桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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世界に一人だけのあなた




洋子ちゃんの10円玉


Facebookの友人で作家の東城皐月氏が、Facebookに投稿して下さった「洋子ちゃんの10円玉」という感動的な話をご紹介します。

ある尊敬する人から聞いた話です。

親のいない知恵遅れの子供たちなどを預かって教育している教会がありました。その教会では、子供たちが15歳くらいになると、ある試験をして、合格すると、社会に出してあげます。

その試験とは、1円玉、5円玉、10円玉、50円玉、100円玉、500円玉のお金をバラバラにして、「あなたにとって一番価値のあるものから並び替えなさい」というものでした。そして、500円玉から額の多い順に並べれば、社会に出しても良いという決まり事でした。

なぜこのような試験をするかというと、買い物や電車・バスに乗る時に、最低限のお金の価値判断ができないと、社会に出ても、本人が困ることになるからです。

ある日、洋子ちゃんというお母さんのいない15歳の女の子に試験をしたのですが、洋子ちゃんが一番価値のある貨幣として取り上げたのが、10円玉でした。

教会の先生方は、「この子は未だにお金の価値判断ができないのだ」と大変がっかりしたそうです。そして、再試験しても、やはり洋子ちゃんは、10円玉を大事そうに取り出すのでした。

しかし、10玉を持ってニコニコと笑顔で答えている洋子ちゃんを見て、この子には、何かわけがあるのだと思い、先生方は、洋子ちゃんの1日の行動を思い起こしました。そして、先生の中の1人があることに気がつきました。

洋子ちゃんのお母さんは、洋子ちゃんが生まれてまもなく亡くなってしまい、今は、病床のお父さんがひとりいるだけです。洋子ちゃんは、一日のお勉強や夕食が終わった時に、必ず、お父さんに短い電話をします。お父さんと会話をすることが、唯一の楽しみだったのです。そして、そのことで、施設ではひとりぼっちの洋子ちゃんも安心して眠れるのです。

先生は、洋子ちゃんが電話している姿を思い出し、その電話が赤電話であることに気がつきました。その赤電話では、1円玉も、5円玉も、50円玉も、100円玉も、500円玉も使えません。使えることができるのは、10円玉だけでした。まさに洋子ちゃんは、10円玉を入れることで大好きなお父さんと話すことができたのです。

先生方は、「あなたにとって一番価値のあるものから並び替えなさい」と言ったのですが、洋子ちゃんにとって、一番価値のあるお金は、500円玉でも、100円玉でもなく、まさに10円玉だったのです。

我々人間は、貨幣価値の高い500円玉から並べることばかり教わりました。そして、お金をたくさん持っている人が偉いのだという社会を築き上げて来たのです

でも、本当に大切なことは、貨幣価値の高い低いではありません。1円玉には1円玉の働きがあり、5円玉には5円玉の働きがあり、そして、洋子ちゃんが大切に握りしめていた10円玉には10円玉の働きがあるのです。

そのことの大切さがわからないようでは、良い意味での人間関係を築き上げていくことはできません。社会常識は大切なことではあるけれども、本当に大切なのは、お互いの価値観を尊重し合い、理解し合うことではないかと思います。

これからの長い人生の中で、洋子ちゃんが笑顔で握りしめていた10円玉の価値を忘れずに生きていくことが、争い事のない平和な世の中を築き上げていく為の第一歩ではないかと思うのです


OnlyOneのあなた


この投稿を読んで思いだしたのは、SMAPが歌って大ヒットした「世界に一つだけの花」です。

NO.1 にならなくてもいい もともと特別なOnlyone

花屋の店先に並んだ いろんな花を見ていた
 ひとそれぞれ好みはあるけど どれもみんなきれいだね
 この中で誰が一番だなんて 争う事もしないで
 バケツの中誇らしげに しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は どうしてこうも比べたがる?
 一人一人違うのにその中で 一番になりたがる?

そうさ僕らは 世界に一つだけの花
 一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

困ったように笑いながら ずっと迷ってる人がいる
 頑張って咲いた花はどれも きれいだから仕方ないね
 やっと店から出てきた その人が抱えていた
 色とりどりの花束と うれしそうな横顔

名前も知らなかったけれど あの日僕に笑顔をくれた
 誰も気づかないような場所で 咲いてた花のように

そうさ僕らも 世界に一つだけの花
 一人一人違う種を持つ
 その花を咲かせることだけに 一生懸命になればいい

小さい花や大きな花 一つとして同じものはないから
 No.1にならなくてもいい もともと特別なOnlyone

「No.1にならなくてもいい もともと特別なOnlyone」というフレーズで始まる、槇原敬之氏・作詞作曲のこの歌は、世界中の人々に大きな感動を与えましたが、何故人々は、この歌に感動したのでしょうか。

いままで私達は、競争という名のベルトコンベアーに乗せられ、人生の荒波にもまれながら、否応なく比較、選別されて生きてきました。そこは、まさに勝つか負けるか、生きるか死ぬかの世界であり、比較、選別から漏れた者は、生きる道すら与えられず、存在価値さえ認められない厳しい世界でした。

