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日本の立ち位置

―靖国問題解決に向けて(3)―



経済における日本の立ち位置


日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(2)」で、「神と仏の二本柱がなければならない日本の立ち位置に、神の柱しかない所が、一か所だけ残っています。それは、戦没者の慰霊施設です」という話をしましたが、実はもう一ヶ所、「仏の柱」が欠けている所があります。

それは、日銀発行のお札(紙幣)です。

靖国問題と経済問題は直接関係がないように見えるかも知れませんが、「神と仏の二本柱」という日本の立ち位置を考えた場合、どちらも、立ち位置を踏み外していては解決できない問題であり、アベノミクスを軌道に乗せ、日本の繁栄を持続可能なものとする為には、どうしても考えておかなければなりません。

日本経済を人間の体に喩えれば、体内を流れる血液は、日銀発行の紙幣です。血液が濁ってどろどろになると、体内をサラサラ流れなくなり、人間は病気になりますが、それと同様、経済の血液である紙幣が滞ってサラサラ流れなくなると、経済も病気になります。

日本経済は、最近のアベノミクス効果で、少しずつ持ち直しつつありますが、まだまだ回復基調に乗っているとは言えない状況が続いています。

再生への歩みを確かなものとする為には、経済の血液である紙幣を、サラサラ流れる状態にしなければなりませんが、どうすればサラサラ流れるようになるのでしょうか?

日銀や専門家の方々が知恵を絞っておられる事は承知していますが、一番肝心な事を見落としておられるような気がしてなりません。

それは、紙幣に描かれている人物です。日本経済再生の上で、その人物に着目している人が、一体何人おられるでしょうか?

かつて最高額紙幣の肖像画は、聖徳太子でした。

言うまでもなく、聖徳太子はわが国に仏教の礎を築かれた日本仏教の祖であるばかりか、隋との交易においても、大国におもねる事なく対等に付き合われた超一級の政治家でもあります。それだけに日本人の聖徳太子に対する尊崇の念は、特別深いものがあると思います。

よく「歴史に学べ」と言われますが、いま私たちが日本再生のために回顧しなければならないのは、かつて世界でも類を見ない脅威の高度成長を成し遂げ、奇跡ともいわれた戦後の経済復興を陰で支えたお方は誰だったのかという事です。

勿論、かつての高度成長が、世界一勤勉な国民であると言われる日本人の汗と努力に負うものである事は言うまでもありません。

しかし、大地に隠れている根を見ず、地上の枝葉だけを見て、木のすべてを見たと思うのが誤りであるように、日本の高度成長を、先人の汗と努力によるものとだけ見るのは、目に見える部分だけを見て、すべてを見たと錯覚するのと、同じ過ちを犯す事になります。

日本のかつての高度成長は、ただ目に見える先人の汗と努力によるものだけではなく、目に見えぬ世界から日本経済を支えておられたお方がいたからこそ為し得た奇跡であり、そのお方の支えがなければ、決して実現していなかったと、私は思います。


肖像画が意味するもの


そのお方とは誰か? 実はお札に描かれていた聖徳太子なのです。

こう言うと、「お札の肖像画はただの絵ではないか」と言われるかも知れませんが、紙幣の肖像画は、ただの絵ではありません。

紙幣というものは、人間のさまざまな思い、貪り、怒り、恨み、妬み、憎しみの因縁を乗せながら、人と人との間を往き来するものです。

そのお金は、人を騙して奪い取ったお金かも知れないし、人を殺して強奪したお金かも知れません。

人間が作る罪は、みなお金にからむものであり、そのお金にまつわる人間の貪り、怒り、怨み、妬み、憎しみの因縁は、そのお金に乗って日本全国に運ばれていくのです。

その因縁を封じ、お金にまつわる様々な罪穢れを清める方法は、二つしかありません。一つは、世の中の役に立つ使い方をして清めていく事であり、もう一つは、紙幣の肖像画に描かれたお方のお力によって清めて頂く事です。

