桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
桜紋の扉 法徳寺の扉 御祈願の扉 汗露水の扉 御法歌 法話の扉 帰郷の扉 升紋の扉
信者を作らない理由法話の小部屋御同行の体験談

信じる者は救われるか?(4)

― オウム事件から見えてきたもの ―



Fさんからのお手紙


三人目は、高知県にお住まいのご同行、Fさんの次女のK子さんです。

今から三年前の平成21年5月、Fさんから、「次女のK子が、癌の病で入院しました」とのお手紙を頂きましたが、実は、癌と診断される21年前の平成元年にも、K子さんは、急性骨髄性白血病と診断され、あと数ヶ月の命と宣告された事があります。

その時は、菩薩様が、K子さんの入院しておられる病院まで駆けつけてお加持をされ、その甲斐あって、奇跡的な回復力を見せ、数ヶ月と宣告されたいのちでしたが、21年間もお元気に生きてこられました。

ところが、そのK子さんが再び、癌の病で入院なさったのですから、FさんとK子さんの思いは尋常ではなかったと思いますが、お母さんのFさんから、次のようなお手紙をいただきました。

前略
 次女、K子が白血病で、あと三ヶ月と宣告されました時、菩薩様と奥様が名古屋から飛んできて下さり、K子の主人と、私共夫婦に御法を頂きまして、市民病院に入院中のK子をお見舞い下さいまして、お加持をなさって下さいました。

勿体ない、尊いみ仏様の御手を、娘はしっかり握って中々離さず、ご尊顔をじっと見つめておりました。信じ切った目をし、顔が美しく輝いて見えました。

あれから二十一年、生かせて頂いて参りました。先日K子の主人から電話がありまして、出血があって痛いと言うのに、どうしても病院に行かないので、無理に連れて行って幾通りもの検査を、方々の病院で受けたそうでございます。

その間、K子と電話で話しましたが、不思議と明るい声で、しっかりしていて、「うち(私)は癌やと言われても平気や。何ともないよ」と言うのです。菩薩様に、命も心も救われた人間は違う、心からそう感動致しました。

「医大へ入院したら、携帯でゆっくりお話しするからね」と言っておりましたが、月曜日(5月11日)に入院してからは、輸血をしたり、痛み止めを呑んだり、容態を診ているようでございます。

お医者様は、「本当の事を言った方がいいでしょう」と言われ、癌である事を話されたそうでございます。60歳はまだ若いから大事にして心安らかに、一日でも長く生かして頂きたいと願っております。

一応落ち着きましたら、家庭で療養させて頂くとの事でございますが、K子の主人も年がいくにつれてお互いに助け合って、とても優しい人になって下さっておりますので、安心でございます。お大師様、菩薩様にお守り頂いているK子でございます。

私は、K子と本当の親子にならせて頂いてきました。癌と共に、菩薩様に生かせていただけるよう、苦しみのないよう、祈らせて頂きます。有難うございました。


K子さんへの手紙


このお手紙を頂いた後、私は、FさんとK子さんのお二人に、手紙を差し上げました。以下は、K子さんに差し上げた手紙の文面です。

先日、お母さんよりお手紙を頂き、K子さんが入院された事を知りました。

私が初めてK子さんにお会いしたのは、確か菩薩様が御入定される前年(平成元年)の秋だったと思います。

あの時、私達家族は、菩薩様のお供をして四国へ行き、最後の日にFさんのお宅へ伺って一泊させて頂きましたが、その時、K子さんと初めてお会いしました。とてもお元気そうで、顔色も良く、一年前に急性骨髄性白血病で数ヶ月の命と宣告されたお方とはとても思えませんでした。

あれから、もう二十年が経ったのですね。あの時の事は今でもよく覚えていますが、特に印象深かった事が一つあります。それは、菩薩様が「これが今まで私が多くの人の罪や病気を代わって背負ってきた証なんですよ」と仰って、右の掌をK子さんに見せられた事です。

その時は気付かなかったのですが、菩薩様が御入定なさって暫くしてから、何故菩薩様がK子さんに右の掌を見せてそう仰ったのか、その深いみ心が分りました。

と言いますのも、菩薩様が御入定される一ヶ月余り前の平成二年一月七日に、私は、菩薩様が亡くなられた夢を見たのです。亡くなる夢ですから、普通でしたら、縁起でもないと言われるところですが、実はとても縁起のよい夢だったのです。

