桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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真の奇蹟とは(2)



菩薩様が奇蹟を現わされた訳


奇蹟(不可思議)と言えば、普門法舟大菩薩様が、身代り@地蔵菩薩のお姿となって流しておられる代受苦の御汗である汗露水をお授け下さるお計らいの中で、まだ湧出していない地下水を、洗面台に置いてある歯ブラシ立てやガラスコップに溜められた不可思議な出来事も、現代科学では到底解明出来ない奇蹟の一つと言っていいでしょう。

しかし、聖母マリアがそうであるように、菩薩様もまた、奇蹟を現わす事が目的で、このようなお計らいをなさった訳ではありません。

自分の肉眼に見えるものしか信じようとしない人々、自らの心を省みず、奇蹟が起きて不治の病が治る事だけしか考えない人々に、み仏の真の救いとは何かを教えたいが為、このような手立てを取られたのです。

人々が見えない世界の存在を心眼で観じ取り、み仏の実在を信じるようになれば、奇蹟など必要ありません。

何故なら、神仏を信じ切る心が、奇蹟以上の奇蹟、つまり真の救いをもたらすからです。

勿論、ルルドの泉で起ったような、指の動かなかった人の指が動くようになり、失明寸前の人の眼が見えるようになる事も奇蹟には違いないでしょうが、指が動こうが動くまいが、眼が見えようが見えまいが、それ以前に心しなければならない大切な事が一つあります。

それは、どのような境遇にあっても動じない心、つまりみ仏を信じ切れる心に到達することであり、その心こそが真の奇蹟であり、また奇蹟の水をもたらす源泉なのです。

ルルドの聖女、ベルナデッタが、自らルルドの奇蹟を否定する事によって伝えようとした事も、きっとその事だったに違いありません。

神仏を信じ切る心に到達する事が真の奇蹟であり、グアダルーペやルルドやファティマで現わされた奇蹟は、神仏が仮に現された奇蹟に過ぎません。

奇蹟を見なければ、見えない世界の存在も、神仏の実在も信じられない人々の心のまなこを目覚めさせんが為の、やむにやまれぬ方便なのです。

奇蹟を現わされるから神仏が実在し、奇蹟が現わされないから神仏の実在が信じられない人々がいるからこそ、奇蹟という方便が必要になってくるのです。

菩薩様が、まだ湧出していない地下水を、ガラスコップに溜められたのも、生き仏と成られた菩薩様の救いが信じられない人々のまなこを目覚めさせんがための大慈大悲の方便に他なりません。

菩薩様が現わそうとしておられる本当の奇蹟とは、因縁に苦しむ一人でも多くの人々を救済することであり、その為には、どうしてもみ仏を信じ切る心を成就する事が欠かせないからこそ、敢えて奇蹟を現わされたのです。


菩薩様の最後のお言葉


菩薩様は平成2年4月13日に御入定なさいましたが、御入定される前に残されたお言葉が二つあります。

一つは「有り難い」というお言葉、もう一つは、「み仏はただ信じるのではなく、信じ切らなければならない。お大師様は、ただ信じるのではなく、信じ切らなければならない」というお言葉です。

何故菩薩様は、この二つのお言葉を御入定前に言い残されたのでしょうか。

菩薩様のご生涯が、苦難に次ぐ苦難の連続であった事は、知る人ぞ知るところでしょうが、信仰に入るまでの人生は言うに及ばず、人生のどん底に堕ちられた昭和45年7月7日の大試練によって信仰の道に入られてからの人生も、決して平坦なものではなく、まさに山あり谷ありの連続でした。

