桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
桜紋の扉 法徳寺の扉 御祈願の扉 汗露水の扉 御法歌 法話の扉 帰郷の扉 升紋の扉
信者を作らない理由法話の小部屋御同行の体験談

報道の自由と責任

一部マスコミの偏向報道について(2)



マスコミの都合によって変わる「知る権利」


先日、産経新聞の阿比留瑠比記者のコラム『極言御免』に、「特定秘密 民主党政権の秘匿をメディアはどう報じたか」と題する次のような記事が掲載されていました。

特定秘密保護法案に対するメディアの批判・攻撃がすさまじい。法案が衆院を通過した翌日(11月27日)の各紙社説は「民主主義の土台を壊す」(毎日)、「ほとんど情報統制の世界に近い」(東京)などと、イソップ寓話(ぐうわ)の「オオカミ少年」もかくやとばかりに警鐘を乱打していた。

とはいえ、こうした扇情的報道には違和感を禁じ得ない。国民の「知る権利」と民主主義の危機は、実は菅直人政権時に訪れていたと思うからである。

安倍晋三首相は4日の党首討論で、菅政権が隠蔽した尖閣諸島(沖縄県石垣市)沖の中国漁船衝突事件(注1)の映像を流した元海上保安官、一色正春氏の最近の言葉をこう紹介していた。

「先般、一色氏がテレビに出て『かつて出すべき情報を勝手に秘密にした。こうして(秘密の指定と解除の)ルールを決めることが大切だ。出すべき映像を出さないと判断できる状況が問題だ』と言っていた」

現在、安倍政権はこの映像について「特段の秘匿の必要性があるとは考えにくい」(菅義偉(すが・よしひで)官房長官)とし、「特定秘密」にも該当しないと答弁している。

海保は映像を即日公開するつもりで準備していた。中国に過剰に配慮した菅政権の恣意(しい)的な横やりがなければ、もともと「秘密」でも何でもなかったのだ。

にもかかわらず、当時の仙谷由人官房長官は一色氏を初めから「犯罪者」扱いすらし、こう強調した。

「大阪地検特捜部の(押収資料改竄(かいざん)・犯人隠避)事件に匹敵する由々しい事態だ」「逮捕された人が英雄になる。そんな風潮があっては絶対にいけない」

ちなみに、一色氏は国家公務員法(守秘義務)違反容疑で書類送検されたものの「犯行は悪質ではない」として不起訴処分となり、逮捕はされていない。一連の仙谷氏の発言は権力者による人権侵害に近い。

それに対し、現在、特定秘密保護法案の反対キャンペーンを張るメディアの反応はどうだったか。むしろ菅政権の尻馬に乗り、一色氏の行為をたたいていた。

一色氏は、自身のフェイス・ブック(11月21日付)でこうも指摘している。

「3年前のあの映像を、誰が何のために隠蔽したのか。(ジャーナリストらは)それすら明らかにできてはいないではないか。自分たちの都合の良いときだけ知る権利を振りかざしている姿は滑稽である」

振り返ると、映像流出時の朝日社説(22年11月6日付)はこう書いていた。

「仮に非公開の方針に批判的な捜査機関の何者かが流出させたのだとしたら、政府や国会の意思に反することであり、許されない」

毎日社説(同日付)もこれと同工異曲で、「国家公務員が政権の方針と国会の判断に公然と異を唱えた『倒閣運動』でもある」と決め付けていた。

当時の菅首相は「民主主義とは期限を区切った独裁」を持論とし、喜々として三権分立否定論を語っていた人物である。

彼らのルールなき情報隠しは正当化しておいて、今さら「国民の『知る権利』の代理人」(朝日)だと胸を張られると、こっちが赤面してしまう。


マスコミが唱える「報道の自由」の正体


「国民の知る権利」を守る為、権力を持つ側だけに都合の良い情報操作は許されないとの大前提の下、国民から「報道の自由」を付与された筈のマスコミが、中国漁船の違法操業をあばき、日本側の正当性を立証する為に公開すべき情報を操作し、隠避しようとした当時の民主党政権の行動を、非難するどころか、擁護し是認する報道をしたのは、僅か3年前でした。

ところが、その一部マスコミが、何の反省も説明もないまま、今回は掌を反すが如く、「特定秘密保護法案」を提出した政権側を批判攻撃するという、3年前と矛盾する行動をとった事は、ご承知の通りですが、これは一体何を意味するのでしょうか?

