桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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病むも好し、生きるも死ぬもみんな好し(4)



生死の中に仏あれば生死なし


曹洞宗を開かれた道元禅師は、死の苦しみを克服する上で大切な事は何かについて、次のように述べておられます。

生死(しょうじ)の中に佛あれば生死なし。但、生死即ち涅槃(ねはん)と心得て、生死として厭(いと)ふべきもなく、涅槃として欣(ねが)ふべきもなし。この時初めて生死を離るる分(ぶん)あり。

つまり、「苦しみの中にみ佛がいれば、もうそこに苦しみはない。苦しみこそが救いだと悟る事が出来れば、もはや苦しみを厭ふ事も、救いを願う事もない。この境地に到達した時、初めて苦しみを乗り越える事が出来る」と言う事です。

私たちはみな、苦しみと救い、地獄と極楽、不都合と好都合を分別し、苦しみをもたらす不都合な地獄を恐れ、救いをもたらす好都合な極楽へ往きたいと願っています。

しかし、そのような分別心がある内は、地獄の苦しみを克服する事も、極楽の救いを手に入れる事も出来ません。

何故なら、地獄と極楽を分別し、自分にとって不都合な地獄を忌み嫌い、好都合な極楽を願うその心が、実は地獄、極楽を作り出している張本人だからです。

そうならない為には、不都合と好都合を分別する事を止め、いかなる出来事であっても、在るがまま受け止められる全肯定の心を養わなければなりません。

「不都合な生死の苦しみを忌み嫌う心にも、好都合な涅槃の救いを願う心にも執着せず、すべてを在るがまま受け入れられる全肯定の心が確立出来た時、初めて不都合な生死の苦しみを克服する事が出来る」と、道元禅師はおっしゃっておられるのです。


災難をのがるる妙法


良寛和尚も、同じ事をおっしゃっておられます。

災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候。是はこれ災難をのがるる妙法にて候。

「災難に遭う時は災難に遭いなさい。お迎えが来た時は、素直にお迎えに従いなさい。それが災難を逃れる唯一の方法です」とは、いかにも良寛さんらしい言い方ですが、要するに、災難や死そのものが災難ではなく、災難や死を恐れ、忌み嫌う分別心こそが、わが身に災いを及ぼす本当の災難であるという事です。

勿論、災難に遭いたい人など一人もいません。誰だって災難は避けたいし、死にたくないのです。これが人情であり、そう願ったとしても、誰からも責められる筋合いはありません。

誰もが災難に遭わずに暮らせたら、それに越した事はなく、それは良寛さんとて同じです。いくら良寛さんでも、自ら進んで災難に遭いたいとは思わないでしょう。

しかし、いくらそう思っていても、避けられないのが災難というものです。ましてや、必ずやってくる死は、避けようがありません。

良寛さんが説いておられるのは、もし不幸にして災難に遭ってしまった時や、死に直面した時の心構えです。

「無難に生きるのは良いが、災難に遭うのは嫌だ。長生きするのは良いが、死ぬのは嫌だ」という分別心があると、不都合な災難や死を前にして、在るがまま受け入れる事が出来ず、死の恐怖を克服する事も難しくなります。

私たちの思い方一つ、受け止め方一つで、地獄が極楽にもなれば、極楽が地獄にもなるからこそ、不都合な災難や不都合な死を、一切在るがまま受け入れられる全肯定の心を養い、思い方、受け止め方を変えてゆく事が大切なのです。


地獄の苦しみを克服された菩薩様の言葉


人々の罪や苦しみを代って背負う代受苦行(だいじゅくぎょう)は、様々な修行の中でも、難行中の難行と言われる修行で、お地蔵さまが、この代受苦行を誓っておられる事はよく知られていますが、その代受苦行の真っ只中で法舟菩薩様がおっしゃった言葉があります。

それは、「お大師様はただ信じるのではなく、信じ切らなければならない。み仏はただ信じるのではなく、信じ切らなければならない」「有り難い」という二つの言葉ですが、何故、地獄のような苦しみの中におられた菩薩様の口から、「有り難い」という言葉が出てきたのでしょうか?

