桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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法徳寺のパワースポット(6)

〜光に包まれた汗露水(3)〜




命懸けの代受苦行


ご本尊を前にして祈りを捧げる場合、一般仏教(顕教)では、拝まれるご本尊と拝む行者はどこまでも相対しています。

しかし、真言密教でご本尊を拝む場合、拝まれるご本尊と拝む行者は相対するのではなく、本尊の三昧(さんまい)(注1)に入って本尊と一体になるのです。

秘法中の秘法と言われる浴油法を修法する場合も、毘沙門天や歓喜天(聖天)と一体になるべく修法をする訳ですから、行者は、自ら人の苦を代って受ける覚悟で修法に望まなければなりません。

しかし、同じ代受苦行であっても、菩薩様の場合は、修法によって御本尊と一体になり、人々の苦を背負われた訳ではありません。

法徳寺のパワースポット(3)〜夢殿と御回廊と四十九基の歌碑〜」でお話したように、菩薩様は、霊夢の中で、灼熱の汗を流しながら升の中に凛とたたずむ身代り升地蔵尊を感得されました。

それ以来、菩薩様は、見えぬ大きな力(お計らい)によって、常にお地蔵様と渾然一体となり、日々の暮らしが、その身そのまま代苦者である身代り升地蔵尊としての暮らしとなったのです。

菩薩様とお地蔵様が別人であれば、一体になる為の修法も必要でしょうが、すでに菩薩様とお地蔵様は別人ではなく、菩薩様が生身のお地蔵様であり、お地蔵様が生身の菩薩様でした。

その事は、毎月説法をする前になると体調が悪くなり、終わると嘘のように元気になられたり、医者に診せても原因の分からない病でない疾いで何日も床に就かれたかと思うと、或る日突然元気になられたり、現代医学では解明出来ない不思議な現象が菩薩様の身体に起こっていた事実が如実に物語っています。

菩薩様はよく、「衆生済度に休みはない」とおっしゃっておられましたが、その言葉通り、常にお地蔵様と一体になって、一日一日、命を削りながら、罪業に苦しむ人々の為に必至の祈りを続けておられました。

人々の苦しみが切実であればあるほど、救いを願う心が真剣であればあるほど、それに応えるべく、菩薩様も、命懸けの代受苦行に身命を捧げておられたのです。


十字架を背負う覚悟


代受苦行(身代り)と聞いて、いつも脳裏に浮かぶのは、イエス・キリストです。

イエス・キリストは、十字架の上で磔となって亡くなられましたが、自らの罪の報いで磔になったのではなく、神の子として人類の罪をあがなう為にこの世に遣わされ、十字架を背負われたのです。

野澤密厳管長猊下が、ご生前、「いい加減な気持ちで浴油を始めると、大やけどをすると言われた事がある」とおっしゃっておられましたが、代受苦行は、謂うならば、十字架を背負う覚悟で臨まなければならない難行中の難行であり、その覚悟がなければ、到底成就出来る行ではありません。

普通の人なら、「十字架を背負う覚悟で望まなければいけない」と言われれば、「そんな大変な行なら、もう辞めておこう」と尻込みするところでしょう。

しかし、菩薩様は、尻込みするどころか、敢えて火中の栗を拾うが如く、燃え盛る代受苦行の烈火の中に一命を投げ出され、十字架を背負われたのです。

否、それはもはや自らの意思であって、自らの意思ではなかったと言った方がいいかも知れません。

菩薩様の身体に、現代医学では解明できない数々の不思議な現象が起こっていた事実を見ても、代苦者としての使命を背負ってこの世に遣わされたお方であった事は間違いないでしょう。


真相を知り御苦労を知ることの大切さ


今も紀州高野山の奥の院に法身を留め、苦しむ衆生と共に生き続けておられるお大師様、そして、お大師様と不二一体の生き仏となられ、ひと時の休む間もなく代受苦行に身命を捧げておられる菩薩様のご苦労、ご恩徳に対し、私達は何を以てお応えすればいいのでしょうか。

その事で思い出して頂きたいのは、「法徳寺のパワースポット(5)〜光に包まれた汗露水(2)〜」でご紹介した平成元年11月22日の夜の不思議な体験です。

その体験の中で特に印象的だったのは、毘沙門天の浴油法の真相を悟らせて頂いた瞬間、菩薩様の身体を苦しめていた痛みが瞬く間に消えていった事実です。

真相を悟るまで菩薩様は、頭と足の激しい痛みで床から起き上がれず、お手洗いにも立てない状態で一日中苦しんでおられたのですが、真相を悟らせて頂いた途端に、その痛みが瞬く間に消えていったのです。