しかし、「洋子ちゃんの10円玉」や、SMAPの「世界に一つだけの花」の世界には、比較も選別もありません。そこにあるのは、ただ「そのままでいいんだよ」と、在るがままを受け止めてもらえる世界です。

桜も梅も秋桜も鈴蘭もバラもチューリップも、ありとあらゆる木々や草花が、大自然の懐に抱かれながら、在るがままの姿で活き活きと花を咲かせているのは、桜は桜として、梅は梅として、秋桜は秋桜として、鈴蘭は鈴蘭として、バラはバラとして、チューリップはチューリップとして、野辺に咲く名もなき花たちは、名もなき花たちとして、生きる道を与えられているからです。

花の付きが良いか否か、色合いが鮮やかか否か、萎れていないか否か、大きさが規格に合っているか否かを比較、選別する人間の世界では、選別にもれた草花は捨て去られ、生きる道はそこで完全に閉ざされてしまいます。

しかし、比較、選別のない母なる大自然の懐では、すべての草花が、形が悪かろうが、色が悪かろうが、生育が悪かろうが、虫に食われていようが、病気にかかっていようが、萎れていようが、大きさがバラバラであろうが、在るがままの姿で、命の火が燃え尽きるまで、より良く生きる事を許されているのです。

1円玉には1円玉の生きる道があり、5円、10円、50円、100円、500円玉にも、それぞれの生きる道がちゃんと用意されているのです。

人間社会では、1円より5円、5円より10円、10円より50円、50円より100円、100円より500円の方に大きな価値があるとされますが、天地のみ心の中では、優劣の差も価値の違いもなく、あるのは役割の違いだけです。

こうして、一つ一つがみな、果たすべき役割を持ち、輝ける場所を与えられ、かけがえのない存在として、在るがまま生かされている事を、「洋子ちゃんの10円玉」や、SMAPの「世界に一つだけの花」が教えてくれた。だから、誰もがみな、感動するのではないでしょうか。


世界に一つだけの腕数珠


毎年春先に、お寺の裏庭の一画に鬼数珠(注1)の種を蒔いておきますと、暫くして芽生え、少しずつ成長して青い葉を茂らせ、秋頃になると、腕数珠を作るのにちょうどよい大きさの固い実がなります。

当然の事ながら、同じ形や大きさの鬼数珠は一つもありません。否、鬼数珠だけではなく、この地上に存在するすべてのものが、形も大きさも色も性質も、一つ一つみな違うのです。母なる自然界が作り出すものに、同じものは一つもありません。

実った鬼数珠に紐を通すと、手首にはめる立派な腕数珠が出来上がります。人間が人工的に作った数珠玉は、みな同じ形をしていますから、作られた数珠や腕数珠も、みな同じ大きさになりますが、自然界が作り出した鬼数珠や数珠玉は、大きさも色合いも一つ一つみな違うため、その数珠玉で作られた腕数珠も、同じものは一つもありません。

材料となる鬼数珠(数珠玉)の実が一つ一つ違うのですから、同じ腕数珠を作ろうとしても作れないのが当然ですが、作られた腕数珠は、どれもみな、世界に一つしかない腕数珠であり、「天上天下唯我独尊」の腕数珠になります。

残念ながら、人間が人工的に作った腕数珠では、形も大きさもみな同じ規格で作られているため、「天上天下唯我独尊」の腕数珠とはなりません。


天上天下唯我独尊


「天上天下唯我独尊」という言葉は、お釈迦様が、生まれてすぐに七歩歩かれ、右手で天を指し、左手で地を指しておっしゃったと言われるお言葉ですが、生まれたばかりの赤ん坊が、すぐに七歩歩き、天地を指差せる筈がありませんし、言葉を話せる筈もありません。

この話は勿論、史実ではありませんが、この逸話には、大切な真理が隠されています。

私達はみな、「地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上」という六つの迷いの世界を果てしなく彷徨っている(六道を輪廻している)というのが、仏教の人生観、世界観ですが、七歩歩かれたとは、お釈迦様が、六道の世界を超えて解脱し、仏となられるお方である事を意味しています。

縁起の理法を悟って仏陀となられたお釈迦様が、この世で最も尊い聖者のお一人であり、「天上天下唯我独尊」というに相応しいお方である事は、言うまでもありませんが、「天上天下唯我独尊」とは、「この世で自分独りだけが尊い」という意味ではありません。

大自然が作り出した鬼数珠(数珠玉)に一つとして同じものがないように、私達も、一人として同じ人間はいません。優れた部分も劣った部分も、みなそれぞれ異なり、百人いれば、百通りの光り輝ける場所があり、千人いれば、千通りの生きる道があるのです。

