桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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人生をよりよく生きるために(2)



苦しむ人々と共に


肉体は、あくまでこの世で生きる為の仮の器に過ぎませんから、器である肉体が無くても、お釈迦様がお釈迦様として、お大師様がお大師様として、菩薩様が菩薩様として、肉眼に見えない世界に生き続けておられることに、疑問をさしはさむ余地はありません。

もしお釈迦様が仏として今も生き続けておられる証を見たければ、大勢の人々が「お釈迦様、お釈迦様」と言って、インド各地や世界各地の仏跡を廻り、その御高徳を慕い続けている姿を見ればすぐに分かります。そこでは、お釈迦様が、大勢の人々と共に今も生き続けておられる証を、幾つも見ることが出来ます。

お大師様、菩薩様についても同じです。

お大師様は千年以上も前に紀州高野山へ御入定なさいましたが、今も救いを求める大勢の人々が、「お大師様、お大師様」と慕いながら、高野山や四国霊場など、お大師様の御高徳が燦然と光り輝く聖地に導かれています。

お大師様と不二一体の生き仏となられた菩薩様も、高野山(たかのやま)法徳寺へ御入定され、いまも生き続けて、苦しむ人々に救済のみ手を差し伸べておられます。

人々が、お釈迦様やお大師様や菩薩様がいまも生き続けておられると信じて疑わないのは、生きておられる証をいまも示現しておられるからです。

この事実を見ても、お釈迦様やお大師様や菩薩様が、肉体なきいまも仏として生き続けておられることは間違いなく、肉体の生死が人間の生死でないことは明らかと言えましょう。


菩薩様が生きておられる証


眼に見えない世界は、文字通り眼に見えない訳ですから、その世界は、心の眼で観る以外にはありませんが、心の眼で観る為には、み心やお指図を心の眼で観じ取り、悟る以外にはありません。

私達が、眼に見えない世界があることを確信したのは、菩薩様が御入定された時でした。

平成二年四月十三日未明、菩薩様は衆生救済の御誓願を立てて御入定なさいましたが、その二ヶ月余り前の平成二年二月十七日、私は、菩薩様が亡くなられる夢を見たのです。

亡くなられる夢ですから、皆さんの眼には縁起の悪い夢と映るかも知れませんが、菩薩様に深い仏縁を結ばせていただいている私たちにとりましては、生き仏となられた菩薩様の真相を悟るきっかけとなった、とても縁起の良い夢だったのです。

どんな夢かと言いますと、亡くなられた菩薩様のご遺体が、棺の中に納められているのですが、棺の向こう側に、何故かまだ亡くなっておられない菩薩様が、もう一人立っておられるのです。

私が、「確かに、菩薩様は亡くなられて、亡骸が棺に納められているのに、どうして生きておられるのだろう」と不思議に思っていると、生きている菩薩様の右隣に、私のよく知っているお坊様が立っておられ、菩薩様の右手を取って、私の目の前に差し出されたのです。

見ると、右手の五本の指の指紋の所と、掌に、丸く窪んだ月のクレーターのような丸い痕があるのです。

私が「これは何だろう」と思っていると、そのお坊様が「これを見てみなさい。これが真空だ」と言われたのです。

「真空」とは、仏教用語の「真空妙有」の真空で、般若心経に説かれている「色不異空、空不異色、色即是空、空即是色」と同じ意味だと考えて頂けばいいでしょう。

「色不異空 空不異色 色即是空 空即是色」とは、あらゆる物(色)は、そこに固定的に存在しているように見えるけれども、絶えず変化しながら移り変わってゆく流動的なものとしてのみ存在しているに過ぎない(空)という、この世の真理を表現した言葉です。

一時間前の私と、今の私は、外見は全く変っていないように見えますが、私の肉体細胞は間違いなく一時間だけ年を取り、死に近づいています。

しかも、古い肉体細胞は、常に新しい細胞と入れ替わっているのです。例えば、胃の細胞は五日、肌細胞は二十八日、筋肉や肝臓は六十日、血液は四ヶ月と言うように、外見は変わらないように見えても、細胞レベルでは五〜七年の周期で、すっかり生まれ変わっているのです。

このように、私という人間は、固定的な実体を持った者として存在しているのではなく、絶えず変化してやまない存在として、変化してゆく世界の中で生きているに過ぎず、私は、「有るようで無く、無いようで有る」存在としてのみ生かされているというのが、この世の真相(実相)であり、それを名づけて「真空妙有」と言うのです。

