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日本の進むべき道(2)─ 東日本大震災に学ぶ



ねずみ講式文明の限界


千年に一度と言われる今回の大震災の前は、百年に一度と言われる世界同時不況の嵐が全世界を駆け巡りました。アメリカのビッグスリーのGMをはじめ、大手銀行や証券会社などが次々と倒産し、大勢の人々が職を失いました。

好景気と言えば、我々に利益をもたらす福の神のように持てはやされ、不景気と言えば、まるで人類を苦しめる疫病神のように恐れられますが、実は贅沢をするようになったか、無駄をなくして節約をするようになったかの違いに過ぎません。

つまり、好景気とは、人々が新しい物を次々と買っては大量に消費し、古い物をどんどん捨てている浪費社会の姿であり、不景気とは、人々が欲しいものを我慢するようになった節約社会の姿なのです。

好景気とは、社会全体が贅沢になり、大量消費、大量投棄によって成り立っている世の有様であり、疫病神のように恐れられる不景気とは、現在使っているもの、有るもので足りる事に気付いた世の相に他なりません。

そもそも何故、社会が贅沢にならなければ景気がよくならないのかと言えば、私達が生きている今の文明が、贅沢を奨励し、大量消費、大量投棄によって成り立っているねずみ講式の文明だからです。

ねずみ講というのは、新規会員がどんどん増えている内は破綻しません。新規会員から入ってくるお金を、他の会員に回していくからです。しかし、いつまでも新規会員が増えていく筈がありませんから、やがて、新規会員が頭打ちになる時が来ます。そうすると、他の会員に回すお金がなくなり、一夜の内に破綻するのです。

ねずみ講というのは、仕組みそのものが、最初から破綻するようになっているのですが、それでも騙される人が一向になくならないのは、「必ず儲かります」という甘い文句に騙されるからです。

譬えは悪いかも知れませんが、贅沢を奨励して、大量消費、大量投棄によって成り立っている今の文明も、物を大量に消費し、どんどん使い捨てていかなければ、好景気を維持していけない点では、まさにねずみ講と同じです。

百年に一度と言われた世界同時不況の前は、好景気が続いていましたが、それは人々が新しい物を次々と買っては、古い物を大量に捨てていたからです。

しかし、いつまでも大量消費が続く筈がなく、文明の仕組みそのものが、ねずみ講と同じなのですから、必ず破綻する時が来ます。日本中がバブルに踊った後にやってきた不景気もそうでしたし、サブプライムローン(注@)に端を発した世界同時不況もまさにそうでした。

世界同時不況の直接的な引き金になったのは、アメリカのサブプライムローンの焦げ付きであり、その後のリーマン・ショック(注A)ですが、元々今の文明の仕組みそのものが、ねずみ講と同じなのですから、サブプライムローン問題やリーマン・ショックがなくても、遅かれ早かれ、破綻する運命にあったのです。

あの世界同時不況は、今の文明が、贅沢による大量消費、大量投棄に支えられている以上、避ける事の出来ない宿命であり、当然の結果と言えましょう。

当時の新聞に、「今の金融の在り方を抜本的に変えなければ、これからも同じような事が起こる」というような記事が載っていましたが、変えなければならないのは、金融の在り方も然ることながら、贅沢を奨励して大量消費、大量投棄を続けなければ繁栄を維持していけない今のねずみ講式文明の在り方そのものであり、その根底にある人間の生き方、価値観、人生観であります。

人間の飽くなき欲望の追求によって成り立っているいまの文明の在り方を根底から見直さなければ、これからも同じことが何度も繰り返されるに違いありません。

全世界を大混乱に陥れた大不況の嵐は、贅沢による大量消費、大量投棄に支えられている今の文明が、根本的に間違っている事を教える天地の慈悲の鞭だとも言えましょうが、今回の大震災も、まさにその延長線上にあるのではないでしょうか。


感謝と知足の文明へ


「少欲知足」という言葉がありますが、今の文明はこの「少欲知足」に逆行する文明と言っていいでしょう。

つまり、「足りる事を知る文明」ではなく、いくら有ってもまだ欲しい、いくら作ってもまだ足りないという「足りる事を知らない貪りの文明」であり、大自然の摂理に逆らっている文明なのです。

