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「宗教成合の郷」命名の意味(2)



書き換えられた法徳寺の看板


こうして、菩薩様の御廟として八角形の夢殿が選ばれた理由が、お計らいから14年が経過した平成17年になって、ようやく明らかになったのですが、これからお話しする「宗教成合の郷」命名についてのお計らいもまた、その時が来なければ分らないお計らいの一つと言わなければなりません。

命名の意味を悟らせて頂くきっかけは、2年前の平成19年春の大法要を前にして、法徳寺の入口の看板が、新しく書き換えられた事でした。

それまではただ「高野山法徳寺」と書かれていただけでしたが、そこに「宗教成合の郷」という名称と、「四国八十八ヶ所霊場お砂踏み回廊と、生き仏様の命のお水・汗露水と、仏法の道しるべ・歌碑のある御寺」という法徳寺の説明文が新たに書き加えられたのであります。

表面的に見れば、ただ説明文が書き加えられたに過ぎませんが、看板の書き換えによって、予てより脳裏から離れなかった「宗教成合の郷」命名に関する疑問がようやく晴れ、改めて生き仏様のお計らいの奥深さを痛感したのであります。


何故いま看板が書き換えられたのか


いかなるお計らいであっても、お計らいがなされた時期を悟ることが肝要であり、時期を悟る事は、お計らいを悟る糸口と言ってもいいでしょうが、「宗教成合の郷」命名の意味を知る上で悟らなければならなかったのもやはり時期であり、何故お大師様、菩薩様が、今の時期に看板を書き換えるよう、お計らいなさったのかという事でした。

ご承知のように、平成16年4月13日、高野山法徳寺が若神子(わかみこ)の地に発足し、その年の暮れに「高野山法徳寺」の看板が境内入口に完成いたしました。

本来なら、その時、看板には法徳寺の正式な名称である「宗教成合の郷・高野山法徳寺」と書かれていてもいい筈ですが、看板には「高野山法徳寺」としか書かれていませんでしたし、私自身、その事に何の疑問も抱いていませんでした。

そして、「宗教成合の郷」と書き加えるようお指図を頂いたのは、それから2年半近く経った平成19年の春なのです。

何故お大師様、菩薩様は、2年半も書き換えをお指図なさらなかったのか。

と言うより、前もって書き換える事が分かっているなら、何故、最初から「宗教成合の郷・高野山法徳寺」と書かれた看板を作らせておかれなかったのか。

お大師様、菩薩様が、看板の書き換えを通して、何を教えようとしておられるのか。

私達が悟らなければならなかったのは、まさにその事でした。


生き仏様が命名された二つの名前


お大師様、菩薩様が、法徳寺に付けられた名前が二つあります。

一つは、「高野山」という山号であり、もう一つが「宗教成合の郷」であります。

「高野山(たかのやま)」という山号は、菩薩様が御入定される3日前の平成2年4月10日に、「宗教成合の郷」は、その前日の4月9日に命名されましたが、「高野山」は、云うまでもなく、紀州高野山を現す山号です。呼び名こそ「たかのやま」ですが、高野山そのものと云ってもいいでしょう。

菩薩様が法徳寺に「高野山」という山号を付けていかれた理由は、今更申し上げるまでもないでしょうが、世界広しといえども、生き仏様がおられる聖地は、紀州高野山しかありませんから、お大師様と不二一体の生き仏となられた菩薩様が御入定される聖地に「高野山」の山号が付けられたとしても、何ら不思議はありません。

命名されたのは菩薩様ですが、その背後にお大師様がおられる事は間違いなく、お大師様が命名されたと言ってもいいでしょうが、分らなかったのは、「宗教成合の郷」というもう一つの名称です。