その変わり身の早さは、「報道の自由」がいまどのような状況に置かれているかを、私達国民にハッキリ教えてくれました。

要するに、一部マスコミにとって「報道の自由」とは、国内外のいかなる勢力や権力からの圧力にも屈せず、「事実」を在るがまま正確に報道する為の自由でもなければ、真実を報道する為の権利でもなく、ただ自分達に都合のよい主義主張や、都合のよい事実だけを取り上げ、不都合な事実は隠避して報道しないという、排他的で独善的な自由であり、「事実」を国民の前に明らかにするという本来の使命とはほど遠い、まさに「報道の自由」とは名ばかりの自由に過ぎなかったという事です。

一部マスコミが金科玉条(注2)の如く唱える「報道の自由」の正体とは、実は自分たちの都合によって幾らでも変えられる「伝家の宝刀」だったのです。

彼らが見せてくれた偏向報道のお蔭で、私達国民は、彼らが声高に叫ぶ「報道の自由」の正体が何であるかを、ハッキリ教えられたのですから、その点は感謝しなければならないでしょう。

何度もお話しているように、「報道の自由」は、「国民の知る権利」を守る為、国民からマスコミに付与されたものであり、マスコミにとっては、それを失えば存在価値を失う程の、まさに生命線とも言えるかけがえのないものですが、3年前の中国漁船衝突事件と今回の特定秘密保護法案への矛盾する行動によって、国民から付与された「報道の自由」が、一部マスコミにとっては、今や自分の都合によっていくらでも変えられる便利な道具に過ぎなくなっている事を露呈してしまったのですから、何とも皮肉という他はありません。

所詮、一部マスコミにとって「報道の自由」とは、それだけの値打ちしかないものだったという事ですが、これは、「報道の自由」のみならず、「国民の知る権利」をも貶(おとし)める、報道機関としてあってはならない行為であり、彼らを信じて「報道の自由」を付与した国民に対する裏切り行為と言わねばなりません。

その意味で、「3年前のあの映像を、誰が何のために隠蔽したのか。(ジャーナリストらは)それすら明らかにできてはいないではないか。自分たちの都合の良いときだけ知る権利を振りかざしている姿は滑稽である」という一色氏の言葉は、まさに卓見と言えましょう。

今回の「民主主義の土台を壊す」(毎日)、「ほとんど情報統制の世界に近い」(東京)などと叫ぶ一部マスコミの行動と、中国漁船衝突事件の映像を隠避しようとした権力側の行動を擁護し是認した3年前の彼らの行動との間にある、誰が考えても頭を傾げたくなる矛盾こそ、自分たちの都合によって「報道の自由」を変幻自在に変えられる彼らの真の姿を明らかにするものと言っていいでしょう。

彼らの矛盾する行動は、「自分たちの都合の良いときだけ知る権利を振りかざしている姿は滑稽である」という一色氏の言葉の意味すら分からなくなるほど、独善という名の猛毒に侵されている証と言えるかも知れません。

勿論、その毒が自分達の身に留まるだけなら、誰も文句を言う筋合いはありません。

しかし、その猛毒が、国や社会や多くの人々に悪影響を及ぼし、国の行く末を危うくし、ひいては「国民の知る権利」と「報道の自由」を冒涜する結果を招くとなれば、公共性の極めて高いマスコミであるだけに、黙って傍観している訳にはいきません。


国民の審判がある権力機構と審判がないマスコミ


堀内恭彦弁護士は、ご自身のコラム『堀内恭彦の一筆両断』の中で、「『知る権利』で大騒ぎ、朝日新聞ら偏向メディア 表現の自由脅かす『人権擁護法案』賛成の二枚舌」と題する、次のようなコメントをしておられます。

