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稲荷大明神勧請(7)



勧請までの経緯


六回に亘って、天(伏見稲荷大社)と地(紀州高野山)から、稲荷大明神様を勧請させていただいた経緯をお話してきましたが、この体験を通して皆さんにお伝えしたかった事が、もう一つあります。

それは、「今まで見えなかった神仏(真理)の世界が観えて来た時の感動」についてです。

改めて今回のお計らいを振り返ってみますと、事の発端は、高野山法徳寺が開創十三年目を迎えて間もない今年(平成二十九年)四月十六日、境内に薄汚れたスリッパが数足落ちているのを発見した事でした。

その日から五月八日までの二十三日間、ほぼ毎日のように、ゴミとして捨てられていたと思われるスリッパや靴、スニーカー、長靴など足に関係するものが、境内の各所に散乱していました。

やがてその犯人が、境内の東側の土手で子育てをしている親狐と五匹の子狐である可能性が高まり、更に狐が運んできたであろうと思われる鹿の角と足の一部が、境内や土手で相次いで発見されるなど、今までなかった出来事が相次いだ事から、ただの偶然とは思えず、「これは、天(神)と地(仏)に足を運べというお大師様、菩薩様のお指図に違いない」と悟らせていただきました。

最初にスリッパを発見してから九日後の四月二十四日、母が高野山に居る夢を見たので、先ず地(仏)である紀州高野山へ開創十三年目のお礼参りに行かせていただくつもりでしたが、「天地が逆になる事は避けよ」とのお指図をいただいた為、先に天(神)である伏見稲荷大社にお参りさせていただく事にしました。

ところが、お参りする前日の五月十二日、神戸市内にある寺院の住職をしている知り合いのU氏が、何の前触れもなく突然、法徳寺へ来られたのです。

聞けば、習っている剣術の稽古が甲府であったため、前日甲府市内で一泊され、神戸に帰る道すがら、法徳寺へ立ち寄って下さったとの事でしたが、U氏の訪問が、伏見稲荷大社へお参りする前日であった為、「お大師様、菩薩様が、何か必要があって、U氏を立ち寄らせたに違いない」と直感しました。

清里のレストランで一緒に食事をしながら、明日伏見稲荷へお参りする予定である旨を告げると、U氏が「折角伏見稲荷へお参りされるのですから、お稲荷様を勧請して来られたらどうですか!」と言ったので、「彼を法徳寺へ立ち寄らせたのは、この事を伝えさせる為だったのだ」と確信しました。

お計らいはその後も続き、翌五月十三日、家族みんなで伏見稲荷大社へ参拝し、無事に勧請を終え、その足で山梨へ帰るつもりでしたが、一緒に行った子供が、駅前の京都タワーの地下にあるお店に行きたいというので、予定を変更して、京都駅の南側にある「イオンモール京都」へ立ち寄る事になりました。

その時はただの寄り道と思っていましたが、山梨へ帰って暫くしてから、この寄り道は、勧請したお稲荷様に、「イオンモール京都」の真向かいにある「伏見稲荷大社御旅所」へ立ち寄っていただく為のお計らいであり、寄り道をしなければ勧請は完了していなかった事を悟らせていただきました。

伏見稲荷へお参りする前日、U氏が突然法徳寺へ立ち寄られた事も、子供を通して「イオンモール京都」へ導かれた事も、ただの偶然ではなく、すべて稲荷大明神様を無事に勧請させていただく為のお大師様、菩薩様のお計らいだったのです。

こうして、天からの勧請は無事に終わりましたが、「天(神)と地(仏)へ足を運べ」というのが、お大師様、菩薩様のお計らいである以上、地からの勧請が予定されていない筈はありません。

そこで、もう一度、母が見た高野山の夢を再吟味したところ、やはり高野山へのただのお礼参りでなく、奥の院に祀られている白髭稲荷大明神様を勧請せよとのお指図である事が分かってきたのです。

