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報道の自由と責任

一部マスコミの偏向報道について(5)



病巣の根深さ


近年、一部のマスコミによる偏向報道が一段と加速し、「国民の知る権利」が脅かされつつある事は周知の事実ですが、今回、「加計学園問題」において再び顕著となった偏向報道姿勢は、改めてマスコミに巣食う病巣の根深さを、全国民に知らしめる結果となりました。

2017年7月10日に行われた「加計学園問題」の参議院閉会中審査において、「行政がゆがめられた」と言う前川喜平・前文科次官の発言に対し、元愛媛県知事の加戸守行氏が、「10年間、我慢させられてきた岩盤規制に、ドリルで穴を開けていただいた。行政がゆがめられたのではなく、ゆがめられてきた行政が正されたのです」と発言した内容を、朝日、毎日の二大新聞が全く報道しなかった事に、批判や疑問が相次いでいます。加計学園問題

これに対し、「報道しない自由を行使しただけだ」という意見もあるようですが、今回のように発言内容が相反し、野党が印象操作に狂騒している極めて政治色の強い事案について、自社や自社の主張に近い特定政党に都合のよい一方の発言だけを報道し、不都合なもう一方の発言を一切国民に伝えないという手段を選ばぬ報道姿勢には、誰もが強い違和感を覚えたのではないでしょうか?

朝日、毎日の二紙が、一方の発言内容しか伝えないという偏った報道姿勢をとったのは、憲法改正を唱える安倍内閣を倒すためだというのが大方の一致した見方で、国民が違和感を感じる最大の要因もそこにあります。

勿論、国民の中には、安倍政権を擁護したい人もいれば、安倍政権を倒したい人もいるでしょうから、国民一人一人が、それぞれの立場や考え方から、その是非を判断すればよい事で、極めて公共性の高いマスコミという立場を利用して、倒閣運動や野党の印象操作の片棒を担ぐ事を良しとするのが二紙の立場なら、強い違和感を覚えるものの、あえて異を唱えるつもりはありません。

ただ、私たちが危惧しなければならないのは、倒閣運動の是非も然ることながら、手段を選ばぬ二紙の報道姿勢の在り方そのものです。

何故なら、今回二紙がとった行動は、マスコミの生命線ともいうべき「報道の自由」と、その大前提である憲法で保障された「国民の知る権利」を、二つの点で大きく損なったからです。

一つは、所謂「報道しない自由」なる詭弁を弄して「国民の知る権利」を大きく損なった点において、もう一つは、事実を在りのまま報道すべきマスコミの責任を大きく損なった点においてです。


報道する自由と責任


先ず、相対する発言の一方しか伝えない「報道しない自由」という詭弁を弄して、「国民の知る権利」を大きく損なった点についてですが、御承知のように、「報道する自由」は、憲法第21条の「国民の知る権利」を守る為に認められた権利と自由で、「報道する責任」と一体不可分のものです。

強大な国家権力、官僚機構が、自らに不都合な情報を隠避し、都合のよい情報だけを流すようになれば、国民の正しい判断は阻害され、権力機構の意のままに操られ、間違った方向に誘導される危険性が高まります。

戦時中、政府が、日本にとって都合のよい情報だけを国民に流し、不都合な情報は一切明らかにしなかったのがその好例で、マスコミも、政府の片棒を担ぐ役割を荷った事は周知の事実です。

このような過去の苦い経験から、憲法21条で「国民の知る権利」が保障され、知る権利を担保する為、マスコミに「報道する自由」が認められたのです。

「報道の自由」が認められた経緯を見れば明らかなように、国民が間違った方向に誘導されるのを未然に防ぐため、知り得る限りの情報を、在りのまま包み隠さず国民の前に示す事は、マスコミに課せられた重い責任であり、いかなる圧力や抵抗があっても守り通さなければならないマスコミの生命線と言っても過言ではないでしょう。

その意味で、「報道する自由」を託されたマスコミは、知り得る限りのあらゆる事実や情報を、賛否の如何を問わず、在りのまま、包み隠さず、正確に、国民に伝える責任(報道する責任)を国民に負っている事になります。

「報道する自由」が「報道する責任」と一体不可分の権利である事を考えれば、「報道する自由があるのだから、報道しない自由もあって当然だ」という奇妙な論理は、どこからも出てきません。詭弁以外の何ものでもない事がよく分かります。

ましてや、「報道しない自由」が、報道する側のマスコミに不都合な情報を伝えない事を正当化する為の道具に利用されているとすれば由々しき問題で、「国民の知る権利」を守る上で欠かせない「報道する責任」を、マスコミ自ら放棄したものと言わねばなりません。

問題なのは、朝日、毎日の二紙が、たとえ安倍政権の倒閣運動の為とは言え、「報道する責任」を自ら放棄し、国民の信頼を大きく裏切った事です。

そればかりか、マスコミ全体に対する信頼をも大きく損ねた点において、二紙の責任は重大と言わねばなりません。

不都合な事実を隠そうとする国家権力、官僚機構から、国民の知る権利を守る為に認められた「報道する自由」の旗手である筈のマスコミが、今や監視される権力機構と同じ立場に立つという前代未聞の珍事を、朝日、毎日の二紙は、我々国民の前で、見事に演じて見せてくれたのです。


