桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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「宗教成合の郷」命名の意味(3)



宗教成合の郷への道


法徳寺が発足した平成16年春から平成19年春までの三年間に頂いたお計らいは数知れませんが、それらはすべて、「宗教成合の郷」と命名されるにふさわしい法徳寺の姿を実現する為のお計らいであった事が、今になればよく分かります。

そればかりか、このようなお計らいがなされる事は、法徳寺が「宗教成合の郷」と命名された時から、すでに決まっていたのではないでしょうか。その事を再確認する意味で、三年間の歩みを、もう一度振り返ってみたいと思います。

平成16年4月13日、予てよりの悲願であった法徳寺が発足し、その年の10月21日、菩薩様の御廟である夢殿の完成を記念して落慶法要が厳修されましたが、法徳寺の発足も夢殿の落慶も、「宗教成合の郷」と呼ぶにふさわしい法徳寺のあるべき姿を実現する始まりに過ぎませんでした。

翌平成17年の春の大法要には、夢殿の周囲に建立された四十九基の歌碑の開眼法要と、その周囲に完成した四国八十八ヶ所霊場お砂踏み回廊の開創式が厳修されましたが、当初は、お砂踏み回廊を作る事など全く念頭にありませんでした。

ところが、いつものように修法をしておりましたところ、「せっかく夢殿の周囲を廻って頂くのだから、お四国霊場のお砂踏みをしながら廻って頂いたら、菩薩様の御高徳のみならず、お大師様の御苦労の御足跡を偲びつつ、その御高徳のみ光にも触れて頂けるのではないか。菩薩様の慈悲の蓮台で、お四国霊場を廻って頂けるのではないか」という思いが、沸々と湧いてきたのであります。

今にして思えば、思ったと言うより、思わされたのでしょう。

そこで早速、四国と和歌山にお住まいの御同行の皆様に経緯をお話したところ、喜んでお手伝いさせて頂きますとの有難いお返事を頂き、四国霊場と高野山のお砂を集めて下さる事になったのです。

こうして「四国八十八ヶ所霊場お砂踏み回廊」が、夢殿の周囲に開創される事になったのですが、これも今にして思えば、夢殿の御回廊廻りの行が、因縁を解く手立ての一つとして欠かせないものであるから、前以て「四国八十八ヶ所霊場お砂踏み回廊」を作らせておく為のお計らいだった事が、よく分かります。


汗露水を授けるお計らい


「四国八十八ヶ所お砂踏み霊場」を兼ねた夢殿の御回廊の開創式から二ヵ月後の平成17年6月、お計らいによって、地下水の掘削工事を始めさせて頂く事になったのですが、これもまた、因縁を解くもう一つの手立てである汗露水を授けるお計らいの始まりでした。

掘削に着手したのは、それから二ヶ月余り後の8月早々でしたが、掘削に着手するや否や、庫裏の洗面台に置いてある歯ブラシ立てに、深さ一センチ余りの水が溜まるという不思議なお計らいが始まったのです。

詳細は『汗露水の扉』─「不思議は世々に新たなり」をご覧頂きたいと思いますが、水はその後も、歯ブラシ立てに溜まり続け、6度目に溜まった水を頂いたところ、とても口に優しく、心の芯まで癒されるような味わいのお水で、水道水でない事は明白でした。

そこで、その横に蓋をしたガラスコップを並べて置いておいたところ、7度目からは、ガラスコップの方に溜まるようになり、余りの不思議さに、家族全員が驚嘆の声を上げた事を、今でも鮮明に覚えています。

コップに溜まった水の深さは、歯ブラシ立ての時と同じ一センチ余りでしたが、溜まった回数は、掘削が終った9月14日までに21回を数え、掘削した地下水までの深さも113メートルに達しました。

この数字を見ても、お大師様、菩薩様が不可思議を現わしておられる事は明らかですが、最初の内は、何故お大師様、菩薩様が、このような不可思議を現わされたのか、全く見当もつきませんでした。

しかし、やがて、菩薩様が身代り升地蔵菩薩となって流しておられる代受苦の御汗を意味する聖水を授ける為のお計らいである事が分ってきたのです。

その後、お大師様、菩薩様は、その聖水に「汗露水」と命名されましたが、晴れて汗露水を頂く事が出来たのは、掘削から四ヶ月余り後の、年の瀬も押し迫った12月13日でしたが、この日は奇しくも納め菩薩のご縁日でした。