世界同時不況も東日本大震災も、飽くなき欲望の追求に奔走してきた貪りの文明に対する大自然の厳しい慈悲の鞭である事は明らかですが、その付けは、すでに地球温暖化という形で人類に跳ね返ってきています。

世界各地で、地球温暖化による深刻な影響が出始めている事は、すでに周知の事実です。

北極圏の氷は、予想をはるかに超えるスピードで溶け始め、そこに住む生き物は絶滅の危機に瀕しています。北極圏の氷が無くなるのは、ここ数百万年間には無かった異常事態で、日本の国土の三倍に相当する130万平方キロメートルの氷がすでに溶けて消失しています。

数百万年以上も溶けなかった氷が、僅か十年余りの間に、三分の一にまで減ったのですから、その異常さが分かりますが、今の状態が進めば、人類存亡の危機に直面すると言っても、過言ではないでしょう。

また北極圏の凍土には、全地球の大気中の6分の1(約980億トン)に匹敵する膨大な量の炭素が存在しており、温暖化によって凍土が溶けて炭素が二酸化炭素(CO2)やメタンになって放出されれば、温暖化を加速させると懸念されています。

更にロシアのシベリアにある永久凍土も急速に溶け始め、中から放出されているメタンガスは、二酸化炭素の20倍以上ものエネルギーで地球温暖化を加速させると言われています。

氷解による海水面の上昇は、太平洋の島々を水没の危機に陥れ、そこに住む住民の安全をも脅かしています。

また海水温の上昇に伴う海流の変化によって、魚介類の生態系が大きく変わり、漁獲量の激減という深刻な影響をもたらしています。

最近、世界各地で頻発するようになった異常気象、特に超大型の台風、ハリケーンの相次ぐ発生による甚大な被害、或いは熱波による森林火災の増加、大津波や大洪水、巨大地震による壊滅的な被害など、かつて経験した事のない未曾有の天変地異も、地球温暖化と無関係ではありません。

これから地球温暖化が加速すれば、その影響がさらに拡大していく事は間違いなく、人類が直面する危機は想像を絶しますが、因をたどれば、今の文明が大量消費、大量投棄を続けてきた貪欲の付けが回ってきた当然の結果と言えましょう。

無駄を無くし、贅沢を離れ、足りる心を知り、大自然の摂理に従って生きる事の大切さに目覚めなければ、人類の未来も世界の平和もあり得ません。

いくら電気自動車や太陽光発電が普及しても、限りある資源を湯水のように使い、飽くなき欲望の追求に走っている今のライフスタイルや文明の在り方が根本から変わらない限り、私たちを待っている結果は同じなのです。

私たちの意識の奥底に、感謝と知足(節約)の心がしっかりと根を張り、それが生活の隅々にまで浸透した時、初めて電気自動車や太陽光発電が活きてくるのであり、その感謝と知足(節約)の心を他にして、真のエコなどありえません。

地球温暖化は、私たちが自ら蒔いた貪欲による大量消費と大量投棄が原因であり、どのような悲惨な結果が未来に待っていようと文句は言えませんが、私たちの子や孫、そして将来生まれてくるであろう子々孫々の世代に、大きな付けを残していくことだけは何としても防がねばなりません。

恐らく大震災によって、節約、節電、節水をせざるを得ない今のような状況は、当分訪れないでしょうし、もう二度と訪れて欲しくありません。

だからこそ、この大震災を千載一遇の好機と捉え、湯水のように浪費するのを当たり前のように考えてきた今までのライフスタイルを根本的に見直し、無駄と浪費をなくす感謝と知足(節約)の方向へと大きく舵を切ってゆかなければならないのです。

さもなければ、子々孫々に取り返しのつかない大きな禍根を残す結果となるでしょう。


大震災と原発事故の真相


リーマン・ショック以来、世界同時不況の嵐が世界中を駆け巡り、その渦中に巻き込まれた日本も青息吐息の状態でしたが、ようやく立ち直りかけていた矢先に見舞われたのが、今回の東日本大震災でした。

これは、一面では不幸な出来事だったかも知れませんが、不幸だ、不幸だと言って、嘆いてばかりいては光明は見えてきません。

地球上のどこで起きてもいい筈なのに、何故このような大災害が、辛卯の年に日本で起きたのか

いま私たちが立ち止まって考えるべきことは、この一事しかありません。

被災された方々や関係者の方々は、大変な苦労を強いられていますが、これらの方々のご苦労があるからこそ、私たちは、これから日本がどのような方向に進んでゆけばよいのかという道すじを、ハッキリ見つめ直すことが出来るのではないかと思うのです。

