桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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も し も




も し も

作詞・作曲  大西良空


もしもあの時この僕と 出会っていなければ
 もっと素晴らしい人生に 遇えたかも知れないけど
 愛し愛され支え合い どんなに辛くても
 君と二人で歩きたい 空を見上げて  

もしもあの時この道を 選んでいなければ
 もっと幸せな人生が 待ってたかも知れないと
 誰もが過去を振り返り 悔やんでいるけど
 もしもの人生など ありはしないのさ

晴れの日あれば雨の日も あるのが人生さ
 二度と遇えない今だから  笑って生きたい

愛し愛され支え合い どんなに辛くても
 君と二人で歩きたい 空を見上げて
 二度と遇えない今だから 笑って生きたい

 



「もしも」の人生


皆さんは、人生に挫折したり、悩み苦しみに遭遇した時、「もしもあの時、この道を選んでいなかったら、もっと幸せな人生があったのではないか」と考えた事はないでしょうか。

今から100年余り前の明治38年(1905)6月21日、大阪堀江の遊郭「山海楼」の主人、中川万次郎が、後妻が男と駆け落ちした事に腹を立てて逆上し、逃げた妻の母親、弟、妹の3人、そして養女にしていた芸妓3人に次々と斬りかかり、5人を惨殺するという痛ましい事件が起こりました。

「大阪堀江の六人斬り事件」と言われる事件ですが、この時、両腕を切断されながら、一命を取り留めた芸妓が、当時17歳の妻吉でした。

妻吉こと大石よねは、12歳で京舞の名取となり、その才能を見込まれて、15歳の時、中川万次郎の養女となり、「妻吉」と名を改めて芸妓の道に精進していましたが、この事件に巻き込まれて両腕を失い、17歳の若さで、この世の生き地獄に突き落とされたのです。

その後、両腕を失った妻吉は、三遊亭金馬の一座に入り、不具の身である自分の姿を見世物にして、寄席や地方巡業で生計を立てていましたが、ある日、巡業先で、鳥篭の中のカナリヤが、口で雛に餌を運んでいる姿を見て心を打たれ、自らも筆を口にくわえて書画を書くようになりました。

明治45年(1912)、日本画家と結婚して一男一女の母となりますが、その後離婚し、「堀江六人斬り事件」の犠牲者の冥福を祈るため仏道生活に入り、昭和8年、高野山で出家得度して名を「順教」と改め、自分と同じように身体に障害を持つ人々の救済に、その生涯を捧げました。

身体障害者の心の母となり、慈母観音と慕われた大石順教尼ですが、書画の道でも日展に入選するなど、その才能を発揮し、昭和37年(1962)には、日本人として初めて世界身体障害者芸術協会の会員に選ばれました。

昭和43年(1968)4月、波乱に満ちた81年の生涯を閉じましたが、ここで脳裏をかすめるのは、「もしも妻吉が、芸妓の道を目指していなかったら、中川万次郎の妻が浮気をしていなかったら、そして、あの時「山海楼」にいなかったら、六人斬りの難に遇う事も、両手を失う事もなかったかも知れない」という事です。

もしも右の道を選ばずに左の道を選んでいたら、別の人生があったかも知れない。もしも別の人と結婚していれば、もっと幸せな人生があったのではないか。

そんな「もしも」の人生が、私達には、つねに付いて回っているのです。


救われる為の一道


恐らく妻吉の脳裏にも、「もしも、芸妓の道を選んでいなければ、大阪堀江の「山海楼」に居なければ、両腕を斬りおとされなくてもよかったかも知れない」という思いがかすめたのではないかと思いますが、残念ながら妻吉には、「もしも」の人生は起こりませんでした。

仮に「もしも」の人生があったとすれば、妻吉は、両腕を斬りおとされなくてもよかったかも知れませんが、たとえそうであったとしても、妻吉が背負っている因縁は、形を変えて妻吉を苦しめたのではないでしょうか。

何故なら、背負っている因縁を解かぬ限り、苦しみの因縁はどこまでも付いてくるからです。

妻吉が、両腕を斬りおとされなければいけなかった理由があるとすれば、一つしかありません。それは、両腕を斬りおとされる事が、妻吉にとって救いの道だったという事です。

大阪堀江の「山海楼」に居なければ、両腕を斬りおとされなくても済んだように見えますが、妻吉は両腕を斬りおとされなければ救われないから、み仏は、中川万次郎に両腕を切らせたのです。

「17歳と言えば、夢も希望も未来もある年頃であり、順調に成長して芸妓の道を究めていれば、どんなにか幸せな人生を送れただろう。神仏は何と惨い仕打ちをするのか」と、誰もがそう思うかも知れませんが、妻吉が芸妓の道を究める事と、妻吉の魂が救われる事は全く別問題であります。