Fさんのお役目


汗露水を授けるお計らいは、因縁を解く道を万人に示すお計らいの一端でしたが、因縁を解く道を示す為には、身を以て因縁が解ける事を実証する生き証人が必要です。

そこで、お大師様、菩薩様は、その生き証人として、四国にお住まいで、御同行のお一人であるFさんを選ばれました。

Fさんは、掘削に着手してから二ヶ月余り後の平成17年10月20日、そのお役目を果たすべく、一年ぶりに法徳寺へ帰郷されましたが、当時はまだ、Fさんの帰郷の本当の意味を知る者は一人もいませんでした。

その後様々なお計らいを頂く中で、Fさんとその御縁者の因縁を解く事によって、衆生の因縁を解く手本とする為、Fさんを法徳寺へ帰郷させられた事が明らかになったのです。


万人に示された因縁を解く道


こうしてお大師様、菩薩様が、Fさんと御縁者の因縁を解く手立てとして示されたのが、夢殿の御回廊廻りの行と汗露水であり、ここに晴れて因縁を解く道が万人に示されたのです。

Fさんの御回廊廻りの行と汗露水を頂く行は、日差しが肌を射すような猛暑の夏も、八ヶ岳降ろしが容赦なく吹き荒れる厳寒の冬も、一日の休みもなく続けられました。

Fさんには、因縁を解かねばならない御縁者が二組ありました。

一組の御縁者の因縁は、女性三代に渡って相続されてきた因縁、そしてもう一組の御縁者の因縁は、様々な欲にまつわる因縁でしたが、平成18年6月15日、Fさんにとって二人目となる男の曾孫さんの誕生によって、一組目の御縁者の因縁が解けた事が立証されました。

誕生から四ヵ月後の10月18日、御同行のIさんから送られてきた荷物を通して、二組目の御縁者の因縁も解けるというお知らせを頂くと共に、Fさんに課せられた因縁を解く行が、11月21日に無事満願する事が明らかになりました。

二日後の10月20日、汗露水をお授け頂く御堂「汗露臺」が落慶し、ここに晴れて御回廊廻りの行と汗露水によって因縁を解き、苦しむ人々を救済する使命を有する「宗教成合の郷」としての高野山法徳寺が完成いたしました。

汗露臺落慶一ヵ月後の11月21日に、因縁を解く行を満願なさったFさんは、御自身と御縁者の因縁が解けた証を胸に抱きながら、懐かしい故郷へ帰郷されました。

奇しくも、この日はFさんが法徳寺へ帰郷された平成17年10月20日から数えて、ちょうど13ヶ月目に当り、私達は改めて、Fさんの13ヶ月間の長きに及ぶ法徳寺での行が、お大師様、菩薩様のお計らいと御加護の下になされていた事を知り、感動を新たにいたしました。

こうして三年間の歩みを振り返ってみますと、今まで何のつながりもないように見えたお計らいのすべてが、まるで一つの物語をひも解く様に密接につながり、お計らいが脈々と生きている事が分ります。

お計らいが生きているのは、お計らいをしておられるお大師様、菩薩様が生きておられるからであり、お計らいの一つ一つに、苦しみの因縁を解いて、すべての衆生を救いたいと願うお大師様、菩薩様の強い一念が込められている事を、改めて痛感いたしました。


看板が書き換えられた本当の理由


こうして三年間に頂いた数々のお計らいは、すべて「宗教成合の郷」と命名されるにふさわしい法徳寺の姿を実現する為のお計らいであった事がよく分るのですが、これらのお計らいがなされた時期は、奇しくも「高野山法徳寺」の看板が境内入口に完成してから、平成19年春に「宗教成合の郷」の文字が書き加えられるまでの期間と、ほぼ重なっているのです。

そしてお大師様、菩薩様が、「宗教成合の郷」の文字が入った新しい看板に建てかえるようお指図なさったのは、その後なのです。

もうお分かりだと思いますが、平成16年暮れに建てられた最初の看板に「高野山法徳寺」としか書かれていなかったのは、まだ因縁を解く道が示されておらず、「宗教成合の郷」と呼ぶにふさわしい法徳寺の全容が整っていなかったからです。

その全容が整うのは、お大師様、菩薩様が、御同行のFさんを通して、夢殿の御回廊廻りの行と汗露水によって因縁が解ける道を示される平成18年末まで待たなければならなかったのです。

そして、平成19年春に「宗教成合の郷」という名前を新しく書き加えるようお計らいなさったのは、最初の看板から二年半余りの間に、因縁を解いて苦しむ人々を救済する使命を有する、「宗教成合の郷」と呼ぶにふさわしい高野山法徳寺の全容が整ったからです。


