桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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人生をよりよく生きるために(3)




お釈迦様が悟られた真理とは


人生をよりよく生きるためには、僅か数パーセントに過ぎない目に見える自分への執着を打破し、埋もれたままになっている九十パーセントの自分を掘り起こさなければなりませんが、その為に、私たちは何を悟り、何を為せばよいのでしょうか。

その手本を示して下さったのが、お釈迦様であり、お大師様、菩薩様であり、先覚者と言われる方々であることは言うまでもありませんが、お釈迦様は一体何を悟って仏陀となられたのでしょうか。

ご存知のように、お釈迦様は二十九歳で出家され、六年間の苦行の末、三十五歳で真理を悟り仏陀と成られましたが、それまでの六年間の苦行は、凄まじいものだったと言われています。

ガンダーラ美術の最高傑作と言われる釈迦苦行像を、実際にご覧になったお方もおられると思いますが、痩せ衰えて、肋骨も露わになったお姿は、余りにも痛々しく、見る者を圧倒せずにはおきません。

あの痩せ衰えた苦行像は、少し誇張し過ぎだと思われるかも知れませんが、私は、決して誇張ではなく、かつてこれほどの苦行をした人はいないと言われる程の苦行をなさったお釈迦様ですから、あのお姿に近かったのではないかと思います。

しかし、それほどの苦行体験をされたにも拘らず、お釈迦様の心の中に真の安らぎは得られませんでした。

ただ肉体を傷つけ、苦しめるだけの苦行では真の安らぎは得られないことを悟られたお釈迦様は、苦行で傷ついた肉体をガンジス川の水で清められ、村の娘スジャータが差し出す乳粥の布施を受けられた後、菩提樹の下に結跏趺坐して、四十九日間の瞑想に入られたのです。

そして、十二月八日未明、東の空に輝く明けの明星(金星)をご覧になり、忽然と悟りを開かれたのですが、「明けの明星を見たくらいで何故悟りが開けるのか」と、疑問に思われるお方もおられるでしょう。

お釈迦様が瞑想に入って何を念じ、何を観じられたかは知る由もありませんが、私は、何かを心の中に思い描かれたというより、お釈迦様の心は、自我も欲も恥も外聞も地位も名誉も何もない、まさに澄み切った湖面のような状態だったのではないかと思います。

それまでお釈迦様は、様々な思いの中で生きてこられました。

王族である釈迦族の世継ぎに生まれながら、親や妻子を残して出家なさったお釈迦様にとって、釈迦族の人々や家族の行く末は何よりも案じられたでしょうし、人々の様々な悩み苦しみにも心を痛めておられたに違いありません。また様々な煩悩によって悶々となさった日々もあった筈です。

今までは、そうした様々な思いに曇らされた眼で、この世界をご覧になり、明けの明星をご覧になってきたのです。

つまり、それまでお釈迦様がご覧になった明けの明星は、在りのままの明けの明星の姿ではなく、お釈迦様の様々な計らいの心を通して見た明けの明星であり、悩み苦しみというフィルターを通して見た明けの明星だったのです。

ところが、六年間の苦行の末にご覧になった明けの明星は、お釈迦様の澄み切った心の鏡に、今まで見たこともないような明けの明星として映し出されたに違いありません。

太陽が出ている内は、太陽という縁で明けの明星は見えません。

しかし、夜という縁によって再びその姿を現す有様は、まさに般若心経に説かれる「色即是空、空即是色」の世界であり、「有るようで無く、無いようで有る」存在としての明けの明星の真の姿が、お釈迦様の心眼にくっきりと映し出されたのです。

その時お釈迦様は、この世の真理を説法する明けの明星の声なき声を、ハッキリお聞きになられたのではないでしょうか。

「そうか。私も明けの明星も、同じなのだ。有るようで無く、無いようで有る存在なのだ。みんな、移り変わっていく無常の中にいるのだ」

その体験は、お釈迦様にとって、天地が逆転するほどの大きな衝撃をもたらしたことでしょう。

勿論、それまでもお釈迦様は、すべては無常の中にあって、移り変わっていく存在なのだということを、知識として知っておられましたが、その時お釈迦様が体得されたのは、知識としての無常ではなく、心の底から湧き上がってくる悟りの智慧としての無常であり、明けの明星が発する天の声だったのです。

勿論、明けの明星は、その時初めてお釈迦様に真理を説法した訳ではありません。

永遠の昔から、真理を説法し続けているのですが、お釈迦様には、今までその説法が聞こえなかったのです。

何故なら、お釈迦様の心の中には、様々な煩悩や計らいや不安が錯綜し、説法を聞く耳を閉ざしていたからです。今までは、様々な思いや計らいが邪魔をして、明けの明星の真の姿を見ることも、その説法を聞くことも出来なかったのです。