何故かと言いますと、それは菩薩様が死んでも死なない永遠の命を得られた夢だったからです。

夢の中で、菩薩様のご遺体が棺に納められていました。私は棺の前に立って「菩薩様は亡くなられたのだ」と思っているのですが、ふと目を上げると、何故か、お元気な菩薩様がそこに立っておられて、私の方を見て、ニコニコ笑っておられるのです。つまり、亡くなられた菩薩様と、生きておられる菩薩様が、おられたのです。

私が、「棺の中には確かに菩薩様のご遺体が横たわっているのに、何故生きておられるのだろう」と不思議に思っていると、私の知人のお坊さんが、菩薩様の右隣に立っておられ、菩薩様の右手を持って、私の目の前に差し出されたのです。

そして「これを見なさい」と仰ったので、じっと見ると、掌と五本の指の指紋のある所に、月のクレーターのような丸く窪んだ跡があるのです。「何だろう」と思って見ていると、そのお坊さんが「これが真空だよ」と仰ったのです。

真空とは、難しい仏教用語の一つで、「真空妙有」という熟語の一部です。「有るようで無く、無いようで有る」というような意味ですが、要するに、仏になられた証と言うような意味だとお考え下さい。

その言葉を聞いた私は、「これで菩薩様は、死んでも死なない永遠の命を得られたのだ」と思い、余りの嬉しさと感動で、ボロボロ涙を流しながら泣いているところで、目覚めたのですが、その時は、菩薩様の右手にある月のクレーターのような丸く窪んだ跡が何なのか、私にはさっぱり分りませんでした。

しかし、菩薩様が御入定なさってから後日、菩薩様が、右の掌に出来た出来物の跡をK子さんに見せておられた事を思い出し、「あー、夢で見たのは、あれだったのだ!」と直感したのです。

つまり、菩薩様がK子さんに見せられた、右手の掌の出来物の跡と、私が夢で見た月のクレーターのような丸く窪んだ跡は、同じものだという事が分ったのです。

あの時の感動は今でも忘れられませんが、何故菩薩様は、あの時、K子さんにわざわざ掌を見せて、あのような事を仰ったのでしょうか。

K子さんが急性骨髄性白血病と診断されたのは、私達がFさんのお宅へ伺った前の年ですが、菩薩様はK子さんが入院しておられた市民病院へ駆けつけてお加持をされ、お母さんやご主人に説法されました。

お母さんも、必死になって祈りの行をなさいました。その甲斐あって、K子さんは奇跡的な回復力を見せ、無事に退院されましたね。

難病と言われる急性骨髄性白血病が治ったのは、勿論、お母さんの必死の祈りと行があったからでもありますが、菩薩様がその陰で、K子さんに代わって病を背負って下さったからだと私は思います。そして、その代受苦の証が、掌の出来物の跡だったのです。

その時は分りませんでしたが、いま思えば、K子さんは、二十一年前から、菩薩様に代受苦をして頂けるほどの深いご縁を結んでおられたのです。

菩薩様は、お大師様と不二一体の生き仏となられたお方ですから、菩薩様はお大師様と言ってもいいでしょうが、奇しくも、今年は、あれから二十一年目に当ります。

その節目の年に、再び大きな病の宣告を受けられた事に、私は、み仏のお計らいを感じないではいられません。

菩薩様は、『涙の渇くひまもなし』の中で、「人間は本来無一物であり、裸の雪ダルマであります」と書いておられますが、まさにその通りで、この世の中に自分の物と言えるものなど何一つありません。

この肉体も、この命も、勿論自分のものではなく、天地から、一時的にお預かりしているだけです。肉体だけではなく、わが親だ、わが子供だ、わが家屋敷だ、わが財産だと思っているものも、全て借り物です。自分のものだと思うのは、大きな錯覚であり、妄想に過ぎません。

もし、この肉体が自分のものであれば、自分の思い通りになる筈ですから、病気をしなくてもいいし、老いてゆかなくても、死んでゆかなくてもいいのです。

この肉体が病む事も、老いていく事も、死にゆく事も止められないのは、この肉体がただお預かりしているだけの借り物に過ぎず、自分のものではないからです。

お預かりしているという事は、いつかお返ししなければいけないという事であり、お返しする時が来るまで、大切にお預かりしなければいけない責任があるという事です。お預かりしたものですから、それは当然ですよね。

