桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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不変の立ち位置(4)

─いつでも、どこでも高野山法徳寺―



何が違うのか


人間というものは、たかだか80年、90年の限られた人生を生きるちっぽけな存在に過ぎませんが、ちっぽけな存在でありながら、人間が到達しうる究極の人格に到達されたお方がおられます。

それが、お釈迦さまであり、お大師さま、菩薩さまであり、先覚者といわれる方々ですが、それらの方々が残された教え(仏法)こそ、無常の世の中を生き抜く私たちが頼りとすべき心柱(心の依り所)と言っていいでしょう。

世の中には、仏法という心柱の存在さえ知らずに、不都合な心の不安や揺れに見舞われ、翻弄され続けている人々が大勢いますが、その人々の中には、仏法という心柱さえ持っていれば、心安らかな人生を歩めたであろう人々もいる筈です。

例えば、平成30年12月14日、神奈川県内の東名高速道路のパーキングエリア内で駐車していた男性が、駐車の仕方が悪いと注意されたことに腹を立て、注意した車を追いかけて、あおり運転を繰り返した挙句、高速道路上に車を停車させて、後ろから来た車との追突事故を誘発させたとして逮捕され、懲役18年という重い判決を受けました。

もしこの加害者の男性に不都合な揺れを逃がす心柱があれば、駐車の仕方が悪いと注意された時、それがたとえ自分にとって不都合であっても、その不都合な揺れを逃がし、無害にできたかも知れません。

ところが、心柱を持たなかったため、不都合な揺れをまともに受け、頭にカーッと血が昇った挙句、あおり運転をして停車させ、乗っていた夫婦を事故死させるという最悪の結果を招き、自らの人生のみならず、相手の人生をも台無しにしてしまったのです。

この事件を見ても、心柱を持つ事がいかに大切かがよく分かりますが、わたしたちも、この事件を他山の石として、心柱を持つことの大切さを深く認識しなければなりません。

長い人生では、様々な場面に遭遇し、その都度、判断したり、決断したり、行動したりしなければなりませんが、決断を迫られた時、立ち位置を持っていなければ、心がブレて、どうしてよいか分からなくなります。しかし、立ち位置さえ持っていれば、そこで的確な判断が下せるのです。

よく勝ち組と負け組と言われますが、成功する人と成功出来ない人はどこが違うのでしょうか。

成功する人は、自分の立ち位置を持っているため、判断にブレがなく、決断も早いから、成功の波に乗れますが、何をやっても成功しない人は、立ち位置を持たないため、判断するにしても、行動するにしても、中々決められず、後手後手になって、結局、千載一遇の好機を逃してしまうのです。

だからこそ、常に自らの立ち位置を確かめることが大切なのですが、もし立ち位置が無いと分かれば、一刻も早く立ち位置を見つけ、まだ立ち位置が定まっていなければ、立ち位置をしっかり固める努力をしなければなりません。


素直な心で


神仏と云っても、目に見える訳でも、形がある訳でもありませんから、世の中には、神仏の存在を疑うお方も大勢おられますが、人間の力でどうにもならなくなれば、「叶わぬ時の神頼み」で、神仏にすがるしかありません。

貴船におられた脇坂リヨさまが、「眼に見えないのにすがってゆくのは大変やし、疑ったり案じたりします。だけど、結局はすがってゆかんなりませんやろ。凡夫では、どうすることもできしませんやろ」とおっしゃっておられるように、どうにもならなくなったら、教えを素直に信じ、受け入れる以外に道はないのです。

この素直さを忘れた人のところには、福の神もやって来ません。

周囲を森に囲まれている法徳寺では、毎年この時期になりますと、落ち葉掃除が日課となりますが、お釈迦様の弟子に、掃除三昧の修行で悟りを開かれた周利槃得(しゅりはんとく)というお方がおられます。このお方は、人から聞いたこともすぐに忘れるほど愚かな人で、他の弟子から「お前は馬鹿だ、馬鹿だ」と言われていました。

ある時、お釈迦様に、「私は、みんなから馬鹿だ、馬鹿だと言われます。教えを聞いてもすぐ忘れてしまいます。こんな馬鹿な私でも悟りを開けるでしょうか?」と尋ねると、「お前は決して愚かではない。愚かな人間でありながら愚かであることを知らない人間こそ愚かであり、愚かであることを知っている人間は愚かではない」と云って、一本の箒と、「塵を払い、垢を除かん」という一句を授けました。