しかし、たとえ紙幣に描かれた人物に清めて頂くにしても、その人物がお金にまつわる様々な因縁を封じるだけの力量と人徳とを兼ね備えていなければ、紙幣に絡みついた因縁はそのまま全国に波及していく事になります。

聖徳太子が初めてお札に登場したのは、昭和5年(1930年)発行の兌換百円札(注1)、次いで昭和19年(1944年)、昭和20年(1945年)、昭和21年(1946年)発行の百円札、そして、戦後の昭和25年(1950年)発行の千円札、昭和32年(1957年)発行の五千円札、昭和33年(1958年)発行の一万円札と続きます。

これを見れば分かるように、聖徳太子ほど肖像画に登場した回数の多いお方は他におられませんが、聖徳太子に代わって登場した最高紙幣の福沢諭吉翁は、果たしてお金にまつわる様々な因縁を封じるだけの力量と人徳を兼ね備えておられたでしょうか。

聖徳太子が紙幣から消えた後、日本経済がどうなったかを見れば、その答えは明らかです。

一万円札から聖徳太子が消え、現在の福沢諭吉に変わったのは、昭和59年(1984年)11月1日、そして、日銀が聖徳太子の一万円札の発行を停止したのが、昭和61年(1986年)1月4日でしたが、肖像画が変わってまもなくすると、お金にまつわる日本人の悪因縁が次々と噴き出してきました。

その結果がまさに、昭和61年(1986年)から始まる餓鬼道さながらのバブル経済であり、やがてバブル経済の崩壊を招き、現在に至るまでの日本経済の沈下へとつながっていったのです。

皆さんは、聖徳太子の一万円が消えた年と、バブル経済が始まった年が、同じ昭和61年(1986年)であったのは、単なる偶然だと思われますか?

私は、これこそまさに聖徳太子を福沢諭吉に変えた事によって招いた必然的結果であり、日本経済にとっては、人災と言ってもいい出来事だったのではないかと思います。

聖徳太子の肖像画が紙幣から無くなると決まった時、菩薩様(普門法舟菩薩様)がおっしゃった言葉が、改めて思い出されます。

聖徳太子を無くしたら、日本は駄目になる

こう言って菩薩様は、日本の将来を案じておられましたが、まさにいま日本は、菩薩様がおっしゃった通りの姿になっているのです。


バブル経済を招いた最大の要因


何故、日本経済はバブルと言われるあのような状況に陥ってしまったのでしょうか?

その要因については、様々な意見がありますが、仏教徒としての立場から言えば、今まで封じられていたお金にまつわる貪り、怒り、怨み、妬み、憎しみという三毒煩悩の因縁が一斉に噴き出して起きた必然的結果と言っていいでしょう。

一連の流れを見れば、日本中をバブル経済に陥れた最大の要因が、一万円紙幣の肖像画を聖徳太子から福沢諭吉に変えた結果である事は、もはや誰の眼にも明らかではないでしょうか。

「いままで様々な因縁が芽生えるのを、聖徳太子が封じてくれていたのです」と言ったら、皆さんは、「そんな馬鹿な」と笑われるでしょうか?

封じられていた禍の因縁が実際に芽生える事があるのかと、疑問に思われる方は、「日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(1)」を、もう一度お読み頂きたいと思いますが、私は、バブル経済から今日に至るまでの日本経済の混乱と衰退、更にはいま日本が直面している靖国問題、領土問題、慰安婦問題、財政難問題、少子化問題などを始めとする困難な諸問題をもたらした要因の一つは、聖徳太子の肖像画をお札から無くしたことにあると考えています。

特に最高額紙幣である一万円札から聖徳太子が消えた影響は、甚大です。

日銀が量的緩和に踏み切り、大量のお札が市中に出回っていますが、残念ながら、聖徳太子のお守りのないお札をいくらばらまいても、お金にまつわる貪り、怒り、恨み、妬み、憎しみの因縁が蔓延するだけで、真の解決にはなりえません。