ここで、「かぐや姫」の話をしたいと思います。

K子さんは、日本が打ち上げた月面探査衛星「かぐや」から送られて来る月面の神秘的な映像をご覧になられましたか。私は、身近で見るような臨場感のある映像に、とても感動しましたが、「かぐや」という名前は、言うまでもなく、竹取物語の「かぐや姫」から付けられた名前です。

竹取物語は、ご存知のように、竹取の翁が竹やぶの中で見つけた可愛い赤ん坊を、お婆さんと二人で育てる物語ですが、この物語のクライマックスは何と言っても、かぐや姫が、迎えにきた使者と共に月へ帰っていく場面ではないでしょうか。私が一番好きなシーンでもあります。

物語は、竹取の翁が、竹林で光り輝く一本の竹の中から、可愛い赤ん坊を発見するところから始まりますが、やがてこの子はかぐや姫と名付けられ、都でもうわさになるほど美しい娘に成長していきます。

うわさを聞いた大勢の公達(きんだち)が、かぐや姫を一目見ようと押しかけ、その中の五人から求婚されるのですが、かぐや姫は頑として首を縦に振りません。

そのうわさは帝の耳にも達するようになり、一目遇いたいとかぐや姫を尋ねてくるのですが、姿を見られたかぐや姫が、一瞬の内に姿を消すのを見た帝は、かぐや姫がこの世のものではない事を悟り、求婚するのを諦めます。

やがて、かぐや姫が夜空を見上げながら物悲しい表情で泣く日々が続くようになり、心配した老夫婦が、その理由を尋ねると、「八月の満月の夜に、月から迎えの者が来て、帰らなければならないのです」と打ち明けるのです。

そこで、かぐや姫に求婚した五人の公達をはじめ、帝に遣える大勢の武者達が、様々な手立てを講じて、何とか引き止めようとするのですが、何をしてもその効なく、やがてかぐや姫は、迎えの使者たちと共に月へ帰っていくのです。

別れる時、かぐや姫は、不死の薬と天の羽衣、そして、帝を慕う心をしたためた文を残していくのですが、帝は「かぐや姫の居ないこの世で不老不死を得ても意味がない」と言って、それらを駿河国の日本で一番高い山で焼くように命じられ、それ以来、その山は「不死の山」(富士山)と呼ばれるようになったと言うのです。

この竹取物語に出て来る月と言うのは、み仏がおられる極楽浄土を象徴しています。つまり、かぐや姫が月へ帰ると言うのは、生まれ故郷であるみ仏の国(極楽浄土)へ帰っていくという意味です。

月は、昔からみ仏を象徴するものとして、数多くの歌にも詠まれてきました。例えば、お大師様は、御入定なさってから八十七年後の延喜二十一年、醍醐天皇の夢枕に立たれて、次のような歌を詠まれたと言われています。

 高野山 結ぶ庵に袖朽ちて
    苔の下にぞ 有明の月

醍醐天皇は、苦しむ人々を救わんが為、お衣の袖がボロボロに朽ちるまで御苦労していて下さるお大師様の慈悲心の深さに心を打たれ、早速、勅使を高野山に遣わされて、「弘法大師」の諡号(おくりな)と、新しい法衣(おころも)を御下賜されましたが、この歌に詠まれた「有明の月」とは、生き仏となられたお大師様の事です。

御法歌「大師のすくい」の中にある
  忘るなよ 高野の山に照る月は
    衆生を照らす 光なりけり
 という歌詞の「高野の山に照る月」も、お大師様の事であり、お大師様の救いのみ光が、衆生を普く照らしていて下さるという意味です。

ですから、かぐや姫が帰っていった月も、み仏のおられる浄土を意味しているのですが、問題は、竹取物語の作者が、この物語を通して何を教えようとしているのかという事です。

K子さんなら、もうお分かりでしょうね。作者は、「本来無一物」の真理、つまり、この世の中には、自分のものなど何一つ存在せず、わがものと思っているものは全て、神仏から一時的にお預かりしている借り物に過ぎない事を、読者に伝えようとしているのです。

竹取の翁は、「この子は、私達夫婦に授けて下さった子供に違いない」と言って、喜び勇んで帰って来るのですが、もし授けられた子供なら、わが子になったのですから、手放す必要はありませんし、月へ帰っていくのを止める事も出来る筈です。

