桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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菩提心に目覚めよ(2)



死もまた好きかな桜花


菩薩様は、『心に思いし事』という文章の中で、

 生も好し 死もまた好きかな桜花
    散れば咲きにと また帰り来る

という道歌を残しておられますが、この道歌を見れば、菩薩様も、お釈迦様と同じように、死を在るがまま受け入れておられた事がよく分かります。

菩薩様もまた、生きる事だけが好ましいのではなく、死もまた自然の摂理であり、天地の決まりなのだと、教えておられるのです。

生だけが有難いのではなく、死もまた移り往く人生の一こまなのだから、これもまた好いではないか、生も死も共に受け入れていこうではないかというお悟りなのです。

お釈迦様のあの安らかなお顔は、まさに「生も好し死もまた好きかな」の心が、そのままお顔に現れたものと言えましょう。

それに対して、お釈迦様を取り囲む弟子たちは、「死もまた好きかな」という心境になれない為に、あのような表情をしているのですが、あの弟子たちの姿は、死を穢れたものと見る世間の人々の姿でもあります。

死を在るがまま受け入れておられるお釈迦様や菩薩様の心の中には、死を穢れたものと見る思いは微塵もありません。

死を穢れたものとしか見る事が出来ないのは、死が好ましくない存在であり、死を在るがまま受け入れられないからです。

死を受け入れられないという事は、無常という大自然の摂理を受け入れていないという事であります。


生きた先祖をまつるのだ


御法歌「頼め彼岸へ法のふね」の中に

 先祖供養は 生き供養
    死んだ供養じゃ ありませぬ
    生きた先祖を まつるのだ

という道歌がありますが、そもそも中陰供養は何の為にするのかと言いますと、亡くなったお方を供養する為にするのではありません。

恐らく大部分のお方が、亡くなったから中陰供養をするのだと思っておられるでしょうが、亡くなったお方を供養するのではなく、これからも今までと変らずに生き続けていかれるから、中陰供養をしなければいけないのです。

つまり、亡くなったのではなく、新たに生まれ変わるだけなのです。

肉体という形(器)のある世界から、形(器)のない世界へ生まれ変わり、生きる世界は違うけれど、これからも今までと同じように生き続けていかれるからこそ、供養しなければいけないのです。死んでしまったお方なら、供養する必要はありません。

菩薩様が、御法歌の中で「生きたご先祖をまつるのであって、決して死んだご先祖をまつって供養するのではない」と仰っておられるのは、その為です。

ですから、Kさんの義理のお兄さんも、皆さんのご先祖も亡くなってはおられません。今も生き続けておられるからこそ、生きておられるご先祖の供養をしてあげる事が大切なのです。


真の供養とは何か


供養と言いましても、お供え物をしたり、お蝋燭を灯し、お線香を焚いてお経を唱えたりする事だけが、供養ではありません。

それよりも大切な事は、後へ残ったご家族やご縁者の皆さんが、生きておられるご先祖を、これからも生かし続けてあげる事です。

ご霊前に、亡くなられたお方が好きだった食べ物や飲み物をお供えするのは、生きる世界は違っても、いまなお生き続けておられるからです。

朝になれば、まずご仏飯とお茶湯をお供えします。死んでしまったお方なら、食事する事もありませんから、お供えする必要はありません。生きておられるから、私たちが頂くのと同じものをお供えさせて頂くのです。

お茶も飲まれるでしょうし、ご飯も頂かれるでしょう。お茶湯やご仏飯という火を通したものをお供えするのは、生きておられるからであり、すべての供養は、生きておられるという事が、大前提である事を忘れてはなりません。

先程、いのちのない造花をお供えしても、御本尊様の供養にはならないと言ったのは、その為であり、生きておられる御本尊様にお供えするものだから、生きたものをお供えしなければいけないのです。

それは、ご先祖にお供えする場合も同じで、命のないものをお供えして、生きておられるご先祖様が喜ばれる筈がありません。

中陰というのは、後に残ったご家族の皆さんが、その事を深く自覚し、これからも今までと同じようにお付き合いをさせて頂きますというお誓いをする為の期間でもあるのです。


菩薩様の中陰供養


ご先祖を生かし続けてあげる事の他に、もう一つ、大切な供養があります。

それは、後に残ったご家族やご縁者の皆さんが、菩提心を発す事です。

菩薩様が御入定され、その中陰の期間中に、御縁日が重なった事があるのですが、世間の常識に従えば、残された私達は、自宅に残って、菩薩様のご供養をしなければいけない事になります。

