桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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稲荷大明神勧請(3)



思いがけない訪問者


こうして、様々なお計らいを頂く中で、伏見稲荷大社にお参りさせていただく事になったのですが、問題が一つありました。

それは、「伏見稲荷大明神をどのような形で法徳寺にお迎えすればよいのか?」という事です。

最初の予定では、伏見稲荷大社で御祈祷していただいたお札をお祀りさせていただくつもりでしたが、お大師様、菩薩様のお考えは全く違っていました。

伏見稲荷へお参りさせていただく前日の五月十二日、融通尊寺(神戸市)の住職をしておられる知り合いのU氏が、何の前触れもなく突然、法徳寺へ来られたのです。

聞けば、柳生新陰流の剣術を習っておられ、その稽古の為に、前日甲府市内に一泊され、神戸に帰る道すがら、法徳寺へ立ち寄って下さったとの事でした。

思わぬ突然の訪問に驚いたのですが、伏見稲荷へお参りする前日の訪問でしたので、「もしかすると、お大師様、菩薩様のお計らいかも知れない。何か悟らなければいけない事があるのではないか」と感じました。

今までの経験上、思いがけない事が起こる時は、そこに何らかのお計らいがなされている事が多々ありましたので、今回の突然の訪問にも、お大師様、菩薩様のお計らいがなされているような気がしてなりませんでした。

丁度お昼前でしたので、U氏と一緒に、八ヶ岳の麓に広がる清里のレストランに行き、食事をしながら、明日、伏見稲荷へお参りして、御祈祷をしてもらう予定である旨を告げると、「大西さん、御祈祷をしてもらうのもいいですが、せっかく伏見稲荷へ行かれるなら、ご自分でお稲荷様を勧請(かんじょう)して来られたらどうですか」という思いがけない言葉が返ってきたのです。

勧請とは、お稲荷様を法徳寺へお迎えさせていただく事ですから、勧請させていただくという事になれば、ただ願いを叶える為の御祈祷と違って、お迎えする側の決意や覚悟も大きく変ってきます。

勧請させていただくという事は、お稲荷様に法徳寺へお越しいただき、末代までも衆生済度のお手伝いをしていただく事を意味しますから、安易な気持ちで勧請する訳にはいきません。

それまで、私の脳裏にあったのは御祈祷していただく事だけで、勧請までは全く考えていなかったので、U氏の言葉は、まさに青天の霹靂でした。

しかし、言われてみればまさにその通りで、最初の驚きは、次第に、お稲荷様を法徳寺に勧請せよとのお大師様、菩薩様のお指図に違いないという確信に変わっていきました。


お稲荷様の依り代


お大師様、菩薩様が、伏見稲荷へ行く前日に、U氏を法徳寺に立ち寄らせるお計らいをなさったのは、その事を伝えたかったからでしょうが、お稲荷様を勧請させていただく事になれば、どうしても決めなければならない事が一つあります。

それは、「何をお稲荷様の依り代(よりしろ)にすればよいのか」という事です。

先ず脳裏に浮かんだのは御幣ですが、御幣よりもっと相応しいものがあるような気がしてならなかったので、あれこれ思案していると、U氏がこう言ったのです。

御幣もいいのですが、法徳寺にある物を、お稲荷さんの依り代にした方がいいと思います。法徳寺にある物なら、石でも木でも何でもいいんです。例えば、以前大西さんからいただいた腕数珠はどうでしょうか。
 腕数珠なら、紙で作った御幣のように破れたりボロボロになる心配はないし、神様にお供えするお水を入れる水玉に入れてお祀りすればいいのです。
 法舟菩薩様の御縁日の十三日に因んで、数珠玉を十三個つないで腕数珠を作り、依り代にされてはどうですか?