12月6日、機密を漏らした公務員らへの罰則を強化する特定秘密保護法が成立しました。

日本の領海・領空を脅かす中国、核を保有し、弾道ミサイルを日本に向ける北朝鮮など、我が国を取り巻く環境は緊迫しており、国防やスパイ対策の観点から必要不可欠な法律が速やかに成立して、まず一安心といったところでしょう。

外交・軍事分野では「情報」こそが命であり、「機密情報は守られる」という前提がなければ、他国から信頼されず、情報を受け取ることもできません。従って、機密を漏えいした公務員らが処罰されることは当然です。国会議員にも明確な守秘義務と罰則を科していることも画期的だと言えます。

ところが、朝日新聞や系列テレビをはじめとする大手メディアは「絶対反対!」の大合唱です。いわく「秘密の定義が曖昧だ!」「国民の知る権利や表現の自由が害される!」と。

その異常なまでの反対キャンペーンとその執拗さには、正直言って「ここまでやるか?」と呆れてしまいました。よほど、この法案が成立すると困ることがあるのでしょうね…。

では、反対の大合唱をしているメディアは、私たち国民の「知る権利」や「表現の自由」を守ってくれる正義の味方なのでしょうか? 答えは断じてノーです。

ここで忘れてはならないのは、民主党政権が是が非でも成立させようとした人権救済機関設置法案(人権擁護法案)です。

今は政権交代による保守派の巻き返しにより、何とか成立を阻止している状況ですが、この法案こそ、国民の知る権利、表現の自由を侵害する天下の悪法だと言えます。

にもかかわらず、多くのメディアはこの法案の危険性について報じることはほとんどありませんでしたし、反対キャンペーンも展開しませんでした。朝日新聞などはむしろ積極的に賛同していました。

「人権救済」というネーミングだけ聞けばよい法律のように思えますよね。でもそんな法案ではありません。

人権侵害や差別を監視するため、国家機関である「人権委員会」が、「人権侵害や差別的な言動を受けた」という被害申出を受け、その言動をしたとされる人に出頭を求め、調査をし、人権侵害の被害を回復するように勧告し、従わなければ、氏名を公表し、罰則を科すという法律なのです。

つまり、国家機関が、個人・法人に「お前は人権侵害をした」「差別をした」とのレッテルを張り、世間の晒し者にするわけです。

言うまでもなく国民の「表現の自由」は厳しく規制されることになるでしょう。しかも「人権侵害」の定義は曖昧です。もし中国や北朝鮮について真っ当な批判をしても「それは中国(朝鮮)人に対する差別だ」という申し出があれば、「差別者」というレッテルを張られることだってあり得ます。

「定義が曖昧」「国民の知る権利や表現の自由が害される」という点では、今回の特定秘密保護法よりも、この人権救済法案の方がはるかに危険に満ちた法律なのです。

ところが、「国民の知る権利を守れ!」「表現の自由を守れ!」と声高に叫ぶ大手メディアは、人権救済法案を追及すらしませんでした。まさに二枚舌だと言えます。

こうしてみると「国民の知る権利」「表現の自由」は、それをふりかざすメディアの方便に過ぎないように見えます。そのメディアの背後に、日本国と日本人の力を削ごうとする隠された意図があるのではないか、と勘ぐられても仕方ありません。

今の日本で国民の「知る権利」を邪魔しているのは、実は国家ではなく、日本を貶める偏向メディアではないでしょうか。我々国民は、これを不断に監視していかなくてはならないのです。

特定秘密保護法案に対して一部のマスコミがヒステリックに非難攻撃するのは、政治権力機構や官僚機構が、余りにも巨大であり、その権力の前に「国民の知る権利」がないがしろにされてはならないと危惧するからでしょう。

確かに政治権力や官僚機構が巨大組織である事は間違いなく、危惧する気持ちも分からないではありません。

しかし、官僚機構は、政治の力によって動かすものであり、また、官僚機構を動かす政治の力を得るには、選挙という有権者による審判を経なければなりません。

つまり、政治権力機構も官僚機構も、私達国民の意志を反映して、変えようと思えば、いつでも変えられる仕組みになっているのです。

勿論、その仕組みが完全無欠とは言えませんが、少なくとも近年、何度も繰り返されている政権交代は、まさにこの仕組みが機能しているからこそ実現したものと言っていいでしょう。