いま日本は国民全体が節約ムードに包まれていますが、残念ながら、誰もが節約に努めているのは、節約する事の大切さに目ざめたからではないと思います。

節約とは言っても、ただ大震災によって電気も水道もガスも石油も、生活物資も何もかもが供給不足に陥り、節約しなければならない状況に追い込まれているから、やむなく節約しているのが、現状ではないでしょうか。

ですから、やがて電気や水道やガスが供給され、様々な生活物資が流通するようになり、節約しなくてもよくなったら、きっとまた震災前の元の生活に戻ってしまうに違いありません。

勿論、誰もが感謝と知足の心に目覚め、震災から復興しても、もう二度と震災前の浪費と贅沢が当たり前の生活に戻らないのであれば、震災から立ち直った日本の未来は輝かしいものとなるでしょうが、今の状況ではまだそこまでの変化を期待するのは、難しいでしょう。

ですから、天地(神仏)は、たとえ電気や水道や様々な物が十分に供給されるようになっても、震災下で身をもって体験し実践した感謝と知足(節約)の心を忘れることのないよう、そして、震災下での体験が元の木阿弥に終わることのないよう、様々な手立てを使って、いま私たちを訓練しておられるのではないかと思います。

そのお計らいの中に、私たちも、東京電力も組み込まれたのであり、大震災も原発事故も、突き詰めれば、私たちを生まれ変わらせるための究極のお計らいと言っていいでしょう。

「節約しようと思えば出来るだろう。今までの事を思えば、多少は不便を感じるかも知れないが、決して出来ない事ではないだろう。これからは、今回の大震災で身をもって体験した感謝と知足(節約)の心を忘れず、贅沢を離れ、無駄をなくす生き方をしてゆきなさい。それが、これからあなた達が進むべき道であり、子々孫々に残してゆける真の財産なのだよ。そして、あなたたちが先頭に立って、世界の人々をリードしてゆきなさい」

天地(神仏)は、いま私たちにそう問いかけているのではないでしょうか。

東電の原発事故によって、原発周辺の方々は避難を余儀なくされ、また東電管内に住む私たちも、出来るだけ電気の使用量を節約するよう努力してゆかねばならない状況に置かれていますが、この状況を招いた責任が、東京電力や東電を指導する立場にある国(政府)にある事は言うまでもないでしょう。

しかし、ただそれだけでは、根本的な解決には程遠いと言わねばなりません。何故なら、それはあくまで表面的な理由に過ぎないからです。

真相は、飽くなき欲望の追求に奔走し、贅沢と浪費の心にむしばまれた今までの生き方から、大自然の摂理に適う、感謝と知足(節約)の心に根ざした真に豊かな生き方へと切り替えてゆかなければ、人類の未来も子々孫々の幸せもありえない事を見通された天地(神仏)が、眠っている私たちの眼を目覚めさせんが為、大地を揺り動かし、大海原を持ち上げて、東電の原発事故を起こし、電気の供給を止めさせて、感謝と知足(節約)の心を取り戻すよう、私たちに問いかけておられるのです。


世界の手本となり人類をリードする使命


私たち日本人は、必ずやこの試練を乗り越えて立ち直るでしょう。

しかし、大切な事は、この試練を乗り越えた暁に、私たち日本人がどのような姿に生まれ変わっているかという事です。

何故なら、天地神明は、ただ試練を乗り越えさせる為にではなく、目覚めて欲しい事があるからこそ、このような試練を与えておられる筈だからです。

天地(神仏)は、試練を乗り越えた先の先まで見通された上で、私たち日本人に試練を与えておられる筈であり、私たちがこの大震災によって大きく変わる事を願っておられるに違いありません。

勿論、どのように変わるべきかは、私たちが決める事であり、大震災による惨状を目の当たりにしてきた一人一人が、何を思い、何を悟ったかにかかっていますが、天地(神仏)の願いは、今までのような飽くなき欲望を追い求める生き方を改め、無駄を無くし、贅沢を離れ、足りる心を知り、大自然の摂理に従って生きる事に私たちが目覚める事であり、それ以外に天地(神仏)の願いなどありえないでしょう。