U氏からそう提案され、法舟菩薩様のご縁日の腕数珠四月十三日に因んで、十三連の腕数珠を依り代とするのが最も相応しいと確信したのですが、一つ疑問がありました。

そもそも、U氏を伏見稲荷へお参りする前日に法徳寺へ立ち寄らせるお計らいをなさったのは、お大師様、菩薩様ですから、菩薩様の御縁日ではなく、お大師様の御縁日(三月二十一日)に因んで、二十一連の腕数珠を依り代にしてはどうかと、U氏に言わせてもいい筈ですが、何故そう言わせなかったのかという事です。

恐らく、次の二つの理由からではないでしょうか。

一つは、「稲荷大明神勧請(2)」でも述べたように、四月十三日は、菩薩様の御縁日であると同時に、紀伊田辺市で出会ったお大師様と白髭稲荷大明神が、東寺での再会を約束して別れ、七年後に再開された日(弘仁十四年四月十三日)でもあるという事です。

この再会がご縁で、お大師様がお稲荷様をお祀りされたのが、伏見稲荷大社の起源となっており、十三という数字がお稲荷様にとって特別な意味合いを持つ数字である事を考えれば、十三連の腕数珠以外に、お稲荷様に相応しい依り代は考えられません。

もう一つは、「稲荷大明神勧請(5)」で述べるように、天(伏見稲荷大社)に続いて、地(高野山)からも稲荷大明神を勧請させていただく事になり、その時の依り代を、お大師様の御縁日に因んで、二十一連の腕数珠とさせていただいたので、天(伏見稲荷大社)からの勧請には、菩薩様の御縁日に因んだ十三連の腕数珠でなければならなかったという事です。

いずれにしましても、伏見稲荷大社へお参りする目的が、単なる御祈祷ではなく、お稲荷様を勧請する為である事、そして依り代は十三連の腕数珠が相応しい事を伝えるため、伏見稲荷へお参りする前日に、U氏を法徳寺へ立ち寄らせて下さった事は間違いありません。

U氏が山梨へ来られた表向きの理由は、剣術の稽古ですが、それはあくまで山梨へ来させる為のみ仏の手立てに過ぎず、真の目的は、伏見稲荷へお参りするのは、稲荷大明神を勧請する為である事を、U氏に伝えさせる為だったのです。


京都駅への寄り道


U氏とのやり取りを通じて、改めて生き仏様のお計らいの絶妙さに感服させられた事は言うまでもありませんが、彼と別れた後、早速法徳寺に帰り、白い十三個の数珠玉を集めて十三連の腕数珠を作り、翌五月十三日、家族揃って、伏見稲荷大社へお参りさせていただきました。

生憎の小雨模様にも拘らず、境内は、信者らしき人々の他に、海外からの観光客の団体や修学旅行生でごった返し、色とりどりの傘の花が所狭しと咲いていました。伏見稲荷

早速、境内の一角にある神具店で水玉を購入し、本殿で御祈祷をしていただいたのですが、その間、御祭壇に、腕数珠を入れた水玉をお祀りしていただき、「今日は、家族みんなで、お稲荷様をお迎えに参りました。何卒この腕数珠を依り代として、法徳寺にお越し下さいますよう、お願い申し上げます」と心に念じながら、勧請させていただきました。

御祈祷が終わる頃には雨も上がり、無事に勧請を済ませ、晴れてお稲荷様を法徳寺へお迎えさせて頂ける喜びを家族みんなで噛みしめながら、帰路につくつもりでしたが、お大師様、菩薩様は、私たちの予想を遙かに超えるお計らいをしておられました。

一緒に行った子供が、「京都駅前の京都タワーの地下にあるお店に行きたい」と言うので、急遽予定を変更して、京都駅へ寄り道をする事になったのですが、実はこの寄り道の中に、予想もしていなかったお大師様、菩薩様のお計らいが隠されていたのです。

京都タワーの地下と言っても、車を止めておく場所がないので、近くに駐車場はないかと探したところ、京都タワーと反対側の京都駅の南側に、「イオンモール京都」という七階建ての複合施設があり、買い物や食事をする人たちの駐車場があると言うので、お昼前でもあった事から、そこへ車を止め、食事をする事にしました。

子供が行きたい京都タワーは、京都駅を挟んで北側にある為、南側にある「イオンモール京都」から歩いていかなければなりませんが、それでもいいと言うので、妻と子供の二人は、京都タワーまで歩いていく事になり、残った私たちは、イオンモールで昼食を済ませてから、京都タワーの近くで二人と落ち合う事にしました。

食事を済ませた後、京都タワー近くで二人を車に乗せ、その足で山梨へ帰ってきたのですが、その時はまだ、お大師様、菩薩様がお計らいをしておられる事など、知る由もありませんでした。


「イオンモール京都」へ導かれた真の理由


当初は、伏見稲荷にお参りし、勧請を済ませたらすぐに帰る予定でしたが、子供が京都タワーの地下にあるお店に行きたいというので、予定を変更して、京都駅の南側にある「イオンモール京都」へ立ち寄る事になったのですが、このような予定変更は、我々の日常生活の中ではよくある事で、決して珍しい出来事ではありません。