天(伏見稲荷)の勧請から一か月余り後の六月十日、白髭稲荷大明神を勧請させていただくため、家族みんなで高野山へお参りさせていただき、地からの勧請も無事に終える事が出来ました。

しかし、お大師様、菩薩様のお計らいは更に続き、夢殿にお祀りさせていただいてから三ヶ月半余り後の九月二十九日、S建築所にお勤めのMさんを通して、稲荷大明神様が間違いなく法徳寺へ御鎮座しておられる更なる念押しをいただきました。


悟りによって初めて観えてくる世界


こうして、お稲荷様を勧請させていただくまでの一連の経緯を辿ってくると、見えてくる事が一つあります。

それは、いまお話した数々のお計らいの一つでも欠けていれば、そして、それぞれのお計らいをただの偶然と考え、そこに隠されている神仏のみ心を悟ろうとしなければ、稲荷大明神の勧請というお計らいは無いに等しくなり、お稲荷様を法徳寺に勧請させていただく事は、絶対に不可能だったという事です。

何故かと言えば、稲荷大明神の勧請は、悟りによって初めて見えてくる神秘のお計らいであり、悟りという鍵がなければ、眼に見えない神仏の扉を開ける事は出来ないからです。

すべての出来事を偶然と考えれば、スリッパや靴などのゴミや、鹿の角と足の一部が境内に落ちていた事も、母が高野山の夢を見た事も、伏見稲荷大社へお参りする前日にU氏が訪ねてきた事も、予定を変更して「イオンモール京都」へ立ち寄った事も、すべて偶然に過ぎず、ただの点でしかありません。

しかし、稲荷大明神の勧請というお計らいは、その点と点を結び、線となって初めて見えてくる真相の世界なのです。

偶然(点)としか見えない出来事であっても、線として結んでみれば、そこには神仏のお計らいによる真実の世界が隠されており、しかも、それらのお計らいには、すべてを見通し、最善最良の手立てを以て、私たちを導こうとしておられる神仏の慈悲心が注がれているのです。

しかし、救いの為の最善最良のお計らいを何度もいただいているにも拘らず、その事に全く気付いていないお方が、世の中にはまだ大勢おられ、神仏が準備しておられる救いの舟に乗れないまま、大勢の人々が、限りある命の大河に翻弄されながら、浮き沈みを繰り返しているのが、偽りなき現実なのです。


お釈迦様のお悟り


歴史上、最初に見えない世界を観る悟りの眼を開かれたお方は、お釈迦様です。

ご承知のように、お釈迦様は二十九歳で出家され、六年間の苦行の末、三十五歳で真理を悟って仏陀と成られましたが、それまでの六年間の苦行は、凄まじいものであったと伝えられています。

ガンダーラ美術の最高傑作と言われる釈迦苦行像を、実際にご覧になったお方もおられると思いますが、痩せ衰えて、肋骨も露わになったお姿は余りにも痛々しく、見る者をして戦慄させずにはおきません。

しかし、これは決して誇張ではなく、かつてこれほどの苦行をした人はいないと言われる程の苦行をなさったお釈迦様ですから、このお姿に限りなく近かったのではないかと思います。

こうして、自らを極限まで追い詰められたお釈迦様ですが、ただ肉体を傷つけ、苦しめるだけの苦行では真の安らぎは得られない事を悟られ、苦行で傷ついた肉体をガンジス川の水で清められた後、村の娘スジャータが差し出す乳粥の供養を受けられました。

