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神の祝福か?輪廻の業か?(5)

― 仏教徒から見たイスラム過激派の行動 ―



タリバンによるバーミヤン石仏破壊


12年前の2001年3月12日、アフガニスタンのイスラム原理主義組織「タリバン」によって、バーミヤンの巨大石仏二体(西大仏・高さ55メートル、東大仏・高さ38メートル)が爆破されましたが、アフガニスタンの歴史を遡ると、戦争に次ぐ戦争の歴史と言っても過言ではないでしょう。

1978年、軍事クーデター(四月革命)によって社会主義政権が誕生すると、政権打倒を叫んでイスラム義勇兵(ムジャヒディーン)が立ち上がり、それを排除するため、1979年、旧ソ連軍がアフガニスタンに侵攻します。

しかし、イスラム義勇兵を排除する事が出来ず、10年後の1989年にソ連軍は撤退、その後、アフガニスタンの支配権を巡って内戦が激化し、1998年以降、タリバンが全土の9割を掌握しますが、タリバン支配地域に対する制裁決議が国連で採択され、タリバンに対する締め付けが強化されました。

そんな中で起きたのが、タリバンによる石仏二体の爆破ですが、アフガニスタンが世界に誇る文化的遺産であるバーミヤン渓谷の石窟仏教寺院遺跡には、爆破された巨大石仏二体をはじめ多くの仏像が彫られ、1000を超える石窟内には鮮やかな仏教壁画が描かれていました。

旧ソ連軍の侵攻以来続いてきたアフガニスタン紛争とタリバンの強権支配によって、大仏をはじめとして、石窟壁画の8割が失われたと言われていますが、偶像崇拝を否定するイスラム教の影響、イスラム過激派テロ組織「アルカイダ」の指導者、ウサマ・ビンラディンとの接触、更には慢性的旱魃による食糧難で多くの餓死者が出ているにも拘らず、国際社会が無関心であった事など、様々な要因が背景にあったのではないかと指摘されています。

バーミヤンの石仏が爆破された当時の産経新聞のコラム「産経抄」には、次のような文章が掲載されていました。

アメリカCNNテレビが爆破の瞬間を映しだし、「バーミヤン石仏は破壊された」と国連教育科学文化機関(ユネスコ)が発表した。タリバンの信仰が文化に対する犯罪であり、野蛮であることを証明したようなものだろう ▼「歩くことが原作か。描くことが翻訳か。両方とも削ることの方がつらかった」。平山郁夫画伯は新著『薬師寺への道』(集英社)の中で、バーミヤンの石仏に相対した時の感動を、そんななぞめいた言葉で書いている ▼平山さんは昨年十二月三十一日、入魂開眼法要の最後の筆入れをして薬師寺玄奘三蔵院画殿の「大唐西域壁画」を完成させた。玄奘の足跡をたどり、二十年の歳月をかけて描きつづけた大壁画の一つが、アフガニスタンのバーミヤン石窟である ▼遠くシルクロードの山々が連なり、その前に草一本ない褐色の高原が広がっている。手前にはオアシスの緑がわずかに残り、あとは不毛の台地があるのみだ。しかし台地の山壁の左右には、深くうがたれた石仏がおわします。午後の太陽の傾くバーミヤンはそんなふうに描かれていた ▼その平山さんの大作にうながされて、前に買っておいた玄奘の『大唐西域記』(水谷眞成訳、平凡社版)を慌てて読んでみた。中国・唐代の僧玄奘は、天竺の仏法を求め国禁を犯して長安を旅立つ。数々の苦難に遭遇しつつ西暦六二九年この地に立ち寄った ▼「バーミヤン国は東西二千余里、南北三百余里で、雪山の中にある。王城の東北の山の阿(くま)に立仏の石像の高さ百四、五十尺のもの(五十五b仏)がある。金色にかがやき、宝飾がきらきらしている」。玄奘は壮麗なバーミヤンの石窟をそう描写しているのだった。

629年、唐の玄奘三蔵がこの地を訪れた時は、美しく装飾された大仏が金色に輝き、数千人の僧侶が寺院に居住し、バーミヤン渓谷は、まさに一大仏教都市を形成していました。

その後、偶像崇拝を否定するイスラム教徒がこの地に侵攻したため、次第に往時の面影は失われていきましたが、タリバンが同国を支配するまでは、まだ多くの仏教壁画が残されていました。

国際社会から非難を浴びながらも、タリバンは、それらを徹底的に破壊し、アフガニスタンの貴重な文化遺産を永久に葬り去りましたが、彼らが爆破したのは、実は石仏ではなかったのです。

恐らく彼らはまだ気づいていないでしょうが、彼らが爆破したのは、彼ら自身の尊厳であり、バーミヤン石仏を偶像としか見られない彼らの殺伐とした心が、自らの尊厳を爆破し葬り去ったのです。

偶像崇拝と非難して破壊はしてみたものの、結局自らの行動によって、自らの首を絞める結果を招いただけであった事は、その後の顛末を見れば明らかで、自業自得とはいえ、余りにも哀れという他はありません。


仏教は偶像崇拝か?