そして、人生最大とも言うべき試練が、御入定される直前に訪れたのですが、その時、口を突いて出てきたのが、先ほど仰った二つのお言葉なのです。

この二つのお言葉を通して、菩薩様は私達に何を教えようとしておられるのでしょうか。

「有り難い」という言葉は、言うまでもなく、救われた人が口にする言葉です。この言葉を見れば、菩薩様が救われておられた事は間違いありません。

しかし、菩薩様がこの言葉を口にされたのは、代受苦という、誰も真似の出来ない大行をしておられた時なのです。

この言葉が、そのような時に言える言葉でない事は明らかでしょう。

このような場合、私達が口にするのは、絶望の言葉、挫折の言葉、み仏に対する不信の言葉、恨み辛みの言葉であって、感謝の言葉ではありません。

ところが、菩薩様の口からは、「有り難い」という感謝の言葉、救いの言葉が出てきたのです。

何故そのような人生最大の苦難を受けておられた菩薩様の口から、「有り難い」と言う救いの言葉が出てきたのでしょうか。

その疑問を解く鍵が、その時におっしゃったもう一つのお言葉です。

み仏はただ信じるのではなく、信じ切らなければならない。
 お大師様は、ただ信じるのではなく、信じ切らなければならない。

このお言葉を見れば、菩薩様が、お大師様をただ信じておられたのではなく、信じ切っておられた事がよく分かります。


私たちへのメッセージ


もし菩薩様が、人生最大の苦難を受けておられる時ではなく、人生最大の喜びの中で「有り難い」とおっしゃったのであれば、私は、菩薩様が、お大師様を信じ切っておられたと、確信を持って言い切れる自信がありません。

何故なら、そのような状況下であれば、誰でも「有り難い」と言えるからです。

しかし、菩薩様が「有り難い」とおっしゃったのは、代受苦行という人生最大の苦難を受けておられる時なのです。

普通では絶対に言えない状況下で、絶対に言える筈のない「有り難い」という言葉を口にされたのです。

何故、「有り難い」と言えたのでしょうか。

その答えは一つしかありません。即ち、菩薩様は、お大師様を信じ切っておられたのです。信じ切っておられたから、「有り難い」という救いの言葉が、ごく自然に口を突いて出てきたのです。

「菩薩様がお大師様を信じ切っておられた事に間違いはありません」と、確信を持って皆さんにお伝え出来るのは、その為です。

いま思えば、菩薩様は、御入定されるに当り、救いを求めるすべての人々に、いかなる苦難や試練に遭遇しても、「有り難い」と言い切れる救いの道は何かを、ハッキリお示し下さっていたのです。

それが、「ただ信じるのではなく、信じ切らなければならない」というお言葉です。

救われたいと願うなら、そして、六道輪廻(注1)の人生に終止符を打って、仏の世界に生れ変りたいと願うなら、ただ信じるのではなく、信じ切らなければならない、そして、その信心を絶対に捨ててはならない事を、菩薩様は、自らその身を以ってお示しになられたのです。

この二つの言葉は、まさに菩薩様から私たちへの最後のメッセージであり、菩薩様を生き仏と信じるすべての人々が、片時も忘れてはならない御遺訓と申せましょう。


人生を変えた菩薩様との出会い


菩薩様の御遺訓を深く心に刻み、奇蹟を起こされたお方が、高知県室戸市にお住まいのOさんです。Oさんが書かれた体験談については、「御同行の体験談」をご覧頂きたいと思いますが、 普門法舟大菩薩様とOさんとの出会いは、昭和59年11月に遡ります。

菩薩様が衆生済度のため、奥様の寿法様と共に四国へ行かれた折、室戸岬にある「御厨人窟(みくろど)」へ立ち寄られ、案内所でご奉仕をしておられたOさんに、『救済』誌のお接待をされたのが始まりでした。

当時ご主人が事故により脳挫傷の大怪我をされて働く事が出来ず、大変辛く苦しい日々が続いていたOさんにとって、菩薩様との出会いは、まさに闇夜を照らす一すじの光明であったに違いありません。

Oさんは、お大師様、菩薩様への報恩感謝の気持ちを込め、昭和61年12月21日の納め大師に、ご主人と二人で摘まれた野辺に咲く水仙の花をお供えされました。

その真心に応えて菩薩様がOさんに贈られたのが、次の一首であります。

 春待つ日 室戸の香りそのままに
    大師に捧ぐ 真心の水仙(はな)

