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生きる目的を見失っているあなたへ(1)



人はパンのみにて生くる者に非ず


法徳寺のWebSite『救いの扉』を訪問して下さった皆様から、よく悩み事に関する人生相談メールを頂きますが、それらのメールには、必ずと言っていいほど「生きる目的が分らなくなりました」「生きる希望を失いました」「人生のどん底に居ます」「万策尽きました。死にたいです」等々の文言が並んでいます。

人生相談メールを送って来られる皆様の多くが、口々に「生きる目的が分らなくなりました」という悲痛な叫びをあげておられるのを見る度に、つくづく人間にとって「生きる目的とは何か」を考えさせられます。

「人はパンのみにて生くる者に非ず」という言葉があるように、人生の目的は、ただ衣食住を満たす為だけにあるのではありません。

しかし、改めて「何の為に生きているのですか?あなたにとって生きる目的とは何ですか?」と問われて即座に答えられるお方も、そう多くはいないだろうと思います。

「生きる目的」の中味が曖昧なまま、いくら「生きる目的」について考えてみても、余り意味がありません。

だからこそ、先ず「生きる目的」の意味を知っておく必要がありますが、実のところ「生きる目的」ほど、曖昧で捉えどころのないものはありません。

人生相談メールを頂く中で気付いた事が一つあります。

それは、多くの皆様が、「生きる目的」と「夢を実現する事」を混同しておられるという事です。

もし夢を実現する事が「生きる目的」であるなら、夢を実現できなかった人は、「生きる目的」を見失う事になります。

そればかりか、実は夢を実現した人でさえ、夢を実現した段階で「生きる目的」を失う事になるのです。

つまり、夢の実現を「生きる目的」と捉えている限り、夢が実現してもしなくても、遅かれ早かれ「生きる目的」を見失ってしまう事は、前もって分っているのです。

人生相談メールの中に書かれている「生きる目的が分らなくなりました」「生きる希望を失いました」等々の言葉は、まさに「生きる目的」と「夢の実現」を混同する中から必然的に出てきた言葉と言っていいでしょう。


夢と「生きる目的」の違い


「生きる目的」については、百人百様の考えがあろうかと思いますが、少なくとも、自分の思い描いた夢が実現するか否かに拘らず、常に目の前にあって、私達を導いてくれるものでなければなりません。

つまり、夢の成否は、実現するか否かによって左右されますが、「生きる目的」は、夢のように、実現の成否によって左右されるよう変転極まりないものでは決してないという事です。

子供の頃は、誰もがみな自分の将来像を思い描きながら、夢の実現に向かって歩んでいこうと考えるものです。

男子は、パイロット、医師、政治家、弁護士、実業家、野球選手、サッカー選手など、女子は、保母さん、看護士さん、モデルやタレントなど、様々な将来像を胸に膨らませながら成長していきますが、いかなる将来像であっても、それは実現したい夢に過ぎません。

それに対し「人生の目的」とは、将来の夢が何であれ、どのような職業に就こうが、どのような人生を歩もうが、その成否に左右される事のない、どんな夢の中にも必ず一貫して流れている普遍的なものです。

就く職業によって変わったり、実現しなかったからと言って無くなってしまうものでは決してなく、そんな変転極まりないものは、「生きる目的」とはなりえません。

夢は、時代や年齢や環境の変化によって次々と変わりうる可能性を秘めていますが、「人生の目的」は、どこに居ても、何年経っても、夢の成否に拘らず、決して変わる事のない普遍性を持っているのです。

そこが、「夢」と「人生の目的」の根本的に違うところで、人生相談メールを送って来られる皆様の多くが、「分らなくなりました」「見失いました」と仰っておられるのは、実は「生きる目的」ではなく、思い描いていた夢が挫折し、これからどんな夢を描いて生きていけばよいのか分らなくなっているだけなのです。

ですから、「生きる目的」を見失ったと思い込み、悲観する必要は全くありませんし、挫折感を味わう事もありません。

たとえ一時的に叶えたい夢が挫折し、将来像が見えなくなったとしても、「生きる目的」は、今も目の前に厳然と存在し、私やあなたを導いてくれているのです。


自分の正体


夢が実現するか否かに拘らず、いつも目の前に存在し、私やあなたを導いてくれている普遍的な生き方(生きる目的)とは何でしょうか?

お大師様は、『秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)』という書物の中で、
  三界(さんがい)の狂人は狂せることを知らず
  四生(ししょう)の盲者は盲なることを識(さと)らず
  生まれ生まれ生まれ生まれて、生(しょう)の始めに暗く
  死に死に死に死んで、死の終りに冥(くら)し
(注1)
 と説いておられますが、普遍的な生き方(生きる目的)を知る為には、自分の正体を知り、魂の出処を知らなければなりません。

何故なら、自分の正体を知り、魂の出処を知る事が出来れば、普遍的な生き方(生きる目的)も自ずと明らかになり、たとえ夢に挫折しても、いかなる困難に遭遇しても、「生きる目的」を見失う事はないからです。

私達は一体何者なのか?何処から来て、何処へ帰っていくのか?

恐らく大多数の方々が、今日まで、自分の正体について深く考える事もなく過ごして来られたのではないでしょうか。

それは、自分自身と対峙せざるを得ないほどの困難な状況に遭遇して来なかったという意味では、幸せだったと言えるかも知れません。

しかし、自分の正体を知るご縁に恵まれなかったという意味では、不幸だったとも言えます。

その好例が「生きる目的が分からなくなりました」という人生相談メールを送って来られた皆様で、表面的に見れば、不幸な状況に置かれているように見えますが、実はいま自分自身と向き合わなければ前に進めない状況に置かれているという意味では、幸せな皆様でもあるのです。

何故なら、ようやく自分自身と対峙し、その正体を知るご縁が巡ってきたからです。


人生のどん底に墜ちてよかったですね!


多くの皆様が、「生きる目的が分らなくなった」と言って悲観しておられる姿を見る度に残念でならないのは、自己の正体を知る又とないご縁が巡ってきているのに、ご縁を生かすどころか、無にしようとしておられる事です。

「生きる目的」が分らなくなっている今だからこそ、「生きる目的とは何か、自分は一体何者なのか」を深く探求し、自己の正体を知る又とない機会なのです。

ですから、「生きる目的が分らなくなりました」「人生のどん底に居ます」と言われる皆様には、いつもこう申し上げています。

「生きる目的が分らなくなりましたか。結構ではありませんか。人生のどん底に居られますか。よかったですね。これでようやくあなたにも、自分自身と対峙するご縁が巡って来たのです。素晴らしい事です。どうかこのご縁を大切になさって下さい!」

勿論、ご縁が巡ってきたからといって、このご縁を千載一遇の好機と捉え、自らこのご縁を生かしてゆく努力をしなければ、一歩も前には進めませんし、願うような結果など望むべくもありません。

すべては、どこまで真剣に道を求め、現状を打破したいと思っているか、その一念にかかっているのです。

変わるべき千載一遇の好機が到来している今だからこそ、心の扉を開かなければなりませんが、その扉を開ける鍵を握っているのは、あなたなのです。

合掌

平成28年1月27日


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(注1)欲界(欲望の世界)、色界(物質の世界)、無色界(精神の世界)をさまよう人々は、自分が迷い狂っている事を知らず、盲者にも等しい生き方をしているあらゆる生類は、自分の眼が曇っている事に気づかない。無始以来、何度も生死を繰り返しているにも拘らず、自分が何処から生まれ、何処に帰っていくのか誰も知らず、知ろうともしない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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