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納め札と執着心(2)



納め札を探すお遍路さん


執着心は、多くの人々を苦しめ、自らをも滅ぼす毒牙を内に秘めた恐ろしい魔物ですが、執着心が怖いのは、お金や物に対してだけではありません。

お金や物に対する執着心と同様、否、それ以上に手強いのが、功徳への執着心です。

お金や物に対する執着心も災いとなりますが、功徳への執着心はそれ以上にやっかいなもので、この執着心を根絶するのは、容易ではありません。

その功徳への執着心を象徴しているのが、お四国霊場の納め札です。

右の写真の納め札は、九十歳になられる知り合いの老遍路から送られてきた錦の納め札ですが、この錦の納め札は、お四国霊場では非常に尊いものとされています。

何故なら、錦の納め札は、百回以上お四国霊場を廻ったお方しか持てない、納め札の中でも特に有り難い納め札だからです。

お四国霊場へ行きますと、本堂や大師堂の前に、納め札を入れる納め札箱が置かれています。

その納め札箱の中に手を入れて何かを探しているお遍路さんをよく見かけますが、何を探しているのかと言いますと、錦や金の納め札が入っていないか探しているのです。

幸運にも錦や金の納め札を見つけると、「あった!」と叫びながら、歓喜の声をあげていますが、それほど錦や金の納め札には値打ちがあるのです。

錦や金の納め札は、お遍路さんにとって、まさに金銀財宝にも勝る宝物と言っていいでしょう。


功徳への執着心


初めてお遍路をするお方の納め札はすべて真っ白ですが、何故白い納め札なのか、ご存じでしょうか?

実を言いますと、白いのは納め札だけではありません。お遍路さんの衣装も、その上に羽織っている笈摺(おいずる)もすべて真っ白です。

お遍路さんの中には、八十八ヶ所の札所で押してもらった御朱印で白地が見えないほど真っ赤に染まった笈摺を着ているお方もおられますが、布地が白である事に変わりはありません。

何故お遍路さんが着ている衣装はみな真っ白なのかと言えば、死に装束を現しているからです。

お四国霊場を廻るという事は、死出の旅路に出発する事を意味し、お四国遍路は、元々、死を覚悟した捨て身の修行を意味していました。

ですから、昔のお遍路さんはみな、お四国霊場を廻る時、必ず遺言を残して家を出て来たのです。

お遍路さんが持っている金剛杖も、同行二人となって一緒にお遍路修行をして下さっているお大師様の分身であると同時に、お遍路修行の途中で亡くなった時の墓標でもあります。

五輪塔に刻まれている梵字が金剛杖に彫られているのは、どこで死んでもいいように、自分が死んだ時の墓標代わりにする為です。

お遍路さんたちがみな、死に装束を意味する真っ白な衣装に身を包み、真っ白な納め札を持ち、真っ白な袋を下げ、真っ白な笈摺を着て、四国霊場をお参りするのは、お四国霊場が、死を覚悟した「捨て身の修行道場」であり、死んで再び生まれ変わる「人生の再生道場」だからであり、お遍路が死を覚悟した捨て身の修行であった何よりの証と言えましょう。

今でも多くの人々の心を魅了してやまないお四国霊場ですが、「死に場所」「再生場所」としてのお四国霊場の在るべき姿が見えてくれば、納め札が白でなければならない意味も自ずと分ってきます。


納め札の色


元々この納め札は、紙のお札ではなく木の板で作られた木札でした。その木札を、札所の柱や壁に打ち付けていたのです。

霊場を廻る事を、「札所を打つ」と言うのは、その為ですが、木札を打ち付けると壁や柱が傷むため、やがて木札から紙の納め札に変わっていきました。

ところが、今度は、木の納め札を打ち付ける代わりに、紙の納め札を壁や柱に貼るようになっていったのです。

霊場へ行きますと、本堂や大師堂の柱や壁に、古い紙の納め札が所狭しと貼られている光景を見かけますが、昔の名残りが今も残っているのです。

最近建て替えられた新しいお堂には、ほとんど貼られていませんが、これは、紙の納め札を壁や柱に貼り付けるのは控えてほしいという札所側の要望で、納め札を壁や柱に貼れなくなった為です。

そこで、最近では、納め札を入れる納め札箱が、本堂や大師堂の前に置かれ、そこへ納め札を入れるようになっています。

こうして納め札の形や納め方も時代と共に変わってきたのですが、紙の納め札に変わった為に、木の納め札の時にはなかった或る変化が起こりました。6種類の納め札

それが納め札の色で、お遍路の回数によって納め札に色が着くようになったのです。

お遍路の回数によって色が決められている為、お遍路さんたちは、遍路の回数を数えるようになっていきました。

現在、納め札は、五色に分かれていて、1回から4回までが白い納め札、5回から7回までが緑の納め札、8回から25回までが赤の納め札、26回から49回までが銀の納め札、50回〜99回までが金の納め札、そして、100回以上が錦の納め札と決められています。