ところが、六年間の苦行の末に、心が澄み切った湖面のようになり、妨げるものの一切無い無垢の状態になったため、明けの明星の説法が、お釈迦様の心に響いてくるようになったのです。

真理の声が聞こえるようになったのは、明けの明星が変ったからではなく、お釈迦様が変ったからです。

真理の声が聞こえた時、お釈迦様はきっと「私も明けの明星と同じなのだ。これが宇宙の真の姿なのだ」と直感されたことでしょう。

その時のお釈迦様は、お釈迦様が明けの明星なのか、明けの明星がお釈迦様なのか分からない一体感に包まれていたに違いありません。

菩薩様は、法歌の中で、

 水槽で 泳ぐ金魚の様みれば
    われも宇宙の 金魚なりけり

と詠っておられますが、この歌を詠まれた時の菩薩様の心境もまさにお釈迦様と同じで、自分と金魚ではなく、水槽で泳いでいる金魚が自分なのだという一体感の中におられたのです。

そこではもはや、金魚と自分、真理と自分ではなく、金魚が自分であり、自分が金魚なのです。水槽が宇宙そのものであり、その中で泳いでいる金魚は、菩薩様の眼に、ただの金魚としてではなく、自分自身の姿と映ったに違いありません。


虚空蔵求聞持法とは


明けの明星を通して真理を悟られたお釈迦様の瞑想体験を追体験なさったのが、お大師様です。

四国の室戸岬に、お大師様が虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)を行じて真理を悟られた御厨人窟(みくろど)という洞窟がありますが、ここにお大師様が詠まれた歌が残されています。

 法性の 室戸といえど我が住めば
    有為の波風 寄せぬ日ぞなし
            (弘法大師)

「法性」とは、大日如来と言っても、虚空蔵菩薩と言ってもいいでしょうが、要するに真理そのものを現わしています。また「有為」とは有為転変のことで、「すべては移り変わってゆく」ということです。

この歌の意味は、文字通り、真理の中にある室戸岬であっても、お大師様が来てみれば、「有為の波風」、無常の波風が寄せぬ日はなかったという意味ですが、ご存知のように、お大師様は、この地で、虚空蔵菩薩の御真言(ノウボーアキャシャキャラバヤオンアリキャマリボリソワカ)を百万遍唱える虚空蔵求聞持法を行じておられます。

虚空蔵求聞持法とは、虚空蔵菩薩の御真言を百日間で百万遍唱えながら、ひたすら虚空蔵菩薩の化身である明けの明星を拝む行ですが、この行を成就すれば、一切の経文を暗記することが出来ると言われ、そこから一般には、記憶力を増進させる秘法であると解釈されています。

しかし、菩薩様は常々、「この行を成就すれば一切の経文を暗記出来るというのは、ただ記憶力が増進して経文を暗記出来るようになるという意味ではなく、お釈迦様が得られた悟りを追体験出来るという意味なのだ。追体験できれば、八万四千の法門と言われるお釈迦様の教え(一切経文)を暗記したのと同じなのだから」とおっしゃっておられましたが、菩薩様が言われるように、虚空蔵求聞持法は、お釈迦様が明けの明星を通してこの世の真理を悟られ、仏陀となられた神秘体験を追体験する秘法なのです。

お釈迦様が悟りを開かれた虚空蔵菩薩の化身である明けの明星をご本尊として拝むのは、そのためですが、室戸岬の洞窟から外界を見ると、青い空と、打ち寄せては引く太平洋の広い海原が視界いっぱいに飛び込んできます。

虚空蔵菩薩の御真言を繰り返し唱えている内、お大師様の心には、「すべてが移り変わっていくのだよ。あなたも私と同じように、無常の中にあるのだよ」と説法してくる明けの明星の声なき声が聞こえてきたことでしょう。

この時お大師様は、明けの明星を通して悟りを開かれたお釈迦様と同じ境地に立たれたのです。室戸岬に残されている歌が、そのことを物語っています。

またお大師さまは、『三教指帰』(さんごうしいき)という書物にも、「谷、響きを惜しまず、明星、来影す」と書いておられますが、「明星、来影す」とは、明けの明星がお大師さまの心の中に飛び込んで来たという意味です。

勿論これは、物理的な意味で飛び込んできたのではなく、お大師様が明けの明星と一体になられ、真理の説法を心の耳でしっかり受け止められたという意味です。

お釈迦様が、明けの明星と一体になって、この世の真理を悟られたように、お大師様もまた明けの明星と一体になって、この世の真理を悟られ、お釈迦様の体験を追体験なさったのです。

この歌を初めてご覧になった時、菩薩様は、「こんな凄い歌は他にない。お大師様は、間違いなくここで、生きたまま仏に成っておられる(即身成仏しておられる)」とおっしゃっておられましたが、歌に込められた真意をそこまで深く悟られ、お大師様のみ心を見抜かれた菩薩様もまた、この時すでにお釈迦様やお大師様と同じ境地に到達しておられたに違いありません。さもなければ、この歌の真相をそこまで深く悟ることなど不可能だからです。