「日本人は大震災を乗り越えて、すっかり変わった。やれば出来るのだ。私たちもやろうじゃないか。」

そう言って、世界中の人々が心を動かされる日が来た時、初めて私たちは、二万人を越える震災犠牲者の方々に、「ようやく天地(神仏)の願いに応える事が出来ました。この日の為に、大きな犠牲を払わせて申し訳ありません。どうかこれからも私たちが歩む道を見守っていて下さい」と、胸を張って言えるのではないでしょうか。

いま、世界中の人たちが、これだけの大震災に見舞われ、ソ連のチェルノブイリ原発事故と同じ「レベル7」という深刻な原発事故に見舞われた日本人が、これからどのようにして立ち直っていくのかを注視していますが、全世界の眼が日本に注がれている中、震災から立ち直った日本人が、相も変わらず、使いたいだけ使えばよいという震災前と同じライフスタイルを追い求めているのであれば、世界の心ある人々は、「日本人は、あれほどの大震災を体験したのに、何も変わっていない」と言って、さぞがっかりするのではないでしょうか。

世界中の叡智を結集して、一刻も早く地球温暖化防止への道すじをつけなければならない状況にあるいま、私たち日本人が、千年に一度の大震災を経験し、未曾有の試練を頂いたのは、決して偶然ではありません。

私たちは、これから人類が生きるべき道は何かを、先頭に立って世界中の人々に示し、その手本となってゆかなければならないのです。今回の大震災は、その為に与えられた試練と言ってもいいでしょう。


「勿体ない」という言葉を与えられた日本人の責任


アフリカ系女性で初めてノーベル平和賞を受賞された、ケニヤ共和国の環境副大臣をしておられるワンガリ・マータイさん(注3)は、いまリデュース(過剰生産の削減)、リユース(再利用)、リサイクル(再生利用)という「3つのR」を唱えて、環境保護に取り組んでおられますが、この方が、初めて日本に来られた時に出会われたのが、「勿体ない」と言う日本語でした。

マータイさんが提唱する「3つのR]の意味が、「勿体ない」の一語に込められている事を知ったマータイさんは非常に感激され、是非この言葉を世界の人々に伝えたいと、各国語に翻訳しようとしたところ、この3つのRを一つの言葉で表現出来る言葉が、どこの国にもなかったそうです。

マータイさんは、いま「勿体ない」という言葉を、世界中の人々に広めながら、植林と環境保護活動に取り組んでおられますが、東日本大震災が、3つのRを意味する「勿体ない」という言葉を与えられている日本で起こった事に、天地(神仏)のお計らいの絶妙さを痛感せずにはいられません。

大自然の摂理に適った感謝と知足の心が、「勿体ない」という言葉に凝縮されている事は言うまでもありませんが、「世界で最も贅沢な国民は日本人だ」と言われるように、「勿体ない」というどこの国にもない言葉を与えられている日本人が、いま最も忘れているのが、この言葉であり、この言葉に込められている感謝と知足の心なのです。

しかし、同時に、この言葉を世界のどの国の人々よりも理解し、実践出来るのも、日本人であり、日本人以外にはいないのです。

今回の大震災は、電気や水道やガスに囲まれた暮らしがいかに有り難いかを教えてくれましたが、二万人を越える人々の命と、数知れぬ人々の生活基盤のすべてを奪い去った大震災の体験を、「元の木阿弥」に終わらせないためにも、今までのような、有れば有るだけ使えばいいという浪費と贅沢に走る生活スタイルではなく、必要なだけを使わせて頂く感謝と知足の心、「勿体ないの心」を、生活の隅々まで浸透させてゆかなければならないのです。


豊かさと贅沢の違い


世間には、豊かさと贅沢を同一視している人がいますが、豊かさと贅沢は、似て非なるものです。

贅沢とは、感謝の心も知足の心もなく、全てを当たり前と考えながら、飽くなき欲望の追求に明け暮れて生きることです。

それに対し、豊かさとは、何事にも感謝し、少しでも無駄をなくしてゆこうという知足の心が備わって初めて実感できる生き方です。

水道の蛇口を捻れば、いつでも美味しい水が出ます。スイッチを捻れば、電気が点き、風呂が沸き、ご飯が炊けます。ほんの百数十年ほど前までは、極楽のようであったそんな生活を、現代の私たちは当たり前のように考え、感謝する事さえ忘れているのです。