法徳寺に送られてきたのは、錦の納め札ですから、この九十歳の老遍路は、百回の遍路を成就された事になります。

納め札の裏を見ると、「第100回」と書いてありますから、まさに記念すべき百回目の納め札です。

百回のお遍路を達成されたという事で、「四国霊場特任大先達」という位を頂いておられますが、これ以上のお札はありませんから、この納め札を頂いたお方にとってみれば、この上もなく有り難い最高の納め札という事になります。


執着心を離れた納め札の色


いま「これ以上の納め札はありません」と言いましたが、実はこの上に、もう一つ有り難い納め札があるのをご存じでしょうか。と言いましても、そう考えているのは私だけかも知れませんが…

何色かといいますと、真っ白な納め札です。

「真っ白な納め札なら、最初の納め札と変わらないではないか」と言われるかも知れませんが、確かに外見を見ただけでは全く変わりませんから、違いは分りません。

しかし、同じ真っ白でも、百回以上廻っているお遍路さんが持つ白い納め札は、初めてお四国遍路をするお方が持っている白い納め札とは、根本的に違います。

何故なら、百回以上のお遍路を達成したお方が、錦の納め札から白い納め札に持ち替えるためには、百回以上のお遍路を達成したという過去への執着心を捨てなければならないからです。

今まで金や錦の納め札を持っているお方に出逢った事は、知り合いの老遍路を含めて何度かありますが、残念ながら、百回以上のお遍路を成就しながら、錦の納め札を持たず、真っ白な納め札のまま廻っておられるお方に出逢った事はまだ一度もありません。

百回以上のお遍路を成就したお方が錦の納め札を手放し、もう一度真っ白な納め札に持ち替える事は容易ではなく、恐らくそれがまだ一度も出逢えない理由だろうと思います。

その為には、百回以上のお遍路を成就したという過去の実績をすべてかなぐり捨てる覚悟が要ります。

しかし、改めて考えてみるに、お四国遍路は本来、何回廻っても新たなお遍路の繰り返しに過ぎず、そこに何回目という回数が入り込む余地はない筈です。

お四国遍路は、一回廻れば、もうそこで終わりであり、それが、お四国遍路の本来在るべき姿です。結願した後まで尾を引いてはならないのです。

だからこそ、お遍路修行を結願すれば、最後の第八十八番札所へ、今まで苦楽を共にしてきた金剛杖や菅笠を納めるのです。

もしまだ続きがあるなら、金剛杖も菅笠も納める必要はありません。

その意味で、いまお四国霊場で見かける五色の納め札は、何回廻ったという回数に対する執着心の現われであり、納め札の色は、まさに執着心の色そのものと言っても過言ではないでしょう。


お布施に対する執着心


お遍路の回数に対する執着心は、お布施に対する執着心とよく似ています。

お寺や神社へお布施をすれば、もう神仏の御手に渡った浄財であり、私たちの手から離れたものです。お布施をお賽銭箱へ入れたら、もうそれで終わりです。その後の事は何も考える必要はありません。

そのお布施を神仏がどのように使われようが、私たちが関知する事ではありません。後の事は、すべて神仏にお任せでいいのです。

ところが、世間には、神仏にお任せ出来ないお方がおられます。

以前、或る大寺院が本堂を再建するというので、多額の寄付をされたお方がおられました。

最初は総桧作りという話でしたが、何らかの事情で、一部鉄筋コンクリート作りに変わったのです。

すると、そのお方は、「総桧作りと聞いたから寄付したのに、鉄筋コンクリート作りでは話が違うではないか!」と、クレームをつけたという話を聞いた事があります。

これこそ、まさに執着心以外の何ものでもなく、この時点で、このお方の功徳行は、無になったと言っても過言ではないでしょう。

本堂再建の為に使っていただきたいと、真心の寄付をした時点で、そのご浄施は自分の手を離れ、ご本尊様の手に渡ったのです。

ご本尊様の手に渡った浄財を、ご本尊様がどのように使われようが、ご本尊様が決められる事であって、寄付をした者が口を差し挟むべき事ではありません。

それを、「自分のお布施は、こう使って欲しい」と、お布施の使い道にまで注文をつけるのは、まさに執着心以外の何ものでもなく、そのようなお布施は、真心でなされたお布施とは言えないでしょう。