「普門法舟」という名前の由来


菩薩様が、お釈迦様やお大師様と同じ境地に到達されたのは、四国霊場を巡拝しておられた時ですが、その時の体験を次のように書いておられます。

巡り巡って、二十一番札所・太龍寺へ向う途中の山坂でのことである。道端に腰を下して、うつらうつらとしたであろうか、ふと目を開けて坂の下を見ると、錫杖の音と共に一人の修行僧が登ってくる。

あじろ笠の下からのぞくようにお顔を見れば、年の頃は五十才を少し過ぎたであろうと思われる、やさしい豊かなお顔立ちである。

「御僧様、どちらからお参りですか」

声をかけたが無言である。小雪がちらつく中を、修行僧の後について札所へと登ってゆく。暫くたってから、もういちど、

「御僧様はどちらからですか」

と声をかけたが、相変らず無言である。

本堂と大師堂にお参りしたが、お経をとなえるでもなく、ただお参りして帰ってゆく。そこでもういちど、

「御僧様、私は今、身も心もボロボロになって四国霊場を巡っております。どうか苦しみからお救い下さい」

と哀願したが、やはり無言のままである。太龍寺

そこで、「この御僧様は、きっと口がきけなくて四国霊場を巡っているのだ。だから何度おたずねしても教えてくれないのだ」と、そう思いながら、御僧の後について山を下りて来た。そして民家のあるところへ来たところ、突然、

「私はこれから托鉢にまいります。苦しいことや、わからないことがあれば涅槃でお聞きなさい。涅槃が何も彼も教えてくれます」
と言われた。

「涅槃というのはどこにあるのでしょうか」とたずねると、

「どこにでもございます」と言われた。

「次の札所にもあるでしょうか」とたずねると、

「ございます」とのことであった。

そしてその時、「ご接待(施し)をいたしましょう」と言われて、白紙の束に、衣の下からめずらしい矢立を出されて文字を書かれた。

「どうぞこれをお持ち下さい」と言われて、差し出された白紙の束を見れば、そこには「普門法舟」と書かれていた。

「御僧様、これはどういう意味なのでしょうか」とたずねたところ、

「これがあなたです。あなたの道です」と言われた。そして、

「あなたが帰られる頃は、きっと紀州高野山は雪でしょう。それでは」と言われて立ち去ろうとした。そこで、

「どうか御僧様のご住所をお教え下さい」と言うと、

「私の住所を聞いて何の役に立ちますか。それよりも早く涅槃でお聞きなさい」と言って立ち去っていった。

それから巡り巡って、思い出したように、何ヶ寺かの札所で、「涅槃がございますか」とたずねたが、「うちには涅槃というのはありません」という。涅槃はどこにでもあるといわれた、御僧の言葉が思い出されてくる。

そのうち乞食修行と疲れから、涅槃のことをすっかり忘れていた。やがて五十番札所も過ぎたであろう頃、涅槃ということを思い出し、札所で、「涅槃がございますか」とたずねたところ、

「涅槃というのはお釈迦さんが死んだことだ」という。それを聞いたとき、背すじが冷水を浴びたような感じがした。

「御僧のいわれたことは、八十八番札所へ着くまでに、死ぬということの謎なのか、死んでから聞けということなのか」と思ったが、

「そんなことは絶対にない。普門法舟≠ニ書かれた白紙の束までも接待して下さったのだから、死ぬということは絶対ない。絶対ない」

とそう思いながら修行を続けていたところ、どうしたことか、身も心もすっかり楽になり、肩の重荷を降ろしたような、すっきりした気持ちであった。

それから四国霊場の難所といわれる六十番札所も楽に越え、巡り巡って八十八番結願札所・大窪寺に着いた頃は、もう日もとっぷり暮れて夕闇が迫って来ていた。

三月末というのに、雪模様のどんよりした空で、かなりの冷え込みであった。みやげ物店の店先を借りて休んでいると、見る見るうちに、あたり一面積雪となり、まるで真昼を思わせるような明るさであった。

遍路修行も今日で結願と思うと、涅槃のことが気になってなかなか寝つかれない。「涅槃で聞けとは、いったいどういうことなのだろう」と思いながら、うとうとしたであろうか。もう夜明けである。

昨日から降り続いていた雪もすっかりやんで、誰も踏みしめていない大窪寺の雪の階段を登ってゆくと、上から遍路姿の正装をした、背の低い女のお遍路さんが降りて来る。年の頃は七十才近いであろうか、金剛杖に足元を確認するように降りて来る。