つまり、誰もがみな、他人では代われない「天上天下唯我独尊」的存在として、生きる事を許され、輝ける場所を与えられているのです。

大自然が同じものを作らないのは、それぞれに光り輝ける場所を与え、生きる道を用意する為であり、お釈迦様が「天上天下唯我独尊」とおっしゃった所以も、そこにあります。


同じものを作らない大自然の叡智


大自然が作り出した鬼数珠(数珠玉)で作った腕数珠が、それぞれ世界に一つしかない「天上天下唯我独尊」の腕数珠になるという事は、一つ一つの腕数珠が、「天上天下唯我独尊」を主張し合っても、対立し、争う事がないという事です。

もし形も大きさも同じ規格で作られた腕数珠同士が、「天上天下唯我独尊」を主張し始めたら、どうでしょうか?たちまち優劣をめぐって醜い争いが始まるでしょう。

人工的に作られた腕数珠たちの悲劇は、同じ規格で作られているため優劣が付けられず、始まった争いが果てしなく続いてゆく事です。

しかし、自然界が作り出した鬼数珠(数珠玉)は、同じものが一つもないため、出来上がった腕数珠が、いくら「天上天下唯我独尊」を主張し合っても、優れている部分も劣っている部分もすべて異なるため、争いが起きる心配はありません。

優劣や勝敗は、同じ土俵に立っている者同士で価値を決める尺度ですが、自然界が作り出した鬼数珠(数珠玉)は、立っている土俵がみな違い、それぞれが持つ長所も短所もみな違うため、そこに優劣は付けられないのです。

人間が同じものを作るのは、そうする事によって安く、しかも簡単に大量生産できるからで、すべて違うものを作ろうとすれば、不可能ではないにしても、大変な費用と労力と時間と手間がかかり、誰も作ろうとはしないでしょう。

ところが、大自然は、この世に一つとして同じものを作らないという、人間の眼から見れば、途方もなく非効率で、手間隙のかかる作業をしているのです。

同じものは一つもありませんから、他者が取って代わる事も出来ませんが、人間も例外ではなく、私の代わりが出来る人は、私以外にはいません。あなたの代わりが出来る人も、あなた以外にはいません。

つまり、私も、あなたも、世界でたった一人の私であり、たった一人のあなたなのです。私は、「天上天下唯我独尊」の私であり、あなたも、「天上天下唯我独尊」のあなたなのです。


ジグソーパズルの1ピース


譬えれば、私達はみな、宇宙というジグソーパズルを構成するピースの一つです。

大自然の叡智の偉大さを痛感するのは、同じピースを一つも作らないという、人間では絶対に為しえない離れ業を、いとも簡単に成し遂げている事です。

同じピースが幾つもあれば、当然、ピース同士が、自分の入るべき領域をめぐって争いを始めるでしょうが、同じピースがなければ、一つのピースが入るべき場所は、一ヶ所しかありませんから、争いの起こりようがありません。

勿論、そこには優劣の違いも、勝敗の別もなく、あるのは、ただ入るべき場所、果たすべき役割の違いだけです。

だとすれば、私達がこの世に生まれてきた目的は、一つしかありません。それは、自分が入るべき場所を探し求め、果たすべき役割を果たす事です。

勿論、その道のりは、決して平坦ではありません。ジグソーパズルをした経験があるお方なら、お分かりでしょうが、最初から、一つのピースが入るべき場所を見つけるのは容易ではありません。

あちらこちらに置いてみたり、他のピースとピッタリ合うかどうかを試しながら、最終的に、ピッタリ重なりあう相手と、入るべき場所が見つかるまで、何度も何度も試行錯誤を繰り返していくのです。

その困難さは、ジグソーパズルを構成するピースの数が多くなればなるほど増大してゆきます。

宇宙を構成する無数のピースの一つに過ぎない私達が、たった一つのピースが納まるべき場所を探し求め、輝ける場所を見つける事は容易ではありませんし、生涯かけても、その場所は見つけられないかも知れません。

しかし、大切な事は、見つけられるか、見つめられないかではなく、見つけようとする意志と、見つけたいという熱意と、いかなる困難が前に立ちはだかろうと、決して諦めないやる気です。

人生を生きる妙味は、その困難さに立ち向かってゆく姿勢の中に見出せるものではないでしょうか。

もし一つ一つのピースが、大きさも形も色も全く同じなら、何の問題もありません。ただ空間に同じピースを並べていきさえすればいいのですから、こんな楽で簡単な作業はありません。まさに人生、楽勝です。

しかし、大自然は、あえてそうはされなかったのです。

自らが入るべき場所を探し求める困難さは、私達の行く手を阻み、絶望さえさせるでしょうが、その困難さは、自らが入るべき場所を見つける為には、どうしても避けて通れない、大自然が与えたもうた試練であり、人生をよりよく生きる上で欠かせないものなのです。

合掌

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(注1)日本の各地の水辺によく見られるのが、数珠玉と言われるイネ科の多年草で、卵型をした固い実は、紐を通して腕数珠などに使われたりする。それに対し、鬼数珠と言われる数珠玉は、よく見られる数珠玉より一回り大きく、形も卵型ではなく円い形をしている。

 

(卵型の数珠玉)

 

(円い形をした鬼数珠)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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