偶像崇拝を否定するタリバンの手によって爆破された二体の大仏は、もはや残された写真や絵画でしか偲ぶことが出来ませんが、イスラム教徒は、唯一絶対神は形に現せないからと、仏像を拝む仏教を偶像崇拝と批判し、これまでおびただしい数の仏像を破壊してきました。

偶像崇拝とは、お釈迦様や阿弥陀様やお地蔵様などの仏像を作り、その仏像に何らかのご利益があると信じて拝むことですが、果たして仏教はイスラム教徒が否定する偶像崇拝なのでしょうか。

釈尊は弟子たちに、
 「われの死は肉身である。肉身は父母より生まれ、食によって保たれるものであるから、患い、傷つき、こわれてゆくものである。それゆえに、われの肉身を見るのでなく、われの法(おしえ)を知る者こそ、真のわれを見るのである
 と説かれました。また
 「私が信じられなければ信じなくてもよい。しかし、私が説く法を信じなさい
 とも説いておられます。

これらの言葉から、釈尊は法のみを信仰の対象としておられた事が分ります。

また、釈尊の教えの中に、「自灯明、法灯明」という教えがありますが、これは、文字通り「自らを依りどころとして他を依りどころとせず。法を依りどころとして他を依りどころとせず」という意味で、やはり法(真理)のみを信仰の依りどころとせよという釈尊の戒めです。

もし釈尊が、信仰の依りどころは法(真理)であり、釈尊の肉体ではないと考えておられたとすれば、釈尊が説いた法(教え)を信じ、拝み、実践する事のみが、釈尊を拝む事であって、釈尊の姿を象った仏像を拝む事は偶像崇拝となり、釈尊の教えに反しているのではないかという疑問が出てくるのは、当然と言えましょう。

一神教徒のみならず、仏教徒の中にも、釈尊は偶像崇拝を否定していたと主張する人がいるのも、無理はありません。

確かに、釈尊の肉身をそのまま象って拝むのであれば、偶像崇拝になるかも知れません。

しかし、仏像は釈尊の肉身をそのまま象ったものではなく、釈尊が説いた法を象ったものですから、仏像を拝む事は決して偶像崇拝にはならないと私は考えています。


仏像礼拝は釈尊の教えに反しているのか?


そもそも仏像が作られるようになったのは、釈尊入滅から500年余り後の紀元1世紀頃で、それ以前は、仏舎利(釈尊の遺骨)、ストゥーパ(釈尊の遺骨を祀った仏塔)、法輪(仏の教えが輪の如く広まる様子を表したもの)、仏足石(仏の足跡を刻んだ石)、菩提樹(釈尊が悟りを開かれた樹)など、釈尊を連想させる様々なシンボルを通して、釈尊を礼拝していました。

しかし、西北インドのガンダーラ地方や、北インドのマトゥーラ地方に仏教が伝えられてからは、ヘレニズム(ギリシャ文明)の影響を受けた仏像が次々と作られ、それらが、様々な変化を遂げながら、中央アジアを経て東アジアへ伝えられていきました。

こうして、釈尊在世中は、釈尊が説かれた法だけが信仰の依りどころであったにも拘らず、釈尊入滅後は、釈尊を慕う人々によって、仏塔や法輪、仏足跡など様々なシンボルを通して礼拝されるようになり、やがて釈尊の姿を象った仏像まで作られて、礼拝の対象となっていったのです。

このように、様々な文明の影響を受けながら、生まれるべくして生まれてきた仏像ですが、果たして仏像を拝む事は、イスラム教徒がいうように偶像崇拝であり、「自灯明、法灯明」と説かれた釈尊の教えに反しているのでしょうか。

皆さんの中には、仏像を礼拝する事は、この教えと矛盾するのではないかという疑問をもたれる方もいると思います。

外見だけを見れば、仏像を拝む事は、イスラム教徒がいうように、偶像を拝んでいるように見えなくもありません。

しかし、後でお話しますが、仏像とは、法(真理)の鏡に映った仏の自分を象ったものであり、仏像を拝むとは、自分が自分を拝む事ですから、仏の自己を依りどころとせよと説かれた「自灯明」の教えと何ら矛盾するものではありません。

また、仏の自己は、法(真理)の鏡に映して初めて見ることが出来る自己本来の姿であり、法こそが仏の自己を照らし出す光明ですから、法を依りどころとせよという「法灯明」の教えとも矛盾しません。

お釈迦様が説かれた「われの肉身を見るのでなく、われの法(おしえ)を知る者こそ、真のわれを見るのである」という言葉からすれば、仏像を礼拝する事は、釈尊の言葉と矛盾しているように思われるでしょう。

しかし、何度も言うように、仏像は、釈尊の肉身を象ったものではなく、法(真理)の鏡に映った釈尊本来のお姿を象ったものであり、そのお姿こそが、釈尊のいのちであり、仏像を通して伝えようとしている本質なのです。

しかし、その違いが中々一般の人々には分かりません。そこで、釈尊の肉身と釈尊本来のお姿(法身)を区別するために考え出されたのが、”三十二相八十種好”(注1)と言われる福相です。