─「春待つ日」とは、Oさんが真心(仏性)を成就し、救われてみ仏の下へ帰ってくる日を待っていますよという事を、厳しい冬をじっと耐えて花開く春を待つ水仙に譬えたのだよ─

菩薩様は、こうおっしゃっておられましたが、この時すでに菩薩様は、Oさんがこれから乗り越えなければならない数々の試練を見通しておられたのかも知れません。

否、そればかりか、試練を乗り越えて真心を成就され、やがて開創されるであろう高野山法徳寺へ救われて帰って来られるOさんの晴れ姿までもが、そのご霊眼に映し出されていたに違いありません。

この献花の御浄行は平成15年の納め大師まで一度も途絶えることなく、実に18年の長きに渡って続けられたのですが、水仙の花は一ヶ所に群生しているのではなく、あちらこちらに咲いているのを、ご主人と二人で数輪ずつ摘んで集められたとの事で、ご奉納の裏には大変なご苦労があったと思います。

Oさんにとって、高野山法徳寺へ帰るまでの道のりは、厳しい山あり谷ありの連続でしたが、今思えば、その事を見通しておられたからこそ、菩薩様は、この歌を前以て贈られ、「この歌を、自らの心の灯火としなさい。真心の灯を絶やさず、自らが進むべき道を照らしなさい」と教え示されたのではないでしょうか。


失明の危機を乗り越えて


菩薩様から贈られた法歌を深く心に刻み、救われて魂のおやざと「高野山法徳寺」へ帰るための試練の旅が始まったのですが、Oさんを待っていたのは、認知症を患った高齢のお姑さんの介護という、誰も真似の出来ない、また誰も代わる事の出来ない厳しい行でした。

世間の常識から言えば、介護されるお姑さんが、介護するOさんに対し「苦労をかけて申し訳ないね」と言って、懺悔と感謝をするのが当然でしょうが、Oさんは、「病む人間より病まれる人間に罪業がある」との菩薩様の教えを深く信じ、「お母さんは、私の心を救う為に病んで下さっているんです。私が罪深いために、お母さんにご苦労をかけているんです。懺悔と感謝をしなければならないのは、私の方なんです。お母さん、申し訳ありません」と言ってお姑さんに手を合わせ、罪の懺悔と感謝の真心で、介護を尽されたのです。

しかし、その行は日増しに厳しくなり、ついに体力の限界を超え、過労の余り一時目が見えなくなるという失明の危機に直面されましたが、それでも真心の灯を絶やす事なく、ついにお姑さんの介護を成し遂げられたのです。

世間ではよく「介護する者も地獄、介護される者も地獄」と言われますが、Oさんが真心の介護を尽されたお陰で、お姑さんはこの世の極楽をご覧になったのです。

お姑さんが、最後に心からのお礼を言って、あの世へ旅立たれた事は言うまでもありませんが、Oさんもまた「お母さん、ご苦労をおかけしました。有難うございました。来世もお母さんの娘にならせて下さい」と言って、旅立つお母さんに頬ずりしながら、感謝の涙で見送られたのであります。


思いもよらぬご主人の突然の訃報


Oさんが、お姑さんの介護を通して真心を成就されたことはもはや疑う余地がないと思われましたが、Oさんの救いを願うお大師様、菩薩様のみ心は、一切の妥協を赦さぬものでした。

生き仏様は、Oさんの魂を根底から救わんが為、私たちの想像を絶する更なる試練を与えられたのであります。

それは、最愛のご主人の交通事故死という、まさにOさんにとって人生最大の試練でした。

しかも、その試練は、高野山法徳寺が発足する僅か一ヶ月前の平成16年3月18日に、突然訪れたのであります。

お姑さんの介護をはじめ様々な苦難の山坂を乗り越えて真心を成就され、魂のおやざとへ帰る日を楽しみにしておられた矢先の出来事だけに、Oさんの胸中は察するに余りありますが、いま思えば、このご主人の死こそ、真心を成就し、生き仏の子に生まれ変って帰ってきて欲しいと願うお大師様、菩薩様の、究極のお計らいだったのであります。