このような状況に置かれた時、私たちの口から出てくるのは、「有り難い」という感謝の言葉ではなく、み仏に対する不信感や怒りの言葉です。

有り難い」という言葉は、そのような好ましくない状況からは、決して出て来ません。

では何故、代受苦行の真っ只中におられた菩薩様の口から、感謝の言葉が出てきたのでしょうか?

その疑問を解く鍵が、「お大師様はただ信じるのではなく、信じ切らなければならない。み仏はただ信じるのではなく、信じ切らなければならない」というもう一つの言葉です。

菩薩様がおっしゃった「有り難い」という言葉と、「お大師様はただ信じるのではなく、信じ切らなければならない」という言葉は表裏一体であり、どちらかが欠けても、菩薩様の真意を理解する事は出来ません。

菩薩様は、この言葉によって、「み仏を信じ、お大師様を信じ切っていれば、たとえ地獄のような苦しみであっても、どんな不都合な状況であっても、在るがまま受け入れさせて頂ける」事をはっきり示されたのです。

この言葉を見れば、菩薩様が、すべてを見抜き見通しておられるみ仏のお計らいに全幅の信頼を置き、在るがままを受け入れておられた事がよく分ります。

み仏を信じ切っておられたのは、み仏のお計らいに万が一の狂いも間違いもない事を確信しておられたからです。

ですから、お大師様と一体であった菩薩様にとっては、たとえ地獄のような苦しみの中にあっても、そこはもう地獄ではなく、極楽だったのです。

良寛さんが、「災難に遭う時節には災難に遭うがよく候。死ぬる時節には死ぬがよく候」と喝破されたのも同じで、ただの痩せ我慢でおっしゃった言葉ではありません。

逆に言えば、お大師様を信じ切る心も、み仏を信じ切る心もなければ、たとえ極楽であっても、そこはもはや地獄と何ら変わりないという事です。


分別心を無くせ


何度もお話しているように、死そのものは、生と表裏一体の関係にある大自然の摂理であり、諸行無常の真理のひとこまに過ぎません。

にも拘わらず、私たちが、その死を苦しみと感じるのは、好都合な生と不都合な死を分別し、好都合な生に執着しているからです。その分別心、執着心がある内は、本当の極楽は決して見えてきません。

例えば、もしみ仏から、「一緒に地獄へ行って、苦しむ人々を救う手助けをしてくれませんか」と言われたら、あなたはどうされますか?

「はい、分りました。み仏とご一緒なら、喜んで地獄へお供させて頂きます」と答えますか?それとも、「極楽ならお供しますが、地獄はどうかご勘弁下さい」と答えますか?

もし前者であれば、み仏と共に行く地獄は、もはや地獄ではありません。

道元禅師がおっしゃった「生死の中に佛あれば生死なし。地獄の中に佛あれば地獄なし」です。

しかし、心の中に「極楽へは行きたいが、地獄は嫌だ」という分別心がある限り、み仏のお指図には素直に従えないのです。

ここで私たちに必要なのは、幸不幸、好都合と不都合を色分けする分別心ではなく、み仏に対する信仰心なのです。


地獄・極楽の在り処


「み仏を信じれば、あの世の極楽浄土へ往生出来ます」と説く宗派もありますが、そんな理想郷を未来の彼方に描いてみても、極楽の扉は開かれません。

何故なら、地獄、極楽は表裏一体ですから、極楽があるところには、必ず地獄もあるからです。

もしあの世に極楽があれば、地獄もあの世にあります。この世が地獄なら、極楽もこの世にあります。

この世が地獄の世界だから、あの世に行かないと極楽の世界がないなどという事は断じてありません。

この世であろうと、あの世であろうと、地獄、極楽は、私たちの居るところにあります。何故なら、地獄も極楽も、自らが作り出す世界だからです。

この世にいる内は、この世の自分が地獄にもなれば、極楽にもなります。あの世へ行けば、あの世の自分が地獄にも極楽にもなるのです。

『道歌集』の中に、
  問うてみよ 己が心の奥底に
    仏もいれば 鬼もいるなり
 という道歌があるように、己が心が地獄(鬼)を作り、極楽(仏)を作るからこそ、その心を変えなければ、この世に居ても、あの世へ行っても、何も変わらないのです。

すべては自分次第であり、思い方、受け止め方ひとつにかかっているのです。

合掌

平成28年7月3日


病むも好し、生きるも死ぬもみんな好し(1)
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