例えば、どんな悩み苦しみも聞き漏らさないよう長く大きな耳を持ち、頭の頂きが盛り上がり(肉髻相・にくけいそう)、身体全体が金色に光り輝き、後光を放ち、すべてを見抜き見通す慈悲の眼を持ち、眉間には光を放つ右巻きの白毛(白毫相)があるなど、一般の人間にはない特徴が具わっているとされていますが、肉身としての釈尊が、このような身体的特徴を具えていた訳ではなく、あくまで、法(真理)と一体になられた釈尊本来のお姿を象徴的に現すために考え出されたものです。

つまり、「われの肉身を見るのでなく、われの法(おしえ)を知る者こそ、真のわれを見るのである」という釈尊の言葉に決して反しない事を示すために考え出されたのが、”三十二相八十種好”なのです。

ですから、これら”三十二相八十種好”の福相を取り入れて作られた釈迦像は、釈尊の肉身を象ったものではなく、真理(法)と一体になった釈尊本来の姿を現したものである事は、言うまでもないでしょう。

何度も申しますが、仏像を拝むとは、釈尊の肉身を拝む事ではなく、み仏となられた釈尊本来のいのちである法(真理)を拝む事に他なりませんから、何ら教えに反する事にはならないし、偶像崇拝では決してないのです。


何を拝んでいるのか


ここで皆さんに知っておいて頂きたい事は、仏教でいう仏を拝む事と、イスラム教でいう唯一神を拝む事は、全く意味が異なるという事です。

イスラム教徒が拝む唯一神は、宇宙の創造主です。従って、自らが創造主になるという発想は、彼らにはありませんし、ないのが当然です。ですから、唯一神とイスラム教徒の間には、越えがたい壁があり、完全に断絶しています。

それに対し、仏教徒が礼拝する仏は、宇宙の創造主ではありません。仏に成るとは、私たち人間の奥底に眠るもう一人の自分(仏の自分)を覚醒させ、迷いの夢から目覚める事です。

弘法大師様(お大師様)が、『声字実相義』の中で、「生きとし生けるものみな等しく仏性を具え、仏と平等である」(衆生にまた本覚法身あり。仏と平等なり)と説いておられるように、私達人間は、みな本来仏であり、仏と成るべき本性を具えているのです。

にも拘らず、毎日、泣いたり、笑ったり、怒ったり、妬んだり、人の悪口を言ったり、騙したりして、その本性を覚醒出来ぬまま生きているのが、いまの姿です。

今まで自分だと思っていた私は偽りの私で、その私の他に、泣きも笑いも怒りも妬みも悪口も騙しもしない仏であるもう一人の私がいるのです。

この仏の私に直面しなければ、いくらお金があっても、いくら立派な家屋敷に住んでいても、いくら地位や名誉が得られても、この世に生まれてきた意味も値打ちもありません。

お金や物や地位や名誉は、いつ崩れるか分からない砂上の楼閣に過ぎませんが、仏の自分は永遠に滅びません。だからこそ、一刻も早く仏の自分と出会わなければいけないのですが、ではどうすれば仏の自分に出会えるのでしょうか。


仏の自分に出会う


私たちは、自分で自分を見る事は出来ません。皆さんは、毎日、鏡に映った自分の姿をご覧になると思いますが、自分を見ようと思えば、鏡に映った自分を見る以外に方法はありません。

それと同じように、仏の自分に出会う為には、仏の自分を映してくれる鏡を持つ事が必要です。

仏の自分を映す鏡とは、この世の真理(法)であり、法の鏡に映った仏の自分を象ったものが仏像であります。

つまり、仏像を拝むとは、真理の鏡に映った仏の自分を拝む事であり、仏教徒は、仏像を通して、自分の奥底に眠るもう一人の自分(仏の自分)と対面しているのです。

イスラム教徒は、自らが唯一神を拝むのと同じように、仏教徒も、創造主的な仏を拝んでいると考えているのでしょうが、これは大きな誤解です。

京仏師の松久朋琳師は、『仏の聲を彫る』の中で、次のように述べておられます。

木の中の仏と出会うということと、自分の仏性と出会うこととは、同時なんですな。
 最初のうちは、自己とはつまらんものだと思うてます。自分よりもっともっとすばらしい、いいものを彫りたいと思います。
 そういうものを目指して、一生懸命やればやる程自分になってしまうのです。
 全然自分に似ないものを彫りたい、私から逃げ出したいと思うても、どうしても自分自身から自分は逃げられまへん。
 仏性という圧力がグッときて、逃がさしません。
 自分と違うものをと思うて、ドンドン彫っていく。そうして出来上がってみると、全部自分になってしまってます。
 やっと出来上がったと得心したところが、自分になってしもてます。
 わたしそっくりにならんと、自分で出来た気にならんのです。
 自分になったときに、初めて、“出けてるな”と思うんですな。
 そうしているうちに、これはわたしの知らないわたしが、もう一つわたしの奥にいて、わたしを見つめているのだな、ということを、フッと分からせて貰ろたんです。
 わたしはその時、仏性というわたしの内面に突き当たっていたんですな。それが、仏の姿になって、私の前に出てきていたのです。
 それが、あるとき、“ああそうやったのか”と、得心が出来たのです。

