桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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涅槃について(1)

─ 常楽会に寄せて ─



お釈迦様が御入滅された日


節分と共に、2月に行われる大切な仏教行事が、常楽会(じょうらくえ)です。

2月15日に御入滅されたお釈迦様のご苦労を偲び、ご遺徳を讃え、報恩の誠を捧げるのが常楽会で、涅槃会(ねはんえ)とも言いますが、お釈迦様のお誕生をお祝いする4月8日の仏生会(ぶっしょうえ)、お悟りを開かれた日をお祝いする12月8日の成道会(じょうどうえ)と共に、仏教の三大法要と言われています。

言い伝えによれば、お釈迦様は、生まれ故郷のカピラヴァストゥへ向かう旅の途中、鍛冶職人のチュンダの家に立ち寄られ、食事の供養を受けられましたが、チュンダが供した「スーカラ・マッダヴァ」という食事が原因で、激しい腹痛や嘔吐、下痢を起こされたのです。

「スーカラ・マッダヴァ」は、「野生豚の柔らかい肉料理」とも「野生豚が好むキノコ類の料理」とも言われていますが、実のところよく分っていません。

いずれにせよ、お釈迦様が激しい食中毒に罹られた事は間違いなく、衰弱した体を労わりながらクシナガラに到着されたお釈迦様は、2本の沙羅の樹(サーラ樹)の間に疲れた体を横たえながら、弟子たちが見守る中、最後の教えを説かれました。

その説法は、弟子たちの手によってまとめられ、涅槃経という経典として、今日に伝えられていますが、最後に説かれたのも、やはりすべては移り変わり、永遠なるものはないという、八十年のご生涯を通して説き続けてこられた無常の真理でした。

「さあ、修行僧たちよ、お前たちに告げよう。もろもろの事象は過ぎ去るものである。怠ることなく修行を完成させなさい」


涅槃と御入滅の違い


涅槃の意味について、世間では、「お釈迦様が亡くなられた事だ」と誤解しておられるお方も少なくありません。

菩薩様が救いを求めてお四国霊場へ行かれた時、第21番札所・太龍寺で出会った旅の御僧に道を求めたところ、「苦しい事や分からない事があれば涅槃でお聞きなさい」と教えられ、お参りした各霊場で涅槃について尋ねると、「涅槃とはお釈迦様が死んだ事だ」と答える霊場があった事は、でお話しましたが、お寺でさえ誤解しているのですから、一般の人が、涅槃の意味を誤解したとしても無理はありません。

しかし、涅槃に入るとは、お釈迦様が亡くなられた事ではありません。

涅槃とは、梵語の「ニルバーナ」を音写したもので、「滅する」という意味ですが、この「滅する」は、肉体が滅する、命が滅するという意味ではなく、私たちを苦しめている煩悩が悟りの智慧によって滅する事を意味します。

つまり、「涅槃に入る」とは、死ぬ事ではなく、悟りの世界に入る事を言うのです。お釈迦様が亡くなられたのは、涅槃ではなく、ご入滅なのです。

では、お釈迦様はいつ涅槃に入られたのでしょうか?

もし80歳で亡くなられ時に涅槃に入られたのであれば、お釈迦様は、80歳までお悟りを開いておられなかった事になりますが、これはどう考えてもおかしな話です。

お釈迦様は、菩提樹の下でお悟りを開かれ、仏陀の位に就かれたと言われていますから、涅槃に入られたのは、菩提樹の下でお悟りを開かれた35歳の時と言っていいでしょう。

では何故、お釈迦様の御入滅を、弟子たちは、「涅槃」と言ったのでしょうか?

