桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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真の奇蹟とは(1)



何故人は奇蹟を求めるのか


お釈迦様が私たちの人生を称して四苦八苦(注1)と説かれたのは、遥か2500年以上も前ですが、2500年経った今でも、四苦八苦の人生は、私たちの目の前に厳然と存在し、苦しみのない人生を生きる事が如何に難しいかを教えています。

新聞を開けば、痛ましい事件や事故の記事が紙面を覆い、交通戦争という言葉がまだ決して死語になっていない事を思い知らされます。

また、医学の未発達な時代に生まれ、その恩恵を受ける事の出来なかった先人達に比べ、高度な医療の恩恵を受けている私達ですから、誰もがみな病気とは無縁の健康的な生活を送っているかと言えば、決してそうではなく、病院へ行けば、まるで朝の通勤ラッシュかと見間違えるほど大勢の病人で溢れています。

更に温暖化の影響によると思われる異常気象や環境の悪化によって、人類は多大なる犠牲を強いられようとしていますし、いまも世界のどこかで戦乱が続き、多くの尊い人命がその犠牲になっています。

また戦乱のない平和なわが国でさえ、この11年間、自殺者が3万人を越えるという深刻な状況が続き、大きな社会問題となっています。

要するに、人類の叡智を結集して、あらゆる分野で様々な研究開発が進められ、かつて不可能と言われていた事が次々と実現する夢のような時代が到来していても、変ったのは目に見える現象世界だけであって、悩み苦しむ存在としての人間の本質そのものは、お釈迦様やお大師様の時代と、まったく何も変っていないのであります。

いつの時代になっても、乱れた世を正し、苦しむ人々に救いのみ手を差し伸べて下さる救世主の到来を待ち望む声が絶えませんが、それは、悩み苦しむ存在としての人間の本質が、全く変わらないからであり、四苦八苦の人生が厳然と存在し続けているからに他なりません。古歌に、

 世は乱れ 人の心の失せしとき
    菩薩あらわす 天地のはからい

と詠われていますように、人類史上、人々を悩み苦しみから救わんがため、世界三大宗教と言われる仏教、キリスト教、イスラム教を開かれたお釈迦様、イエス・キリスト、マホメットをはじめ、先覚者と言われる数多の聖者がこの世へ出られたのは、決して偶然ではありません。

まさにそれは、乱れた世が、お釈迦様やイエス・キリストやマホメットを求めた結果であり、救いを求める人々の声に、天地が応えられた証と言えましょう。お大師様然り、各宗派のお祖師様また然りであります。

そして平成の世に、普門法舟大菩薩様が出られた事も、決して偶然ではなく、平安時代の再来ではないかと言われる乱れた平成の世相を考えれば、平成という時代が菩薩様を求めた結果である事は間違いありません。


グアダルーペの奇蹟


人々が、いつの世も変らず救世主の到来を待ち焦がれるのは、救世主が奇蹟(不可思議)を現すお力をお持ちだからであり、救世主が現れて、乱れたこの世を正し、苦しむ人々を救って下さる事を、いつの世の人々も願っているからに他なりません。

奇蹟とは、「常識では考えられない神秘的な出来事」「既知の自然法則を超越した不思議な現象で、宗教的真理の徴と見なされるもの」(広辞苑)の事を言いますが、人々の願いに応えるかのように、救世主が奇蹟を現わされた聖地が、世界各地に数多存在しています。

その中でも特に有名なのが、イエス・キリストの聖母マリアが出現して奇蹟を現わされたと言い伝えられるカトリック三大聖地、メキシコのグアダルーペ(1531年12月9日聖母マリア出現)、フランスのルルド(1858年2月11日聖母マリア出現)、そしてポルトガルのファティマ(1917年5月13日聖母マリア出現)であります。

グアダルーペの奇蹟が起きたのは、1531年(今から478年前)12月9日であります。

改宗インディオのファン・ディエゴが、メキシコ・シティ郊外のテベヤックの丘を通りかかったとき、彼の母語のナファトル語で「私の小さな子」と呼ぶ声が、どこからともなく聞こえてきました。

ディエゴがその声に導かれるように丘の上へ上って行くと、目の前に、褐色の肌をした黒髪の女性が現れ、「私は聖母マリアです。この場所に教会が建てられるよう望んでいます。あなたは、これからメキシコ・シティへ行き、司教に私の願いを伝えて下さい」と告げたのです。

そこで、ディエゴは言われた通り、メキシコ・シティへ行き、司教に会い、ありのままを伝えましたが、司教は、ディエゴの話など全く信じようとしませんでした。

ディエゴは再び聖母マリアのところへ戻り、誰か別の人間を使者に立てるよう望みましたが、聖母は「この使命を与えられたのはあなたなのです」と告げて、再び司教のところへ行くよう命じました。

そこで翌日、ディエゴが再び司教を訪れると、司教は「その話が本当なら聖母から証拠の品を貰って来なさい」と言うので、聖母のところへ戻って司教の言葉を伝えると、聖母は「あすの朝、その証拠を得ることができるでしょう」と告げました。