ですから、いつもなら気にもかけず、そのまま見過ごしているところですが、予定変更は、伏見稲荷大社へお参りして稲荷大明神様を勧請した直後だったのです。

お稲荷様の勧請がお大師様、菩薩様のお計らいである事を考えれば、「イオンモール京都」へ立ち寄ったその後の行動も、お大師様、菩薩様のお計らいである可能性が出てきますが、残念ながら、当日はそこまで深く考えないまま帰ってきたので、お計らいに気付かず、気付いたのは、山梨へ帰って数日経ってからでした。

山梨へ帰って暫くしてから、ふと「何故、勧請を済ませた後、わざわざ京都駅の南側にあるイオンモール京都まで寄り道させられたのだろう?」という疑問が頭をもたげてきたのです。

子供が京都タワーの地下にあるお店に行きたいと言うのが表向きの理由ですが、京都タワーへ行くのであれば、京都駅の北側へ行った方が近い筈です。

わざわざ京都駅を挟んで、京都タワーと反対側にある「イオンモール京都」まで行かなければならない必然性はどこにもなく、「イオンモール京都」へ寄り道したのは、私たちをそこへ導きたいお大師様、菩薩様のお計らいに違いありませんが、何故、私たちを「イオンモール京都」へ寄り道させたかったのでしょうか?


伏見稲荷大祭の舞台・御旅所


伏見稲荷大社の起源について、「秦氏系の伊奈利伝承」と「荷田氏系の稲荷伝承」がある事は、「稲荷大明神勧請(2)」でお話した通りですが、伏見稲荷に昔から伝わる伝統行事があるのをご存じでしょうか。

それは、毎年四月二十日直近の日曜日から五月三日までの二週間余りに亘って行われる伏見稲荷大祭で、「神幸祭(しんこうさい)」と「還幸祭(かんこうさい)」という二つの行事から成り立っています。

四月二十日に伏見稲荷を出発した御輿が、「伏見稲荷御旅所(ふしみいなりおたびしょ)」までお出ましになられ、そこに五月三日までの二週間お泊りになり、氏子の参拝を受けられるのが「神幸祭」、そして、最終日の五月三日、東寺へ立ち寄られ、東寺の僧侶から供養を受けた後、伏見稲荷大社へ帰られるのが「還幸祭」で、伏見稲荷大社にとっては、最も重要な毎年恒例の伝統行事です。

この稲荷大祭は、お大師様が、白髭稲荷大明神ご一家を芝守り(柴守)長者の屋敷でもてなされ、東寺の鎮守神としてお祀りされた故事に由来しています。

伏見稲荷大社は、創建年代について、「秦氏系の伊奈利伝承」の和銅四年(711)を採用し、稲荷大祭については、「荷田氏系の稲荷伝承」に則って行っている事から、どちらの伝承も採り入れている事になりますが、白髭稲荷大明神ご一行が滞在された「芝守り(柴守)長者」の屋敷跡と言うのが、実は稲荷大祭の重要な舞台となっている現在の「伏見稲荷御旅所」なのです。

御旅所の存在は、伏見稲荷の起源を調べていく内に知ったのですが、伏見稲荷大社へお参りする前は、東寺の近くにあるのだろうと想像する程度で、どこにあるのかも全く知りませんでした。

ところが、山梨へ帰ってから急に「イオンモール京都」へ立ち寄った事が気になり始め、改めて「伏見稲荷御旅所」の場所を調べたところ、思いもよらぬ場所にある事が分かったのです。

どこにあったかと言えば、何と私たちが車を止めた「イオンモール京都」の真向かいにあったのです。

油小路通りと名付けられた南北に走る幹線道路を挟んで、「イオンモール京都」が東側、「伏見稲荷御旅所」が西側にあって、お互いが向かい合う形になっていたのです。

これを見た時は、私たちを「イオンモール京都」へ寄り道させたお大師様、菩薩様のお計らいの真相が一瞬にして氷解し、その段取りの絶妙さに思わず唸らざるを得ませんでした。

合掌


稲荷大明神勧請(1)
稲荷大明神勧請(2)
稲荷大明神勧請(3)
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稲荷大明神勧請(7)
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