後世の弟子たちは、お釈迦様が菩提樹の下でお悟りを開かれた時は、まだ肉体(余)という煩悩の火種が残っている状態でのお悟りであり、煩悩の火種はまだ完全に消えてはいなかったと考えて、これを「有余涅槃(うよねはん)」と名付けました。

そして、80歳で御入滅された時は、肉体(余)も完全に消滅し、煩悩の火種が完全に消えた状態でのお悟りの姿であったと考え、これを「無余涅槃(むよねはん)」と名付けたのです。


煩悩即菩提


弟子たちは、肉体(余)の有無によってお釈迦様のお悟りの姿(涅槃)を分けて考えたのですが、涅槃の意味を考えると、肉体の有無によって涅槃を分ける事には少し疑問が残ります。

何故なら、「煩悩即菩提」という言葉があるように、肉体と言う煩悩の火種があるからこそ、火種を消す悟りの聖水が必要なのであって、肉体が消滅し、煩悩の火種そのものが無くなれば、悟りの聖水も必要なくなり、悟りによって開かれる涅槃の境地が存在する意味もなくなるからです。

四苦八苦の人生があるからこそ、四苦八苦を乗り超えるお悟りの智慧が求められ、その求めに応じて、お釈迦様が出世されたのです。

もし肉体と言う煩悩の火種そのものが無くなれば、お悟りの智慧もお釈迦様の出世も必要ありません。

つまり、無余涅槃と名付けられた、肉体という煩悩の火種が消滅した状態は、涅槃とは何の関係もない、涅槃という概念そのものが存在価値を持たない状態なのです。

有余涅槃と名付けられた、煩悩の火種を残したままの状態での涅槃の境地のみが、真の涅槃の姿であり、それ以外に涅槃と呼ぶべきものはありえないという事です。

その意味で、お釈迦様の死をも涅槃と呼ぶのは、涅槃の真の意味を誤解させる恐れがあり、やはり御入滅と言うべきだと思います。

お釈迦様は35歳でお悟りを開かれ、仏陀と成られてからは、いかなる事があっても微動だにしない涅槃の境地に住しておられた筈であり、その境地は、80歳で亡くなられた時も全く変わらなかったのです。

その事は、この後で詳しくお話しますが、御入滅によって完全なる涅槃の境地に到達された訳ではありません。

繰り返し申しますが、煩悩があってこその悟りであり、煩悩があってこその涅槃ですから、肉体と言う煩悩の火種が消滅する死によって、完全なる涅槃の境地に到達されたと考えるのには疑問が残ります。

それは、肉体と言う煩悩の火種が残っている内は、不完全な悟りしか得られないと言っているのと同じだからです。

肉体と言う煩悩の火種があるからこそ、完全なる涅槃の境地も開け、涅槃の境地を開く意味もあるのです。

そして、その事を証明されたのが、お釈迦様だった事は疑う余地がありません。

35歳でお悟りを開かれたお釈迦様の涅槃の境地は、死を前にしても微動だにしなかったのです。

その意味からすれば、ご入滅された2月15日に執り行う法要は、「涅槃会」と呼ぶより「常楽会」と呼んだ方がより正確ではないでしょうか。

勿論、「常楽会」と呼んだ方がよいという意味は、お釈迦様の御入滅に何の意味もないと言う意味では決してありません。

むしろその逆で、お釈迦様の御入滅時のお姿は、35歳でお悟りを開かれたお釈迦様の仏陀たる真のお姿と涅槃の境地が全く変わっていない事を、誰の目にも分る形で示された最後の大説法であり、仏陀として生きてこられた80年の人生の集大成と言っても過言ではないでしょう。


釈迦御入滅図に隠された秘密


お釈迦様の御入滅のお姿を描いた「釈迦涅槃図」と言われる仏画がありますが、今お話したように、お釈迦様の御入滅を涅槃と呼ぶのは、涅槃の真の意味を誤解させる恐れがあるので、ここではあえて「釈迦入滅図」と呼ぶ事にします。

「釈迦入滅図」の中心には、頭を北に向け、右脇を下にして、静かに横たわっておられるお釈迦様が描かれ、諸菩薩や十大弟子をはじめあらゆる生類が、御入滅されたお釈迦様を囲み、慟哭している情景が描かれています。涅槃図

無常の世であり、愛する者とも、親しい者とも、尊敬する者とも分かれなければならない事は、理屈では分っていても、やはり悲しいものは悲しいのです。

私自身、菩薩様とお別れした時の事が今でも脳裏に焼きついていますので、お釈迦様の死を受け入れられない十大弟子や他の生類たちの気持ちは、痛いほど分ります。

しかし、それと対照的なのが、お釈迦様の安らかな表情で、その表情を見れば、一切が移り変わっていく諸行無常の真理を悟られ、自らの死を在るがまま受け入れておられる事がよく分ります。

しかし、お釈迦様の表情が安らかな理由は、それだけでしょうか?