松久師も述べておられるように、仏教徒が仏像を拝むのは、イスラム教徒が絶対に成る事の出来ない創造主のような仏を、像に象って拝んでいるのではなく、自分の中のもう一人の自分(仏の自分)を、仏像を通して拝んでいるのです。仏師の立場で言えば、木の中から仏を彫りだす作業を通して仏の自分に対面しているのです。

ですから、唯一神とイスラム教徒の関係のように、越えがたい壁はありませんし、自分と仏との間は断絶していません。

イスラム教徒から言えば、人間が唯一神になる事などありえませんし、それは神を冒涜する行為になりますが、仏教徒が仏になるのは当たり前なのです。何故なら、私達は本来仏であり、今はただその事に気づいていないだけだからです。

仏教徒が仏像を拝むのは、イスラム教徒が言うように、自分ではない神仏を像に刻み、偶像として拝んでいるのではない事が、少しお分かり頂けたのではないでしょうか。


草木また成ず、いかにいわんや有情をや


『涅槃経』の中に、「一切衆生悉有仏性(いっさいしゅじょうしつうぶっしょう)」という言葉があります。

すべての人々は、仏となるべき本性(仏性)を具えているというこの考え方は、大乗仏教の根本思想の一つですが、インドから、中国、朝鮮を経て日本へ伝えられたこの思想は、やがて「仏性を具えているのは人間だけではない」という思想にまで進化してゆきます。

お大師様は、『吽字義』の中で、
 「心がないと思われている草木ですら成仏するのだから、人間が成仏しない筈がない」(草木また成ず、いかにいわんや有情をや
 「もし草木に仏性がなければ、波に潤いもない事になってしまう」(草木に仏なくば、波にすなわち湿なけん
 と説いておられますが、草木にさえ仏性があるという教えは、日本で開花した独自の教えと言っていいでしょう。日本でしか開花し得なかった教え、日本だからこそ開花し得た教えと言っても過言ではありません。

日本人は昔から、木や草や山や海や川や石など、森羅万象の中に神の存在を感じ、畏敬の念を抱きながら、大自然と共に生きてきました。

そんな風土の中で育った日本人が、「一切衆生悉有成仏」を説く大乗仏教の思想を受け入れ、更に進化させていったとしても、何ら不思議ではありません。

「草木国土悉皆成仏」「山川草木悉皆成仏」という言葉がありますが、このような考え方が生まれてきたのも、長年に亘って培われてきた日本の風土や日本人の気質を考えれば、当然とうなずけます。

一神教のように、大自然を心のないただの物質に過ぎないと見る考え方は、少なくともわれわれ日本人の心の中にはなかったし、育まれてこなかったのです。

イスラム教は、仏教は偶像崇拝だと批判しますが、この批判は、少なくとも「草木また成ず」という考え方が根底にある仏教には当たらないでしょう。

人間だけではなく、自然界すべてに仏性があり、仏として光り輝いているという考え方からすれば、仏像は、石や木や金属を心のない物質と見なして作ったものではなく、それらの中に流れる仏のいのち(仏性)を、形として現したものに他なりませんから、石や木や金属の中から仏像という形が生まれてくるのは、当たり前なのです。

その事を肌で実感してこられた松久朋琳師は、「仏像が偶像なのではなく、自然を心のない物としか見ることの出来ない殺伐とした心が、仏像を偶像化してしまうのです」と述べておられますが、まさにその通りで、私達は、仏像を偶像にするもしないも、すべて人の心の為せる業である事を知らなければなりません。

仏さまは、大自然の中にも、わたしら一人一人の胸の内にもおられます。合掌する心があれば、どこにでもおられます。
 言い換えれば、その心がなければ、野を歩こうと、お寺へ参ろうと、座っていようと、仏さまはいらっしゃいません。
 大切なことは、仏さまを拝む気持ち、安置する心具合と違いますやろか。
 「仏像を拝むなんていうことは、偶像崇拝やないか」と言わはる方がおられます。けれども、それはちょっと違うと思いますのや。逆やないか、と思うのですわ。
 そこに本当にみ仏が宿っているのだと信ずる心、求める心が、仏像を生み出したと思いますのや。
 山にも川にも、草にも木にも、仏の慈悲の姿を観る、そんなきれいな素直な心が、仏像を生み出したのと違いますやろか。
 自然をものとしか見られない寒む寒むとした心が、かえって仏像を偶像にしてしもたと思うのですわ。
 人間はみんな「絶対」というすばらしいものをわたしらの心の中にくくりつけとるのです。「仏性」という絶対なものを。
 大きな大きなすばらしい宝を持っておりますのや。
 それに気がつかんだけなのです。あんまり近いものは、分からんのですな。
 物でも、自分から離れていれば見えますけれど、目にくっつけてしもたら、もう何が何ンや、わけが分からしません。
 富士山かて、離れて見ていればこそ、美しくも大きくも見えるのですな。それが、富士山に昇ったら、“どこに富士山あるのかいな”ということになるのと一緒です。近いもの程分からないのですな。
 それと同じことで、自分は自分が一番わかりません。人のことは分かるけれども、自分のことは分かりまへん。
 まして、仏性というもんは、自分のなおその奥にある。自分が分からないのにその奥にある仏性なんて、わかる訳がない。また、心の中のものを引っ張り出してみるということもできません。
 それで、これを仏像という形にして皆さんの前に置く。それを離れて拝みますと、ああ、仏さんてこういうものか、心の中にある永遠不滅の存在とはこういうものかということがわかって頂ける。
 いまここに肉体としてある自分の姿は仮りの姿であって、本体というものはみ仏のように永遠不滅のものであったのか……、と悟る、これがみ仏を拝むということの、本当の姿やと思うのです。
 自分の姿を自分が拝む。
 わたしはそれを、長い間み仏を彫りまいらせる中で教えて貰うたのです。


