お盆とお施餓鬼の違いについて(2)
お盆の精神─布施と報恩感謝の心
お盆の精神として三宝への感謝と共に忘れてはならないのが、ご先祖様に対する感謝の心です。
お盆の精神は、三宝に対する供養と、ご先祖様に対する感謝の心にあると言ってもいいでしょう。自分が今ここに居られるのは、両親やご先祖様のお陰であり、命のリレーが途絶える事なく続いてきたからです。
毎年この時期になると、お盆休みだからというので、ご先祖供養も忘れて、海や山や海外へ大勢の方が旅行に出かけていきますが、お盆は、年に一度、自分の命のルーツであるご先祖様を偲び、その霊前に感謝の誠をお供えする大切な日である事を忘れてはなりません。
私が生まれてくる為には、父母(両親)がいなければなりません。その父母が生まれてくる為には、またそれぞれの父母がいなければなりません。そして、さらにその父母たちにも、またそれぞれの父母がいなければなりません。
一組の男女が一人の子供を産んだと仮定すると、10代遡れば、1024人の父母が、20代遡れば、104万8576人の父母が、30代遡れば、10億 7374万1824人の父母がいた事になります。
こうして過去へ過去へと遡っていきますと、私という一人の人間が生まれてくる為には、計り知れない数の父母やご先祖様がいなければならなかった事が分ります。
その中の一人でも欠けていれば、私はこの世に生まれていなかったのです。
親から子、子から孫へと、何世代にも亘って、いのちの相続という奇跡が、一度も途絶える事なく受け継がれてきたお陰で、私はいまここに生きていられるのです。
この厳粛な事実は、私のいのちが、私だけのものではなく、私をこの世へ送り出してくれた無数の父母、ご先祖様のいのちでもあり、その無数のいのちが、私のいのちの中に受け継がれている事を教えてくれます。
私は、今のいのちを生きているだけではなく、同時に過去の無数のいのちを生きているのです。
それだけではなく、私のいのちは、過去のいのちを背負いながら、私の後に続く子々孫々へと受け継がれてゆく未来のいのちでもあります。
ご先祖という数知れぬ父母がいなければ、私はこの世に生まれてこれなかったように、私がこの世に生まれてこなければ、生まれてくる事の出来ない数知れぬいのちが、はるか未来に待っているのです。
四恩
お大師様(弘法大師様)は、『教王経開題』の中で、「此の身は虚空より化生(けしょう)せるにもあらず、大地より変現せるにもあらず、必ず四恩の徳によって、この五陰(ごおん)の体を保つ」(人間は天から降ってきたものでも、地より湧いてきたものでもない。必ず四つの恩をいただいて、生かされているのである)と説いておられますが、四つの恩(四恩)とは、父母の恩、国王の恩、衆生の恩、三宝の恩の事です。
お大師様が、「我を生み、我を育つるは父母の恩なり、天よりも高く地よりも厚く、身を粉にし命を損じても、何れの劫(とき)にか報ずることを得ん」(私を生み育てた父母の恩は、果てしない天よりも高く、底知れぬ大地よりも深い。いかなる方法を以ても報いられるものではない)と説いておられるように、父母から受けたご恩は、どれほどの時を費やしても、報い切れるものではありません。
しかし、父母の恩は、親としての責任を全うして初めて生まれるものであり、人の親たる者は、子に対する親の責任もまた、天よりも高く、地よりも深いものである事を忘れてはなりません。
嘆かわしいのは、最近、子供を虐待したり、殺したりする親が増えている事です。