何故、菩薩様は「高野山」とは別に「宗教成合の郷」という名前を付けられたのか。

その疑問が、菩薩様が御入定なさった平成2年から、看板が書き換えられる平成19年までの17年間、私の脳裏に焼きついたまま離れませんでした。

否、この疑問は、菩薩様にご縁を頂くすべての皆様が、口には出さずとも、心中深く抱き続けてきた疑問ではないでしょうか。

残念ながら、幾ら思いを廻らせてみても、その疑問を解く答えは杳として見つかりませんでした。

ところが、平成19年の看板の書き換えによって、ようやく抱き続けてきた17年来の疑問が解けたのであります。


宗教成合の郷とは


そもそも「宗教成合の郷」とは、どういう意味かと言いますと、「宗教人種のへだてなく、救いを求めて集うすべての人々の苦しみの因縁を解き、苦しみのない本来の姿に帰して下さる慈悲のふるさと」という意味であります。

「宗教成合の郷」の「成合」には、「整う」「完成する」「成就する」「病気が治って健康になる」(広辞苑)など様々な意味があり、これを要約すれば、願いが成就して救われるという意味になりますが、願いが成就すると言いましても、私達が叶えたいと思っている様々な願いが、思い通りに成就するという意味ではありません。

病気の人は健康になりたいと願い、商売をしている人は、もっと商売が繁盛するようにと願い、子供のいない人は、子供が授かるようにと願い、受験生は、希望する学校へ合格出来るようにと願います。

まさに人間の欲望は限り無く、欲望の数だけ願いがあると言っても過言ではありませんが、「成合」とは、その限りない欲望や願いが、すべて思い通りに叶うという意味ではありません。

何故なら、救いとは、それらの欲望や願いが叶う事ではないからです。

例えば 「病気が治って健康になる」という事例で申しますと、病気が治って健康になる事が万人の願いかも知れませんが、病気が治る事が必ずしもその人の救いにつながるとは限りません。

み仏は、その人を救う為に、病気を治される場合もあれば、病気を治さずに救われる場合もあります。後者の場合は、病気を治したいという願いが叶った訳ではありませんが、心が救われた事によって、病気が治る以上のご利益を頂いた事になります。

これがまさしく、ここで言う「成合」の意味なのです。

ですから、「宗教成合の郷」とは、「様々な苦しみの因縁を解いて、その人を救い、苦しみのない本来の姿に帰して下さる魂のふるさと」という意味になります。


命名の大前提


さて、菩薩様が、「苦しみの因縁を解いて人々を救済する魂のふるさと」を意味する「宗教成合の郷」という名前を法徳寺に命名する為には、どうしても欠かせない前提条件が一つあります。

それは、「宗教成合の郷」と命名される法徳寺が、因縁を解いて悩み苦しむ人々を救済出来る、まさに「宗教成合の郷」と命名されるにふさわしい御寺でなければならないという事です。

何故なら、それだけの使命が法徳寺になければ、「宗教成合の郷」と命名する意味がないからです。

菩薩様が「宗教成合の郷」と命名された時には、まだ法徳寺が開創される聖地の場所さえ決まっていませんでしたが、お計らいの中では、「宗教成合の郷」と命名された時から、法徳寺は、因縁を解いて苦しむ人々を救済する使命のある御寺である事が宿命付けられていた事になります。

問題は、「宗教成合の郷」と命名されてから14年後の平成16年4月に開創された法徳寺が、そう命名されるにふさわしい、因縁を解いて苦しむ人々を救済する使命のある御寺であったか否かという事ですが、ご承知の通り、お大師様、菩薩様は、平成17年から18年にかけ、代受苦の御汗を意味する汗露水をお授け下さると共に、御同行のFさんとその御縁者の因縁を解く事によって、夢殿の御回廊廻りの行と汗露水によって因縁が解ける事を如実に示されました。

これにより、高野山法徳寺は、因縁を解いて苦しむ人々を救済する使命のある、まさに「宗教成合の郷」と命名されるにふさわしい御寺である事が、実証されたのであります。

合掌

「宗教成合の郷」命名の意味(1)
「宗教成合の郷」命名の意味(2)
「宗教成合の郷」命名の意味(3)
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(書き換え前の看板)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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