超越的神と内在的仏との違い


イスラム教徒が拝む唯一絶対神が、この宇宙に存在する何物でもなく、それらを超えた超越的存在であるとすれば、仏教徒が拝む仏は、この宇宙に存在するありとあらゆるものの中にまします内在的存在と言っていいでしょう。

自分を含め、ありとあらゆるものの中にまします内在的存在であるみ仏とまみえる為、仏教徒は深く自己の内面を掘り下げ、仏師は木の中のみ仏をお迎えするべく、こつこつと鑿をふるうのです。

松久師は、み仏を刻んでいると、自分と木の中のみ仏が渾然一体となって、自分が仏なのか、仏が自分なのか分からなくなってしまうと、その時の感動を次のように述べておられます。

世間ではよく、仏を刻んでいるわたしをわたしやと、つまり松久朋琳という名を名乗り、仏師という経験を持って仏像と取り組んでいるのがわたしやと思います。そして、出来たみ仏を単なる木の仏像やないかと言います。
 ところが逆なんですわ。それがほんまのわたしなんですね。彫っていたのは、単なる職人にすぎない、松久朋琳という職人です。仏性として出てきたみ仏、これがほんまのわたしですのや。
 どうしてそういうことが言えるのか。
 仏像に現れた自分というものは、すでに自分ではないのです。仏像を彫りまいらすことによって、わたしの心の奥底にある仏性が、仏像という形になって現れたのです。その仏性こそ、お釈迦さんが、「凡ての人に仏性あり」と言われた本当のわたしなんですな。
 わたしの顔をわたしが削ってる。そうすると削られている仏さんがわたしなのか、削っているわたしがほんまのわたしなのか、わからんようになってきます。無心に削っているうちに、削っているわたしと、削られているわたしの仏とが融然と一体となってしまう。合一してしまう。これが、仏師の一番の生粋のところやないかと思います。
 そういう境地にスウーッと入ってしまう。そうすると、わたしが仏か、仏がわたしかわからんようになってしまいます。そういう状態になってしまいます。これが仏づくりの心やないか、そないにわたしには思えるのです。

タリバンが爆破した巨大石仏も、彼らから見れば、石を削ってつくった、ただの石の建造物にしか見えないでしょう。

しかし、仏教徒が見れば、石仏からは、いくら汲んでも尽きる事のないみ仏のいのちの泉がこんこんと湧き出ているのです。

石仏だけではありません。木の仏も、金属の仏も、乾漆の仏も、仏画の仏も、そして、ありとあらゆるものの中におわします仏も、みな光を放っているのです。

勿論、諸行無常の中にある石仏である以上、自然に風化し、やがては崩れ去る定めにあります。その流れをくい止める事は、誰にも出来ません。

タリバンに爆破される前、石仏の顔の部分はすでになく、装飾も剥げ落ちて、往時の姿は偲ぶべくもありませんでしたが、イスラム教徒の手にかからなくても、いずれはそうなる定めにあります。

しかし、崩れ去っても、それは目に見える外観に過ぎません。たとえイスラム教徒の手によって顔を破壊され、装飾が剥がされても、目に見えない仏のいのちは永遠に生き続けています。爆破しようが、何をしようが、彼らは、無駄な抵抗をしているに過ぎません。

では、何故タリバンは、無駄な抵抗であるにも拘らず、石仏破壊という行動に出たのでしょうか。

お大師様が、『般若心経秘鍵』の中で、
 「名医は、道端の雑草でさえ薬として使い、名工はただの鉱石から宝を見出す。雑草とするか薬とするか、鉱石とするか宝石とするか、それを見出す深い智慧の眼を持っているかいないかは、誰の責任であろうか」(医王の目には途に触れて皆薬なり。解宝の人は砿石を宝と見る。知ると知らざると誰が罪過ぞ)
 と説いておられるように、彼らが、巨大石仏を、石で造られた偶像としか見られないのは、ありとあらゆるものの中にまします仏のいのちを汲みとる智慧の眼、悟りの眼を持たず、ただ外見だけに目を奪われているからです。

智慧の眼、悟りの眼を持っているか、持っていないか、たったそれだけの違いですが、いみじくもタリバンの石仏破壊は、心の眼、智慧の眼、悟りの眼を持たない人間の哀しさを世界中の人々に教える結果となったのです。

しかも、彼らは、石仏破壊が無駄な抵抗だとは全く知りませんし、気づいてもいません。勿論、それは、智慧の眼、悟りの眼を開いた者だけが知りうる真相であり、仏の自己に直面していない彼らには、無理もないのですが…