妻吉は、両腕を斬りおとされなければ、芸妓の道を究められたかも知れませんが、芸妓の道に救いはなく、救われるためには、この道しかなかったのです。


人生に二つ道はない


世間には、「もしも他の人と結婚していれば、もっと幸せな人生に出会えただろう」「もしもあの子を産んでいなければ、もっと幸せな人生があっただろう」「あの会社に入っていれば、もっと出世していたかも知れない」と言って、今の不幸の原因を自分以外の何かに求めようとする人がいます。

しかし、そんな「もしも」の人生などないのです。今の人と結婚したのは、その人でなければ、救われない因縁を背負っているからです。

仮に「もしも」の人生があり、別の人と結婚していたとしても、因縁を背負っている限りは、形を変えて、その因縁が自分自身を苦しめる事に変わりはありません。因縁を解いて救われるまでは、どの道を選んでも、因縁はどこどこまでも付いてくるのです。

その意味で、人生に二つ道はないと言えましょう。いま歩いている道が、どんなに不幸でも、どんなに辛くても、この道が、救われるためには最も良い道なのです。

大切な事は、どんなに険しく、辛い道であっても、「救われる為には、いま歩いているこの道しかないのだ。いま歩いている道が、一番いい道なのだ」と悟ってゆく事です。

しかし、肝に銘じておかなければいけない事が一つあります。

それは、「救われる為にはこの道しかないのだ」という思い開きができ、その事が納得できるようになるには、仏法の導きが欠かせないという事です。

ただ自然の成り行きに任せ、その内に何とかなるだろうというような安易な気持ちで生きているだけでは、思い開きなど到底できません。

仏法の導きを頂いて初めて、「この道しか救われないのだ」という納得が生まれ、今まで歩んできた人生の様々な苦しみや試練の意味が理解出来るようになるのです。

紀州高野山で得度し、「順教」と名前を変えた妻吉は、「私ほどの幸せ者はいない」という言葉を残していますが、そう言い切れたのは、自分の今の人生を在るがまま受け入れ、「これでいいのだ」という思い開きが出来たからです。

「私ほどの幸せ者はいない」という言葉は、「大阪堀江の六人斬りの犠牲者の中で、自分だけが両腕を斬り落とされても生き延びなければならなかったのは何故か」というその理由を、信仰を通じて悟る事が出来たからこそ出てきた言葉なのです。


一番軽い刑を与えて下さい


御同行のお一人、T・Oさんの人生もまた、苦難に次ぐ苦難の連続でした。

失明の危機に直面するほど過酷を極めた認知症の義母さんの介護、それに次ぐご主人の交通事故による急死という、T・Oさんを襲った苦難の数々は、並大抵の信仰心では到底乗り越えられるものではありませんでした。

しかし、この苦難がなければT・Oさんの心に救いの灯明が点らなかった事も事実であり、その意味で、T・Oさんを襲った苦難の数々は、T・Oさんが救われる為にはどうしても避けて通ることの出来ない苦難だったと言えましょう。

この苦難の人生が、T・Oさんが救われる為には欠かせない道であり、T・Oさんにとって最も都合のよい道だったのですが、そう思い開きが出来るか否かは、ひとえにこの厳しい現実を在るがまま受け入れられるか否かにかかっています。

しかし、T・Oさんは、「どうして自分がこういう試練を頂かなければならなかったのか」という事の真の意味を悟られ、在るがままを受け入れられたのです。勿論、そこには、仏法の導きがあった事は言うまでもありません。

ある日、警察署から、T・Oさんの下へ、ご主人をはねた加害者の運転手の罪状について、「これくらいの罪になります」という打診があったそうです。ところが、T・Oさんは、「運転手さんには、一番軽い刑を与えてあげて下さい」とおっしゃったのです。

「罪を憎んで人を憎まず」という言葉がありますが、被害者の立場に立てば、やはり憎んでも憎み切れない相手ですから、出来るだけ重く処罰して欲しいと思うのが人情です。

ところが、T・Oさんが、「出来るだけ軽くしてあげて下さい」と言ったので、警察の方が不思議に思われ、「本当にそれでいいのですか」と、T・Oさんに念を押されたそうです。

T・Oさんが「はい、それで結構です。私はあの方の救いを願っています。ですから、一番軽い刑を与えてあげて下さい」と言ったら、警察の方が、「今までそんな方に出会った事がありません。あなたが初めてです」と言って、大変驚いておられたそうです。

確かに加害者の罪を出来るだけ軽くして欲しいと願う被害者などいないでしょうが、T・Oさんが「一番軽い刑を与えてあげて下さい」と言い切れたのは、「私にはこの道しか救われる道がなかったのだ。この運転手さんに遇わなければ、私が背負う因縁も解けていなかったのだ」という思い開きが出来たからなのです。


心が変れば人生が根本から変る


大石順教尼やT・Oさんを見ていてつくづく思うのは、「心が変れば人生が根本から変る」という事です。

勿論、順教尼やT・Oさんが、憎むべき相手を許し、その救いを祈れるまでの心に到達するまでには、血を吐くような苦しみがあった事は言うまでもありませんが、心が根底から変わったからこそ、「世界一の幸せ者だ」という天地が逆転するほどの言葉が出てきたのです。