しかし、何をしても引き止められなかったのは、かぐや姫が、み仏から授けて頂いた子でも、自分の子でもなく、お預かりしたみ仏の子だからであり、月からかぐや姫を迎えに来たのは、本来の親であるいm仏にお返しする時が来たからです。

私が言いたいのは、K子さんも私も、そして他の皆さんも、みな、やがて生まれ故郷の月(極楽浄土)へ帰らなければならないかぐや姫(み仏の子)だという事です。

この世へ、オギャーと生まれた以上は、やがて親であるみ仏の下へ帰らなければならないのです。これは、オギャーと生まれた時からのみ仏との約束事ですから、誰もこの約束を破る事は出来ません。

借り物と言えば、私達が住んでいるこの法徳寺も、勿論み仏からの借り物です。私達は、菩薩様からお預かりして、住まわせて頂いているだけです。

K子さんはどうでしょうか。K子さんが住んでおられる家屋敷や土地、財産、或いはご家族やK子さんの肉体は、K子さん自身のものでしょうか。

実はそれらもまた知ると知らざるとに拘らず、み仏から一時的にお預かりしているだけの借り物に過ぎないのです。ですから遅かれ早かれ、お返ししなければならない時が必ず来ます。

それがいつかは誰にも分りませんが、その時が来る事だけは間違いありません。それはオギャーと生まれた時からの約束事であり、すでに決まっている事なのです。ですから、月へ帰るかぐや姫を引き止められなかったように、誰にも止める事は出来ないのです。 

でも、K子さんは幸せですよ。何故なら、K子さんには、すでに自分が帰るべき故郷(ふるさと)が分かっているからです。そして、その故郷で待っていて下さるみ仏が誰かも分かっているからです。

この世の中で、そこまで分かっている人は、多分そういないと思います。でも、K子さんを含めて、菩薩様にご縁を頂いた人はみな、自分が帰るべき故郷が分かっています。その故郷で私達の帰りを待っていて下さるみ仏が誰かも分かっています。

故郷で待っていて下さるみ仏とは、言うまでもなく、お大師様と一体の生き仏となられた菩薩様です。そして、K子さんや私達が帰るべき故郷とは、高野山法徳寺です。

ここに言う高野山法徳寺とは、眼に見えない世界にある極楽浄土の名称とお考え下さい。そして、目に見えない極楽浄土である高野山法徳寺を、目にみえるこの地上に実現したのが、山梨に開創された高野山法徳寺です。

ここが、私の帰るべき魂の故郷であり、そこで待っていて下さる命のみ親が、生き仏となられた菩薩様です。

菩薩様にご縁を結ばれたお方は、K子さんも含めて、もうすでに帰る所が決まっています。だから、お返しする時がいつ来てもいいのです。

でも、それまでは大切にお預かりしなければいけません。自分の肉体だからと錯覚して、粗相したり、自暴自棄に陥ったりしては、誰よりも菩薩様が悲しまれます。

 病むもよし 生きるも死ぬもみんなよし
    弥陀の救いの 中なればこそ


Fさんへの再度の手紙


この手紙を差し上げてから二ヶ月余り経った8月5日、お母さんのFさんから、二日前の3日にK子さんが亡くなられたとのご連絡を頂きました。

亡くなってから三日後の8月6日に告別式をするというお話でしたので、最初は「何故三日も先なのか。普通なら5日になる筈なのに」と不思議に思いましたが、告別式が三日後になった事で、私は、K子さんに差し上げた手紙の中で、「菩薩様の下へ帰る事はもう決まっています」と書いた事に間違いはなかったという確信を得ました。その確信を綴ったのが、この手紙です。

先日Fさんから、K子さんが今月三日に亡くなられたとのお電話を頂きましたが、お話をお聞きして思った事があります。というより、確信したと言った方がいいかも知れません。

Fさんにとっては最愛の娘さんが亡くなられた訳ですから、世間の常識に従えば、私は、亡くなられたK子さんのご冥福をお祈りし、残されたFさんやご家族にお悔やみを申し上げなければならないところですが、K子さんには、お悔やみの言葉より、「お役目、御苦労様でした。これからも、菩薩様の手足となって、ご縁者の皆さんを導いてあげて下さい」という言葉をかけさせて頂いた方がふさわしいのではないかと思います。