残念ながら、自己を創造した唯一神を信じる道しか知らない彼らには、自己の真相に直面する機縁は未だ巡ってきていないのです。

このように智慧の眼を持たないために自らの真相に気づかない事を、お大師様は、「衆生秘密」(注2)と説いておられます。

真理は常に私たちの眼の前に開かれています。しかし、それを肉眼で見る事は出来ません。心を研ぎ澄まし、智慧の眼、悟りの眼を磨かなければ、たとえ目の前の真理であっても永遠に見る事は出来ないのです。

見えてこないのは、真理が自らを隠しているからではありません。その人自身が心の眼、智慧の眼を曇らせているから、目の前の真理が見えてこないだけなのです。

勿論、その真理は私たちの内にもあり、智慧の眼が目覚めるのを、今や遅しと待っています。

釈尊は、菩提樹の下で、この世の真理を悟り、仏陀と成られました。しかし、真理は、釈尊が悟られる以前から、この世に存在し、開かれていたのです。釈尊は、その真理を発見され、わが内に眠る仏の自己と対面された人類最初のお方だったに過ぎません。

菩薩様が詠まれた『道歌集』の中に、
  悟りとは 表の教より裏の法
    見えぬ裏にぞ 悟りあるなり
 という歌がありますが、心の眼、智慧の眼、悟りの眼を磨かなければ、物事の裏に隠された真相は、見ることも聞くことも触れる事も出来ません。

お大師様も、『般若心経秘鍵』の中で「顕密は人に在り、声字(しょうじ)は即ち非なり」(注3)と説いておられますが、同じものを見ても、その真相が見える人と見えない人がいるように、同じ仏像を見て、ただの偶像と見るか、それともその中に輝く仏のいのちを見出せるかは、ひとえに智慧の眼、悟りの眼が開けているか否かにかかっているのです。

タリバンがバーミヤン石仏を偶像だとして破壊した事は大いに非難されるべきですが、所詮この世に存在するものは、何であれ滅びる定めにあり、彼らが破壊しなくても、いずれは崩れ去ったでしょう。

私が哀しいのは、彼らが真相を観る心の眼、智慧の眼、悟りの眼を持たない事に気づいていない事です。いまだ「縁なき衆生」の中にいる人々とはいえ、輪廻の業を重ねなければ生きてゆけないその境遇を思うと、救いを祈らずにはいられません。


予定より早く完成した身代り升地蔵尊


最後に、仏像を拝む事が決して偶像崇拝ではない事を物語る実例をご紹介したいと思います。

昭和58年(1983)年6月29日午前3時頃、法舟菩薩様は、霊夢にて、灼熱の汗を流しながら升の中に凛とたたずむお地蔵様を感得されました。

菩薩様御入定後、このお地蔵様を「身代り升地蔵菩薩」と名付け、仏壇屋さんに制作をお願いしたのは、平成12年でした。

当初は、平成13年のお彼岸の中日(3月21日)を過ぎてからお祀りし、菩薩様の御縁日である4月13日にご披露しようと思っていたのですが、3月6日、仏壇屋さんから「仏像が完成しましたので、これから持っていってもよろしいでしょうか」というお電話があったのです。

私としては、3月21日の彼岸法要が終わった後に持って来て欲しいと思っていたので、「いま持ってきてもらっては困ります」と言ってお断りしたのですが、「お厨子の中に納まるかどうかも確認しておきたいし、手直しをしなければならない箇所があれば、4月13日までに直さなければいけないので、是非一度お厨子に納めたいのです」と言われるので、一度持って来ていただく事にしたのです。

升の中に凛と佇むお姿を一目見て、まるで菩薩様が帰ってこられたような感動を覚えましたが、お厨子の中に入られると、更に素晴らしく、いままで拝見してきたどのお地蔵様よりも素晴らしいと感じました。

仏壇屋さんが、「どうしましょう。このまま置いておきましょうか」と言われるので、「いや、それは困るのです。3月21日に法要があるから、最初の予定通り、法要が終わった後に納めて貰いたいのです」と言って、一旦持って帰って頂いたのです。


仏師の遊び


ところが、その日の夜十時半過ぎ、思わぬ事が起こりました。4歳の娘がいきなり、「足が痛い!」と言って泣き出したのです。

「どうしたの?」
 「右足の付け根と太ももの間ぐらいが痛い。痛みが段々大きくなってくる」

すぐ119番に電話して、救急病院を探してもらったところ、すぐ近くの済生会病院が診てくれるというので、娘を抱きかかえて、病院へ走りました。

「どこが痛いんですか?」
 「右足が痛いと言って泣くんです」
 「分かりました。一度診てみましょう」

そう言って右足を触って診て下さったのですが、不思議な事に、先生が触っても、もう少しも痛がりません。あれだけ泣き叫んでいたのに…

「痛くない?」
 「はい」
 「一度立ち上がってごらん」

恐る恐るですが、ちゃんと立てるのです。

「歩けるかな?」
 「分からない」

と言いながら、恐る恐るですが、一歩二歩と歩けるのです。

「痛くない?」
 「はい」

病院へ行くまで大声で泣いていたのに、もう全く痛くないとは、どういう事か。本人は勿論でしょうが、私も妻も、まるで狐につままれたような気持でした。

「今診た限りでは、多分大丈夫だと思います。取り敢えず帰って頂いて、また何かあったらすぐに来て下さい」
 「分かりました」

一体何が起こったのか見当もつかず、釈然としないまま帰ってきたのですが、頭の中では、様々な思いが走馬灯のように駆け巡っていました。

そうしている内に、ふと或る言葉が脳裏に浮かんだのです。それは、その日、仏像を持って来られた仏壇屋さんがおっしゃった言葉ですが、その言葉ですべての謎が解けたのであります。

