桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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心安らかに生きる為に(6)



法徳寺の豆撒きー「福は内、鬼も内」


毎年二月三日の節分には、どこの家でも豆まきをしますが、古来豆撒きは、その年の縁起の良い方角(恵方)に向かって「福は内」と連呼しながら豆を撒き、次に恵方に背を向けて「鬼は外」と唱えながら豆を撒くのが習わしです。

しかし、法徳寺では、「福は内、鬼は外」ではなく、菩薩様の教えにより、「福は内、鬼も内」と唱えながら豆を撒くのが恒例となっています。

何故「福は内、鬼も内」なのか?理由は二つあります。

一つは、鬼も衆生の一人だからです。

衆生済度をしなければならない使命のある法徳寺にとって、救われなくてもよい衆生は一人もいません。

たとえ相手が鬼であっても悪魔であっても、法徳寺に救いを求めてくる者は、すべて救われなければならない衆生の一人です。鬼だ、悪魔だと言って分け隔てしていては、衆生済度の使命は果たせません。

それどころか、一刻も早く鬼や悪魔と呼ばれる身分から救われたいと願い、救いを求める心が誰よりも強いのが、鬼たちなのです。

お大師様が、
  虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば
    わが願いも 尽きなん
 というお誓いを立てて御入定されたことは、先にお話しましたが、鬼も悪魔も衆生の一人ですから、鬼を追い出していては、お大師様の御誓願も成就いたしません。

菩薩様は常々、「鬼も悪魔も衆生の一人だから、分け隔てなくお寺に招き、仏法を施して、救ってあげなければいけない」とおっしゃっておられましたが、「福は内、鬼も内」の掛け声は、まさに菩薩様の深い慈悲心の現れと申せましょう。


吉凶禍福は表裏一体


二つ目は、先にも述べたように、都合のよい福の神(仏)と、不都合な疫病神(鬼、悪魔)は姉妹であり、一心同体だということです。

一体ですから、不都合な黒闇天を追い出せば、好都合な吉祥天も一緒に出て行ってしまいます。

吉も凶も禍も福も、仏も鬼も、生も死も、すべて表裏一体の関係にある以上、吉祥天を招きたければ、吉祥天の妹である黒闇天も一緒に招かなければなりません。福の神だけを招き入れる事は出来ないのです。

おめでたい吉だけを招きたいと思っても、吉の裏には、必ず凶が付いています。

吉は有り難いが、凶は嫌だというのが、世間一般の常識的な考え方でしょうが、吉も凶も分け隔てなく受け入れる心にならなければ、福の神を招くことは来ません。

凶と正反対の福が、本当の福ではなく、吉を招き、凶を遠ざけようとする分別心を超えたところに本当の福があるのです。


良寛さんのお悟り


良寛さんが、次のようにおっしゃっています。

災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候

「災難に遭わなければいけない時には、災難に遭いなさい。死ななければいけない時には、素直に死んでいきなさい。それが災難を逃れる不可思議な教えですよ」という意味ですが、良寛さんとて、災難に遭いたくはないでしょうし、死にたくはない筈です。

にも拘わらず、あえて災難や死を在るがまま受け入れなさいとおっしゃったのには、深い意味があります。

原因があれば、必ず結果となって現れます。いくら不都合なことであっても、それもまた自分が過去に作った縁起の結果ですから、不都合なことだけを避けたり逃げているだけでは、問題は何も解決しません。

不都合なことから目を背けるのではなく、先ず在るがまま受け入れ、不都合な因縁の裏に隠されている福の神の存在を知り、不都合な因縁を好都合な因縁に変えていくことが大切なのです。

そうすれば、自分の立っている場所が、不都合な地獄から、好都合な極楽に変わります。


味方につけるか、敵に回すか


誰もが福の神である吉祥天を味方につけようとしますが、吉祥天を味方につけたければ、一心同体の黒闇天も共に受け入れなければなりません。黒闇天を受け入れなければ、吉祥天を味方にすることも出来ません。

要するに、不都合な黒闇天を味方につけるか、敵に回すかです。

敵に回すということは、不都合な黒闇天を拒絶するということです。「不都合なあなたを受け入れることは出来ません。私にとって、あなたは敵です」と言っているのと同じです。

味方につけるということは、不都合な黒闇天を受け入れるということです。

「あなたを受け入れます。あなたは私の仲間です」と言われれば、災いをもたらそうとしている黒闇天の出る幕がありません。

誰からも嫌われている黒闇天を敵に回すより、味方に付けた方が得策なのです。黒闇天を味方につければ、吉祥天を味方につけることが出来ます。と言うより、味方につければ、黒闇天が吉祥天に変わるのです。

但し、都合の悪い黒闇天を受け入れると言っても、嫌々受け入れたのでは、受け入れたことになりません。

受け入れる以上は、納得して、感謝の気持ちで受け入れなければなりません。

「災難が来てもこれで好し。お迎えが来てもこれで好し。どんな不都合なことに遭遇してもこれで好し」と頷けるようになって初めて、良寛さんがおっしゃるように、一切を在るがまま感謝して受け入れられるようになり、そこに自ずと災難から逃れられる道理が具わってくるのです。


生死の中に仏あれば生死なし


曹洞宗の開祖、道元禅師が、次のように説いておられます。

生死の中に仏あれば生死なし。ただ生死即ち涅槃と心得て、生死として厭うべくもなく、涅槃としてねがうべきもなし。この時初めて生死を離るる分あり

「生死」を「地獄」と言い換えてみて下さい。

地獄の中に仏あれば地獄なし。ただ地獄即ち極楽と心得て、地獄として厭うべくもなく、極楽としてねがうべきもなし。この時初めて地獄を離るる分あり

誰も地獄へは行きたくないし、みんな極楽へ往きたいのです。でも、どうしても地獄へ行かなければいけなくなった時、皆さんはどうしますか?

「地獄でも何処でも行きましょう」という心にならなければ、本当の極楽には往けません。

つまり、極楽は好いが地獄は嫌だという分別心を捨てなければ、本当の極楽は見えてこないのです。

合掌


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