お大師様、菩薩様は、お姑さんの介護の中で失明の危機に直面しながらも絶やす事のなかった真心の灯を、ご主人の死に直面してもなお点し続けられるかどうか、魂のおやざとへ帰る直前になって再度Oさんに問われたのです。

普通の信仰の持ち主なら、恐らくここで挫折していたに相違なく、真心の灯を点すどころか、事故を起こした相手の加害者を責め、憎しみを以て恨みの言葉を浴びせかけていたでしょう。そればかりか、お大師様、菩薩様を仇に思い、信仰不信に陥っていたに違いありません。

しかし、それは、今までいかなる試練に遇っても真心の灯を点し続け、失明の危機をも乗り越えてお姑さんの介護を成し遂げられたOさんご自身が、自らその灯を消してしまう事になるのです。

しかし、Oさんの魂の奥底には、菩薩様から贈られたあの歌がしっかり刻まれていました。

 春待つ日 室戸の香りそのままに
    大師に捧ぐ 真心の水仙

─「春待つ日」とは、Oさんが真心を成就し、救われてみ仏の下へ帰ってくる日を待っていますよという意味でもあるのだよ─

菩薩様のこの言葉を、人生最大の試練に直面されても、Oさんは決して忘れてはおられませんでした。

ご家族やご親族の皆様が見守る中、Oさんは、弔問に訪れた加害者の若者を責めるどころか、優しい言葉をかけてその肩をそっと撫で、傷ついている若者の心をいたわったのであります。

誰よりも傷ついている筈のOさんが、憎むべき加害者を真心で暖かく包み、救いの御手を差し伸べられたのであります。

菩薩様が待っておられた春が訪れ、真心の水仙が花開いた瞬間でした。しかも、二度と枯れる事のない真心の水仙が花開いたのであります。

誰も予想していなかったその光景に、その場に居合わせた誰もが、Oさんの深い信心と慈悲の真心に心打たれ、感動したことは言うまでもありません。

その感動的な光景は、弔問に訪れた会葬者の目にも止まり、その模様は新聞にも掲載されて、多くの読者に感銘を与えたのであります。


夫の待つ魂のおやざとへ


まだご主人の喪も明けていない平成16年4月13日、Oさんは、姉のKさんと共に、晴れて高野山法徳寺へ帰ってこられました。

Oさんがお姉さんに支えられて、人生最大の苦難を乗り越えて帰って来られるなどとは夢にも思っていなかった私たちは、止めどなく溢れてくる涙を拭いながら、「お大師様、菩薩様、本当に有難うございました」と口ずさみ、何度も何度も菩薩様の御廟「夢殿」に向かって平伏し額ずいておられるお二人の姿を見て、魂のおやざとへ帰って来られた感謝と喜びの涙なのだと思わせて頂いたのですが、実はそれだけの涙ではなかったのです。

最愛のご主人の交通事故死という、尋常の信心では到底乗り越えることの出来ない苦難を、姉妹二人して乗り越えて来られたからこそ、止めどなく溢れ出てきた真心の涙だったのです。

姉のKさんは、『救済第二十号(高野山法徳寺落慶記念特別号)』の中で─

「よく来た。よく来た。二人揃って一番乗りや」生き仏・普門法舟大菩薩様のなつかしい御法声に、言い尽くせぬ喜びと感謝の涙があふれ、妹と二人で号泣致しました。

と書いておられますが、菩薩様が「一番乗りや」とおっしゃったのは、ただ菩薩様の待つ魂のおやざとへ誰よりも早く帰って来られたからではありません。

誰よりも早く真心(仏性)を成就して帰って来られたお二人だからこそ「一番乗りや」というお言葉を頂けたのであり、だからこそ、言い尽くせぬ喜びと感謝の涙があふれてきて止まらなかったのではないでしょうか。

当日、Oさんが座られた右隣りの席が空いており、Oさんはすぐに「この席は、私を導いて先にお大師様、菩薩様の待つ魂のおやざと・高野山法徳寺へ救われて帰った主人の為に、菩薩様が用意して下さった席だわ」と悟られ、ご主人を偲びながら、涙ながらに感謝と真心の祈りを捧げられたのであります。