本来、子供の命を守らなければならない筈の親が、その責任を放棄している姿を見ると憤りさえ感じますが、一人ひとりの親が、その責任の重さを自覚しなければ、やがて父母の恩という言葉は死語となってしまうでしょう。
二つ目が、国王の恩です。国王とは、帝(みかど)の事で、お大師様の時代は、朝廷を中心にして国家が成り立っていました。
先ず国の安寧がなければ、そこに住む民の安寧もなく、その国の安寧は、国を治める帝の力であり、そのご恩を忘れてはならないという事です。
今で言えば、日本の象徴である天皇陛下を中心として国が栄えているという意味で、そのご恩を忘れてはなりません。
三つ目が、衆生の恩です。これは自分を取り巻く全ての人々から受けている恩です。
例えば、私がいま身に着けている衣は、お金を出して買ったものですが、この衣を染め、生地を織り、衣に仕立てて下さる方がいなければ、私は衣を買う事も、着る事も出来ません。
今日電車で帰郷された皆様の背後には、電車を運転して下さる方、電車の保守点検をして下さる方、運行を管理している方、電気を作り、送ってくださる方など、大勢の方々のご苦労があります。それらの方々がいなければ、電車は一センチたりとも動かないのです。
自動車で来られた皆様も同じで、車を作る人、ガソリンを売ってくれる人、道路を管理する人など、ありとあらゆる人々のお蔭で、今日法徳寺へ帰郷することが出来たのです。
自分を取り巻く全ての方のお陰がなければ、この地を踏む事さえ出来なかったことを忘れてはなりません。
四つ目は、三宝の恩です。
三宝とは、仏宝(ぶっぽう)、法宝(ほうぼう)、僧宝(そうぼう)の事で、仏宝とは、この世の真理(法)を悟られたお方(み仏)、法宝とは、み仏が悟られたこの世に真理、僧宝とは、その真理によって人々を救済する使命を担う人、若しくはその人々の集まりです。
菩薩様の『道歌集』に、
仏法僧 法をはなれて仏なく
法をはなれて また僧もなし
仏法僧 僧をはなれて衆生なく
衆生はなれて また僧もなし
世を思い 衆生済度に法を説く
これぞ法嗣の 使命なりけり
と詠われているように、三宝は一体であり、どの一つが欠けても三宝とは言えません。
法をはなれた仏もなければ、法をはなれた僧もありません。また、苦しむ衆生をはなれた僧もありません。
僧宝と敬われる者は、常に法(真理)を旨として真理を体現し、苦しむ衆生を救済する法嗣でなければならないのです。
お大師様は、この四つの恩を忘れてはならないと説いておられますが、お盆は、ご先祖様をお迎えして供養すると共に、私達を取り巻く四恩に感謝の誠をささげる日でもある事を、肝に銘じておいて頂きたいと思います。
お施餓鬼の由来
お盆とよく間違われるのが、お施餓鬼です。
世間では、お盆に合わせて一緒に行われることが多い為、お盆の事をお施餓鬼だと勘違いしている人もいるようですが、お盆とお施餓鬼は全く別の行事です。
お盆は今も言ったように、7月13日から15日、或いは8月13日から15日までの三日間、ご先祖様をお迎えして供養する行事ですが、お施餓鬼は、いつでなければならないという決まりはありません。
勿論、毎日行っても構いませんし、お施餓鬼の精神から言えば、毎日行うべきものです。
供養する相手もご先祖様だけではなく、無縁の精霊も含めた三界万霊に及びます。
お施餓鬼は、毎日行うと、食べる事に困窮しないと言われるほど、功徳があると言われており、私が紀州高野山の修行道場に居た時は、毎夜、お施餓鬼が行われていました。
お盆は、目連尊者が餓鬼道に堕ちた母親を救うために始めたのが起源ですが、お施餓鬼は、お釈迦様の十大弟子の一人で、多聞第一と言われた阿難(あなん)尊者が始められたものです。
