桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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布施の功徳

なぜ人生相談は無料でなければいけないのか(2)



大仏殿復興を成し遂げた公慶上人と乞食の施し


今でこそ、世界文化遺産に登録され、世界中から大勢の観光客や参拝者が訪れる東大寺ですが、その東大寺も、永禄10年(1567年)の戦禍で、松永久秀(弾正)に火を放たれ、大仏殿をはじめ伽藍の殆どが焼失し、江戸幕府第5代将軍、徳川綱吉の時代に至るまで、大仏様(注1)は野ざらしの状態に置かれていました。

元禄4年(1691)年に大仏殿が再建され、宝永6年(1709)3月、盛大な落慶法要が営まれましたが、大仏殿復興の大事業を成し遂げたのが、公慶(こうけい)上人というお方です。

幕府から勧進の許可はおりたものの、財政的援助がなかったため、公慶上人は、一人でも多くの人々を、東大寺大仏殿の再建という又とない勝縁に結ばせたいと一念発起し、全国を行脚しながら、勧進して歩かれました。

当初は、布施も思う様に集まらず、前途多難の船出でしたが、ある時、一人の乞食に出会いました。

乞食の姿を見た公慶上人は、「前世では、恐らく強欲な人間で、施しをした事もなかったのであろう。だから、あのような姿で、物乞いをしなければならないのだ。ここは何としても、大仏様のお力をお借りして、布施の功徳を積ませてあげなければ…」と思われ、その乞食に布施をするよう勧めました。しかし、僅かなお金でも欲しい乞食が布施をする筈がなく、即座に断られました。

諦めきれない上人は、乞食の後をついていき、僅かな施しを貰ったのを見るや、「いまあんたがもらったそのお金を、大仏殿の再建の為に布施してくれないか」と声をかけますが、「乞食のわしがようやくもらったお金を施せとは、無理難題ではないか。布施は出来ぬ」と突っぱねられます。

しかし、上人は諦めません。「施しなさい」「いや、出来ぬ」と、押し問答を繰り返している内に、とうとう乞食の方が根負けして、上人にお金を投げ出したところ、勢い余ってお金が田んぼの中に落ちてしまいました。

それを見た上人は、すかさず着物をたすき掛けにして田んぼの中へ飛び込み、お金を探し始めました。

余り熱心に探しているので、乞食が、「お坊さん、僅かなお金を、そんなに泥まみれになって探し回るとは、何か深い訳でもあるのか」と聞くと、上人は「いやいや、あんたが乞食に身をやつしているのは、いままで物惜しみをして人に施しをした事がないからだ。そのあんたが、いま私に施しをしてくれた。東大寺大仏殿の再建の為の施しとなれば、実に広大無辺の功徳を積んだ事になり、これほど尊い施しはない。たとえ僅かであっても、その尊い施しを無にしては、あんたに申し訳が立たぬ」と言って、懸命に探し続けたのです。

ようやく上人の本心を知った乞食は、「それなら私も一緒に探させて下さい」と言って、一緒に探し始めました。

やがて田んぼの中からお金が出てきたので、上人は大層喜び、矢立(注2)から筆を出し、勧進帳の初めに「1、金一文成り、寄附主、乞食某」と書いたのでした。

東大寺大仏殿再建の最初の寄進者が乞食だったとは、とても興味深い話ですが、勧進帳の最初の寄進者が乞食ですから、後に続く人々は寄進しない訳にはいきません。

この寄進がきっかけとなって、その後の勧進は順調に進み、やがて悲願の大仏殿建立へとつながっていったのですから、この乞食は、まさに大仏殿再建の陰の功労者と言ってもいいでしょうが、この逸話は私達に大切な事を教えています。


布施の功徳を説く意味


一つは、布施の尊さは、誰が施すか(施す人の氏素性)、何を施すか(施すものの種類)、幾ら施すか(金額の多寡)で決まるものではないという事です。

たとえ、乞食が施した僅かなお金であっても、施す事によって善根の種蒔きとなるばかりか、大勢の人々の心を動かし、大仏殿建立という一大事業をも成し遂げてしまったのですから、その功徳は計り知れません。

もし一粒の種を食べてしまえば、そこで全てが終わってしまいますが、その一粒の種を大地に蒔けば、やがて多くの実を結び、収穫できるのと同じように、僅かなお金であっても、施しに変えれば、それが善根の種蒔きとなって成長を続け、やがて身に余る果報となってわが身に返ってくるのです。

もう一つは、布施の功徳を説く事がいかに大切かという事です。

乞食が公慶上人と一緒に、田んぼの中に落ちたお金を探し始めたのは、公慶上人が、その乞食に布施の功徳を説いたからです。もし法施をしていなければ、乞食はせっかく尊い布施をしながら、布施の功徳を知る事も、一緒にお金を探す事もなく、その場を立ち去っていたでしょう。

しかし、上人が布施の功徳を説き、法施をして乞食を教え導いたからこそ、乞食は、善根の種蒔きが出来た事を歓び、上人と共に探そうと決心したのです。その歓びの体験は、それからの乞食の生き方を大きく変えたかも知れません。

乞食の心を変えたのは、上人が法施をして布施の功徳を説いたからですが、私が、有料の人生相談を見ていつも残念に思うのは、これが、布施の功徳を説かれた公慶上人の行為とまったく相反する行為だからです。


有料の人生相談では布施の功徳を説けない


そもそも人間の悩み苦しみの原因は何かと言えば、貪り、怒り、怨み妬み憎しみの三毒煩悩であり、その原因を取り除くのが、まさに布施の功徳なのです。

つまり、悩み苦しみを抱えるお方から人生相談を受けるという事は、その人に布施の功徳を説き、悩み苦しみの原因である三毒煩悩を取り除く千載一遇の好機を与えられたという事です。