Oさんの脳裏には、今まで歩んできた苦難の道のりが、走馬灯のように次々と浮かんでは消えていった事でしょう。

そして、どの道もこの道もみな、おやざとへ帰る日の為にみ仏が与えて下さった試練の道であり、み仏に救われながら歩んできた救いの御足跡であった事を、慈悲のふところに抱かれているご自身の姿を見つめながら、しみじみと回顧なさったのではないでしょうか。

だからこそ、み仏の御宝前に額ずき、Kさんと二人して溢れる涙を拭いながら、一心に拝まずにはいられなかったのではないかと思うのです。


真心を成就した証


しかし、お大師様、菩薩様が用意しておられたお計らいは、それだけではありませんでした。真心を成就して帰って来られるOさんの為に、思いも寄らぬ証を用意して待っていて下さったのであります。

それは、御同行のお一人であるYさんが造られた水仙の押し花でした。

山梨の地に高野山法徳寺が発足する四ヶ月前の平成15年12月21日、Oさんご夫妻が奉納して下さった最後の水仙を、ご同行の皆さんに数輪ずつお持ち帰り頂いたのですが、三重県からお参りの御同行、Yさん、Hさん姉妹は「最後の水仙だから、この美しい姿をいつまでも残したい」と思われ、押し花にする事を思いつかれたのです。

そして、造った押し花を三つの額に入れ、二つは姉妹がそれぞれ頂かれ、残る一つをOさんに手渡すため、4月13日、法徳寺へ持って帰られたのです。

この押し花は、真心を成就した証としてOさんに渡すため、菩薩様が通力を以てYさん、Hさん姉妹に造らせた押し花だったのですが、当のYさんもHさんも、自分たちが造った押し花が、Oさんの真心の証となる事など知る由もありません。

またOさん、Kさん姉妹も、菩薩様が、真心を成就して帰ってくるOさんの為に、水仙の押し花を用意して待っていて下さるとは、夢にも思っておられなかった事でしょう。

まさにそれは、通力をお持ちの生き仏様だからこそ現わすことの出来た神業でございました。

こうしてOさんご夫妻がご奉納なさった最後の水仙は、永遠に枯れる事のない押し花として生まれ変わり、Oさんの下に帰ってきたのですが、この押し花こそ、真心を成就して帰ってこられたOさんのお姿そのものだったのです。

何故なら、水仙の花が二度と枯れることのない押し花に生まれ変ったように、Oさんもまた、いかなる試練の嵐に遇っても枯れる事のない真心の水仙を咲かせられ、仏の子となって菩薩様の元へ帰って来られたからです。

菩薩様は、この押し花を通して、きっとこう語りかけておられるに違いありません。

「この美しい水仙の押し花が、あなたの姿ですよ。あなたの真心の水仙は、もう何があっても枯れません。どうかいつまでも真心の水仙を咲かせ、傷ついた人々の心を優しく包んであげて下さい。それがあなたの使命であり、私の願いでもあるのですよ」

そのことを証明するかのように、その後、報恩感謝の気持ちを込めてOさんがお供えされたご浄施は、未来永劫、夢殿の菩薩様の御宝前を彩る一対の常花として生まれ変わったのです。

水仙のご奉納は平成15年の納め大師が最後となりましたが、これからはご主人と二人で、末代までも菩薩様のお膝元を、枯れる事のない真心の水仙で照らし続けて下さるのです。


法舟菩薩様との深きご縁


それにしても不思議なのは、水仙のご奉納が18年目で終わるや否や、まるでご奉納が終わるのを見届けたかのように、ご主人がOさんの前から忽然と姿を消された事であります。しかも、それは、高野山法徳寺へ帰られる僅か一ヶ月前の出来事でした。

ご奉納が終わった事と、法徳寺へ帰る日を間近に控えてのご主人の死、そして、真心を成就した証として用意された水仙の押し花。

私には、これら一連の出来事が、単なる偶然ではなく、凡てが生き仏様の段取りの中で計らわれている出来事であったような気がしてなりません。

特にご奉納が18年目で終わり、同じ18日にご主人が亡くなられたという事から見ても、Oさんの救済は、この18と言う数字に象徴されるお方とのご縁を抜きにしては考えられません。