或る真夜中、阿難尊者が瞑想していると、身体が痩せこけ、口の中が炎に燃え、咽喉が針のように細く、頭髪を振り乱し、爪と牙が鋭く伸びた身の毛もよだつ醜い焔口餓鬼(えんくがき)が現われ、「お前の命はあと三日で尽きる。その時はお前も、私のような姿になって餓鬼道に堕ちるであろう」と言ったので、「どうしたら餓鬼道に堕ちずに救われるのか?」と問うと、「私のような姿になって苦しむ多くの餓鬼と多くのバラモンに飲食物を施し、俺の為に仏法僧の三宝を供養してくれ。そうすれば、お前の寿命は延び、俺もまた餓鬼道から救われて天上界に生まれ変わる事が出来る」と答えました。
驚いた阿難は、早速お釈迦様の下へ行き、事の次第を話したところ、お釈迦様は、「阿難よ、案ずる事はない。私が過去世においてバラモンであった時に、観音様より餓鬼道から救う「無量威徳自在光明加持飲食陀羅尼(ナウマクサラバ・タタギャタ・バロキテイ・オン・サンバラ・サンバラ・ウン)」という御真言を授かった。これをお前に授けるから、この陀羅尼を唱えて食物を施すならば、数限りない餓鬼やバラモンはみな満足し、餓鬼道の苦しみを免れる事が出来るであろう」と教えられました。
そこで阿難は、授けられた御真言を唱えながら食物を施し、多くの餓鬼を救っただけではなく、その功徳によって自らも寿命を伸ばしたという事が、『仏説救抜焔口餓鬼陀羅尼経(ぶっせつぐばつえんくがきだらにきょう』というお経の中に説かれています。
これがお施餓鬼の起源ですが、今も言ったように、お盆がご先祖様や父母を思う目連尊者の孝道の精神から出た行事であるのに対し、お施餓鬼は、祀り手のいない、餓鬼道に堕ちた一切の亡者に対する阿難尊者の慈悲の精神から生まれた行事で、お盆もお施餓鬼も、どちらも苦しむ人々を救いたいという一念から生まれたものですが、お盆は、三宝に対する布施行の実践と、ご先祖様に対する感謝の心の大切さを説くのに対し、お施餓鬼は、餓鬼道に堕ちた有縁無縁の人々への布施行の実践の大切さを説く点に違いがあります。
その意味で、お施餓鬼には、仏の慈悲心をより一層多くの人々に及ぼしたいという切なる願いが込められていると言っていいでしょう。
このお施餓鬼の精神の先にあるのが、苦しむすべての人々を救済し、この地上に仏国土を実現したいという菩薩精神であり、「お施餓鬼は毎日実践すべきものである」と言われる所以もそこにあります。
お施餓鬼の作法
施餓鬼作法には、色々な決まりごとがあって難しいのですが、正式に行おうと思えば、施餓鬼棚を用意しなければなりません。
食事をする時に、ご飯のひとかけらを別のお皿に分けておき、施餓鬼棚にあるお椀の中に入れて餓鬼に施すのですが、餓鬼用のご飯のひとかけらを、出生食(しゅっさば)と言います。
餓鬼は背が低いため、施餓鬼棚が高すぎると、せっかくの施しを受ける事が出来ないので、施餓鬼棚は、九十センチを超えてはいけないと決められています。
施餓鬼棚には、「三界萬霊」と書いた位牌を祀り、その両側に、供養したいご先祖の位牌を並べ、更に四方と真中に、五色(黄青赤白緑)の幡(はた)を立てます。
五色の幡は、以下の五仏(五人の仏様)を現しています。
(1)黄色 「南無過去寶勝如来」(なむかこほうしょうにょらい)
(2)青色 「南無妙色身如来」(なむみょうしきしんにょらい)
(3)赤色 「南無甘露王如来」(なむかんろおうにょらい)
(4)白色 「南無廣縛身如来」(なむこうばくしんにょらい)
(5)緑色 「南無離怖畏如来」(なむりふいにょらい)
何故五人の仏様の旗を立てるのかと言いますと、施餓鬼は、食べ物や飲み物を餓鬼に施すのですが、物には限りがあります。