「先生、実はこの仏像に一つだけ、仏師さんの遊びがあるんです」
 「仏師さんの遊び?」
 「はい、このお地蔵様には、仏師さんが、少し細工を施した箇所があるんです。それが仏師さんの遊びなんですが、分かりますか」
 「分からないけど、どこですか」
 「右足です。右足を少し前に出しておられるでしょう。普通は両足を揃えて直立不動なんですが、これから苦しむ人々を救いに行かれるところを表現するため、右足を前に出しておられるんです」
 「なるほど、これが仏師さんの遊びですか」

と感心しながら聞いた言葉を思い出したのです。

私は、3月21日以降でなければいけないという自分の計らいから、せっかくお厨子の中に入られたお地蔵様を、仏壇屋さんにお返ししたのですが、子供が、突然、右足が痛いと言って泣きだしたのはその夜のことで、仏像に施されていた仏師さんの遊びも、右足でした。

それだけではありません。右足が痛いと言って泣いていた子供の誕生日は、お地蔵様の御縁日である24日なのです。

これだけ条件が揃えば、悟るべき事は、一つしかありません。

「あなたは、わざわざお厨子に納められた私を、何故返すのですか?3月21日を過ぎなければ納めてはいけないというのは、あなたの計らいに過ぎません。私は、一刻も早く、お厨子の中に入って、衆生を救済したいのです」

お厨子に入られたお地蔵様は、きっと私にそう言っておられたに違いありません。しかし、私の心の耳にはその声が聞こえず、お地蔵様のみ心を悟る事が出来ないから、わざわざ娘の右足を使って、気づかせて下さったのです。

まだ4歳にしかならない娘に痛い思いをさせ、またお地蔵様にも御苦労をおかけし、本当に申し訳ないと、心の底から懺悔しましたが、そのお蔭で、私は、この時、初めてお地蔵様と心を通わせて頂く事が出来たのです。

お地蔵様の仏性と、私の仏性が一つに結ばれた瞬間と言ってもいいでしょうが、感動の余り、しばらく体の震えが止まりませんでした。

肉眼で見れば、木に彫られたお地蔵尊像に過ぎませんが、お地蔵様は間違いなく生きておられました。そして、私の心の扉を叩いて下さったのです。だからこそ、私の内なるみ仏が目を覚まし、お地蔵様の声なき声を聞く事が出来たのです。

もしこのお地蔵様が、イスラム教徒の言うように、木に刻んだただの偶像であれば、このような不思議な出来事は起こらなかったでしょう。

お地蔵様は、木に彫られたただの偶像ではなく、木の中からお出ましになった、永遠のいのちを生きるみ仏である事を、自らハッキリと示されたのです。


心は巧みなる画師のごとし


お大師様は、『即身成仏義』の中で、
 「加持とは、み仏の大慈大悲のみ心と、衆生の信心が感応し合う事をいう」(加持といっぱ、如来の大悲と衆生の信心とを表す。仏日の影、衆生の心水に現ずるを加といい、行者の心水能く仏日を感ずるを持と名づく)
 と説いておられますが、この日の夜、お地蔵様と、私の中の仏が、加持感応し合ったのは、お地蔵様が偶像ではなく、生きたみ仏である何よりの証と言えましょう。

しかし、たとえお地蔵様が生きておられても、見る者の心によっては、ただの偶像にもなり得るのです。その事を、世界中の人々に教えたのが、バーミヤン石仏を破壊したタリバンです。

逆説的な言い方ですが、その意味では、彼らの行動も、無駄ではなかったと言えるのかも知れません。

いずれにしても、人の心ほど、ありとあらゆるものを作り出せるものは、この世にありません。すべては、心の所産と言っても過言ではないでしょう。

『華厳経』に、「心は巧みなる画師のごとし。種々の五陰を描き、一切の世界の中の法として造らざるなし」という言葉がありますが、思い思いの絵を自由自在に描き出せるのが、心という名の画家です。

人類に不幸をもたらす絵を描くのも、幸福をもたらす絵を描くのも自由ですが、だからと言って、何を描いてもよい事にはなりません。

自由だからこそ、その責任も重大なのです。

私達は、間違っても不幸をもたらす絵を描くような心の画家にだけはなってはならないし、他の人々にも、そのような心を作らせてはならないのです。

イスラム教過激派が無差別テロに走るのも、或る国が戦争を始めると言って威嚇しているのも、心が描き出した悪夢(妄想)や恐怖がそうさせているからです。

もし世界を滅ぼすものがあるとすれば、原爆でも生物兵器でも未知の細菌でもなく、最も身近にありながら、最も知られていない心という名の画家ではないでしょうか。

昔から仏教を内道といい、仏教以外の教えを外道(げどう)と言いますが、一神教徒は、預言者の言葉に従って唯一絶対神を信仰しますが、わが内なる神秘の世界、心の秘密に思いを馳せる事はありません。