このお方は、せっかく、真心の寄付をして功徳を積まれたのに、愚かな執着心によって、すべての功徳を自ら台無しにしてしまったのです。

お四国霊場の納め札も同じです。

お四国遍路は、第八十八番札所を結願すれば、もうそこで終わりです。終わりだからこそ、誰もがみな、金剛杖や菅笠を八十八番札所へ納めるのです。

次のお遍路をするご縁が来ても、そのお遍路は二回目ではなく、また新たな一回目のお遍路です。

十回廻っても、百回廻っても、新たな一回目のお遍路の繰り返しに過ぎません。

お遍路の回数を数えていくのは、功徳に対する執着心以外の何ものでもなく、本来あるべきお遍路の姿ではありません。

しかも、功徳への執着心は、お金や物に対する執着心以上の根深さを持っています。何故なら、お四国遍路は、罪を作る悪行ではなく、み仏の心に適う功徳行だからです。

み仏の心に適っている功徳行だからこそ、中々執着心との見分けがつかないのです。功徳に対する執着心を離れる事の難しさが、そこにあります。

「錦の納め札をお接待してあげたら多くの人々から喜ばれる」という思いは尊いものですが、他方で回数に執着していると、折角の功徳行が本当の功徳行にならず、人の救いにもつながりません。

先ほど例にあげた寄付行為と同じで、執着心を離れる事が、功徳行を活かす上で最も大切な事なのです。

人を導く立場にある者は、常にその事を忘れず、肝に銘じておかねばなりません。


執着から無執着へ


もしこの九十歳の老遍路が、錦の納め札を捨てて、もう一度真っ白な納め札に持ち替える事が出来れば、このお方の信仰は、一切の執着心から自由になり、更なる高みに上る事が出来るでしょう。

白という色は、執着を離れた色であり、一切を捨てた色であり、いかなる色にも染まっていない色ですから、白の納め札に変えるという事は、いままで自分が積み重ねてきた功徳への執着心をすべて捨て去った証となります。

その意味で、在るべきお四国遍路とは、「白い納め札から始まり、白い納め札で終わる修行の旅」と言い換えてもいいでしょう。

錦の納め札がゴールではなく、錦の納め札のまま止まっている内は、まだお四国遍路の修行は道半ばに過ぎないという事です。

とは言え、錦の納め札を手放すという事は、百回を達成したお遍路を「白紙に戻す」事を意味しますから、そうする事の意義を悟り、そうしなければならない責任の重さを自覚しなければ、最後の一歩を踏み出す事は出来ません。

ここに言う「白紙に戻す」という意味は、ただ単に遍路を始めた最初に帰るという意味ではなく、お遍路の本来在るべき姿に帰るという意味ですが、もしこの老遍路が、その事を悟り、白紙に戻せたならば、その信仰は、間違いなく無執着の域に到達したと言っていいでしょう。

しかし、いつまでも錦の納め札に拘っている内は、まだ百回という回数と過去の実績への執着心が残っているのです。

いままで自分が積み重ねてきた功徳行の証である錦の納め札を手放すのは、口で言うほど容易ではありませんが、だからこそ、錦の納め札を手放した時、一切の執着心を離れた何よりの証となるのです。

先ほども言ったように、錦の納め札を手放した後に持つ白い納め札は、お遍路を始める時に持っていた白い納め札とは、それが持つ意味も値打ちも違います。

初めて四国遍路を始めた時に持っていた白い納め札には、まだ数々の執着心が残っていました。

しかし、百回を達成したお方が、錦の納め札を捨てて持つ白い納め札は、一切の執着心を離れた事を証明する最高の納め札となるのです。

お布施したという思い、善い事をしたという思い、何回廻ったという思い、様々な功徳を積んだという思いへの執着心から自由になった証が、まさに老遍路の持つ白い納め札なのです。

まさに錦の納め札をも越える「天上天下唯我独尊」の納め札と言っても過言ではありませんが、残念ながら、錦の納め札のままでは、まだ執着心から自由になったとは言えず、一切の執着心から離れられなければ、錦の納め札を捨てて、真っ白な納め札に持ち替える事は出来ません。

いつまでも錦の納め札に執着していてはならないという大いなる悟りの境地に到達し得た時、初めてこの老遍路は、多くの人々から尊敬を集める「四国霊場特任大先達」の名に相応しい人徳を得られるのではないでしょうか。

そうなった暁には、目には見えませんが、純白の納め札から放たれた神々しいお悟りの光が、悩み苦しむ人々の心を癒し、その足元を明るく照らす事でしょう。

合掌

2015年11月1日

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