報道しない自由の実体


「報道しない自由」と言えば、一見尤もらしく聞こえますが、その実体は、「国民に知らせたくない事実を知らせない偏向的自由」であり、「国民に知られては困る情報を伝えない隠匿の自由」に他なりません。

危惧するのは、国民に知られては困る事実を知らせない「報道しない自由」を、国家権力側ではなく、国民から「報道する自由」を託されたマスコミ側が行使する時、国民が被る余りにも大きな損失です。

何も知らない国民は、今まで、自分たちの側に立っている筈のマスコミが、国民を騙し、不都合な事を隠す筈がないと、固く信じてきました。だからこそ、その深刻さは、国家権力側が知らせない自由を行使する時の比ではないのです。

皮肉にも、今回の加計学園問題での二紙の目に余る偏向報道は、マスコミといえども、国家権力と同様、否、それ以上に「国民に知られたくない事実」を隠すのだという当たり前の現実を、国民の前にハッキリ示してくれたのですから、その意味では国民にとって幸いだったと言えるかも知れません。

今まで素朴にマスコミを信じてきた人々に、覚醒を促す一定の効果があった事は間違いないでしょう。


隠された真相


二つ目は、事実を在りのまま報道すべきマスコミの責任を放棄した点についてですが、朝日、毎日の二紙が、加戸発言を一切報道しなかったのは、いま述べたように、加戸発言が、二紙にとって「国民に知らせたくない事実」であり、「国民に知られては困る情報」だったからでしょうが、何故、加戸発言が国民に知られては困るのでしょうか?

それは、加戸発言の中に、加計学園問題の真相が語られており、その真相を知られては何としても倒閣運動を成功させたい自分達に不利益となるからに他なりません。

もし二紙が、前川発言が正しく、加戸発言が間違っていると確信しているなら、誰に隠す必要がありましょう。

発言内容をありのまま伝えた上で、正々堂々と、国民の前に、加戸発言が間違っている事を、根拠を示して証明し、説明すればいいのです。

それが自由に出来るのが、まさに憲法で認められた「報道の自由」の自由たる所以であり、同時に、マスコミに課せられた使命でもありましょう。

しかし、それをしなかったのは、「都合のいいことはカットされて、私の申し上げたいことを取り上げて頂いたメディアは極めて少なかったことは残念」という加戸発言が雄弁に物語っているように、加戸発言を正しいと認めざるを得なかったからでしょう。

勿論、それを認めれば、今まで報道してきた事が、倒閣運動や野党の印象操作の片棒を担ぐ手段として、意図的に捏造されたものである事が明らかになってしまいますから、口が裂けても認められません。

そこで、「報道しない自由」という詭弁を弄し、不都合な発言を国民の眼から隠そうとしたのですから、もはや「報道する自由」を託されたマスコミを名乗る資格はありません。

インターネットが網の目のように張り巡らされている現代では、国民の眼を欺き通す事はもはや不可能と言えましょうが、所謂「報道しない自由」が、「報道する責任」と相容れない隠匿の自由であり、彼らの詭弁である事は、誰の目にも明らかです。

勿論、マスコミにも、マスコミ独自のカラーがあり、それぞれのカラーに基づいて自社の主義主張を、誰の干渉も受けずに発信する事は自由であり、その事を否定するつもりは全くありません。

しかし、自社の意見を主張する事と、その前提として、いま問題になっている事実を賛否両論問わず、すべて包み隠さず国民に知らせる責任がある事とは全く別問題です。

朝日や毎日の主義主張が正しいか否かの判断も、実は、すべての事実が国民の前に明らかにされて、初めて可能となるのです。

もし、朝日や毎日に都合のよい情報しか知らされなければ、国民は、朝日や毎日の主張が正しいのか、間違っているのかの判断さえ出来なくなり、「国民の知る権利」を著しく損なう事になります。


一部マスコミの偏った正義


それとも、「事の是非の判断は我々マスコミがするから、何も知らない国民は、そんな判断をする必要はない」とでも強弁されるおつもりなのでしょうか?

そんな事は万が一にもないと思いますが、最近驚くべきニュースを耳にしました。

テレビ朝日アナウンス室長の大下容子氏が、「蓮舫二重国籍問題を一切報道しないのは何故ですか?」 という視聴者からの問い合せに対し、「報道しない権利と自由、これが我がテレビ朝日の正義です。文句があるなら、日本人として恥だと思います。今後一切テレビ朝日を見ないで欲しい」と答えたというのですが、本当なのでしょうか?

