桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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布施の功徳

なぜ人生相談は無料でなければいけないのか(3)



寄進を勧められた先覚者たち


お大師様をはじめ、宗祖、開祖といわれる方々もみな、公慶上人と同様、縁ある人々に寄付(布施)を募り、寄進を勧めておられます。

例えば、お大師様は、紀州高野山を開創するに当たり、有縁の人々に寄付を募り、支援を求め、また布施に対する感謝の書状を何通も書いておられます。例えば、承和元年8月23日の『勧進して仏塔を造り奉る知識の書』には、

伏して乞う、もろもろの檀越(だんおつ)等、おのおの一銭一粒の物を添えてこの功徳を相済(あいすく)え。しかれば営むところの事業不日にして成り、所生の功徳万劫(まんごう)にして広からん。敬って勧む」(注3)

とあり、布施の功徳をお積み下さいと勧めておられます。また『高野雑筆集』にも、

貧道(ひんどう)、黙然せんが為に、去(い)んじ月の十六日、此の峯に来り住す。山高く雪深うして、人迹通じ難し。限るにこの事を以て、久しく消息を奉(ぶ)せず。悚息(しょうそく)、何ぞ言わん。辱(かたじけな)くも米油等の物を恵まる。一たびは喜び、一たびは慴(おそ)る」(注4)

と、布施に対する感謝の言葉を述べられ、更に『紀伊国伊都郡高野寺の鐘の知識の文』には、

しかりといえども、道人清乏(せいぼう)にして志あって力なし。伏して乞う、有縁の道俗おのおの涓塵(けんじん)を添えてこの願を相済(あいすく)え。生生(しょうじょう)に如来の梵饗(ぼんきょう)を吐き、世世(せぜ)に衆生の苦声(くしょう)を脱せん。今至願(しいがん)に任(た)えず。謹んで勧め奉る」(注5)

と、有縁の僧俗各位に、喜捨(寄進)を懇願しておられます。

お大師様が、高野山を開創するに当たり、僧と俗とを問わず、有縁の人々に何度も繰り返し寄進を求めておられるのは、多くの人々の理解と支援、協力がなければ、到底為し得ない大事業だからですが、それだけではありません。

公慶上人が東大寺大仏殿再建の勧進をされたのと同様、一人でも多くの人々に、高野山開創という二度とない千載一遇の好機に仏縁を結んで頂き、布施の功徳を積んで頂きたいとの一念からなのです。


布施の目的と寺院(僧侶)の使命


何度もいうように、仏法は、人々の救済のために施すべきものであり、対価を求めて与えるものではありません。仏道修行者は、法施に対する見返り(対価)を求めてはならないというのが、布施の大原則です。対価を求めるものは、いかなる名目であろうと法施ではありません。

当然の事ながら、寺院の経営は、人々の寄付(布施)がなければ成り立ちません。しかし、寺院を支える布施は、同時に、布施をする人々を救済する上で欠かせない浄行でもあります。

つまり、布施行は、寺院を支える経済的基盤であると同時に、布施をした施主の皆さんの、未来永劫の救いをも支える基盤となる功徳行であり、だからこそ、我々僧侶は、常に布施の功徳を説き、人々を救いの道へと引導しなければならないのです。

寺院(僧侶)の使命は、あくまで苦しむ人々を救済する事であって、一般企業のように、商取引によって利益を追求する事ではありません。

寺院は、多くの人々の真心のご浄施(寄付)によって支えられており、支えて下さる方がいなければ、寺院を維持運営していく事は出来ませんが、それは、裏を返せば、法施という寺院(僧侶)が為すべき当たり前の施しが為されていれば、必ずや多くの人々の布施によって支えられていくという証でもあります。

もし寺院が維持運営できないとすれば、為すべき法施が為されていないからであり、法施をしなさいとの神仏のお計らいと悟らなければなりません。

その事も悟らず、寺院を維持する為に、法施を忘れて目先の利益追求に走るような事があれば、それこそ本末転倒と言わねばなりません。


寺院と檀那は親と子


布施は、サンスクリット語で、ダーナといい、檀那と音写します。ダーナとは、「与える」という意味で、檀那によって支えられているお寺の事を檀那寺(檀家寺)と言います。

ここにいう檀那とは、徳川幕府の寺請け制度によって、お葬式や法事をするお寺と密接につながっている檀家の事ではなく、あくまでお寺を布施によって支えて下さっているすべての人々を指します。