しかし、今の生活は決して当たり前ではなく、有り難き生活なのです。有ること難き極楽のような生活なのです。

すべてを当たり前と考えるようになったら、人間は傲慢な生き方しか出来ません。

たとえどんなに物質的に豊かになっても、感謝と知足の心を失くせば、真の豊かさを享受する事など不可能です。

東京都の石原都知事が、「震災に対する日本国民の対応をどう見るか」という記者の質問に、「日本人のアイデンティティーは我欲になった。政治もポピュリズムでやっている。津波をうまく利用してだね、我欲を1回洗い落とす必要があるね。積年たまった日本人の心のアカをね。これはやっぱり天罰だと思う。被災者の方々はかわいそうですよ」と述べた事について、色々な批判があるようですが、確かに天罰(注3)という表現は適切ではなかったと私も思います。

しかし、都知事が言わんとしているのは、日本人も含めて、人類全体が、飽くなき欲望の追求によってこの地球を汚し、地球温暖化という大きな重荷を、子々孫々に背負わせようとしている事に対し、もっと謙虚になって目覚めるべきは目覚め、反省すべきは反省し、改めるべきは改めてゆかなければならないという趣旨であって、まさに道理に適った意見と言えましょう。

日本人は戦争に敗れはしたものの、焼け野原から見事に立ち直り、世界をリード出来る国に生まれ変わりました。豊かになりたい、良い暮らしがしたいという思いで、みんな頑張ってきたその甲斐があって、大多数の人々が豊かさを享受出来るようになりました。

しかし、改めて振り返ってみますと、豊かになったのは物質面だけで、精神面はむしろ貧しくなっているのではないでしょうか。

その意味で、今回の未曾有の大震災は、「あなたたちがいつしか失くしてしまった心の豊かさをもう一度取り戻し、これからは物質面、経済面だけではなく、精神面でも世界をリード出来る国に生まれ変って欲しい」と願う、天地(神仏)の大慈大悲の采配だとも言えましょう。


失くしたものと得たもの


今回の大震災によって、私たちは多くのものを失いました。

二万人をはるかに超える人々の命。電気、水道、ガスなどのライフライン。大津波によって壊滅した市町村。そこで暮らす人々の生活基盤の全て。原発事故に伴う周辺地域の人々の生活。数え上げれば限がありませんが、この中には、復興すればまた元に戻せるものもあれば、犠牲になられた人々の命のように、二度と取り返せないものもあります。

これらの人々の犠牲を無駄にしない為にも、後に残った私たちには、「失った以上のものを得ることが出来ました。これからは、この尊い体験を、子々孫々や人類の幸福の為に役立てていきます。有り難うございました」と、犠牲となられた方々に応えてゆかなければならない責務があります。

重ねて申しますが、国の根幹を大きく揺り動かす大震災が起こったのは、有れば有るだけ使えばよいという今までのような生き方を、このあたりで終わりにしなければいけないという天地の戒めであり、大きな変革が始まる激動の年と言われる辛卯の年に起ったのは、この年を日本人の心を変革する節目の年、スタートの年としなさいとの天地神明の啓示に他なりません。

勿論、そうは言っても、感謝と知足(節約)の生活を一人一人が実践し、それを通じて世界の人々をリードしてゆくという事は、一朝一夕に出来る事ではなく、恐らく気の遠くなるような時間と労力と忍耐が必要となるでしょう。

皆さんは、自分ひとりが実践しても世界を動かすことなど不可能だと思われるでしょうね。この大震災に遇うまでは、私もその一人だったのですから、皆さんがそう思われるのも無理はありません。

しかし、いまは、出来るか出来ないかではなく、しなければいけないと思っています。何故なら、この大震災を通じて、人類の生き方を根底から変えようとしておられる天地(神仏)の一念が、並々ならぬものであることを痛感したからです。

これほどの惨状を目の当たりにしていなければ、こんな気持ちにはならなかったかも知れませんが、未曾有の大震災は、そんな私の浮ついた気持ちを粉々に打ち砕いてしまいました。