私は、もう一度、聖徳太子に登場して頂かない事には、日本経済を蘇らせる事は難しいと思います。一部には聖徳太子にもう一度お札に登場して頂かなければいけないという意見もあると聞いていますが、私もまったく同感です。と言うより、もはや遅きに失した感があると言ってもいいのではないでしょうか。


最も効果的な景気浮揚策


いま私たちが考えなければならない最も効果的な景気浮揚策は、もう一度聖徳太子に登場して頂き、お金にまつわる因縁を封じていただく事です。

見えぬ世界から、私たちの心にからみついた三毒煩悩の因縁を清めていただくしか、日本経済再生の道はありません。

経済を浮揚させるのに、金融政策や構造改革が無意味であるとは申しません。しかし、それらは言わば枝葉末節的な手法であり、対症療法に過ぎません。

日本経済の隅々にまで流れる紙幣という血液そのものの活力を蘇らさないで、どうして経済全体の活力が蘇るでしょうか。

経済を再生させるのは、一人一人の国民の心です。その心は、目に見えません。しかし、見えない心が経済を操っているのです。形のない、目に見えない一人一人の心が、紙幣に乗って経済を左右しているのです。

だとすれば、その見えない心は、見えない世界から清めていただくしかないのではないでしょうか。

そして、それが出来るお方は、福沢諭吉翁でもなければ、伊藤博文や新渡戸稲造や夏目漱石でも、樋口一葉や野口英世でもありません。高度成長期に見えぬ世界から日本経済を支えておられた聖徳太子なのです。

因みに、故小渕元総理が作られた平成12年(2000年)発行の二千円札は全く人気がなく、殆ど市中に出回っていませんが、それは無理もありません。何故なら、そこに描かれているのは、人物ではなく、沖縄の首里城にある「守礼の門」、つまりただの建物だからです。

建物がお金にまつわる様々な因縁を封じてくれる筈もなく、小渕元総理には申し訳ありませんが、経済再生の原動力になる事は万が一にもないと言っていいでしょう。

お札の肖像画に聖徳太子を選ばれた当時の政治家がどなたかは存じませんが、そのお方は超一流の政治家だと思います。荒廃した戦後の日本経済を立て直し、世界に冠たる高度経済成長を成し遂げた日本民族の大恩人と言っても過言ではないでしょう。


聖徳太子を慕う人々


大阪府南河内郡太子町磯長(しなが)の叡福寺(えいふくじ)(注2)にある聖徳太子御廟には、いまもお参りの人が絶えず、また奈良県斑鳩町にある法隆寺の夢殿には、聖徳太子の等身大と言われる救世観音(ぐぜかんのん)が祀られ、聖徳太子を救世観音の化身とする太子信仰が今も盛んに行われていますが、これを見ても分かるように、聖徳太子は、法隆寺や四天王寺を始めとする数々の寺院を建立し、『十七条憲法』や『三経義疏』を著して仏教的世界観に基づく政治を行っただけではなく、飛鳥の昔からいまに至るまで、救いの御手を差し延べる救世主として、人々の心の中に生き続けているのです。

お大師様(弘法大師様)や菩薩様(普門法舟大菩薩様)が、いまも救いの御手を差し延べる生き仏として多くの人々の心の中に生き続けておられるように、聖徳太子もまた、苦しむ人々から救世主と仰がれ、人々の篤い信仰を集めているのです。

もし聖徳太子にそれだけの人徳と信頼とお力がなければ、故人として祀られる事はあっても、救世主として人々から信仰される事はなかったでしょう。

この事実を見ても、聖徳太子が、日本の高度成長期に、お金にまつわる貪り、怒り、怨み、妬み、憎しみという三毒煩悩の因縁を清め、封じて下さっただけではなく、いま私達の前に立ちはだかる困難な諸問題を解決するお力をお持ちである事が分ります。

しかし、いくら聖徳太子がお力を持っておられても、私達にそのお力を信じ、願い、頼む心がなければ、お力を頂く事は出来ません。

「冥加」「冥助」「冥利」という言葉をご存じでしょうか。これは、知らず知らずの内に頂いているみ仏のお守り、お助け、ご利益の事ですが、人々が、聖徳太子を信じ、そのご加護を祈るのは、聖徳太子の冥加、冥助、冥利を日々実感しているからであり、だからこそ、太子はいまも人々の心の中に生き続けているのです。