「この大雪の晩に、いったいお遍路さんはどこにおられたのだろう。こんなに朝早く」

と思いながら、「気がかりになっている涅槃のことを聞いてみよう」と思った。もしここに涅槃がなければ、御僧のいわれた言葉が、いったい何だったんだろうということになる。大窪寺

「お尋ねいたしますが、このお寺には涅槃というのがございますでしょうか。私は、人生のどん底から、四国霊場に救いを求めて巡拝して来た者ですが、実は二十一番札所・太龍寺で、旅の御僧様にお会いして救いを求めたのですが、苦しいことや、わからないことがあれば涅槃でお聞きなさいと教えられ、何ヶ所かの札所で涅槃というのはございますかとお聞きしたところ、こちらには涅槃というのはないというお寺もあれば、涅槃というのは、お釈迦様が死んだことだというお寺もあり、この八十八番札所に着くまでに、私のいのちが終わるのではないかと思いながら、ようやく結願札所・大窪寺に着かせていただくことが出来たのです」

と言うと、女のお遍路さんは、

「涅槃で聞けということは、あなたに悟れということです。苦とか楽とかは、みんな心の動き次第なのですよ」と言われた。そこで、

「御僧様は、涅槃というのはどこにでもあると申されましたが」と問うと、

「涅槃はどこにでもございます。このきれいな雪景色も、みんな涅槃のすがたなのですよ。あなたもご信仰を深めてゆかれますと、この世一切が涅槃の姿と心に映るのです。その御僧様は、きっとお大師様でしたね。この大雪では、高野山も雪でしょうね」

と言って立ち去って行かれた。

太龍寺での御僧との出会いといい、結願札所・大窪寺でのお遍路さんとの出会いといい、まさに不可思議そのものであって、「お大師様は、私に、修行が終るまで、涅槃ということを教えてくださらなかったのだ」と思うと、修行ということの大切さが身にひしひしと感じられずにはいられなかった。

そしてあのお遍路さんとの出会いは、「きっと私に涅槃のことを教えるために、雪降る大窪寺で、私が来るのを待っていてくださったのだ」と思うと、ありがたいやら申し訳ないやらで、万感胸に迫る思いがしてならなかった。

そればかりか、思い出されることは、御僧と別れるときに、「あなたが帰られる頃は、紀州高野山はきっと雪でしょう」と言われたが、このお遍路さんも同じようなことを言われた。私が高野山にお詣りすることも、高野山が雪であることも、誰知る由もないのにと思うと、御僧の姿も、お遍路さんの姿も、きっとお大師様の変化のお姿ではなかったかと思わずにはいられなかった。

無事結願を済ませて、御礼詣りにと高野山に登ったが、案の定、四月初めというのに、山もお寺も、全山白雪に覆われた涅槃そのものの世界であった。
  四国札所を 巡りつつ
  仏縁奇縁に 助けられ
    大師みもとに 帰り来りゃ
    雪降りしきる 高野山

奥の院の大師御廟に、結願の御礼と、菩薩行の誓いを立ててお参りをすませ、白雪に覆われた、山やお寺の有様を眺めていたとき、今まで閉ざされていた無明の心が、いっぱいに開かれて、これが涅槃のすがたか、極楽の様かと、思わず歓喜せずにはいられなかった。
  降る雪も 悟れば涅槃のすがたかな
    山もお寺も 法衣まといて

全山白雪の法衣をまとった高野山も、上り下りの四国霊場も、まさに人生の修行道場であり、苦も悲しみも一切を摂受してお救い下さる、お大師様のあたたかい慈悲のふところであった。
  身を捨てた 行の中にぞみ仏の
    大慈大悲の すくいあるなり


降る雪も悟れば涅槃のすがたかな


奥の院の御廟にお礼参りをすませ、白雪に覆われた山やお寺の有様を眺めていた時、菩薩様の心の奥底から湧き上がってきたこの歌こそ、菩薩様が、お釈迦様、お大師様と同じ無常の域に到達された何よりの証と言えましょう。

 降る雪も 悟れば涅槃のすがたかな
    山もお寺も 法衣まといて

「降る雪も悟れば涅槃のすがたかな」とは、無常を悟れば、心の中に極楽が見えてくるということです。

「山もお寺も法衣まといて」とは、山もお寺も、白雪という真理の衣を身にまといながら、「やがて溶けてゆくこの白雪も、あなたも、同じなのですよ。有るようで無く、無いようである、移り変わっていく存在なのですよ」と言って、菩薩様に真理を説法してきたということです。

要するに、菩薩様が詠われた「降る雪」も、お釈迦様の「明けの明星」や、お大師様の「有為の波風」と同じように、無常というこの世の真理を説法するみ仏の声なき声だったのです。

菩薩様が、高野山で詠まれたこの法歌を見れば、やはり菩薩様もこの時、お釈迦様やお大師様と一体の無常の域に到達されたことが分かります。

合掌

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