最初はたとえ一人であってもいいではありませんか。自分一人がまず実践しなければ、何も変わらないのです。一人が実践すれば、その一人は間違いなく変わり、それが、二人、三人と増えてゆけば、実践の輪は、着実に広がってゆく筈です。

「千里の道も一歩から」(注4)で、最初の一歩を踏み出さなければ、千里はおろか一里さえも進めません。

先ほどもお話したように、私たち日本人は、必ずこの試練を乗り越え、立ち直ってゆくでしょう。世界中の人々も、「日本人は必ずこの大震災から立ち直る」と言って、応援してくれています。

しかし、いくら大震災を乗り越えられても、乗り越えた後に待っている私たちの生き方が、また今までと同じ贅沢と浪費にあけくれる震災前の生活に戻ってしまっては、それこそ、「喉元過ぎれば熱さ忘れる」で、二万人以上もの人々の尊い犠牲は何の為だったのかという事になってしまいます。

尊い犠牲を無駄にしない為にも、そして千年に一度と言われる大震災の体験を、「元の木阿弥」に終わらせない為にも、私たちは新しく生まれ変わらなければならないのです。

「大震災に見舞われて多くの被災者がどん底の苦しみを味わい、他の人々も不便な生活を強いられたけれど、あの大震災があったからこそ、今の私たちがあるのだ」と、亡くなられた人々や、日本を応援してくれている世界の人々に胸を張って言える日を一日も早く迎えられるよう、今こそ一人一人が、「感謝と知足」の心、「勿体ない」の心を実践してゆかなければならないのではないでしょうか。

合掌

平成23年6月13日

日本の進むべき道(1)─東日本大震災に学ぶ
日本の進むべき道(2)─東日本大震災に学ぶ
日本の進むべき道(3)─ 紙幣の顔
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(注1)通常の住宅ローンの審査には通らないような信用度の低い人(サブプライム層)向けのローン。これらのローン債権は証券化され、他の金融商品などと組み合わされて世界中に販売されていたが、2007年夏頃から住宅価格が下落し始め、住宅バブル崩壊へとつながっていった。これに伴って、サブプライムローン債権が組み込まれた金融商品の信用保証が信用を失い、市場では投げ売りが相次いだ。この波紋から2008年にリーマン・ブラザーズの倒産によるリーマン・ショックが起き、世界同時株安、世界金融危機へと発展していった。

(注2)2008年(平成20年)9月に米国の投資銀行であるリーマン・ブラザーズが破綻し、世界的な金融危機の引き金となった。2007年のサブプライムローン問題に端を発した米国住宅バブル崩壊を切っ掛けに、各方面で資産価格の暴落が起こり、リーマン・ブラザーズも多大な損失を抱えたため、2008年9月15日、連邦破産法第11章の適用を連邦裁判所に申請したが、これを切っ掛けにリーマン・ブラザーズが発行している社債や投信を保有している企業への影響や、取引先への連鎖倒産の恐れから、アメリカ経済に対する不安が広がり、百年に一度と言われる世界的な金融危機へとつながっていった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

太陽光発電施設
(山梨県北杜市長坂町)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注3)ワンガリ・マータイさんは、平成23年(2011年)9月25日、ガンのため、ケニアの首都ナイロビの病院で死去されました。心よりご冥福をお祈りいたします。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

  

 

 

(注3)天地(神仏)のみ心の中には、天罰という概念はない。何故なら、天罰とは悪に対する怒りの心を前提としているものであるが、天地には怒りの心などないからである。天地のみ心の中にあるのは、怒りではなく、何としても救いたいという救済の一念であり、目覚めて欲しいと願う慈悲心だけである。その意味で、天罰は、救わんが為に打つ慈悲の鞭を、天地の怒りと感じ取った者の心の中にのみ存在する概念と言えよう。
 神の愛 仏の慈悲と変われども
  心はひとつ 大悲なりけり
 にくまれて までも救わん法の道
  菩薩の心 誰か知るらん

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注4)長い道のりを行くにも、まず一歩を踏み出さなければ始まらないように、どんなに遠大な計画や望みであっても、身近なところから着実に積み重ねてゆけば必ず実現するということ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高野山法徳寺(たかのやまほうとくじ) TEL:0551-20-6250 Mailはこちらから
〒408-0112 山梨県北杜市須玉町若神子4495-309 FAX:0551-20-6251 お問合せフォーム