勿論、K子さんが、ただ癌の病で亡くなられただけなら、その様には思わないでしょう。しかし、K子さんは、お大師様と一体の生き仏となられた菩薩様と深いご縁を結ばれ、菩薩様に救われて、「急性骨髄性白血病」という大きな試練を乗り越えられたお方です。

そして、今回再び「癌」という大きな試練を頂かれた訳ですが、この病も、悟りの眼から見れば、Fさんをはじめ、御縁者の皆さんを救済する為に頂かれた病であり、生き仏様の衆生済度のお手伝いをされた証なのです。

そうだとすれば、K子さんのお役目は、肉体の死によっては終わらず、これからも、御縁者の皆さんを救う為、菩薩様の下でそのお役目を果たしていかれるに違いありません。つまり、K子さんは、これからも菩薩様と共に、皆さんの救済を祈りながら、高野山法徳寺で生き続けていかれるのです。

私がそう確信したのは、今月三日に亡くなられたK子さんの告別式が六日だとお聞きしたからです。

亡くなられた今月三日は、旧暦の六月十三日に当り、この日は、月こそ違え、菩薩様のご縁日です。

今まで頂いた数々のお計らいを見ても明らかなように、菩薩様がお計らいをされる時は、必ず十三という数字を用いて私達にお知らせ下さいます。今回も、旧暦の六月十三日という数字を通して、K子さんが菩薩様に導かれて旅立たれた事を教えておられるに違いありません。

しかし、何故旧暦の六月十三日なのでしょうか。例えば、新暦の八月十三日でも九月十三日でもいいでしょうし、旧暦の七月十三日(新暦九月一日)でも、八月十三日(新暦十月一日)でも、九月十三日(新暦十月三十日)でもいい筈です。

ところが、K子さんは、いずれの十三日でもなく、旧暦の六月十三日に当る新暦の八月三日に亡くなられたのです。

菩薩様の神通力の偉大さをご存知ないお方は、「たまたま旧暦の六月十三日だったに過ぎない」と思われるかも知れませんが、今まで私たちは、菩薩様のお計らいには、微塵の無駄も、寸分の狂いもない事を、何度もこの目で見てまいりました。

ですから、K子さんが旧暦の六月十三日に亡くなられたのも、決して偶然ではなく、どうしても旧暦六月十三日でなければならない理由があるからだと思います。

K子さんの死が、新暦の八月十三日でも九月十三日でも、旧暦の七月十三日でも八月十三日でも九月十三日でもなく、旧暦の六月十三日でなければならない理由とは、一体何でしょうか。

その為には、K子さんに差し上げた手紙を見て頂かなければなりませんが、私は、手紙の中で、月から迎えに来た使者に導かれて、生まれ故郷の月へ帰っていくかぐや姫の事を書きました。

何故かぐや姫の話を書いたのかと言いますと、私の目には、K子さんが、Fさんやご縁者の皆さんを救う為に、この世へ生を受けたかぐや姫のように映っていたからです。

手紙の中に書いてあるように、かぐや姫が帰る月とは、お経の中に説かれている抽象的な極楽浄土の事ではなく、高野山法徳寺という具体的な名前を持った極楽浄土の事であり、月でK子さんの帰りを待っていて下さる命のみ親とは、法徳寺におられる菩薩様ですが、問題は、K子さんが高野山法徳寺へ帰るのはいつかという事です。

竹取物語の中では、かぐや姫が月へ帰っていくのは、八月の満月の日となっています。ですから、もしK子さんが、御縁者の皆さんにとって、かぐや姫としてのお役目を与えられてこの世へ生を受けたお方だとすれば、K子さんの旅立ちは、竹取物語の中のかぐや姫と同じ八月の満月の日でなければなりません。

つまり、もしK子さんの旅立ちが、八月の満月の日であったとすれば、K子さんは、皆さんを救う為に、この世に生を受けたかぐや姫としてのお役目を与えられたお方である事になります。

平成二十一年の八月の満月の日は、いつでしょうか。驚くべき事に、K子さんが皆さんに別れを告げる告別式の六日なのです。

かぐや姫の事を書いた手紙をK子さんに差し上げる時、もしかしたら、K子さんが御縁者の皆さんに別れを告げる日は、八月の満月の日かも知れないという思いが、一瞬私の脳裏を過ぎりましたが、まさか、それが現実に起ころうとは夢にも思いませんでした。