何故そんな不思議な事が起こったのかといえば、浴油の毘沙門様の本当のお姿とご苦労に目覚める事が出来たからです。

もしあのまま毘沙門様のご苦労に目覚める事が出来なければ、菩薩様の苦しみもまた消える事はなかったであろう事を考えると、み仏のご苦労を知る事がいかに大切かがよく分ります。

つまり、私たちがみ仏のご苦労に目覚める事が出来れば、そのご苦労が報われ、み仏は苦しみから解放されるのです。

一日中、頭と足の痛みで苦しんでおられたお姿も、浴油の真相を悟った瞬間、苦しみから解放されたお姿も、同じ毘沙門様のお姿です。

にも拘らず、何故これほど大きく明暗を分けたのかと言えば、浴油法の真相を悟り、そのご苦労に目覚められたか否かという一点で大きく違っていたからです。

たったそれだけの違いに過ぎませんが、その間には、天と地ほどの違いがあると言ってもいいでしょう。

勿論、浴油の毘沙門様は、代苦者としての使命を背負っておられますから、苦しむ人々を救わんが為には自らすすんで苦しみを受けて下さいます。

しかし、そのご苦労に目覚める事が出来れば、毘沙門様の代受苦が私達の救いとなって生きるのです。

毘沙門様は、「私はもうみんなの苦しみを背負うのは嫌だ」とは決しておっしゃらないでしょう。「みんなが幸せになる為だったら、これからも喜んで苦しみを受けよう」とおっしゃって下さる筈です。

しかし、私達がその御苦労に目覚められるか否かによって、毘沙門様のご苦労が生きるか否かが決まるのです。

言い換えれば、代受苦行が成就出来るか否かは、み仏の側にではなく、救われなければならない私達の側にかかっているという事です。

毘沙門様の浴油の真相を悟らせて頂いた瞬間、菩薩様の頭と足の痛みが消えたのは、毘沙門様のご苦労に目覚める事が出来たからであり、苦しむ人々を救いたいと祈っておられる毘沙門様のご苦労が生きたからです。

真相を知る事がいかに大切かを、改めて痛感せずにはいられません。


縁起の理法に反しないか?


代受苦行を考える時、どうしても避けて通れない問題が一つあります。

それは、「仏教の大原則である縁起の理法に反しないか?」という問題です。

代受苦(身代り)は、文字通り、本来その人が背負わなければならない罪を他人が代って背負う事ですから、「これは、自ら蒔いた種は自ら刈らねばならないという縁起の理法に反しないのか?」という疑問が湧いてきます。

自ら犯した罪の報いは自ら背負わねばならないという縁起の理法に従えば、他人が身代りになる事は出来ない筈です。

にも拘らず、毘沙門様や歓喜天(聖天)様は、浴油法によって人々の苦を背負われ、お地蔵様もまた、人々の苦を代って受ける代受苦のお誓いを立てておられるのです。

これは、縁起の理法に反しないのでしょうか?

思うに、もし代受苦行が、本人の意識を無視し、ただみ仏側から一方的に救いの手を差し延べ、本人が背負うべき罪を代って背負うだけの善行に過ぎなければ、縁起の理法に反する恐れがあると言わねばなりません。

しかし、代受苦行は、罪を背負わなければならない本人の意識を無視してなされるものではなく、本人の意識を前提としない代受苦行など最初から想定されていません。

そのような代受苦行は、ただの善意の押し売りに過ぎず、本人の救いに繋がらないからです。救いに繋がらない代受苦行は、真の代受苦行とは言えません。

では、本人の救いに繋がる代受苦行とは、いかなる行なのでしょうか?

ご承知のように、紀州高野山へ行きますと、お大師様の御廟へ通じる参道の途中に、「中の橋」という所があり、そこに、「汗かき地蔵尊」と呼ばれるお地蔵様がお祀りされています。

さらに参道を進み、奥の院へ行くと、御廟橋(彼岸橋)のたもとに、「水向け地蔵尊」と名付けられた何体ものお地蔵様がお祀りされています。

何故参道の二ヶ所に、わざわざ名前の違う二体のお地蔵様がお祀りされているのでしょうか?

勿論、何の意味もなくお祀りされている訳ではありません。そこには、二体のお地蔵様を通して、「救いに繋がるお地蔵様の代受苦行とは何か。お地蔵様が代受苦をお誓いしておられるのは何故なのか」を教える先人の叡智が込められているのです。

先ず中の橋に「汗かき地蔵尊」がお祀りされているのは、お地蔵様が私たちに代って苦しみを背負い、灼熱の御汗を流しておられるお姿を拝ませて頂き、そのご苦労を知る為です。

