桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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寒き夜は 高野たかのの山のいわかげに

ふとん着せたや 涙こぼるる



お大師様のお計らい


或る時、菩薩様は、お一人で紀州高野山へお参りに行かれました。

名古屋から東名阪自動車道を通って亀山インター近くまで来ると、路面に薄っすらと雪が積もっていたので、チェーンを持っておられなかった菩薩様は、大型トラックが走った轍の跡を通りながら、何とか高野山のふもとの九度山(注1)までたどり着かれました。

ところが、九度山は、辺り一面の雪景色で、とても車で上れるような状況ではなかったので、菩薩様は、車で上る事をあきらめ、歩いて高野山へ上る決心をされたのですが、これが、実はお大師様のお計らいだったのです。

当初、菩薩様は、寿法様とお二人でお参りする予定を立てておられましたが、家族の一人が風邪をひいて熱を出したため、寿法様を残し、菩薩様お一人で出かけられたのです。

お参りを延期すれば、寿法様と二人でお参りする事も出来たのですが、菩薩様は前日、お大師様に「明日お参りさせて頂きます」というお誓いを立てておられたので、予定通り、お一人で出発されたのですが、九度山へ着いたら、思いもよらぬ大雪だった訳です。

ここで取るべき道は、引き返すか、上るかの二つしかありませんが、人間同士の約束なら、「雪で上れないので、申し訳ありませんが、家に引き返します」と言って、お参りを中止する事も出来たでしょう。

しかし、生き仏様にお誓いした以上、たとえ大雪であっても、お誓いを反故にする事は出来ません。

そこで、歩いて高野山に上る決心をされたのですが、菩薩様は、ここでようやく、お大師様が寿法様を家に残された理由を悟られたのです。

後日、菩薩様は、「もしあの時、二人で来ていたら、九度山からそのまま引き返していたでしょうね。妻を連れて、歩いて高野山に上ろうとは、思わないですからね」とおっしゃっておられましたが、お大師様は、九度山が積雪のため車で高野山に上れない事も、寿法様が一緒に来ていたら歩いて上る決心が鈍る事も、すべて見通された上で、そうならないよう、前もって寿法様を足止めなさったのです。


一匹の白い紀州犬に導かれて


お大師様のお計らいは、それだけではありませんでした。歩き始めて、暫くすると、どこからともなく一匹の白い犬が現れて、菩薩様をお大師様の御廟まで導いたのです。

その犬は、菩薩様の数メートル先を歩きながら、菩薩様が来ているのを確認するかのように、何度も何度も後ろを振り返りながら、高野山奥の院の御廟所まで案内したそうです。

この話を聞いた時、私の脳裏に浮かんだのは、お大師様が高野山を開創された時の逸話でした。

お大師様が、衆生救済の根本道場を開創する聖地を求めて奈良吉野の山々を巡っておられた時、白黒の二匹の犬を連れた狩人が現れたので、聖地に相応しい場所を尋ねたところ、「紀の国に入った所に、相応しい平原の幽地があります。そこまで、この二匹の犬に案内させましょう」と言い残して、姿を消したというのです。

この狩人は、後に高野山上に「狩場(かりば)明神」(高野明神)としてお祀りされるようになる高野山の地主の神で、丹生(にう)明神の一族でした。

どこからともなく一匹の白い犬が現れ、菩薩様をお大師様の御廟所まで導いたというこの夜の出来事は、まさに白黒二匹の犬がお大師様を高野山へ導いた伝説を彷彿とさせますが、今になってみれば、一匹の白い犬が、菩薩様を、お大師様の御廟所まで導いた理由がよく分ります。

菩薩様は、苦しむ多くの人々から、お大師様と不二一体の生き仏として慕われておられるお方ですが、その当時、菩薩様の真のお姿を知る者は、ただお一人を除いては、誰一人としていませんでした。

そのお一人とは、言うまでもなく、お大師様ですが、お大師様は、白い犬を遣わし、菩薩様を御廟所まで案内させる事によって、菩薩様がお大師様のみ心を継ぎ、やがて生き仏と成って高野山法徳寺に入定する使命を担っている事を、白黒二匹の犬に導かれたご自身の逸話に託して、教えようとしておられたのではないでしょうか。


