小欲を捨てて大欲に生きる(5)

人のためになれ

ノーベル賞授賞式での大村智教授

2015年、ノーベル生理学・医学賞を受賞され、一躍時の人となったのが、大村智(さとし)北里大学特別栄誉教授です。
アフリカで年間数千万人が感染し、重症化すると失明に至る感染症・オンコセルカ症の特効薬「イベルメクチン」の発見と開発への功績が授賞理由ですが、開発によって得た莫大な特許料を原資に、北里研究所メディカルセンター病院の開設や女子美術大学への支援、また2005年には、地元の山梨県韮崎市に、地域の人たちが気楽に入れる温泉施設「白山温泉」を開設したり、その2年後の2007年、寄生虫薬の研究に取り組みながら収集した数多くの美術品を展示する「韮崎大村美術館」を建設し、翌年それをまるごと韮崎市に寄贈するなど、数々の社会貢献をしておられます。
受賞発表以来、地元の韮崎市では、大村美術館や白山温泉に、連日全国各地から大勢の人々が押し寄せ、大変な騒ぎになっていたのを、昨日の事のように思い出しますが、いつも大村智榮譽教授の脳裏にあったのは、お祖母さんから言われていた「人のためになれ」という言葉だったそうです。
「人の為になれ」とは、言い換えれば、「大欲に生きよ」という事です。
この薬のお陰で3億人もの人たちが、失明の危機から救われたと言われていますが、「イベルメクチン」の開発を成功させた大村教授の原動力になったのが、「人の為になれ」というお祖母さんの言葉であり、良き人生のお手本があったからこそ、大欲に生きる事を忘れなかったのです。
私たちも、大欲に生きたお釈迦様、お大師さま、菩薩さまという、人生の良きお手本を見倣い、目先の小欲に目を奪われる事なく、大欲の心に立って日々の暮らしをさせて頂くところに、幸せな人生が花開くのだという事を決して忘れてはなりません。

大欲と小欲にまつわる面白い話があります。
企業のコンサルタントをしているAさんが、まだ駆け出しの頃、五社の企業を訪問したのですが、最初に行ったのは、老舗の銘木店でした。
社長さんが銘木の買い付けに東南アジアへ行った時、高級ブランデーの「ナポレオン」を買ってきたので、Aさんにプレゼントしようとしたら、Aさんが、お酒が飲めないからと言って断ったので、「せっかく買ってきたんだから持ってゆけ」と言って無理矢理、ナポレオンを押し付けられたので、Aさんは仕方なく、それを持って次の海産物屋へ行きました。
海産物屋の社長さんに、「今行ってきた会社でこれを貰ってきたんですが、私は、お酒が飲めないので飲んで下さい」と言ったら、「タダでもらうわけにはいかないから、店にある佃煮を持っていってくれ」と言って、立派な佃煮を一箱持たせてくれました。
次に、洋菓子店へ行き、「よかったら、皆さんで食べて下さい」と言って、頂いてきた佃煮をその洋菓子店に置いてきたら、店の人が、「タダで頂く訳にはいかないから」と言って、洋菓子を箱に詰めて持たせてくれたので、それを持って、次の製麺所へ行きました。
その時、Aさんの脳裏には、「製麺所へ行ったら、今度はうどんの詰め合わせに変わるかも知れない」という思いが浮かびましたが、案の定、製麺所の御主人に、「いま洋菓子を頂いてきたので、皆さんで食べて下さい」と言ったら、「ただで貰うわけにはいかないから、これを持っていって下さい」と言って、うどんの詰め合わせをくれました。
最後に行ったのが時計屋さんですが、Aさんは、前々から新しい時計が欲しいと思っていたので、「今までナポレオンが佃煮に変わり、佃煮が洋菓子に変り、洋菓子がうどんに変ったのだから、このうどんを時計屋さんにあげたら時計に変るかも知れない」という欲心を起こしたのです。
そして、時計屋の御主人に、「頂いたうどんですけど、食べて下さい」と言って差し出したところ、うどんは時計に変わらず、何もない最初の振り出しに戻っただけでした。

四軒の会社までは、Aさんの心は、自分は要らないから人様に食べていただこうという大欲の心でしたが、最後の時計屋さんで、前々から時計が欲しいと思っていたAさんは、「うどんが時計に変るかも知れない」という小欲を起してしまったのです。

五種の福を受くべからず

この話から見えてくるのは、日々の暮らしの中で、どのような思いで生活していくか、つまり、大欲を持って生きていくか否かという事です。
先ほど言ったように、人が見ていないからいいだろうと、交差点で灰皿の灰を撒く人は、自分で幸せになる種を摘み取っているのです。
中国の故事に「天知る地知る我しる子(なんじ)知る」と説かれているように、誰が見ていなくても、神仏がすべてを見ておられます。
以前、この周辺でも、道路わきや道路から少し入った所に、空き缶やペットボトルを入れたレジ袋や、テレビが捨ててありましたが、こうして、みんな小欲に執着して、功徳という幸せの種を失くしているのです。
作った悪業の付けは、将来必ずわが身にはね返ってきます。
最近、海外から振り込め詐欺を指示していたとして、詐欺グループの主犯格の男たちが逮捕されましたが、目先の小欲にとらわれ、多くの人からお金をだまし取って得をしたように思っても、得をしたのではなく、不幸の種を撒いただけで、その付けを将来に残したに過ぎません。

毘沙門様の功徳を説いた『仏説毘沙門天王功徳経』というお経の中に、次のような一節があります。
「若し人ありて、わが福を得んと欲せば、五戒を保ち、三帰して無常菩提の為に願い求めば、決定して施与して一切毘沙門の福を成就せんことを得ん。願う所に五種あり。一つには父母孝養のため、二つには功徳善根のため、三つには国土豊饒のため、四つには一切衆生のため、五つには無上菩提のために願うべし。もし人ありてこの五種の心を除いて願うとも、福を得べからず」
五戒とは、在家信者が守るべき五つの戒律で、「不殺生(生き物の故意に殺してはならない)、不偸盗(他人の物を盗んではいけない)、不邪淫(不道徳な性行為をしてはならない)、不妄語(嘘をついてはならない)、不飲酒(酒を飲んではならない)」の五つを指します。
三帰とは、三帰依の略で、仏法僧の三宝に帰依する事です。
つまり、五つの戒めを守り、仏法僧に帰依して、この上ない悟りの境地に到達する事を願い求めれば、毘沙門天王の一切の福徳を成就することが出来ると、説かれています。
そして、「もし福を得たいと思えば、五つの事を願いなさい。父母孝養のため、善根功徳のため、国土が豊かに栄えるため、一切衆生の救いのため、この上ない悟りの境地に至らん事のために願いなさい。その五つの心を忘れていては、いかなる福も得られない」と説かれていますが、福を得る為に必要な五つの願いの中に、「自分一人の幸せのため」という願いはありません。
書かれているのは、自分以外の人々の幸せや、国土の繁栄や悟りの為に祈りなさいという事だけです。
つまり、「小欲を捨て、大欲に生きなさい。それが毘沙門様から福をいただく最も大切な事ですよ」という事です。

小欲を捨てて大欲に生きる(1)
小欲を捨てて大欲に生きる(2)
小欲を捨てて大欲に生きる(3)
小欲を捨てて大欲に生きる(4)