彼らにとって、真理とは唯一絶対神以外にありえず、わが内なる心の秘密など真理とは無関係だと思っているからです。まさに、そこが外道である所以なのですが…

しかし、仏教徒は、わが内なる神秘の世界、心の秘密を深く掘り下げ、そこにある真理(仏)の扉を開けようとします。そして、わが内なる真理(仏)と対面するには、ひたすら心の眼、智慧の眼、悟りの眼を研ぎ澄まし、見えない真理を見極める眼を持たなければならないのです。

大袈裟かも知れませんが、私は、その眼を持つ事が、世界に平和をもたらし、人類救済を実現する唯一究極の道であると信じています。

合掌

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(ストゥーパ)

 

 

 

 

 

 

(ガンダーラ仏)

 

 

 

 

(注2)仏の身体に備わっている特徴で、見てすぐに分かる特徴が三十二相、微細な特徴が八十種好。
三十二相は以下の通り。
1. 足下安平立相(そくげあんぴょうりゅうそう)ー足の裏が平らで、足裏と地が密着している、所謂偏平足のこと。
2. 足下二輪相(そくげにりんそう)ー足裏に輪形の相がある。仏足石。 3. 長指相(ちょうしそう)ー指が長くて繊細なこと。
4. 足跟広平相(そくげんこうびょうそう)ー足のかかとが広く平らであること。
5. 手足指縵網相(しゅそくまんもうそう)ー手足の指の間に、鳥の水かきのような金色の膜があること。
6. 手足柔軟相(しゅそくにゅうなんそう)ー手足が柔らかで色が紅赤であること。
7. 足趺高満相(そくふこうまんそう)ー足の甲が亀の背のように厚く盛り上がっていること。
8. 伊泥延?相(いでいえんせんそう)ー足のふくらはぎが鹿のように円く微妙な形をしていること。
9. 正立手摩膝相(しょうりゅうしゅましっそう)ー直立したとき両手が膝に届く程長いこと。
10. 陰蔵相(おんぞうそう)ー男根が目立たないこと。
11. 身広長等相(しんこうじょうとうそう)ー身長と両手を広げた長さが等しいこと。
12. 毛上向相(もうじょうこうそう)ー体の毛の先端が上になびき、右に巻いていること。
13. 一一孔一毛相(いちいちくいちもうそう)ー身体の毛穴から、よい香りのする手がはえていること。
14. 金色相(こんじきそう)ー身体が黄金色に輝いていること。
15. 丈光相(じょうこうそう)ー身体から四方に光明を放っていること。所謂後光のこと。
16. 細薄皮相(さいはくひそう)ー皮膚が柔らかく清らかであること。
17. 七処隆満相(しちしょりゅうまんそう)ー両掌、両足の裏、両肩、うなじの肉付きがよいこと。
18. 両腋下隆満相(りょうやくげりゅうまんそう)ー両腋の下にも肉が付いていて凹みがないこと。
19. 上身如獅子相(じょうしんにょししそう)ー獅子のように威厳があること。
20. 大直身相(だいじきしんそう)ー身体が端正で比類がないこと。
21. 肩円満相(けんえんまんそう)ー両肩が丸く豊かであること。
22. 四十歯相(しじゅうしそう)ー40本の歯があって白く清潔であること。
23. 歯斉相(しさいそう)ー歯並びが美しいこと。
24. 牙白相(げびゃくそう)ー40歯以外に、白く大きく鋭利な4本の歯をもつこと。
25. 獅子頬相(ししきょうそう)ー獅子のように、ほほの肉が豊かであること。
26. 味中得上味相(みちゅうとくじょうみそう)ー何を食べても最上の味を味わえること。
27. 大舌相(だいぜつそう)ー舌が軟薄で広く長いこと。
28. 梵声相(ぼんじょうそう)ー声がとても美しく、遠くまで聞こえること。
29. 真青眼相(しんしょうげんそう)ー眼が青い蓮華のようであること。
30. 牛眼瀟睫相(ぎゅうごんしょうそう)ーまつげが長く、整っていること。
31. 頂髻相(ちょうけいそう)ー頭の頂の肉が盛り上がっていること。
32. 白毫相(びゃくごうそう)ー眉間に右巻きの白い毛がはえていて、光明を放っていること。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


『仏の声を彫る―京仏師一代』
著者:松久朋琳
日本教文社 (1982/10)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注2)「衆生秘密」の他に、「如来秘密」がある。「如来秘密」とは、智慧の眼が開けていない者に真理を在るがまま伝えると曲解する恐れのある場合は、智慧の眼が開けるまであえて伝えない事をいう。

 

 

 

(道歌集)

 

(注3)真言密教以外の教えを顕教といい、顕教と密教の違いは、経文の文字ではなく、それを受け取る側の人間にあるという意味。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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