マスコミの真の恐ろしさ


ご存じのように、現在のマスコミは、政治権力機構や官僚機構をも上回る巨大な権力機構と化していますが、ただ巨大なだけではありません。

マスコミには、選挙のような国民の審判機能が働きません。つまり、「いつも事実をねつ造し、自分に都合の良い事実ばかり報道して、国民の眼を欺くジャーナリストには、一刻も早く辞めてもらいたい」と思っても、私達国民には、彼らを辞めさせる手立てがないのです。

「国民の知る権利」の下に認められた「報道の自由」を担う、謂わば国民の最も身近な存在でありながら、彼らが国民に不利益を与える恐れがある時、我々の意志を反映させる政権交代のような仕組みが、国民とマスコミの間にはありません。

私達は、今までその事に何の疑いも抱かず、当たり前であるかのように受け止めてきましたが、果たして当たり前なのでしょうか?

勿論、マスコミが、政治権力の圧力を受けたり、時の政権によって報道姿勢が左右されるような事があってはなりません。

わが国では考えられませんが、中国や北朝鮮のような一党独裁政権下では当たり前に見られる、政権側に不都合な情報を厳しく制限する情報統制や情報管理は、「報道の自由」を著しく侵害し、国民から「国民の知る権利」を奪うものに他ならず、わが国がもしそのような事になれば、東京新聞の論説主幹の言う「言論・報道が滅べば国が滅ぶ」結果を招くであろう事は明らかですから、何としても防がなければなりません。

しかし、それは、あくまでマスコミに対する外部からの圧力を念頭においているだけで、マスコミ内部に巣食う病巣を念頭においたものではありません。

何故念頭に置いていないかと言えば、「国家権力や外部勢力は常に悪であり、欺瞞であり、国民の敵である。それに対し、マスコミは常に善であり、正義であり、国民の味方である」という大前提に立っているからです。

つまり、マスコミは、国家権力をもしのぎ、泣く子も黙る、全知全能の神も同然の存在なのです。

しかし、マスコミが全知全能の神である筈もなく、迷い多き人間が携わる権力機構である以上、必ず間違いを犯し、我々国民の眼に触れないところで、情報操作が行われる危険性を常に内包しています。

この危険性は、政治権力機構や官僚機構が犯す危険性の比ではありません。何故なら、政治権力機構や官僚機構には、国民の監視の目が完全ではないまでも常に注がれているのに対し、マスコミには監視の目が注がれないからです。

従って、「マスコミは常に善であり、正義であり、国民の味方である」という前提が崩れた時、我々国民は、政治権力機構や官僚機構からの圧力とは桁外れの危機的状況に追い込まれる事になります。

それを証明したのが、まさに朝日新聞の従軍慰安婦ねつ造記事であり、いま我々国民が、この問題で、どのような立場に立たされているかを見れば、朝日新聞のねつ造記事がもたらした危機的状況の深刻さは、今更言うまでもないでしょう。

だからこそ、我々国民は、この事をもっと深刻に受け止めなければならないのです。

勿論、国民にとって不都合なマスコミがあれば、彼らが発行する新聞を購読しなければ、間接的に辞めさせる事が出来るかも知れませんが、そのジャーナリストを、政治家のように、直接審判して、国民の意志を反映させる事が出来ないのが、大きな問題なのです。


地上の楽園


要するに、マスコミという超巨大な権力機構に守られながら、悠々と偏向記事を書きつづけられる地上の楽園にいるのが、ジャーナリストと言われる人々なのです。

しかも、彼らを支える巨大権力機構の背後には、数百万の購読者がいて、好むと好まざるとに拘らず、彼らを支える歯車の一つに組み込まれています。まさに、ジャーナリスト達は、二重の砦によって守られているのです。