つまり、その寺院の檀家や信者は勿論の事、一見さんでお参りした人々も含め、布施をして下さる方は、すべてそのお寺の檀那です。

先ほど、三宝(仏法僧)は一体であり、仏を離れた法も僧もなければ、法を離れた仏も僧もなく、また僧を離れた仏も法もないというお話をしましたが、寺院(僧侶)と檀那の関係も同じで、寺院を離れた檀那も、檀那を離れた寺院もありません。

菩薩様が、『道歌集』の中で、
  仏法僧 僧をはなれて衆生なく
    衆生はなれて また僧もなし

 と詠っておられるように、僧と衆生は常に一体であり、運命共同体なのです。

その意味で、お寺(僧侶)と檀那の関係は、利益を追求する企業同士の利害関係とは大きく異なります。法施をして檀那を導くお寺(僧侶)と、財施をしてお寺を支える檀那との間に、利害関係はありません。

そこにあるのは、利害関係を超えた信頼関係(相互依存、相互扶助の関係)であり、人間に譬えれば、親と子の関係と言ってもいいでしょう。

親子の関係にあるからこそ、親である寺院(僧侶)は子である檀那の幸せの為に、あらゆる労苦を惜しまず、智慧を磨いて、悟った法を施さなければなりません。

また子である檀那も、親である寺院(僧侶)が日々の暮らしに困って心を煩わす事のないよう、支えていかなければなりません。

道元禅師が、『正法眼蔵』の中で、

釈迦牟尼仏のいわく、「無上菩提を演説する師にあわんには、種姓(しゅしょう)を観ずることなかれ、容顔を見ることなかれ、非を嫌うことなかれ、行いを考うることなかれ。ただ般若を尊重するが故に、日日に百千両の金(こがね)を食(じき)せしむべし。天食(てんじき)をおくりて供養すべし。天華(てんげ)を散じて供養すべし。日々三時に礼拝し恭敬(くぎょう)して、更に患悩(げんのう)の心を生ぜしむることなかれ。」(注6)

と説いておられるように、子である檀那が尊び敬うべきものは、法施をして下さる寺院(僧侶)の悟りの智慧です。

この智慧は、この世の真理を悟り、正しい道を歩む上でなくてはならない人類の至宝と言ってもいいでしょう。

しかし、原石も磨かなければ宝石にならない様に、智慧も様々な修行体験を通して磨かなければ、光り輝きません。

檀那の役目は、その智慧を磨き、修行に励む僧侶の衣食住や日々の暮らしを、布施によって物質面から支えていく事ですが、先ほども言ったように、布施は同時に、檀那自身の未来永劫への救いにつながっていく功徳行でもあるのです。

大切な事は、それぞれの役目(本分)をしっかりわきまえ、寺院(僧侶)は、支えて下さる檀那への法施を忘れず、また檀那も、導いて下さる寺院(僧侶)への支援協力を惜しまない事です。


仏を助ける人になりなさい


法舟菩薩様は、『道歌集』の中で、次のような歌を詠んでおられます。
  み仏に 利益(りえき)りやくとたのむより
    仏助ける 人となれ人
  人思い 衆生助くるみ仏を
    助くる心が わが身を助く

菩薩様が、「み仏の手助けが出来る人になりなさい。」と力説しておられるのは、み仏を助ける事が、結局わが身を助ける事になるからです。

因みに、9年前の平成16年春、若神子(わかみこ)の聖地に開創された高野山法徳寺も、有縁の皆様からの真心の寄進によって建立されたものであり、皆様からの真心の寄進がなければ、柱一本、瓦一枚すら揃える事は不可能でした。

法舟菩薩様も私も、機会ある毎に布施の功徳を有縁の皆様に説かせて頂き、寄進をお願いしてきました。

布施の功徳を説き、寄進をお勧めする事が出来たのは、布施が、有縁の皆様の救いにとって必要不可欠な実践徳目であると確信していたからです。

しかし、法徳寺を開創する事が出来たのは、ただ布施の功徳を説いたからだけではありません。その背景に、長年に亘って培われてきた、法舟菩薩様と、菩薩様を信じてついてきて下さった有縁の皆様方との深い絆と強い信頼関係があったからです。