切り離せない二つの名前


「宗教成合の郷」命名の経緯から分った事が、二つあります。

一つは、何故お大師様、菩薩様が、法徳寺に二つの名前を付けられたのかという事です。

「宗教成合の郷」という名前は、法徳寺が、因縁を解いて苦しむ人々を救済する使命を有する寺院である事を前提として命名された名前ですが、もし法徳寺に「高野山」以外の山号が付けられていたら、恐らく「宗教成合の郷」という名前も、付けられていなかった筈です。

何故なら、因縁を解くには、生き仏様の通力が欠かせませんが、通力をお持ちの生き仏様が御入定しておられる霊山は、世界広しと雖も、紀州高野山以外にはありません。

従って「宗教成合の郷」という名前は、生き仏であるお大師様が御入定しておられる紀州高野山に付けられるべき名前なのですが、紀州高野山に「宗教成合の郷」という名前を付ける訳にはいきません。

そこで、お大師様は、菩薩様を通じて、法徳寺が、苦しみの因縁を解いて救済する使命のある御寺である事を示さんがため、菩薩様が御入定される四日前の4月9日に「宗教成合の郷」と命名されたのです。

そして、因縁を解いて苦しむ人々を救済出来るのは、通力を持つ生き仏様だけであり、法徳寺はその生き仏となる菩薩様が入定する聖地である事を教えんがため、その翌日の4月10日に「高野山」の山号を付けられたのです。

この事から、「宗教成合の郷」という名前は、「高野山」という山号を頂く聖地に命名される事を前提として生れた名前であると同時に、「高野山」という山号を頂く聖地にしか付けられない名前である事が分ります。

まさに「宗教成合の郷」の名前は、「高野山」の山号と共に、法徳寺にとって無くてはならない名前であり、法徳寺の為に生れた名前と言ってもいいでしょう。

要するに、「宗教成合の郷」は、「高野山」の山号を頂く法徳寺が、どのような使命を担って開創される御寺であるかを知る上で欠かせない名前であり、どうしても命名されなければならなかった名前だったのです。


生き仏である証


「宗教成合の郷」命名の経緯から分った二つ目は、菩薩様が命名の時すでに、生き仏である事を自覚しておられたという事です。

「宗教成合の郷」は、法徳寺が、因縁を解いて苦しむ人々を救済する使命を有する寺院である事を前提として命名された名前である事は、いまお話しした通りですが、もしそうだとすれば、命名された時すでに菩薩様は、夢殿の御回廊廻りの行と汗露水によって因縁が解ける道が示される事を知っておられた事になります。

しかし、菩薩様が「宗教成合の郷」と命名されたのは、御入定四日前の平成2年4月9日であり、夢殿の御回廊廻りの行と汗露水によって因縁が解ける道が示されたのは、御入定から16年も後の平成18年なのです。

つまり、菩薩様は16年も前に、夢殿の御回廊廻りの行と汗露水によって因縁が解ける道が示される事を知っておられた事になりますが、常識的にはありえません。ただ一つの例外を除いては。

その例外とは、菩薩様が、因縁を解く道を示すのは誰かを、「宗教成合の郷」と命名された時すでに知っておられたという事です。

そのお方は誰かと云えば、言うまでもなく菩薩様御自身であります。

つまり、自らが通力を以て不可思議を現わし、夢殿の御回廊廻りの行と汗露水によって因縁が解ける道を示す時が必ず訪れるであろう事を、命名の時すでに知っておられたから、「宗教成合の郷」と命名されたのです。

まだ湧出していない地下水を歯ブラシ立てやガラスコップに溜める不可思議を現わしたり、因縁を解く道を示現出来るお方は、通力をお持ちの生き仏様しかおられませんから、菩薩様は、「宗教成合の郷」と命名された時、すでに自らを生き仏と自覚しておられたという事になります。

きっと菩薩様の御霊眼には、お大師様と不二一体の生き仏となって、末代までも苦しむ人々を救済していかなければならない御入定後のお姿が、鮮やかに映し出されていたに相違ありません。

「宗教成合の郷」命名の一連の経緯を見ても、菩薩様がすでにお大師様と不二一体の生き仏としての自覚を持っておられた事は間違いないでしょう。

合掌

「宗教成合の郷」命名の意味(1)
「宗教成合の郷」命名の意味(2)
「宗教成合の郷」命名の意味(3)
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汗露臺落慶法要

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

夢殿と御回廊

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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