6時間かけて上られた高野山


菩薩様が九度山を出発されたのが、午前0時、奥の院へ着いたのが午前6時だったそうですから、積雪の中を、6時間かかって上られた事になります。

その時のお姿は、薄い作業服一枚と運動靴だけの軽装でしたが、菩薩様は、「お大師様が、積雪の中を、御廟橋のたもとで待っていて下さると思ったら、申し訳なくて、寒さなどまったく感じませんでしたね。それに、犬が道案内をしてくれたので、少しも寂しいとは思わなかったですね」とおっしゃっておられました。

もしかしたら、その犬は、お大師様を高野山へ導いた狩場明神の化身だったのかも知れません。

それにしても、不思議なのは、犬が6時間近くもかかって、菩薩様をお大師様の御廟所まで案内した事です。普通では考えられませんが、神通力をお持ちのお大師様なら、犬に道案内をさせる事など、いとも易しいでしょう。

菩薩様が歩いて上るようにお計らいなさったのは、お大師様ご自身であり、菩薩様が歩いて上ってくる事をすでにご存じだったでしょうから、お姿こそ見えないけれど、お大師様が、自ら犬を連れて、菩薩様をお迎えに来られたのかも知れません。

菩薩様が御廟前でお勤めをしている間中、その犬は、お勤めが終わるのを待っているかのように、菩薩様の横に座ってじっとしたそうです。そして、お勤めが終わってふと横を見ると、犬の姿はどこにもなかったそうですから、全ての出来事が、お大師様のお計らいによってなされていた事がよく分ります。


生き仏と信じ切る心


それにしても、何故菩薩様は、歩いて高野山に上る決心をされたのでしょうか。

お大師様とのお誓いは、破る事が出来ない事も理由の一つでしょうが、九度山から高野山まで、積雪の中を6時間もかけて歩いて上るというのは、よくよくの決心です。菩薩様に「歩いてでも高野山へ上らなければいけない」と決意させたものは、一体何だったのでしょうか。

思うに、「お大師様が、凍るような寒さの中、御廟橋のたもとで、私が行くのを待っていて下さる」という思いが、そう決心させたのではないでしょうか。

もし「お大師様は、すでに一千年以上も前に亡くなったお方なのだ」という思いしかなければ、歩いて上ろうとまでは思わなかったでしょう。

先ほども述べたように、その時、菩薩様は、薄い作業服と運動靴だけの質素な身なりでした。にも拘らず、「少しも寒いとは思わなかった」とおっしゃったのです。

何故寒さを感じなかったのかと言えば、「お大師様が、厳寒の高野山で私が行くのを待っていて下さるのだ」という、お大師様を生き仏と信じ切る心が、菩薩様を暖かく包んでいたからではないでしょうか。

そのお大師様を生き仏と信じ切る菩薩様の深いみ心を、あるがまま詠ったのが、この御法歌です。

 寒き夜は 高野の山の岩かげに
    布団着せたや 涙こぼるる

お大師様が亡くなられたお方なら、寒い事も冷たい事もありません。しかし、お大師様はいまも生き仏として、凍えるような厳寒の御廟所の中で、苦しむ人々を救うためにご苦労して下さっているのだと信じ切る心があるからこそ、「寒い夜は、せめて布団を着せて差し上げたい」という思いが湧いてくるのです。

菩薩様を6時間かけて高野山へ導いたもの、それは、一匹の紀州犬を連れて、菩薩様をお迎えにこられた狩場明神であり、お計らいをされたお大師様でした。

しかし、それと同時に、お大師様を生き仏と信じ切る菩薩様の不動の信心が、菩薩様を守り、御廟所へと導いたのです。

この御法歌を見れば、菩薩様が、お大師様を生き仏と信じ切っておられた事がよく分りますが、いくらお大師様でも、菩薩様のみ心を見通していなければ、積雪の中を6時間もかけて上らせるようなお計らいはなさらなかったでしょう。

お大師様が、菩薩様のみ心を見通す事が出来たのは、生き仏として、すべてを見通す神通力を持っておられるからです。

奇しくも、菩薩様の高野参りは、お大師様を生き仏と信じ切る菩薩様のみ心が堅固不動のものであると同時に、お大師様が間違いなく生き仏である事をも、証明したのです。

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(注@)九度山(くどやま)は、高野山の上り口となっている町で、関ヶ原の戦いで西軍に与して敗れた真田昌幸・幸村親子が、蟄居させられた地としても名高い。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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