仮に二重の砦が破られたとしても、全く心配はいりません。何故なら、彼らには、更に強力な「報道の自由」という、泣く子も黙る「伝家の宝刀」があるからです。

「国民の知る権利」を守る「報道の自由」の旗手という、私達国民には何とも耳障りのよい言葉の力は強大で、この言葉さえ出せば、どんなに歪曲した記事でも真実と信じさせられるほどの威力を持っています。

マスコミが本当に恐ろしいのは、マスコミの権力機構が巨大だからではありません。彼らが「報道の自由」という錦の御旗を振りかざせば、たちどころに「正義の味方」に変身し、ねつ造された事実でも、購読者に正しいと信じ込ませる事が出来、しかもその事を彼ら自身が、今までの経験を通して熟知している事が、恐ろしいのです。

何故そんな事が出来るのかと言えば、自分達こそが、「国民の知る権利」を守る正義の味方であり、自分達が報道する事はみな正義であり、政治権力や官僚組織が言う事はすべて悪であるというイメージ作りを、長年に亘って、コツコツ積み重ねてきたからです。

朝日新聞が言う「国民の『知る権利』の代理人」という言葉は、我々国民から見れば、不可解極まりない言葉ですが、「マスコミこそが、国民の知る権利を守る正義の味方である」といイメージを国民の中に作り上げ、洗脳する言葉として使っていると考えれば、納得がいきます。

今回の特定秘密保護法案に対する、一部マスコミの常軌を逸する報道姿勢も、そのイメージ作りの一環である事は言うまでもありません。


マスコミによる洗脳


「洗脳」という言葉は、新興宗教の専売特許かと思っていましたが、実は、この言葉の意味を誰よりも熟知しているのが、マスコミではないでしょうか。

洗脳とは恐ろしいもので、我々国民は、「知る権利」を踏みにじる「報道の自由」の敵と聞けば、すぐさまその相手に「悪の化身」のレッテルを張り、総攻撃を加えようとします。今回の特定秘密保護法案への反応が、そのよき例です。

たとえ、一部マスコミが叫ぶ「報道の自由」なるものが、彼らだけに都合の良い偽りの「報道の自由」であったとしても、国民は簡単に騙されてしまうのです。

それは、まさに反日教育によって洗脳された中国人や朝鮮人と同じです。

わが国は、太平洋戦争において、アジア諸国の人々に多大な迷惑をかけました。勿論、欧米列強の植民地となっていたアジア諸国を、支配と搾取から解放し、独立する手助けをしたという意味では、多大な貢献もしましたが、同時に、アジア諸国の人々に迷惑をかけた事も否定できません。

だとすれば、すべてのアジア諸国が、日本に対し、非友好的であってもいい筈ですが、大半のアジア諸国が非常に親日的である事は、ご承知の通りです。

二十三か国あるアジア諸国の中で反日的な国は、中国、韓国、北朝鮮の僅か三ヶ国に過ぎません。

何故この三ヶ国だけが非友好的で、他のアジア諸国がみな友好的なのかと言えば、この三ヶ国だけが、国民に反日教育を施し、洗脳し続けているからです。

もし中国や韓国で親日的発言をしたり、親日的行動を取ろうものなら、たちまち反日教育で洗脳された人々から、総攻撃を受ける事になります。

現に最近も、日本びいきの発言をした大学教授や人権家と言われる人々が、中国政府に拘束され行方不明になるという事件が発生しましたし、韓国でも、親日的発言をすると、国民から一斉に非難攻撃されるという状況下にあります。

まさに反日教育の賜物と言っていいでしょうが、わが国の一部マスコミも、「反日、反国家、反米、反自由、反保守、反防衛、反自衛隊」等々の洗脳を、長年に亘って我々国民に施してきたのです。

「国家権力も悪、アメリカも悪、自由主義も悪、保守主義も悪、防衛も悪、自衛隊も悪、米軍基地も悪」等々と、自分たちに都合の良い事実だけを流し、国民への洗脳を続けてきた情報操作の力は強大で、もし彼らに逆らおうとする者がいれば、非難の集中砲火を浴び、簡単につぶされてしまいます。