ところが、その通りの事が現実に起こったのです。八月の満月の日に、K子さんは、皆さんに別れを告げて旅立たれるのです。

何故K子さんが、他の月の十三日ではなく、旧暦の六月十三日に亡くなられたのか、その理由がこれでお分かり頂けたのではないでしょうか。

つまり、かぐや姫が月に帰った八月の満月の日に、K子さんが菩薩様に導かれて高野山法徳寺へ旅立った事を皆さんに教える為には、どうしても旧暦六月十三日でなければならなかったのです。何故なら、八月の満月の日は、その三日後に来るからです。他の十三日では、八月の満月の日に旅立てないのです。

でも、ここで一つだけ疑問が残ります。K子さんは、三日に亡くなられたのですから、特別な事情のない限り、翌日にお通夜、翌々日の五日に告別式が行われる事になります。そうなると、告別式は、満月の一日前になるのです。

ところが、告別式は、満月の六日になったのです。一日先に延ばされたのは、恐らく五日が友引だからではないかと思いますが、この日が友引であり、一日先に延ばされる事を、全て見通しておられる菩薩様だからこそ出来るお計らいという他はありません。

旧暦六月十三日(八月三日)に亡くなられ、八月の満月の日に当る八月六日に告別式が執り行われるという事実を見れば、K子さんが、御縁者の皆さんを救う為に、かぐや姫としてのお役目を与えられていたお方であり、かぐや姫が月へ帰ったと同じ八月の満月の日に、菩薩様の待つ高野山法徳寺へ帰ってこられた事は、もはや疑う余地がありません。

しかも、その事が、私がK子さんに差し上げた手紙の中で前もって予告されていたのです。この事だけを見ても、いかに菩薩様が、ありとあらゆる手立てを以て、皆さんを救おうとしておられるかが、よく分かります。

念の為に申し上げれば、K子さんが高野山法徳寺へ帰って来られるのは、ただ自らが救われる為ではなく、これからも、菩薩様の手足となって、Fさんやご縁者の皆さんを導くためです。

つまり、御縁者の皆さんを救うというK子さんのお役目は、肉体の死によっては終わらず、これからも未来永劫続けられていくという事です。

Fさんから、K子さんが癌の病に侵されているというお電話を頂いてから、K子さんの救済と御縁者の皆さんの救済を祈ってまいりましたが、菩薩様のご縁日である旧暦六月十三日(新暦八月三日)に亡くなられ、八月の満月の日である八月六日に、K子さんの告別式が行われるという事実を知った時、菩薩様が私たちの祈りを受け止めて下さったと確信いたしました。

これこそ、全てのお計らいが、菩薩様のみ心によってなされていた証であり、K子さんが、救われて高野山法徳寺へ帰ってこられ、これからも皆さんの救いを祈りながら、高野山法徳寺で皆さんの帰りを待っておられる何よりの証と言えましょう。

こうして、前もって、かぐや姫の事を手紙に書かせた上で、その通りの事を示現され、K子さんがお大師様、菩薩様に導かれて、法徳寺へ帰ってこられた事を、寸分の狂いもなくお示し下さったのです。

菩薩様のお計らいは、絶妙という他に言葉もありませんが、こうしてK子さんも、「みんな幸せになる。みんな私のところへ帰って来ることに決まっている」とおっしゃった菩薩様のお言葉が真実である事を、身を以て証明して下さったのであります。

合掌

信じる者は救われるのかーオウム事件から見えてきたもの(1)
信じる者は救われるのかーオウム事件から見えてきたもの(2)
信じる者は救われるのかーオウム事件から見えてきたもの(3)
信じる者は救われるのかーオウム事件から見えてきたもの(4)
信じる者は救われるのかーオウム事件から見えてきたもの(5)
法話の小部屋Top


このエントリーをはてなブックマークに追加

サイト内検索 help
 


法徳寺の草花と自然

ソメイヨシノ

サツキ(皐月)
(花言葉 節制)

 


法話の小部屋Topへ


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

『竹取物語』
編集:角川書店
角川書店 (2001/09)

 

 

 

 

 

『竹取物語絵巻 (九曜文庫蔵 奈良絵本・絵巻集成)
編集:中野幸一、横溝博
勉誠出版 (2007/07)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


高野山法徳寺(たかのやまほうとくじ) TEL:0551-20-6250 Mailはこちらから
〒408-0112 山梨県北杜市須玉町若神子4495-309 FAX:0551-20-6251 お問合せフォーム