、あり難いといって有頂天でいられますが、思い通りに行かなくなると、途端に怒りや妬みの心を起し、六道に堕ちるのです。

しかし、最終解脱すれば、どんな事があっても、二度と六道には堕ちません。何故なら、内なる仏(法)によって守られるからです。


自灯明、法灯明


或る弁護士が、麻原教祖から、「お釈迦様のお告げで、あなたに弁護を頼みなさいと言われたから、どうか私の弁護をして下さい」と頼まれ、弁護を断わったところ、麻原教祖は、悲しげな顔をして「私はこれからどうなるのでしょうか。これからどうしたらいいのでしょうか」と言ったそうですが、もしこれが事実とすれば、麻原教祖は、最終解脱どころか、いまだに六道の世界を彷徨っていると言わざるを得ないでしょう。

もし麻原教祖が本当に最終解脱者なら、すでに仏です。内なる魂に、悟ったみ仏がまします身ですから、そのみ仏が、麻原教祖を守ります。弁護士に頼まなくても、内なるみ仏(仏法)が守り導くのですから、何を嘆き、何をうろたえる必要がありましょう。

菩薩様は、
  法を説く われをば守る四天王
    東西南北 十重二十重
 と詠っておられますが、この法歌を見れば、菩薩様が、四天王によって幾重にも守られていた事が分ります。

麻原教祖が「これからどうしたらいいのでしょうか」と言って嘆かねばならないのは、内なるみ仏がいないからであり、法の鎧に守られていない何よりの証と言っていいでしょう。

麻原教祖は「お釈迦様が、あなたに弁護を頼みなさいと言われた」と言ったそうですが、お釈迦様が、そんな事を言われる筈がありません。何故なら、お釈迦様の教えは、「自灯明、法灯明」だからです。

 自らを依りどころとして、他を依りどころとせず
  法を依りどころとして、他を依りどころとせず

もしお釈迦様が本当にお告げをなさったのなら、次のようにおっしゃる筈です。

「自分の依りどころは、自分自身であり、自分を救える者は、自分しかいないのですよ。自分を守るものは、法しかないのです。あなたが最終解脱者なら、その法が、あなたの内にある筈です。どうして他を頼む必要がありますか?」

麻原教祖が最終解脱者なら、わが内にましますみ仏が、法(真理)によって弁護して下さいますから、「私は、これからどうすればいいのでしょうか」というような言葉が出てくる筈がありません。どこまで信者をだまし続ければ、気が済むのでしょうか。

四天王のお一人である毘沙門天(多聞天)が鎧を身に着けているのは、仏法という鎧で守られている事を現していますが、もし麻原教祖が最終解脱者なら、仏法の鎧を身につけている筈であり、「私は今こそ、仏法によってわが身を守ります。仏法に依りどころを求めます」という言葉が出てこなければ、おかしいのです。

何も知らない信者たちの前では、「私は最終解脱者である。法の鎧を身にまとっている」と豪語してあざむけたかも知れませんが、もしそれが真実なら、「私は、これからどうすればいいのでしょうか」という言葉が出くること自体、ありえません。

いくら口では最終解脱者と豪語しても、まだ六道から解脱していない事は明らかです。何も知らない信者はだませても、真理(悟り)の眼をだます事は出来ないのです。


盲信か正信か


信じるものは救われるのか?(1)」の中で、「今年6月に逮捕された高橋容疑者は、逃亡から17年経ったいまでも、麻原教祖の著書や写真や説法テープなどを隠し持っていたそうですが、そう聞いた時は、正直言って驚きました」と書きましたが、驚いたのは、彼の信仰心が深いからではありません。

高橋容疑者の、麻原教祖に対する評価が、17年経った今でも全く変わっていない事に驚いたのです。

驚いたというより、理解し難いと言った方がいいかも知れませんが、今もお話したように、麻原教祖の人物像は、すでに彼自身の証言から明らかとなっており、高橋容疑者が、その内容を全く知らない筈がありません。つまり、麻原教祖が、いのちを投げ出してまでも信じるに値しない人物である事は明らかであり、その事は高橋容疑者もすでに知っていた筈なのです。

にも拘らず、いまだに麻原教祖への信仰心を捨てられないのは、何故なのか。それが理解し難いのですが、いのちを投げ出してでも信じるに値する尊い人物であるか否かの確認を、彼は、17年もの長い逃亡生活の中でしてこなかったのでしょうか。

勿論、それを確かめる事は、取りも直さず、オウムでの彼の信仰生活と、17年もの逃亡生活を、すべて否定する事になりますから、それは、彼にとって受け入れ難い事だったのかも知れません。

あえて真相には目をつむり、自分に都合のよい教祖像を創りあげて、逃亡生活を肯定しようとしていたのかも知れませんが、そうだとすれば、彼の信仰は、もはや救われる筈のない盲信という他はありません。つまり、「鰯の頭も信心から」と、何ら変わらないのです。

だとすれば、彼の人生は、まったく救いの見えない真っ暗闇の中を、闇雲に突き進んでいるだけの、哀れな人生だったという他はありませんが、その彼が逮捕されたいま、改めてオウム事件を振り返ってみますと、ただ空しい思いと、重苦しい感情だけが、まるでヘドロのように胸の奥に広がってきます。