勿論、腕ずくによってではありません。ペンという誰もが日常的に使う道具によって、いとも簡単に押しつぶされてしまうのです。

「羊の皮を被ったオオカミ」とは、まさに一部マスコミの為にある言葉ではないかと思わせるほど、その情報操作は巧みで、「ペンの暴力」と言われるマスコミの巨大な力に比べれば、政治権力や官僚機構など、ちっぽけなものでしょう。


マスコミは国民の代理人ではない


先ほどの『極言御免』の中で、阿比留記者が、「彼らのルールなき情報隠しは正当化しておいて、今さら「国民の『知る権利』の代理人」(朝日)だと胸を張られると、こっちが赤面してしまう」と書いておられましたが、もし朝日新聞が、「国民の『知る権利』の代理人」と考えているのだとしたら、その見識を疑わざるを得ません。

何故なら、国民の代表となり、代理人となり、代弁者と為り得る資格があるのは、国会議員や地方の首長や議会議員のように、選挙を通して、国民の審判を受けた人々だけだからです。

我々国民は、ただ「報道の自由」をマスコミに与えただけであって、彼らを、我々の「知る権利」の代理人にした訳では決してありません

そもそも、国民の代理人になる為には、信頼出来る情報を発信しているか否か、事実をねつ造したり歪曲したりせず、在るがまま伝えようとする報道姿勢を持っているか否か、不都合な事実を隠避する危惧は無いか否か等々を、国民の前に明らかにし、国民との信頼関係を構築できなければなりません。

その結果、国民から信頼出来ると判断されて、初めて朝日新聞の言う「国民の『知る権利』の代理人」になれるのです。

国民にとって不都合な代理人だと判断すればいつでも辞めさせられる選挙のような仕組みもなく、ただ自分たちの都合や利益だけで動く一企業に過ぎない朝日新聞に、「国民の知る権利の代理人」を名乗る資格はありません。

そもそも「国民の知る権利」も「報道の自由」も、我々国民の為にあるのであって、マスコミに為にあるのではありません。

党利党略ならぬ社利社略で動く一企業に過ぎない朝日新聞が、「国民の知る権利を守る代理人」と自称するのは勝手ですが、そう自称する以上は、当然の事ながら、「事実」を国民の前に在るがまま伝える責任と、その責任を果たせない時は、歪曲した事実を訂正し、国民の前に謝罪する覚悟がなければなりません。

しかし、慰安婦ねつ造記事一つを見ても、その責任と覚悟が如何に欺瞞に満ちたものであるかは、一目瞭然と言えましょう。

朝日新聞のねつ造記事を見て、我々が肝に銘じておかなければならない事は、「国民の知る権利」と「報道の自由」を危うくする真の敵は、決して政治権力でも官僚機構でもなく、「事実」を自分に都合のよいように作り変え、不都合な情報を隠避し、「国民の知る権利の代理人」を名乗って国民を扇動し、ミスリードしようとしている朝日新聞を始めとする一部マスコミだという事です。


「論説主幹の決意」に見る欺瞞性


先般、東京新聞に、「論説主幹の決意」という見出しで、「情報は国民のものだ。罰則強化で口を閉ざす社会になるかもしれない。その時こそ果敢なるジャーナリズム精神が発揮されなければならない。言論・報道が滅べば国が滅ぶ。権力の監視を肝に銘じたい」と言う記事が掲載されていましたが、確かに権力が暴走する事のないよう、また官僚機構が国民の意志を離れて独り歩きしないよう、監視する必要がある事は言うまでもありません。

しかし、暴走は、政治権力や官僚機構だけなのでしょうか?「灯台下暗し」という言葉があるように、巨大な権力機構に守られている当のマスコミ自身の暴走は心配しなくてもよいのでしょうか?マスコミは、「事実」を曲げ、不都合な事実を秘密にし、都合の良い事柄だけを報道する心配はないのでしょうか?