しかし、寿法様は、中陰中にも拘らず、名古屋から桜井の法楽寺へ来られたのです。

何故かといいますと、供養とは、お遺骨の側にいてお蝋燭とお線香の火を絶やさない事ではなく、法を求め、教えを求めてお参りする人々を導き、衆生済度のお手伝いをさせて頂く事こそ、真の供養だからです。

Oさんのご主人が交通事故で急逝されたのは、高野山法徳寺が発足する僅か一ヶ月前の平成十六年三月十八日でした。

ですから、法徳寺発足の日は、ご主人の中陰の期間中に当っていましたが、Oさんは、姉のKさんと共に、法徳寺に帰って来られました。

それは、Kさん、Oさんご姉妹が、真の供養とは何かを悟っておられたからです。

肉体の死を、死とは認めず、ご主人は、使命を果たして菩薩様の下へ帰って行っただけで、いまも生きて一緒にいて下さるという深い悟りがあったからこそ、中陰の期間であるにも拘らず、法徳寺へ帰ってこられたのです。

発足の当日、Oさんが座られた右隣りの席が空いており、Oさんはすぐに「この席は、私を導いて先にお大師様、菩薩様の待つ魂のおやざとへ救われて帰った主人の為に、菩薩様が用意して下さった席だ」と悟られたのも、ご主人が生きているとの深い信心があったればこそです。

Kさん、Oさんご姉妹は、真の供養とは何かを、身を以て悟られたお方と言えましょう。


祈らずとても神や守らん


世間では、死を穢れたものと見なし、中陰の期間中は、神棚に触ってはいけないし、神社へお参りしてもいけないと言われている事は、先程お話した通りですが、死が一般の人々にとって決して好ましいものでない事は確かでしょうし、死を穢れたものと見るのは、死を在るがまま受け入れられない心の裏返しと言ってもいいでしょう。

しかし、仮に、死が穢れたものであり、忌み嫌わなければならないものであるとしても、苦しむ人々を救う為に、どうしても神様のお力が必要となる場合もある筈です。

そのような場合でも、神様は、中陰の期間中だから私を拝んではいけないと仰るでしょうか。

私は、「たとえ中陰の期間中であっても、神の力が必要なら、喜んで力を貸しましょう。どうか、その人を救ってあげて下さい」と言って、障りや祟りがあっても、苦しむ人々を救おうとする人をお守り下さるのが、神様だと思います。

死は決して穢れたものでも、忌み嫌うべきものでもありませんが、仮に穢れたものであるとしても、苦しむ人を救いたいという心(菩提心)があれば、一切の穢れを清め、障りを払ってくれるのであり、神様は、たとえ障りを受けても自らの身を捨てて苦しむ人々を救おうとする菩提心に目覚めた人をこそ、お守り下さるに違いありません。

 心だに 誠の道に叶いなば
    祈らずとても 神や守らん


お護摩の真相


皆さんは、お寺でお護摩が焚かれる光景をご覧になった事があると思いますが、あのお護摩は、ただ釜の火で護摩木を燃やしているのではありません。

お護摩の火は、護摩を焚く行者の菩提心、つまり、護摩木を奉納して下さった人々の苦しみの因縁を解いて救いたいという、行者の慈悲心を現しているのであり、その菩提心の炎で、護摩木を奉納した人々の罪穢れを焼き清めるのが、お護摩なのです。

表面だけを見れば、ただ火を焚いて護摩木を燃やしているだけのようにしか見えませんが、その真相は、行者の菩提心で、護摩木を奉納された人々の罪穢れを焼き清めているのです。

この菩提心が、一切の穢れを清め、禍を吹き払う力を持っているのであり、だからこそ、この菩提心をご先祖にお供えする事が、何よりの供養となるのです。


菩薩様の問いかけ


先ほどお話した様に、Kさんは「中陰中は神様に触ってはいけないのに、榊を替えてしまいました。どうしたらいいでしょうか」とお電話して来られたのですが、菩薩様はきっと、そのご近所の方を通して、Kさんの心を問われたに違いありません。

幾ら神様が中陰の期間中に拝む事を嫌われると言われていても、穢れを清めるものが、Kさん自身の中にあれば、榊を替えようが、中陰中に神様を拝もうが、一向に差し支えない筈です。