18日は、観音様のご縁日であり、18という数字に象徴されるお方と言えば、観音様以外にはおられません。

私たちは日々の勤行によく観音経をお唱えしますが、観音経は正式には「妙法蓮華経観世音菩薩普門品」と申します。

そして、普門と言えばすぐ脳裏に浮かぶのが、普門法舟大菩薩様であります。

菩薩様は、お大師様より「入定せよ」とのご示現を頂かれ、紀州高野山と同じ山号を頂く高野山法徳寺へ御入定なさって生き仏となられた、まさに平成の弘法大師とも仰ぐお方ですが、菩薩様が御入定なさった平成2年4月13日は、虚空蔵菩薩さまのご縁日であります。

そしてその日は、旧暦の3月18日に当っていましたが、18日は観音様のご縁日なのであります。

亡くなられたご主人は、「明星院****居士」という戒名を頂かれ、院号の「明星」は、虚空蔵菩薩様を現わし、この院号は、旅立たれたご主人が今おられる浄土の名を現わしています。

では、ご主人がおられる「明星院」と名付けられた浄土は、どこにあるのでしょうか。

院号に虚空蔵菩薩様を現わす「明星院」の名を頂き、ご命日が観音様のご縁日であるとなれば、ご主人は、虚空蔵菩薩様と観音様のご縁日に御入定された法舟菩薩様に導かれて旅立たれたと考えなければならないでしょう。

そうだとすれば、ご主人がおられる「明星院」とは、法舟菩薩様が御入定しておられる所、即ち、魂のおやざとである高野山法徳寺以外にはありえません。

Oさんは、『救済第二十号(高野山法徳寺落慶記念特別号)』の中で、

御読経の最中、ふと頭を上げると「明星」という字が目に入り「ああ、主人は明星となって光り輝き、虚空蔵菩薩様と一体になって、いつまでも私たちを照らして下さるんだ。主人は、今回の自動車事故というお計らいを通して私の魂を救う為、尊い命を捧げて下さったみ仏様だったんだ」そんな思いが頭をよぎりました。

と書いておられますが、まさにご主人は虚空蔵菩薩様、否、と言うより、虚空蔵菩薩様のご縁日に御入定なさった法舟菩薩様に導かれて魂のおやざとである高野山法徳寺へ帰られ、菩薩様と一体になって、明星のみ光でOさんを照らし続けておられるに違いありません。


ご主人が旅立たれた真相


信仰のないお方は「何故み仏はOさんのご主人を交通事故から守れなかったのか」と思われるかも知れませんが、み仏のお計らいは余りにも奥深く、凡夫の浅知恵では到底計り知れません。

仏法の鏡を通してお計らいを深く悟れば、ご主人が何故このような形で亡くなられたのか、その真相がハッキリ見えてまいります。

Oさんが、救済誌の中で「お大師様は、昭和58年の脳挫傷事故の時に、本来なら亡くなっていた主人の命を助けて下さり、私を信仰に導いて難行苦行を体験させ、私の心が救われる日まで、21年間、主人との暮らしを続けさせて下さったに違いありません。私は、そう確信致しました」と書いておられますように、脳挫傷事故から21年目、そして菩薩様が水仙の法歌を贈られてから18年目にしてご主人が旅立たれたのは、Oさんの救いを見届けられたからでありましょう。

ご主人は、21年前、脳挫傷事故から奇蹟の生還をされましたが、ご主人が九死に一生を得られたのは、Oさんを救うという大切なお役目があったからです。そして21年目にして漸くそのお役目を果たす時が訪れたのです。

表面だけを見れば、ご主人は交通事故で亡くなられたように見えますが、生き仏様の眼から見れば、ただの事故死ではなく、Oさんの心に真心の水仙を花開かせる為の究極のお計らいだったのであります。