その日、ディエゴが家へ帰ると、一緒に暮らしている叔父のベルナルディーノが、重い病気に罹って瀕死の状態に陥っていたので、いよいよ叔父ともお別れかと思い、叔父の臨終に備えて司祭を呼びに行ったところ、聖母が彼の行く手で待っていて「あなたの叔父さんなら大丈夫です。丘に戻りなさい。そして、そこに咲いている花を摘んで、司教に見せなさい」と告げたのです。

こんな12月の寒い時期に花なんて咲いている筈がないと不思議に思いながら、テベヤックの丘へ行くと、そこには、聖母マリアの言う通り、バラの花が一面に咲いていたのです。

ディエゴはその花を摘んで自分のティルマ(サボテンの繊維で作られたマント)に包んで、司教のところへ持って行き、彼の目の前で開くと、ティルマの表面には、ディエゴが見た聖母の姿が描かれ、それを見た司教は、即座にディエゴの話を信じたのであります。

ディエゴが喜び勇んでわが家へ帰ると、叔父のベルナルディーノの病状はすっかりよくなり、更に聖母マリアが叔父の前にも姿を現わして、「グアダルーペの聖母」と呼ぶように告げたと言うのです。

その後、テベヤックの丘には、聖母マリアの希望通り立派な教会が建てられ、また20年ほどでボロボロになる筈の、聖母マリアが描かれていたティルマ(マント)は、400年以上経った今でも、ボロボロにならずに残っているそうです。


ルルドの奇蹟


グアダルーペの奇蹟から327年後の1858年(今から151年前)、フランスのルルドで起こったのが、ルルドの奇蹟です。

ルルドは、フランスとスペインの国境近くの、ピレネー山脈のふもとにある人口2万人足らずの小さな町ですが、今では年間数百万人が訪れるカトリック最大の巡礼地となっています。

1858年2月11日、14才の娘マリー・ベルナデッタ・スビルーが、友達と薪拾いに行ったマッサビエル洞窟で聖母マリアの姿を見たのが、聖母マリアと対面した最初と言われています。

ベルナデッタは、その後同じ洞窟で17回も聖母マリアと対面しますが、2月25日の9回目の対面の時、聖母マリアから「泉の水を飲み、その水で顔を洗えば奇蹟が起きる」と告げられるのです。

しかし、聖母が指し示したところに水はなく、不思議に思ったベルナデッタがその場所を手で掻いていると、水がしみでてきました。

勿論、その水は泥水で、とても飲めるようなものではありませんでしたが、ベルナデッタは聖母マリアから言われたように、その水を手ですくって飲み、顔を洗いました。

ところが、やがてその場所から、こんこんと水が湧き出るようになり、泥水であった泉は、湧き水によって、見る見る内に透き通っていったのであります。

最初の内、ベルナデッタは、目の前に現れた女性が聖母マリアとは知りませんでしたが、3月25日の16回目の対面の時に、この女性が「無原罪の宿り」と名乗ったので、その意味を神父さんに尋ねたところ、聖母マリアを示す名前である事が分り、その時初めてその女性が聖母マリアである事を知ったのです。

また最初はベルナデッタの言う事をまったく信じなかった神父や周囲の人々も、「無原罪の宿り」という言葉を聞いて、聖母マリアの出現を信じるようになりました。

何故なら、「無原罪の宿り」という言葉は、14才のベルナデッタが知る筈のない教会用語だったからです。

ベルナデッタの話を聞いた人々は、連日マッサビエル洞窟に集まり、ベルナデッタが聖母マリアと対面する真剣な姿を見て、奇蹟を信じるようになりました。

3月1日には、右手の指が動かなかったカトリーヌ・ラタピ・シュアという39歳の女性が、泉に手を入れると瞬時に指が動くようになり、また3月3日には、黒内障でほとんど失明状態だった54歳の石工の男性、ルイ・プリエットの右目が、泉の水で洗うと瞬時に見えるようになり、その後も、その水を飲んだり、水に浸かったりした者の病が治癒したり、足の立たなかった者が歩けるようになるという奇蹟が次々と起き、ルルドは一躍世界有数の聖地となったのであります。

その後ベルナデッタは、1866年にヌヴェール愛徳修道会のサン・ジルダール修道院に入って外界から遮断された静かな一生を送り、1879年、肺結核によって35才の若さで亡くなるまで、一度もルルドには行きませんでした。

そればかりか、病の床にある時も、周囲が幾らルルドの水を勧めても、「あの水は私のためではない」と言って断わり続け、二度とルルドの水を飲む事はありませんでした。

亡くなってから30年後に墓を掘り返したところ、驚くべきことに、ベルナデッタの遺体は少しの腐敗も硬直もなく、皮膚もバラ色に輝いて、まるで生きているようであったと言います。