私は、知り合いのお坊様が、菩薩様の右手を見せて「これが真空だ」と言われたのを聞き、「右手の丸く窪んだ跡は、この世の真理を悟られた証なのだ。菩薩様は、これで死んでも死なない永遠の命を得られたのだ。真理と一体になられたのだ」と直感し、感動の余り、涙を流して泣いているところで、目が覚めたのですが、菩薩様が御入定なさったのは、その夢から二ヶ月後の四月十三日未明でした。

かねがね、「私はすでにお大師様と一体だから、肉体が無くなっても死なない。だから、葬式をする必要はない」と、固く御遺命しておられましたので、お葬式も告別式もせず、身内だけで密葬を済ませた後、ご遺体を荼毘に伏したのですが、見えぬ世界がある事を確信したのは、斎場に向かっている時でした。

菩薩様のご遺体を乗せた霊柩車の後ろに付いて斎場へ向かっている途中、いきなり私の眼の中に、前を走っている霊柩車の番号が飛び込んできたのです。

「471」

その番号を見た瞬間、大きな衝撃が私の体を突き抜けてゆきました。

私は思わず心の中で「死なない」と叫んでいました。

そして、二ヶ月余り前の二月十七日に見たあの「死んでも死なない」夢が、私の脳裏に蘇ってきたのです。

私は、「菩薩様が、私は死んでも死なないのだよという事を、車の番号を通して教えておられるのだ」と直感しました。

しかし、そう思う反面、心の片隅にはまだ、「この番号は、余りにも出来すぎているのではないか」という思いが残っていました。

「これはただの偶然だろう。もしかすると葬儀屋さんが、残された遺族の心を慰める為に、わざとこのような番号を付けているのかも知れない。きっと他にも、縁起を担いだ同じような番号の霊柩車があるに違いない」

そう思った私は、斎場に来ている何十台もの霊柩車の番号を一台一台しらみつぶしに調べてみました。しかし、同じ番号の車は勿論のこと、縁起を担いで付けたと思われるような番号の車は、一台もありませんでした。

そこで、私は、「やはりこれは菩薩様が、何十台もある霊柩車の中から、「471」という番号の霊柩車を選ばせ、死んでも死なない永遠の命を得られた事を教えておられるのだ。二ヶ月前に見たあの夢は、正夢だったのだ。このような不可思議を示現できるのは、神通力(示現自在通)を得られ、見えない世界に生き続けておられる証だ」と、改めて確信したのであります。


眼に見えない世界がある


このような体験があってから後も、様々なお計らいを通して、何度も菩薩様が生きておられる証を頂いたことは言うまでもなく、菩薩様が生きておられる証は枚挙に遑もありませんが、第一に挙げなければならない証と言えば、やはり高野山法徳寺の開創ではないでしょうか。

高野山法徳寺の開創は、菩薩様が生きておられなければ絶対に不可能であり、開創までの道のりは、そのままが、菩薩様が生き仏として生き続けておられる証そのものと言っても過言ではありません。

勿論、菩薩様が生きておられると言っても、肉体としてではなく、苦しむ人々を救わずにはおかぬ菩薩様の衆生救済の一念が生き続けているのであり、法身の位にある菩薩様の仏性が今も生きて、苦しむ人々を救済しているのです。

仏性は私達の肉眼には見えませんが、眼に見えないから生きておられないのではなく、肉眼には見えない世界があるからこそ、菩薩様の救済の一念は、今も生きて燦然と光り輝き、苦しむ人々の心を照らし続けていて下さるのです。

天文学の世界では、眼に見える物質と、眼に見えない物質があり、眼に見える物質は、世界全体のわずか五パーセントに過ぎないと言われており、それが天文学の通説になっています

。科学的な根拠を重視する天文学者達が、真剣に、「この宇宙は、眼に見えない物質(ダークマター)と眼に見えないエネルギー(ダークエネルギー)で満ち満ちており、それは九十パーセント以上にも及び、残りの僅か数パーセントが、私たちの眼に見える物質に過ぎない」と言っているのです。

あの氷山も、海面から出ている部分は、わずか全体の十パーセントに過ぎず、後の九十パーセントは水面下に隠れて見えないように、小宇宙と言われる私たちも、眼に見えている自分は、実は数パーセントに過ぎず、九十パーセント以上の自分は、まだ埋もれたままになっているのかも知れないのです。

しかも、その数パーセントに過ぎない眼に見える自分に執着し、貪り、怒り、愚痴嫉妬の心で自らを汚し、万劫にも続く罪業を重ねているのが、いまの私達なのです。

合掌

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