余りにも残忍で自分勝手な教祖と信者たちの犠牲になった人々とその御家族の無念さは想像も出来ませんが、それだけに、私たちは、オウム事件に眼を背けることなく、間違った教えに導かれた信者の悲劇と、教えの正邪を見きわめる目を養う事の大切さを、教訓として後世に伝えていかなければならない大きな責任があるのではないでしょうか。

勿論これは、宗教者である私自身に言い聞かせている事でもありますが、二度とオウムのような悲劇を繰り返さない為にも、人を導く立場にある者は、いかなる宗教や宗派に属する者であろうと、その責任の重さと、絶えず進むべき道が間違っていないかを自問する姿勢を忘れてはならないでしょう。

またそれらの指導者に導かれる立場にある人々も、信じるに値する指導者か否か、そ教えは、仏法(悟り)に裏付けられた正しい教え(正法)なのか否かを見極める目を養う事の大切さを、決して忘れてはならないと思います。


無責任主義を育んだのは誰か


今まで述べてきたように、無責任な教祖に導かれた信者たちの悲劇は計り知れませんが、無責任と言うなら、彼らだけではなく、世の中には、自ら責任を負おうとしない無責任な人たちが大勢います。

政界に目をやれば、「あれは秘書が勝手にやった事です。私は何も知りません。私は無罪です」と言って、秘書に全責任を負わせようとする政治家や、公約した事を、掌を反すが如く、次々と変えていった政治家がいますが、政策を実現出来なかった時、彼らは国民に何と言うのでしょうか。

きっと「私の責任ではありません。私に投票した国民の皆さんが悪いのです」と言って、責任逃れの発言を繰り返すに違いありません。

また最近、大津市内の中学校に通学していた中学生の自殺問題で、教育委員会や中学校の校長や所轄の警察署が、責任逃れとも見える無責任な対応を取っていた事が明らかになり、批判が集まっていますが、教育現場における無責任主義の横行は、今に始まった事ではありません。

同じような事例は、過去に何度も繰り返されてきており、わたしたちは、事なかれ主義に走る教育現場の実態を、いままで繰り返し見せられてきたのです。

何故、無責任な教祖や、無責任な政治家や、無責任な教育者が、世の中からいなくならないのでしょうか。何故同じ過ちが何度も繰り返されるのでしょうか。

思うに、その責任の一端は、私たち国民一人一人にあるのではないでしょうか。しかも、問題なのは、まだ誰も、その事に気付いていない事です。

よく「人を騙す人間も悪いが、騙される人間も悪いのだ」と言われますが、まさにその通りであって、無責任な教祖や政治家や教育者も悪いには違いありませんが、無責任な教祖を信じ、無責任な政治家を選び、無責任な教育者を許してきた私たちには、何の責任もないのでしょうか。

確かに、無責任な教祖を信じた信者も、無責任な政治家に仕える秘書も、無責任な教育者の下で学ばざるをえなかった中学生も、無責任主義者たちの犠牲になった哀れな子羊と言わねばなりません。

しかし、考えてみて下さい。無責任な教祖のいる教団を放任し、無責任な政治家を選び、無責任な教育者を許してきたのは、実は、彼らを批判している私たち一人一人なのです。無責任な政治家や教育者を非難する前に、無責任主義を放置してきた私たちが、自らを省み、自らを批判せずして、どうして世の中を変えてゆけるでしょうか。

無責任な政治家に、「私の責任ではありません。私に投票した国民の皆さんが悪いのです」と言われて、反論できる人が何人いるでしょうか。その通りなのですから、反論のしようがありません。

いま私たちが問われているのは、物事の真相を見極め、本物と偽者を見極める心の眼を養う事です。

その心の眼を養いもせずに、いくら無責任な人々を避難しても、世の中が変わっていく筈がありません。世の中を変えるのは、無責任な教祖でも、無責任な政治家でも、無責任な教育者でもなく、彼らを放任し、選び、許してきた私たち一人一人なのです。

確かな事は、私たちが変わらなければ、何も変わらないという事です。この世の中から無責任主義者をなくすためには、私たち一人一人が変わらなければならないのです。

教育者の事なかれ主義を、批判するのは簡単です。しかし、その前に、私達一人一人が、いままで事なかれ主義者ではなかったかを、自問自答しなければなりません。

「長いものには巻かれろ」的な発想では、事なかれ主義を一掃する事は出来ません。無責任な教団や、無責任な政治家や、無責任は教育者が横行する世の中を作ってしまったのは、私達一人一人の事なかれ主義であり、責任の自覚の欠如なのです。

いまこそ私たちは、事なかれ主義を排し、本物を見極める心の眼を養い、世の中を変えるのは私たち一人一人である事に目覚めなければならないのではないでしょうか。

そして、それこそが、オウム事件が私たちに残した最も大きな教訓ではないかと思うのです。

合掌

平成24(1912)年7月21日

信じる者は救われるか?(1)ーオウム事件から見えてきたもの
信じる者は救われるか?(2)ーオウム事件から見えてきたもの
信じる者は救われるか?(3)ーオウム事件から見えてきたもの
信じる者は救われるか?(4)ーオウム事件から見えてきたもの
信じる者は救われるか?(5)ーオウム事件から見えてきたもの
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毘沙門天

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