しかし、布施の功徳を説く為には、ただ口で言うだけではなく、相談を受けた者(僧侶)が自ら手本となって、布施とは何かを示さなければなりません。

僧侶が身を以て布施の手本を示すのは法施しかありませんが、法施とは、何度もお話しているように、見返りを求めない、一切無所得の心で仏法(悟り)を施す事です。

ところが、いま巷に氾濫している有料の人生相談は、仏法を施すのではなく、相談料を貰って尊い仏法を売っているのと同じです。これは、布施ではなく売買であり、商取引と何ら変わりありません。

法を施せない者が、相談者に対し、施しの尊さ、布施の功徳を説ける筈がありません。私が、有料の人生相談を見ていつも「これでは三毒煩悩に苦しんでいる相談者を救える筈がない」と思うのは、その為です。

つまり、せっかく布施の功徳を説く又とない機会を与えられていながら、その機会を自ら放棄し、相談者の救いの道を閉ざしているのが、巷にあふれる有料の人生相談の実態なのです。

その意味で、相談者を救えるか否かは、すでに相談を受ける以前からほぼ決まっていると言っても過言ではないでしょう。

勿論、人生相談を有料にしている当のご本人には、そんな意識は毛頭ないでしょうし、気づいてもいないと思います。もし気付いていれば、有料の人生相談を続けられる筈がありませんから。

気付いていながら、あえて有料にしているとすれば、もはや人助けをする気持ちはまったくなく、ただ人助けを名目に商売をしているに過ぎません。

但し、人生相談を無料で行っているからと言って、みんながみんな、苦しむ人々を救済出来るだけの悟り(仏法)を得ているとは限りません。しかし、少なくとも、法施をする機会を自ら捨てていない事だけは確かです。

それに対し、有料の人生相談は、対価(相談料)を求めると決めた時点で、すでに、布施の功徳を説く機会を自ら放棄してしまっているのです。

相談を受ける僧侶も、相談する者も、お互いに施し(法施、財施)をする事によって善根の種蒔きが出来るにも拘らず、人生相談を有料にする事は、結果的に、善根の種蒔きである施しの機会を奪っている事になります。

同じ三千円でも、相談料として支払う三千円と、法施に対する御礼の気持ちで施す財施の三千円とでは、雲泥の差があります。前者は、人生相談に対するただの対価であり、何の功徳にもなりませんが、後者は、施した人の功徳になる立派な布施行となるからです。

先般、いつも相談に乗って頂くだけでは申し訳ないと言って、お家で採れたお米やお野菜をお供えして下さった女性がいますが、この女性のお供えも、法施への対価としてではなく、相談に乗って頂いて有り難いと言う感謝の気持ちをこめてして下さったお供えですから、彼女の功徳になる尊い布施行と言えましょう。


仏法(悟り)は全人類の共有財産である


更に言えば、そもそも人助けに必要な仏法は、誰が悟ろうと、悟ったその人個人の私有物ではなく、人々の救済の為に役立てるべき人類の共有財産です。

お釈迦様が悟られた「八万四千の法門」と言われる教えもすべて、お釈迦様一個人の私有物ではありません。

お釈迦様は、29才で出家され、36歳の時、ブッダガヤの菩提樹の下で、この世の真理を悟られ、仏陀と成られましたが、たとえ悟ったお方がお釈迦様であっても、悟った真理(仏法)は、お釈迦様が私物化すべきものではなく、人類の救済のために役立ててこそ価値のある全人類の共有財産なのです。

私達僧侶が、お釈迦様の教えを自由に説かせて頂けるのは、お釈迦様が悟った教えを、すべて全人類の共有財産として下さっているからです。勿論、そこには、最近やかましく言われる著作権などもありません。

仏法は、誰もが、いつでも、どこでも、自由に、世のため人のために役立てる事が出来る人類の宝なのです。

その人類の共有財産である仏法を私物化し、相談者から対価を得るなどという事は、言語道断であり、もしそのような事をすれば、これ以上、お釈迦様の顔に泥を塗る行為はないと言っていいでしょう。

勿論、悩み苦しむ人々を救済するためには、時と場合に応じて、仏法だけではなく、お金や物が必要になる場合もあります。

公慶上人が発願された大仏殿再建にしても、やはり莫大なお金と資材が必要です。しかし、それは、法を売った対価として得るものではなく、あくまで布施(寄付)によって賄われるべきものでなければなりません。

大仏殿再建は、布施の心に目覚めて頂く為の手立てであり、人々の真心のご浄施で建立するからこそ意味があるのです。ご浄施でなければ、布施をした人の救済(功徳)にはなりません。

公慶上人が、全国を勧進して歩かれたのも、乞食に布施をするよう勧められたのも、布施行が、その人の救済につながると確信しておられたからです。

合掌

平成25年11月3日


布施の功徳―なぜ人生相談は無料でなければいけないのか(1)
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(注1)大仏様の正式名称は、毘盧舎那仏(びるしゃなぶつ)。盧舎那仏(るしゃなぶつ)とも言う。華厳宗の所依の経典である華厳経の教主。
この毘盧舎那仏が更に発展して真言密教の教主、摩訶毘盧舎那仏(まかびるしゃなぶつ、大日如来)となる。大日如来は、密教の所依の経典である大日経及び金剛頂経の教主で、密教では、最高至上の根本仏と位置づけられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注2)矢立(やたて)とは、筆と墨壺を組み合わせた携帯用の筆記道具。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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