言論・報道が滅べば国が滅ぶ。権力の監視を肝に銘じたい」という東京新聞の主張は、全くその通りです。

しかし、だからと言って、マスコミの主張が常に正しいとは限りません。東京新聞の論調によれば、「マスコミが報道する事は、常に善であり、正義であり、間違いは絶対ない。だから、権力の監視だけでよい」という事のようですが、過去の一部マスコミの報道姿勢を見て首を傾げたくなるのは、私だけではないでしょう。

堀内恭彦弁護士は「今の日本で国民の「知る権利」を邪魔しているのは、実は国家ではなく、日本を貶める偏向メディアではないでしょうか。我々国民は、これを不断に監視していかなくてはならないのです」と仰っていますが、まさに至言と言わざるを得ません。

残念な事ですが、「国民の知る権利」を守る為には、政治権力機構と官僚機構の監視だけではなく、マスコミの監視も欠かす事が出来ないのが、今の日本の現状なのです。

何故なら、マスコミほど、情報操作に長けている組織は他になく、現に一部マスコミの手によって、過去に、ねつ造記事が、さも事実であるかのように報道され、権力機構や官僚機構も顔負けの情報操作がなされ、欺かれた苦い経験を、我々国民は決して忘れていないからです。

過去の過ちを棚に上げ、その反省もないまま、「言論・報道が滅べば国が滅ぶ」と声高に叫ばれると、国民の一人として、「東京新聞の論説主幹は、自己の言葉の欺瞞性に気付いておられるのだろうか」と首を傾げたくなりますが、国民にとって嘆かわしいのは、言論・報道を滅ぼすのは、政治権力でも官僚機構でもなく、実は「言論・報道の自由」を国民からゆだねられているマスコミ自身である事に、彼らがまだ気付いていない事です。

すでに我々国民は気付いているのに、何故彼らが未だに気付いていないのか不思議でなりませんが、気付いていながら、気付いていない振りをしているのかも知れません。

いずれにせよ、一部のマスコミ内部に巣食う病巣は、想像以上に重く、深いと言わねばなりません。


私達が自立しなければ何も変わらない


「事実」を在るがまま報道出来るか否かは、報道機関としての真摯な報道姿勢と力量が試される試金石と言っていいでしょうが、その姿勢も力量も欠如していると思われる一部マスコミが、「報道の自由」「国民の知る権利の代理人」を声高に叫ぶ姿は、もはや報道機関としての自浄能力がない事を物語っています。

私達が報道機関に求めているものは、一部の報道機関だけに都合の良い脚色された情報でもなければ、ねつ造された偽りの事実でもなく、ただ「正確な事実」だけです。

報道機関は、「正確な事実」を収集し報道する事で、その使命を果たし、私達は、報道された「正確な事実」を下に、取るべき道を判断し、選択するのです。情報を下に判断し行動するのは我々であって、報道機関ではありません。

もし彼らが、「国民は、何も知らない無知な存在なのだから、我々の判断と報道を信じて、後について来ればいいのだ」と考えているなら、それこそ、国民を見下し、自らを国民の上に置こうとする思い上がり以外の何ものでもないでしょう。

私達はいま一度、報道機関が何故「報道の自由」を認められたのか、何故我々は彼らに「報道の自由」を認めたのかをしかと見極め、その約束を違えている報道機関があれば、厳しく糾弾すると共に、脚色された情報に踊らされ、扇動される事がないよう、よくよく心しなければなりません。

たとえ報道機関が事実をねつ造し、真実を曲げて報道したとしても、結局その報道を許しているのは、受け手である私達であり、報道によって何らかの損害を被ったとしても、種を蒔いた我々の責任なのです。

その意味で、慰安婦問題も、突き詰めれば、朝日新聞の報道を傍観し続けた我々国民の責任と言わねばなりません。

結局最後は、我々自身が、すべての責任を負わなければならないのであり、一部のマスコミの責任を追求して解決する問題ではないのです。

要するに、変わらなければならないのは、彼らではなく、私達一人一人であり、我々が変われば、「国民の知る権利」も「報道の自由」も、自ずと守られるのです。

報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(1)」の冒頭で、「報道の自由は、立場が変わろうが、国が変わろうが、思想が変わろうが、人種が変わろうが、時が移り変わろうが、否定する事も疑う事も出来ない普遍的真理であり、絶対的真実なのでしょうか?」という問いかけをしましたが、「報道の自由」は、いつの世であっても決して失ってはならない我々国民固有の権利であり、普遍的価値を有するものです。