それ以来、周利槃得は、お釈迦様の言葉を心に念じ、一本の箒を持って、来る日も来る日も、黙々と掃除三昧の修行に明け暮れたのです。

頭のいい人であれば、「どうしてこんな箒一本で悟りを開けるのか?」と疑ったり不信感を抱いて、修行に熱も入らないでしょうが、周利槃得は、自分は馬鹿だと思っていますから、素直にお釈迦様の言葉を信じ、毎日「塵を払い、垢を除かん」という一句を唱えながら、来る日も来る日も、掃除三昧に励んだのです。

その結果、周利槃得は、今まで馬鹿だと言って蔑んでいた人達も及ばないほどの悟りの境地に到達し、十大弟子の一人に数えられる神通説法第一の阿羅漢となったのです。

何故、みんなから馬鹿だ馬鹿だと蔑まれていた周利槃得が、十大弟子の一人に数えられるまでになったかと云えば、お釈迦様の言葉を素直に信じ、受け入れて、黙々と掃除三昧の修行を続けたからです。

もし周利槃得が浅知恵のある人間であれば、「こんな箒一本で悟りが開ける筈がない」という猜疑心に執われ、掃除三昧の修行に打ち込むことは難しかったでしょうが、お釈迦さまの言葉を素直に信じ、掃除三昧の修行に打ち込んだからこそ、大きな悟りを開くことが出来たのです。

疑えば幾らでも疑えますし、理屈を云えば、幾らでも言えますが、周利槃得を見れば、素直に教えを信じる事がいかに大切であるかがよく分かります。


毒矢の譬え


お釈迦さまの弟子に、マールンクヤという人がいました。

彼は、周利槃得と違い、非常に聡明な人だったので、日頃から、宇宙は有限か無限か、あの世は有るのか無いのか等々、様々な疑問を持っていました。

或る日、お釈迦さまに、「わたしには色々な疑問がありますが、お釈迦さまはその疑問に答えてくれません。いまその疑問に答えて下さらなければ、もうこれ以上修行を続けることは出来ません」と云って、お釈迦さまに回答を迫ったのです。

そこで、お釈迦さまが説かれたのが「毒矢の譬え」でした。

毒矢に射られた男がいるとしよう。その男が、「毒矢を抜く前に、知りたいことがある。この毒矢を射た者はどこの誰か、この毒は何という種類の毒か、矢は何で出来ているのか、答えてほしい。それらの疑問が解けるまではこの毒矢を抜いてはいけない」と言って毒矢を抜かせなかったら、どうなるであろうか。この男は、自分の知りたい事の一つも知らない内に、死んでしまうであろう。お前が私に尋ねようとしていることは、それと同じなのだ。その答えを知る前にお前の命も尽きてしまう。それでもいいのか。わたしがお前に説いているのは、どうしたら心に刺さった棘を抜くことが出来るか、どうしたら救われるか、その方法なのだ。だから、私の教えを素直に信じて、修行に励み、一刻も早く心の棘を抜きなさい。

そう説いて、マールンクヤを諭されたのです。

何故聡明なマールンクヤが中々悟りを開けなかったのに、馬鹿だ馬鹿だと云われていた周利槃得が悟りを開けたのかと云えば、お釈迦様の教えを素直に信じ、受け入れて修行を続けたからです。

世の中には、さまざまな願いをかけ、願いが叶わなければ、もう神も仏もいないと云って、まるで神仏を仇敵のようにいう人がいますが、やはり法を頂く時には、素直な気持ちで受け入れることが大切なのです。

以前、菩薩さまにご縁をいただかれた北陸にある運輸会社の社長の奥様が、何とか苦しみから救われたいと、菩薩様の言葉を一言一句、聞き逃さず、熱心に聞いておられた姿が、今でも思い出されます。

菩薩さまが入られたお風呂のお湯を、一升瓶に取っておかれ、ご家族が入る時に、少しずつ入れて入られたという話は有名ですが、そこまで出来たのは、菩薩さまを深く敬い、菩薩さまの教えを素直に信じて、実践しておられたからです。

裏を返せば、それだけ苦しみが大きかったということですが、素直に菩薩さまの教えを信じ法を受け入れれば必ず救われることを証明して下さった生き証人の一人と云っていいでしょう。

教えに逢わせていただいた時には、素直に信じ、受け入れる事が大切なのです。

合掌


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