み仏は、その人を救う為には、いかなる妥協もされません。

「同じ死でも、交通事故死ではなく、病気や他の死でもいいのではないか」と思われるかも知れませんが、それではOさんは真心を成就出来ないのです。

Oさんが、「もし主人が事故ではなく病気で亡くなっていたら、恐らく真心は成就出来ていなかっただろうと思います。相手の方がいたからこそ、その人を拝む心になれたのです」と、述懐しておられるように、加害者の存在があったからこそ、仇となる因縁を拝む事によって、真心の花を咲かせて宿世の因縁を解く事が出来たのです。


遇わなければならない因縁の相手


ご主人の死がなければ、加害者の若者と出会う事もなく、因縁の相手との出会いがなければ、Oさんの背負っている因縁を解く事も出来なかったでしょう。

私は、Oさんに差し上げた手紙の中で、

「加害者の若者は、Oさんが自ら背負っている因縁を解く為には、どうしても遇わなけれ ばならない因縁の相手であり、その若者と遇わなければ、因縁を解くことが出来なかったのだと思います。
 だからこそ御主人は、自らの身を捨てて、その若者と会わせて下さったのです。Oさんは、因縁の相手に真心で接し、周囲の人々を真心でつつまれました。(中略)
 Oさんは、その難行苦行に耐え、見るも綺麗な真心の水仙を咲かせられました。
 その真心の水仙は、若者の家族を救い、Oさんの家族を救い、そしてOさん自身を救ったのです。
 輪廻の業を更に積み重ねるか、それとも因縁を解いて末代までの幸せの道を切り開くか、道は二つに一つですが、Oさんは、人生最大の難所を真心で乗り超えられ、末代までも続く幸せの道を切り開かれたのです」

と書かせて頂きましたが、こうして真相を悟ってみれば、ご主人は、交通事故で亡くなられたけれども、Oさんの因縁を解く為に、自らの身を捨てて、因縁の相手と遇わせて下さったみ仏の化身であった事が、よく分るのであります。

Oさんが『救済誌』の中で「主人は、今回の自動車事故というお計らいを通して私の魂を救う為、尊い命を捧げて下さったみ仏様だったのだと思います」と書いておられるのはその為であり、この一文こそ、Oさんがそこまで深く悟られた何よりの証です。

もしOさんの信仰が、ご主人の死に直面して、み仏に不信を抱いたり、み仏を仇に思うような信仰であれば、恐らくみ仏はこのようなお計らいはなさっておられなかったでしょうし、Oさんの救いも、もっと遠のいていた筈です。

「ご主人の死に遇っても、Oさんならきっと、み仏の深い慈悲心を悟ってくれる筈だ。そして相手の青年を真心で優しく包んであげられるに違いない」という確信があったからこそ、お大師様、菩薩様は、ご主人に、Oさんを救うお役目を与えられたのです。

そしてご主人は、立派にそのお役目を果たされたのであります。

ですから、救われたOさんの姿をご覧になり、また自らも救われて、お大師様、菩薩様の下へ帰られたご主人の喜びは、想像するに余りあります。

その証が、ご主人に授けられた「明星院」という院号ではないかと、私は思います。

Oさんを救うというお役目を立派に果たされ、菩薩様の待つ魂のおやざと「高野山法徳寺」へ帰られたご主人に最もふさわしい院号と申せましょう。

菩薩様が、法徳寺が発足した当日、Oさんの右隣りにご主人の席を用意するというお計らいをしておられたのも、救われて帰って来られたOさんと二人で、法徳寺の発足を祝って欲しかったからに違いありません。

合掌

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(注1)六道(ろくどう)とは、迷いの人間が心に思い描く六つの世界(地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上)の事で、輪廻(りんね)とは、ねずみが回転車の中を果てしなく廻り続けるように、六つの世界を思い描く人生に終わりがない事を言う。そして、この果てしない迷いの人生に終止符を打つ事を、仏教で救いと言い、解脱、成仏、極楽往生と言う。病気が治ったり、商売が繁盛したり、子供を授かるなどの現世利益は、仏教で言う救いではなく、一時的に欲望が満たされた状態の天上界に過ぎない。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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