穢れを清めるものとは何かと言えば、菩提心しかありません。

つまり、菩薩様が、その近所の方に「中陰中は神棚に触ったり、榊を替えてはいけませんよ」と言わせたのは、「Kさん、あなたの菩提心はまだ弱いから、もっと強くしなければいけませんよ。菩提心が一切の穢れを清めるのですから、この菩提心さえ強くなれば、中陰中であろうが、神棚に触れようが、一切障りとはなりませんよ。だから、もう一度、自分の心を見つめ直して下さい」と言って、Kさんの心を問われたのです。

その前に私は、「今度からKさんは、行が変わりますよ。今までは自分の業の果たしの行でしたが、これからは人様の為の行、お大師様、菩薩様の衆生済度のお手伝いをする行が始まりますよ。ですから、菩提心を強くして下さい」というお話をさせて頂いたのですが、恐らくKさんの菩提心は、お大師様、菩薩様の目から見て、まだ弱かったのではないでしょうか。

勿論、菩薩様が、このようなお計らいをなさったのは、Kさんが信仰心のあるお方であり、菩提心を強くして頂きたいお方だからである事は、言うまでもないでしょう。


衆生済度に生きる者の気概と覚悟


私達の体験をお話しますと、菩薩様が御入定なさった時、私達は、奈良県吉野郡野迫川村にある立里の三宝荒神様へ月参りをお誓いしていました。

つまり、中陰の期間中であるにも拘らず、私達は、どうしても三宝荒神様へお参りしなければならなくなったのです。

もしこの時、中陰中は障りがあるから、神様にお参りしてはいけないという事になれば、私達は、三宝荒神様にお参り出来なくなります。

しかし、月参りをお誓いしている以上、菩薩様が御入定なさったとしても、お参りを中止する訳にはいきません。

問題は、このような場合、どちらを選ぶべきかという事ですが、世間の常識に従うなら、中陰中は障りがあるから、三宝荒神様にお参りしてはいけないという事になります。

しかし、それでは、衆生済度に支障が出て、苦しむ人々を救う事が出来ません。

このような場合、衆生済度に生きる者の進むべき道は、一つしかないと思います。

つまり仮に、中陰中に三宝荒神様にお参りして、何らかの障りや祟りを受ける恐れがあるとしても、衆生済度に生きる者は、それを甘んじて受けなければいけないという事です。

それが衆生済度に生きていく者の使命であり、気概であり、覚悟でなくてはならないのです。

つまり、そこまでの強い菩提心を発せるか否かが問われているという事です。

菩薩様がまさにそうでした。苦しむ人々の代苦者となって、まさに地獄のような苦しみの中へ飛び込んで行かれたのです。

ですから、仮に中陰中に神様を拝まなければいけない事になったとしても、それによって如何なる障りを受けようが構わないという、そこまでの強い菩提心を発さなければいけないのです。


三昧耶戒


真言密教で授かる戒律の中で最も大切な戒律が、三昧耶戒と言われる戒律です。

これは別名「発菩提心戒」とも言いまして、菩提心を発し、その菩提心を捨てない事を戒律としてお誓いするものです。

この三昧耶戒は、灌頂という、一人前の僧侶(沙門)になる儀式の前に授かるのですが、ひとたびこの戒律を授かれば破る事は出来ません。

もし戒律を破り、菩提心を捨てるような事があれば、菩薩としての命を失うに等しいとまで言われています。

何故そう言われるのかと言えば、衆生済度に生きようとする者は、苦しむ人々が背負う様々な因縁や罪穢れを受ける恐れがありますが、その因縁や罪穢れを清める力を持つのが、まさしく菩提心だからです。

菩提心を持たなければ、様々な罪穢れを清める事が出来ず、行者がそれを受けなければなりません。だから、菩提心を戒律として授かり、菩提心の鎧で身を守るのです。

菩提心というものが、いかに尊く、有難いかが分りますが、この菩提心さえ堅固であれば、中陰中に神棚を触ろうが、神社にお参りしようが、何も恐れる事はないという事です。

大切な事は、この菩提心を揺るぎないものとする事であり、菩薩様が、お計らいを通してKさんに教えようとしておられた事も、まさにこの事だったのです。

勿論、これは、Kさんだけの問題ではなく、仏道を歩もうとする者が、片時も忘れてはならない一大事である事は言うまでもないでしょう。

合掌

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