御入滅される前、お釈迦様には、大きな試練が訪れていました。

冒頭でお話したように、チュンダが供養した食事によって激しい腹痛や嘔吐、下痢を起こされ、やがて死を迎えるという、仏陀と成られたお釈迦様には相応しくない最期を迎えようとしておられたのです。

もし私達が、お釈迦様と同じ立場に立たされたら、どんな態度をとったでしょうか?

恐らく、料理を出したチュンダに恨み言の一つも言ったでしょうし、まだやるべき事が残っていると、この世への未練を口にしていたかも知れません。

しかし、お釈迦様の口からは、一言の恨みも、未練の言葉も出てきませんでした。それどころか、チュンダを諭し、その功徳を讃えられたのです。

チュンダが食事の供養をした事を非常に悔いていると知らされたお釈迦様は、阿難尊者を呼び、「私は悟りを開く時に、スジャータという牧場の娘から、乳粥の供養を受けた。そして今またチュンダが、涅槃に入ろうとする私に食事の供養をしてくれた。スジャータの功徳も尊いが、チュンダが積んだ功徳は、それに勝るとも劣らぬほど尊いのだよ。そうチュンダに伝えなさい」と命じられました。

「釈迦入滅図」に描かれたお釈迦様の表情が安らかなのは、その心が、すでにどんな不都合な事をもすべて在るがまま受け入れ、一切を許し、その救いを祈れるまでの涅槃の境地に到達しておられたからです。


天地の大いなる計らい


誤解を恐れずに言えば、この食中毒による死こそ、八十年のご生涯を閉じられるお釈迦様の最後に相応しい天地のお計らいと言ってもいいのではないでしょうか。

何故なら、お釈迦様が仏陀に相応しいお悟りの境地に到達しておられる事が、チュンダに対する態度によって、ハッキリ示されたからです。

もしお釈迦様が、誰もが願う大往生を遂げておられたら、どうだったでしょうか?

恐らく、本当に涅槃(お悟りの境地)に到達しておられたのかどうか、後世の私達には、想像はできても、「間違いなく仏陀となっておられた」と確信し、断言する事は出来なかったのではないでしょうか。

大往生の死なら、仏陀となっていなくとも、在るがまま受け入れられたかも知れないからです。

しかし、激しい食中毒による衰弱死という、一見、仏陀としてのご生涯に相応しからぬ最期を迎えられたからこそ、お釈迦様の心の奥底までハッキリと知る事が出来たのです。

御入滅から2,500年もの歳月が経った今、私たち仏教徒が、「このお方は、間違いなく仏陀となられたお方である」と確信を持って言えるのは、最後のお計らいがあったからこそです。

「よくぞお釈迦様に食事の供養をしてくれました」と、チュンダにお礼を言いたい気持ちでいっぱいですが、そのようなお計らいが人生の幕を閉じる最期に訪れた事に、大いなる天地の計らいを感じないではいられません。

お釈迦様が、「スジャータの功徳も尊いが、チュンダが積んだ功徳は、それに勝るとも劣らぬほど尊いのだ」とおっしゃったのは、お釈迦様ご自身が、後の世までも、仏陀であった事に微塵の疑いも起こらぬようにという天地のお計らいを強く感じ取っておられたからではないでしょうか。

「チュンダは、大いなる天地のみ心によって、私に激しい下痢を起させるため、食事を供養させられたのだ」というお釈迦様の深いお悟りがなければ、その口から「チュンダの功徳は計り知れない」という言葉が出て来る筈がありません。

「釈迦入滅図」に描かれたお釈迦様の安らかな表情の裏には、後の世の事まで考え、チュンダに供養をさせた天地の深いみ心を悟り切っておられたお釈迦様の確信が秘められているのではないでしょうか。

合掌

平成28年2月15日


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