人間というのは正直なもので、もし聖徳太子を信じ、ご加護を祈っても、冥加、冥助、冥利を頂く事が出来なければ、人々の心は自然に離れてゆきます。

遠き飛鳥の時代から今日に至るまで、太子信仰が衰えないのは、人々が聖徳太子の冥加、冥助、冥利を強く肌で感じ取っているからです。

叡福寺へ行かれた方はご存じでしょうが、広い境内の一角には、本堂や多宝塔などと並んで、弘法大師を祀る「弘法大師堂」や、親鸞聖人を祀る「見真大師堂」があります。

これは、お大師様や親鸞聖人(注3)が、聖徳太子の御廟に参籠された事を物語る遺跡ですが、他にも伝教大師、法然上人、一遍上人、日蓮上人など、日本仏教の開祖と言われる錚々たる方々が、聖徳太子を慕って参籠されているのです。

実はかく言う私も、紀州高野山で出家する前に、出家のご挨拶をするため、菩薩様に導かれて、聖徳太子の御廟へお参りさせて頂き、それ以来、たびたび足を運ばせて頂いていますが、叡福寺の歴史を回顧すれば、聖徳太子が、飛鳥の時代から現在に至るまで、日本仏教の祖として、僧と俗とを問わず、あらゆる人々の尊崇を一身に集めておられる事がお分かり頂けると思います。


お札に欠けている「仏の柱」


紙幣の肖像画を聖徳太子から福沢諭吉に変える決断を、誰が下されたのかは知りませんが、軽率な判断だったと言わざるを得ません。

何故なら、聖徳太子を紙幣から無くすという事は、取りも直さず、いままで日本を陰で支えておられた聖徳太子の人徳とお守り(冥加、冥助、冥利)のすべてを捨てる事に他ならないからです。

恐らく、そこまでの深い思いはなく、ただ紙幣の肖像画を変えるだけだという軽い気持ちだったのでしょうが、これがいかに軽率な決断であったかは、その後の日本が辿った道のりを見れば明らかでしょう。

そもそも何故、最高額紙幣である一万円札に聖徳太子の肖像画を復活させなければならないのかと言えば、日本が繁栄する立ち位置である「神と仏の二本柱」を、最高額紙幣においても実現する必要があるからです。

日本が繁栄する立ち位置である「神と仏の二本柱」という観点から言えば、いま紙幣に描かれているお方は、みな廃仏毀釈を強行し、「仏の柱」を取り外した明治時代の方々ばかりです。

一万円札の肖像画である福沢諭吉も、その中のお一人ですが、福沢諭吉翁は、ご承知の通り、いち早く西洋文明に触れ、日本の近代化に大きな足跡を残されたお方であり、「慶応義塾」を創設し、『学問のすすめ』を現して、広く学問の大切さを説かれた当代随一の教育者であり思想家でもあります。

しかし、聖徳太子が福沢諭吉と決定的に違うのは、今もお話したように、聖徳太子が、僧と俗とを問わず、多くの人々の尊崇を一身に集め、今もその徳を慕う多くの人々から拝まれ続けているという事実です。

たとえそのお姿は目に見えなくても、聖徳太子がいまも人々の心の中に生き続け、多くの人々から尊崇されているという事実を、決して過小評価してはなりません。何故なら、見えない心の世界が、目に見える世界を陰で動かしているからです。

私達は毎日、見えない心の中で悶え、怒り、妬み、悩み、苦しんでいます。悩みも苦しみも、その他諸々の思いも、私達の目には見えませんが、その心は、間違いなく私達を悩ませ、苦しめているのです。何故かと言えば、私達は、目に見えない心が作った世界に生きているからです。

そして、その見えない心が、経済の動向を左右したり、景気や不景気をもたらしているのです。

要するに、国の繁栄も、経済の再生も、心の動きを抜きにしては語れず、だからこそ、見えない心の世界を見通し、心の汚れを清め、導いて下さるお方の力が、いまの日本にはどうしても必要なのです。