次に奥の院の御廟橋のたもとに「水向け地蔵尊」がお祀りされているのは、私たちに代って背負って下さった罪穢れ(灼熱の御汗)を、私達自身の手で洗い流させて頂く為です。

「汗かき地蔵尊」が流しておられる御汗は、お地蔵様ご自身の御汗ではなく、本来私達が背負わなければならない罪をお地蔵様が代って背負い、その御法体によって清めて下さった御汗です。

ですから、「水向け地蔵尊」にお水をかけさせて頂く事によって、その御汗を私達自身の手で洗い流させて頂くのです。

お地蔵様が、私達の罪を代って背負って下さるのは、私たちの手で、罪汚れを象徴している汗を洗い清めさせる為ですから、お地蔵様の御汗は、私達自身の手でしか洗い流せませんし、私達自身が洗い流さなければ意味がありません。

何故なら、そこには、決して曲げる事の出来ない縁起の理法が厳然と存在しているからです。

たとえお地蔵様であっても、その真理を曲げる事はできません。

そこで、代受苦行という大方便によって一旦私達の罪を背負い、清らかな御法体によって洗い清めた後、代受苦の御汗を流し、その汗を私達自身の手で洗い流させ、罪を清めさせて下さっているのです。

代受苦行という難行は、お地蔵様が代って下さった私達の罪の汗を、私たち自身の手で洗い清めなければ完結しないのです。

もしお地蔵様が私たちに代って罪を背負っただけですべての人が救われるのであれば、この世に苦しむ人など一人もいないでしょう。

しかし、代受苦行は、私たち一人ひとりがお地蔵様のご苦労に目覚め、代受苦の御汗を私達の手で洗い清めなければ成就しない行だからこそ、お地蔵様のご苦労を知り、代受苦行の真相に目覚める事が何より大切なのです。

代受苦行が決して縁起の理法に反していない事がこれでお分かり頂けたと思いますが、大切な事は、お地蔵様のご苦労を知り、代受苦行の真相に目覚める事だという事を重ねて肝に銘じておいて頂きたいと思います。


菩薩様が待っておられる心


夢殿にお祀りされている身代り升地蔵尊は秘仏であり、升の中に凛とたたずむそのお姿を直々に拝ませて頂く事は出来ません。

しかし、肉眼で拝ませて頂けなくても、心で拝ませて頂く事は決して不可能ではありません。

心で拝ませて頂くとは、どういう意味でしょうか?

「凡夫の病いは煩悩より生じ、菩薩の疾いは大悲より起る」 と言われるように、夢殿は、謂うならば、病でない疾いで病んでおられる菩薩様の六尺病床です。

菩薩様を拝ませて頂くという事は、その六尺病床の中に入らせて頂くという事ですが、大切な事は、どんな気持ちで入らせて頂けばよいのかという事です。

菩薩様が六尺病床で待っておられるものは、私達の心しかありません。

一つは、今まで菩薩様のご苦労を何も知らずに過ごしてきた事へのご懺悔(さんげ)の心、二つは、身を捨ててお守り下さっている菩薩様の大悲のみ心に報いたいという報恩感謝の心、そして、三つは、菩薩様のご苦労を思い、そのご苦労の百分の一でも千分の一でもいいからお手伝いをさせて頂きたいという菩提の心(慈悲心)です。

このご懺悔と報恩感謝と菩提の心こそ、菩薩様の大悲の疾いを癒す唯一の妙薬なのです。何故なら、この心に目覚める事が、私達の救いとなり、それによって菩薩様の代受苦行も成就するからです。

この心に目覚めて欲しいが為に、菩薩様は、難行中の難行と言われる代受苦行に身命を捧げておられると言っても過言ではありません。

その思いさえあれば、必ずや菩薩様のみ心に触れることが出来るでしょう。

しかし、「代受苦をしておられる菩薩様は霊験あらたかで有り難そうだから、この機会にしっかりお願いしておこう。商売が今よりもっと繁盛するように、もっともっとお金儲けが出来るように、病気が早く治るように、あれもこれもよくなるようにお願いしておこう…」というような欲心で夢殿に参拝し、御回廊廻りをされるのであれば、菩薩様は悲しまれるだけです。

夢殿に参拝し、御回廊を廻らせて頂き、汗露水をお授け頂くのは、菩薩様のみ心に触れ、そのご苦労をしっかり胸に刻み、衆生済度のお手伝いをさせて頂けるまでの心にならせて頂く為であり、その為の御回廊廻りと汗露水である事を、片時も忘れてはなりません。


平成27年9月1日


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(注1)サンスクリット語のサマーディ(samadhi)の音写で、三摩地(サンマジ)とも音写する。
等持(とうじ)、定(じょう)などと訳され、一つの物事に精神を集中させて乱れない心の状態を現す。
御本尊と一体になるのは、み心の声なき声に耳を傾け、何を願っておられるかを悟る為であり、その為の精神集中である事を常に忘れない事が重要である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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