そこで、食事とは別に、仏様の教え(仏法)の食事、つまり法食を用意するのです。
法食には限りがありませんから、法施の食事を用意する為に、五仏の旗を施餓鬼棚の周りに立てるのです。
更に、大きなお茶碗にご飯をいっぱい入れた餓鬼飯(がきめし)というものを用意し、そこに二十三文字の光明真言を書いた小さな小旗を、沢山立てておきます。
この光明真言は、大日如来の総呪といわれる御真言で、「オン・アボキャ・ベイロシャノウ・マカボダラ・マニ・ハンドマ・ジンバラ・ハラバリタヤ・ウン」と唱えます。
光明真言は、大日如来の御真言(オンアビラウンケンバザラダトバン)よりも有り難く、どんな地獄に落ちている人でも、光明真言を唱えればその功徳によって必ず救われると言われるほど有り難い御真言ですので、この光明真言を書いた小旗をいっぱい立てておくのです。
またお施餓鬼を行う時は、東の方角を向いて行うのが良いとされ、また餓鬼は、桃、柳、柘榴の木を嫌うので、それらの木の下では行わない事になっています。
こう書くと難しそうにみえますが、一般の皆さんでも出来ない事はありません。
例えば、ご自分が食べる時に、ご飯のひとかけらだけ小皿に取っておき、夜になると、餓鬼が食べやすいように、小皿を外の縁側やベランダのところに置いておきます。難しいお経など知らなくても、「どうぞ、餓鬼さん、お食べ下さい」と言って、置いておくだけでもいいのです。
大切なのは、苦しんでいる餓鬼を救ってあげたいという慈悲の心を発す事です。
暮らしを豊かにするお施餓鬼の心ーおもてなし
以前、歩いて四国遍路をした事がありますが、遍路をしていると、とにかくお腹がすき、喉が渇きます。
この空腹(飢え)の辛さと、喉の渇き(餓え)の辛さこそが、まさに餓鬼の苦しみなのですが、空腹(飢え)と喉の渇き(餓え)の辛さに耐えている時、通りすがりのお店の中から、おばあさんが出て来られ、「お坊さん、ちょっと待って!」と言って、よく冷えたお茶を出して下さったり、自動販売機からジュースを出して、「これ飲んでいって!」と言って、施しをして下さったりすると、人の親切が身に沁み、思わず合掌して拝まずにはいられません。
空腹の辛さ、喉の渇きの辛さを経験をした人なら、餓鬼の気持ちがよくわかると思います。
餓鬼は、食べ物も食べられず、飲み物も飲めず、ガリガリに痩せ衰えている生類ですから、僅かな施しであっても、涙が出るほど有り難いのです。お施餓鬼に大きな功徳があるのは、その為です。
紀州高野山へ行かれたお方は、本山の金剛峯寺の石段の両側に、水を入れた幾つもの桶が並べて置かれているのをご覧になった事があると思いますが、あの水桶は、ただ景観の為に置いてあるのではありません。
真夏の暑い日にお参りされ、喉の渇きを覚えておられる多くの参拝者の皆様に、少しでも涼しさを感じて頂ければというお接待の心から置かれているもので、この水桶には、お施餓鬼の心がいっぱい満たされているのです。
四国八十八ヶ所霊場へ行けば、いまも道行くお遍路さんへの飲食物の施しや、善根宿のお接待が行われていますが、ここにもお施餓鬼の精神が生きています。
2020年開催の東京オリンピック招致活動において、フリーアナウンサーの滝川クリステルさんがプレゼンテーションで述べた「お・も・て・な・し」という言葉が話題になりましたが、この「おもてなし」の中にも、お施餓鬼の精神が脈々と生きています。
この世界に誇るべき「おもてなし」の心こそ、お施餓鬼の精神を取り入れ、日々の暮らしを豊かで意義あるものとしてきた御先祖の叡智の結晶と言っていいでしょう。