人生相談は言うに及ばず、衆生済度をしていく上において最も大切な事は、このお互いを結び付ける絆と信頼関係である事を、決して忘れてはなりません。


信頼関係の大切さ


我々僧侶の使命は、悩み苦しむ人々の閉ざされた心を開き、その身に背負う罪穢れを清め、未来永劫の救いの為、持てる悟りの智慧を余すところなく施していく事です。

しかし、同時に、我々僧侶(寺院)を信じ、ご浄施(財施)によって支えて下さる施主の皆様がいなければ、その使命を果たす事は出来ません。

つまり、我々僧侶と施主の皆様が、強い信頼関係で結ばれていなければ、何を為すにしても、成果は得られないのです。

お大師様は、『即身成仏義』の中で、

加持とは、如来の大悲と衆生の信心を表す。仏日(ぶつにち)の影、衆生の心水(しんすい)に現(げん)ずるを加といい、行者の心水よく仏日を感ずるを持と名づく。

と説いておられますが、衆生を救おうとするみ仏の大慈悲心(加)と、み仏を信じる衆生の心(持)が一つにならなければ、お互いを結び付ける絆も信頼関係も生まれず、加持感応の妙も現れません。

大切な事は、親である寺院(僧侶)が、子である施主の皆様を信じ、子である施主の皆様が、親である寺院(僧侶)を信じ、その教えに従う事です。お互いの信頼関係は、僧と衆生、寺院と施主の皆様が、常に信じ合う中からしか生まれません。

公慶上人が乞食に布施の功徳を説いたのは、乞食の中に眠る仏性を信じたからであり、また乞食がお金を布施しようと決意したのは、布施の功徳を説く上人の言葉(法施)を信じ、受け入れたからです。

救済に欠かせない相互の信頼関係は、無条件に相手を信じる中から生まれます。そこには、対価など必要ありません。必要なのは、見返りを求めない無所得の施しであり、限りない慈悲の心です。

「金の切れ目が縁の切れ目」という言葉がありますが、相手を信じる心がなければ、その人を救える道理がありません。有料の人生相談に欠けているのは、まさにこの心なのです。

合掌

平成25年11月10日


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(注3)心よりお願い申し上げます。施主の皆様が、それぞれ金一銭、米一粒なりとも集めて、功徳をお積み下さい。そうすれば、きっとこの大事業も日ならずして完成するでしょう。その善行による功徳は、永遠に滅びることなく、全世界に広くゆきわたる事でしょう。謹んで勧進申し上げます。

(注4)私は、心静かに瞑想修行をするため、先月16日、この高野の峯に来ています。山も高く、雪も深く、人の往来もままなりません。このため長くご無沙汰をし、恐縮に存じます。この度は、かたじけなくも米油などをお恵みいただき、嬉しくも恐れ多い事でございます。

(注5)しかしながら、仏道の修行者は清貧を旨としていますから、志はあっても、財力はありません。心よりお願い申し上げます。仏縁のある僧俗すべての人々は、僅かずつでも喜捨(布施)をしてこの悲願を叶えて頂きたいのです。梵鐘鋳造の暁には、未来永劫、如来の梵音を打ち鳴らし、いつの世までも人々の苦しみを救いましょう。ひたすら念願し、謹んで勧進たてまつります。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注6)仏法を説く師に遇いたくば、その人の生まれや氏素性を考えてはなりません、その人の顔かたち、姿かたちを見てはなりません、その人の常日頃の行いを考えてはなりません、その人の過去の罪や行いを見てはなりません、ただいま仏法を説いて下さっている般若(智慧)を尊重するがゆえに、毎日、百千両ほどもかかる尊い食物を差し上げなさい、天人の食事を送って供養しなさい、天の華を降らして供養しなさい、朝昼晩の三時に亘って、その師を礼拝し恭敬して、師を衣食住や医薬など、あらゆる物質的欠乏のために師の心を患わせるようなことをしてはなりません。このようにすれば、悟りの道も必ず整うであろう、私は発心してから、この様に修行してきたから、いまの悟りを得ることができたのです

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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