そして、菩提樹の下に結跏趺坐(けっかふざ)して四十九日間の瞑想に入られ、十二月八日未明、東の空に輝く明けの明星(金星)をご覧になり、忽然と悟りを開かれたのです。

「明けの明星を見たくらいで何故悟りが開けるのか?」と、疑問を抱かれるお方もいるでしょうが、それまでお釈迦様は、様々な思いの中で生きてこられました。

王族である釈迦族の世継ぎに生まれながら、親や妻子を残して出家なさったお釈迦様にとって、釈迦族の人々や家族の行く末は、何よりも案じられた事でしょう。

また、多くの人々が悩み苦しむ姿にも心を痛められ、自らも様々な煩悩によって悶々とされた日々を送っておられたに違いありません。

悟りを開かれるまでのお釈迦様は、そうした様々な思いや計らいによって曇らされた眼で、この世界をご覧になり、明けの明星をご覧になってきたのです。

お釈迦様がご覧になってきた明けの明星は、様々な計らい心を通して見た明けの明星であり、悩み苦しみというフィルターを通して見た明けの明星に過ぎなかったのです。

しかし、六年間の苦行によって、あらゆる計らいの心が消えてなくなり、無垢の状態となってご覧になった明けの明星は、お釈迦様の澄み切った心の鏡に、今まで見たこともない明けの明星として映し出されたに違いありません。


有るようで無く、無いようで有る真理の世界


太陽が出ている内は、太陽という縁で明けの明星は見えません。

しかし、太陽が沈み、夜という縁によって再びその姿を現した時、お釈迦様の心眼には、「有るようで無く、無いようで有る」存在としての明けの明星の真の姿が、はっきり映し出されたに違いありません。

その時、お釈迦様は、この世の真理を説法する明けの明星の声なき声を、ハッキリお聞きになられたのです。明けの明星

「そうか。私も明けの明星も同じなのだ。有るようで無く、無いようで有る空(くう)なる存在に過ぎないのだ。みんな無常の中で移り変わっていく身なのだ」

その体験は、お釈迦様にとって、天地が逆転するほどの大きな衝撃と感動をもたらした事でしょう。

それまでもお釈迦様は、すべてが無常の中にあり、移り変わっていく存在だという事を、知識として知っておられました。

しかし、その時お釈迦様が体得されたのは、知識としての無常ではなく、心の底から湧き上がってくる悟りの智慧で観た無常の真理であり、明けの明星が発する天の声だったのです。

勿論、明けの明星は、その時初めてお釈迦様に真理を説法した訳ではありません。

遙かなる永遠の昔から、一瞬たりとも休む事なく真理を説法し続けていたのですが、お釈迦様には、今までその説法が聞こえなかったのです。

何故なら、お釈迦様の心の中には、様々な煩悩や計らいや不安や執着が錯綜し、真理の説法を聞く心の耳を閉ざしていたからです。

今までは、様々な思いや計らいや分別心が邪魔をして、明けの明星の真の姿を見る事も、その説法を聞く事も出来なかったのですが、六年間の苦行の末に、心が澄み切った湖面の如く無垢の状態になったため、明けの明星の説法が、お釈迦様の心に在るがまま聞えてくるようになったのです。

真理の声が聞こえるようになったのは、明けの明星が変ったからではありません。お釈迦様ご自身が根底から変られたからです。

真理の声が聞こえた時、お釈迦様は、「私も明けの明星と同じなのだ。これが宇宙の真実の姿(実相)なのだ」という衝撃と、お釈迦様が明けの明星なのか、明けの明星がお釈迦様なのか分からない一体感(感動)に包まれた事でしょう。

最初に、皆さんにお伝えしたいと申し上げた「今まで見えなかった神仏の世界が観えて来た時の感動」とは、まさに、この時お釈迦様が体験された真理(神仏)との一体感と言っていいでしょう。

しかし、稲荷大明神の勧請を通じて体験した神仏との一体感と感動を、言葉で伝える事は容易ではなく、皆さんにどこまで伝えられたかは分かりませんが、この拙い体験談が、見えない神仏(悟り)の世界へいざなう一つのきっかけとなれば、これに勝る喜びはありません。

合掌


稲荷大明神勧請(1)
稲荷大明神勧請(2)
稲荷大明神勧請(3)
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稲荷大明神勧請(7)
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