その為には、そのお方に、経済の血液とも言うべき紙幣の肖像画として登場して頂く以外にはありません。

先ほどもお話したように、いまの日本には、戦没者を慰霊する施設に「仏の柱」が欠けているのと同様、日本経済再生の切り札とも言うべきお札の肖像画にも、「仏の柱」が欠けています。

だからこそ、一刻も早く「仏の柱」を取り戻し、「神と仏の二本柱」という日本の立ち位置を確立して、再生への歩みを確固たるものにしなければならないのですが、欠けている「仏の柱」と成りうるお方は、日本の礎に仏教を据えられ、高度成長を支えておられた聖徳太子以外にはおられません。

聖徳太子には、再びご苦労をおかけする事になりますが、もう一度紙幣の肖像画として復活して頂く以外に、日本経済を根底から再生させる道はありえません。

この問題に国がどこまで真剣に取り組んでくれるか否かは分かりませんが、2020年の東京オリンピック開催が決まり、いよいよ日本再生に向けての流れが生まれようとしている時期だけに、是非、聖徳太子を復活させて頂き、日本再生の流れを不動のものにして頂きたいと願わずにはいられません。

合掌

平成25年9月9日


日本の立ち位置〜靖国問題解決に向けて(1)
日本の立ち位置〜靖国問題解決に向けて(2)
日本の立ち位置〜靖国問題解決に向けて(3)
日本の立ち位置〜靖国問題解決に向けて(4)
日本の立ち位置〜靖国問題解決に向けて(5)
日本の立ち位置〜靖国問題解決に向けて(6)
日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(7)
日本の立ち位置ー靖国問題解決に向けて(8)
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(注1)兌換(だかん)紙幣とは、同額の金貨や銀貨に交換することを約束した紙幣。同額の金貨や銀貨との交換を保証しない紙幣を、不換紙幣と言い、国の信用で流通する紙幣である事から、信用貨幣とも呼ばれる。
昭和6年(1931年)に金の輸出を禁止して兌換を停止したことで、日本銀行券は、事実上、兌換紙幣ではなくなり、更に昭和17年(1942年)に日本銀行法が制定され、兌換義務のない不換紙幣が発行できるようになり、法律上も兌換の義務がなくなった。
この法律により、日本の通貨制度は、金本位制度から管理通貨制度へ移行する事になった。

 

聖徳太子兌換百円札
(昭和5年発行)

 

聖徳太子百円札
(昭和21年発行)

 

聖徳太子千円札
(昭和25年発行)

 

聖徳太子五千円札
(昭和32年発行)

 

聖徳太子一万円札
(昭和33年発行)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注2)山号は磯長(しなが)山、本尊は如意輪観音。開基(創立者)は、聖徳太子または推古天皇とも言われる。宗派は真言宗系の単立寺院で、「太子宗」を名乗る。また「中之太子」と呼ばれる野中寺、「下之太子」と呼ばれる大聖勝軍寺と共に、三太子の一つに数えられ、「上之太子」と呼ばれている。

 

二天門(叡福寺)

 

 

 

救世観音(法隆寺夢殿)

 

 

(注3)親鸞聖人が19歳の時、磯長の聖徳太子御廟に三日間参籠し、二日目の夜、太子が夢に現れ、「日本は真実の仏法が栄えるに相応しい国である。お前の命は、あと10年で尽き、命尽きると共に清らかな世界に入るであろう。いまこそ真の菩薩を深く信じなさい」と告げます。
そして10年後、29歳になった親鸞は、聖徳太子が建立したと言われる京都の六角堂に100日間参籠し、95日目の夜、本尊の救世観音が夢に現れ、「前世の因縁によっ女性と交わる事になれば、私が女性となって、その交わりを受けましょう。そして清らかな生涯を全うし、命が終わるときは極楽に導きましょう」と告げ、これによって親鸞は、女犯を決意したという。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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