一時は、「私の人生は、こんな人生である筈がない。もっと幸せな人生であっていい筈だ」と、不幸な境遇を呪い、、中川万次郎を恨み、社会を恨み、世間に目を背けて生きていた時期もあった事でしょう。

ところが、堂々と「この不具の身が有難い。世界一の幸せ者だ」と言えるようになったのです。

何故かと言えば、「救われる為には、この道しかなかったのだ」という事が分ったからであり、思い方が根底から変って、不幸な境遇を在るがまま受け入れる心になれたからです。

世間には、幸せになる為には、「あれも必要だ。これも必要だ。あれが無いから幸せになれないのだ。これが足りないから不幸なのだ」と言って、まるで何かのせいで不幸になっているかのように言う人がいますが、幸せになる為に必要な物など何もありません。

その証拠に、大石順教尼もT・Oさんも、世間の人たちが考える、幸せになる為に必要なものを何一つ持っていないのです。

勿論、地位も名誉もお金もありません。大石順教尼は、両手までないのです。まさに、無い無いづくしです。

そんなお方の口から、「私は世界一の幸せ者だ」という言葉が出てくるのは、辛い現実を在るがまま受け入れる心になられたからであり、信仰の中で、閉ざされた心を開く事が出来たからです。

心が根底から変り、天地が逆転したのですから、まさに心の革命と言ってもいいでしょうが、思い方一つで、幾らでも幸せになれる事を、順教尼やT・Oさんは実証してくれたのです。

松久朋琳という有名な京仏師の先生がおられますが、以前、菩薩様のお伴をして、松久朋琳先生の工房を訪ねた事があります。非常にご苦労なさったお方ですが、こんな事をおっしゃっておられました。

「全てを受け入れる事によって、み仏はその心を開いて下さる」

全てを在るがまま受け入れる心になったら、仏が心を開いて下さるというのです。つまり、全てを受け入れる心になったら、中から仏様が出てこられるという事ですが、その事を身を以て証明して下さったのが、まさに大石順教尼であり、T・Oさんではないでしょうか。

大石順教尼も、T・Oさんも、「私が救われるにはこの人生しかなかったのだ。これでよかったのだ」という思い開きが出来たからこそ、「私は世界一幸せ者だ。有難い」という言葉と共に、中におられる仏様が外に出てこられたのです。


生き地獄が極楽に


進むべき道が二つあり、どちらへ行ったらよいか迷った時、皆さんはどうなさいますか。

サッカーのワールドカップ南アフリカ大会の勝敗をすべて見事に的中させた蛸のパウルくんが、いま超能力蛸として全世界の注目を集めていますが、パウルくんの予想結果を見て、一喜一憂した人々が大勢いました。

勝つと予想されたチームの応援団がパウルくんに大喝采を送っていたのに対し、負けると予想されたチームの応援団がパウルくんに罵声をあびせていた姿がとても印象的でしたが、霊感や占いというものの特徴が、一喜一憂する彼らの姿を見ていると、よく分かります。

つまり、勝敗の予想が的中すれば、負けると予想された方は心穏やかならず、また予想が外れれば、勝つと予想された人々の怒りはおさまらず、どちらに転んでも、進むべき道の選択を占いや霊感にゆだねた人々を待つのは、悲劇でしかないのです。

私達はみな、様々な因縁を背負って生きています。因縁を背負っている以上、右へ行こうが、左へ行こうが、因縁は、どこまでも付いてきます。つまり、どちらの道を選んでも、形が変るだけで、結果は同じなのです。

ですから、Aさんと結婚しても、Bさんと結婚しても、因縁を解かない限り、根本的には何も変わりません。

道は二つに分かれているように見えますが、結局進むべき道は一本道しかないのです。それは、右の道でも、左の道でもなく、背負っている因縁を解く道です。

因縁が解けさえすれば、進むべき道を変えなくても、場所を変えなくても、相手を変えなくても、そこで救われるのです。いま座っている場所が、そのまま極楽になるのです。

生き地獄を極楽に変えた生き証人が、大石順教尼やT・Oさんです。順教尼が救われたのは、無くなった両腕が戻ったからではありませんし、T・Oさんが救われたのも、事故死したご主人が生き返ったからではありません。

お二人の心が、根底から変ったから、両腕のない体のまま、ご主人を失った状態のままで、救われたのです。

古歌に、
  浪の音 嫌じゃと思うて山ごもり
    声色変えて 松風ぞ吹く
 と詠われているように、海岸の近くへ家を建てたら、打ち寄せる波の音で眠れないので、山へ行ったら眠れるかと言えば、今度は松風の吹く音が騒がしくてやはり眠れないのです。場所を変えても、相手を変えても、結果は同じで、自分が変らなければ、何も変わらないという事です。

自分さえ変れば、もうどこに居ても極楽なのです。心さえ変れば、海辺であろうが、山奥であろうが、極楽になるのです。

合掌

平成22年7月18日




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