もし本当だとすれば、「報道する自由と責任」を国民から託されたマスコミ人としての資質を疑わざるを得ません。

「テレビ朝日の正義」があるなら、国民の一人として視聴者にも「視聴者の正義」があり、その「視聴者の正義」の視点から、テレビ朝日の報道姿勢に疑問をなげかけたとしても、何ら非難されるべき事ではありません。

むしろ「文句があるなら、日本人として恥だ」と非難し、「テレビ朝日の正義に従いなさい。それが出来ないなら、見ないで欲しい」と、まるで独裁者のように服従を強いる高慢な態度こそが、問題であって、大下氏の発言のどこに、「テレビ朝日の正義」を見出せばいいのか、理解に苦しみます。

テレビ朝日の報道姿勢に賛成の視聴者もいれば、反対の試聴者もいるのは、民主主義国家なら当たり前であって、だからこそ、反対意見にも、より一層真摯に耳を傾けるのが、成熟した民主主義国家に生きるマスコミ人の在るべき姿ではないでしょうか?

政府に都合のよい事実や情報しか報道しない、報道出来ない共産主義国家のマスコミならいざ知らず、自由に発信できる民主主義国家のマスコミに籍を置く大下氏の発言を聞いていると、まるで共産主義国家のマスコミ人の発言を聞いているような錯覚さえ覚えます。

偏向報道が当たり前の共産主義国家のマスコミと同じ報道姿勢に終始する一部マスコミの現状を見れば見るほど、その行動に疑問を抱き、将来に不安を抱く人が出てくるのは当たり前で、それが、平和を願う民主主義国家の国民の在るべき姿ではないかと思います。

その意味で、「蓮舫二重国籍問題を一切報道しないのは何故ですか?」 という視聴者の疑問は至極尤もであり、テレビ朝日には、「何故報道しないのか?」という疑問に真摯に答える責任があります。

民主主義国家であればこそ、マスコミといえども、国民の疑問や批判の眼から逃れる事は出来ないのです。

にも拘わらず、疑問には一切答えず、「文句があるなら日本人として恥だ。今後は一切見ないで欲しい」と突き放す態度は、とても「事実に基づく公平公正なる報道」を旨とする公共の電波を預かるマスコミ人の姿勢とは思えません。

たとえ自社の主義主張に添わなくても、否、自社の主義主張に添わない意見であればなおさら、どのような疑問にも真摯に向き合い、丁寧に説明していく責任があるのではないかと思います。

野党議員が、盛んに口にする「説明責任を果す」事の使命の重さを自覚しなければならないのは、実はマスコミ自身なのです。

国民は、信頼するに足るマスコミか否かを、絶えず注視して見守っている事を、決して忘れてはならないでしょう。


偏向報道の先にある悲惨な未来


いくらマスコミといえども、有った事を無かった事に、無かった事を有った事には出来ません。否、「国民の知る権利」を守るべき立場にあるマスコミだからこそ、有ったことを無かった事に、無かった事を有った事にしてはならないのです。

我々国民が、一部マスコミの報道姿勢に不安を覚えるのは、有った事を無かった事に、無かった事を有った事にしようとする偏向報道の中に、国民を再び戦争の惨禍に巻き込む危険性の萌芽を見る思いがするからです。

例えば、自社の主義主張に添わない政権を倒すため、手段を選ばぬ偏向報道姿勢をとる朝日、毎日ですが、自社の主張に添った政権が誕生した時、どのような報道姿勢を取るのでしょうか?

恐らく、政権にとって不都合な事はひたすら隠し、都合のよい事実だけしか報道しない偏向姿勢を貫くでしょう。

その先に待っているのは、「報道しない自由」を盾にして、自社に都合のよい政権を擁護する情報だけを流し、国民を誤った方向に誘導し、戦時中にあったような滅亡の道へと突き進む暗黒の未来ではないでしょうか?

御承知のように、朝日新聞は、戦時中、当時の政府の対応を弱腰と批判して戦争を煽り、国民を徹底的にたきつけて戦争を賛美し続け、日本の軍国主義化に協力して日本を破滅に導いた過去を背負っています。

戦後、朝日新聞は、その反省の下に生まれ変わり再出発をしたと言われていますが、戦時中に見られた偏向報道姿勢は本当に改まったのでしょうか?

残念ながら、朝日新聞の言う過去の反省は、「珊瑚礁記事捏造事件」「慰安婦強制連行捏造事件」「吉田調書誤報事件」など、その後の一連の捏造事件を見る限り、報道姿勢に活かされているとは到底思えません。それどころか、偏向報道は、戦時中にもましてエスカレートしているのではないでしょうか?

マスコミが恣意的な判断で、偏った情報しか報道しない姿勢をとり続ければ、どれほどの不利益を被るかを、我々国民は、戦時中は無論の事、これまでの一連の捏造事件によって痛いほど思い知らされてきました。

我々が、偏向報道姿勢に真っ向から反対するのは、再びマスコミの偏向報道によってもたらされる様々な不利益や、その最悪のシナリオとも言うべき戦時中の日本のような悲惨な状況になる事を懸念しているからです。

もしこのまま偏った報道姿勢に沈黙すれば、日本は再び、滅びの道へ進んでいく事になるかも知れません。

杞憂である事を祈らずにはいられませんが、今回の加計学園問題で示された手段を選ばぬ偏向報道は、一部マスコミの報道姿勢の中に、いまなおそのような危険性の萌芽が見え隠れしている事を、改めて我々国民に強く印象付けたのです。

合掌


報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(1)
報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(2)
報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(3)
報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(4)
報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(5)
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