しかし、いまその普遍的価値を持つ「報道の自由」が、排他的、独善的な一部マスコミの手によって、なし崩し的に葬られようとしています。

「報道の自由」を守る旗手であるが如く振る舞い、「国民の知る権利の代理人」とまで詐称しながら、実は、自らの主義主張を押し通すただの道具として「報道の自由」を悪用しているその報道姿勢は、矛盾する一連の報道を見れば、明らかでしょう。

彼らは、もはやこれ以上、我々国民を欺き続ける事が出来ない事に、早く気付くべきなのです。そして、すでに忘れてしまっているジャーナリストとしての使命を思い出し。マスコミの本分に戻るべきなのです。

とは言え、「報道の自由」を守る中心的役割を果たすのは、彼らではありません。

いま私達が深く肝に銘ずべき事は、「報道の自由」を守るのは、彼らマスコミではなく、我々国民だという事です。

一部のマスコミだけに都合の良い偽りの「報道の自由」ではなく、我々全国民にとって都合の良い真の「報道の自由」は、私達の手でしか守れません。

その意味で、この問題は、報道機関が自ら解決すべき問題というより、事実を正しく知る為に彼らに認めた「報道の自由」の意味を、我々国民がどこまで深く理解し、どこまで真剣に「報道の自由」を守ろうとしているか、その思いの強さ如何にかかっていると言っても過言ではないでしょう。

そして、その為には、私達一人一人が、日本人としての誇りを持ち、先祖が残してくれた日本古来の伝統や文化を尊び、子々孫々に禍根を残す事のないよう、自らの判断と行動に責任を持ち、真の意味で自立した人間にならなければならないという事です。

合掌

平成25年(2013)12月15日


報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(1)

報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(2)
報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(3)
報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(4)
報道の自由と責任〜一部マスコミの偏向報道について(5)
法話の小部屋Top


サイト内検索 help
 


法徳寺の草花と自然

ソメイヨシノ

南天
(花言葉 良き家庭)

 


法話の小部屋Topへ


 

(注1)2010年9月7日、尖閣諸島付近の海域をパトロールしていた海上保安庁の巡視船「みずき」が、中国籍の不審な漁船を発見し、日本領海からの退去を命じるが、漁船はそれを無視して違法操業を続行、逃走時に巡視船「よなくに」と「みずき」に衝突し2隻を破損させた。海上保安庁は同漁船の船長を公務執行妨害で逮捕し、取り調べのため石垣島へ連行し、船長を除く船員も同漁船にて石垣港へ回航、事情聴取を行った。
しかし、その後、中国側が反発し、日本に対し様々な報復措置を講じてきたため、当時の民主党政権は、那覇地方検察庁、次席検事の決定を追認するという形で、船長らを釈放した。その後、中国側への配慮という名目で非公開にされていた漁船衝突時の動画が、一色正春氏によって、Youtube上に投稿され、一般に公開された。
世論の大半は、一色氏が動画を公開した事をく評価し、国益を守る上で妥当であったと、その行動を英雄視する人々もいた。
「報道の自由」「国民の知る権利」を標榜するマスコミの立場から言えば、当然、動画を公開をした一色氏の行動を援護する筈であるが、朝日、毎日など一部のマスコミは、一色氏を擁護するどころか、その行動を批判し、非公開とした政府の対応を肯定し、擁護した。
ところが、その一部マスコミが、今回は一転して、特定秘密保護法案に非難の集中砲火を浴びせ、一色氏の言葉を借りれば、「自分たちの都合のよい時だけ知る権利を振りかざしている姿」を、国民の前に見せる結果となった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注2)人が絶対的なよりどころとして守るべき規則や法律。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高野山法徳寺(たかのやまほうとくじ) TEL:0551-20-6250 Mailはこちらから
〒408-0112 山梨県北杜市須玉町若神子4495-309 FAX:0551-20-6251 お問合せフォーム