遺体は修道服を着たままの状態で、今もなおサン・ジルダール修道院に安置されています。

聖母マリアは、ベルナデッタに「私は、この世ではなく、後の世であなたを幸せにする事を約束します」と告げたと言われますが、今も生きているかのような遺体を見ていますと、まさに聖母マリアが約束した「後の世の幸せ」を象徴するものではないかという気がいたします。

ベルナデッタの遺体の前で、誰もが手を合わせ、祈る姿こそ、ベルナデッタが約束された後の世の幸せの徴なのかも知れません。


ファティマの奇蹟


ルルドの奇蹟から更に59年後の、第一次世界大戦中の1917年(今から92年前)、ポルトガルのファティマという小さな村で起こったのが、ファティマの奇蹟であります。

1917年5月13日、貧しい羊飼いの牧童であるフランシスコ(9歳)、ヤシンタ(7歳)の兄弟、そして従姉のルシア(10歳)の三人が、いつものように丘の上で羊の番をしていると、突然空に閃光が走り、卵形の物体が降下してきたかと思うと、三人の目の前に聖母マリアが姿を現したのであります。

そして、それから五ヶ月間、毎月13日の同じ時刻にこの場所に現れることを告げて消えたのですが、村に帰ってこの事をみんなに話しても、誰も信じようとしませんでした。

翌月の6月13日、うわさを聞いた数十人の見物人が予告された時刻にその場所へ行くと、やはり卵型の光る物体が降下してくるのが見えたので、何か不思議な現象が起きているらしいという事は分ったのですが、聖母マリアの姿は、三人の子供にしか見えませんでした。

この日、聖母マリアが告げたのは、フランシスコとヤシンタがまもなく天国へ召されるという事でしたが、その預言通り、フランシスコは1年10ヶ月後の1919年4月4日、ヤシンタも2年8ヶ月後の1920年2月20日に病気で亡くなりました。

三回目の7月13日には、10月13日にすべての人々が子供たちの言う事を信じるような奇蹟を見せるという事と、後世「ファティマの大預言」と呼ばれるようになる三つの預言が、聖母マリアからルシアに告げられました。

最後の出現日である10月13日になると、ファティマは、奇蹟を一目見ようと、国内やヨーロッパ全土から集まった七万人を越える大群集で膨れ上がりました。

その日も、いつものように聖母マリアとルシアとの対話が始まりましたが、群集には聖母の姿も見えず、声も聞こえません。

しかし、ルシアが突然「見て!太陽を見て!」と叫ぶと、それまで降っていた雨が突然やみ、太陽が七色に輝いて、七万人の大群集が見ている上空で跳ね回って乱舞したかと思うと、急降下して、人々の上に落下する直前でぴたりと止まったのであります。

群集は恐怖のあまり、一時パニック状態に陥ったと伝えられていますが、不思議な出来事は10分余りで終り、集まった人々は、その一部始終を目撃し、新聞にも大きく報道されたのであります。

三人の子供の中で、聖母マリアの話を聞く事が出来たのはルシアだけで、他の二人は姿しか見る事が出来ませんでしたが、ルシアが聞いた聖母マリアの「三つの預言」とは、一つ目が、第一次世界大戦がまもなく終結するというものでした。

二つ目は、第二次世界大戦が始まり、核兵器が出現するという預言でしたが、三つ目の預言は、口外することを許されず、三人のうちの唯一の生存者であるルシアとローマ法王のみが知るとされていました。

ところが、最近になって三つ目の預言は、1981年のローマ法王パウロ二世の狙撃事件を預言したものだったことが発表されました。

ルシアは、その後、修道女(シスター)となって、四年前の2005年2月13日、97歳で亡くなりました。


奇蹟の裏に秘められた神の本心


カトリック三大奇蹟と言われる出来事を見ると、いずれも科学では解明出来ない、まさに奇蹟と呼ぶにふさわしい出来事である事が分かりますが、これらの三大奇蹟を通して分かる事がもう一つあります。

それは、人間というものが、自分の肉眼で見たり、耳で聞いたりした事以外は容易に信じようとしないという事実であります。

最初は、三大奇蹟の主人公であるディエゴやベルナデッタやルシアの言う事を、周囲の人々はおろか、神に仕える司祭さえもが信じませんでした。

何故なら、聖母マリアの姿を見、その声を聞いたのは、本人たちだけであり、周囲の者は誰一人として、その姿を見る事も、その声を聞く事も出来なかったからです。

ところが、最初は全く信じなかった周囲の人々が、やがて彼らの言う事を信じるようになるのです。

何故なら、聖母マリアが奇蹟(不可思議)を現わされたからです。

もし聖母マリアが奇蹟を現わされなければ、いくらディエゴやベルナデッタやルシアが、聖母マリアが現れて、啓示を受けたと言ったところで、周囲の人々は誰一人として信じなかったでしょう。それどころか、気狂い扱いしたに違いありません。

だからこそ、聖母マリアは奇蹟を現して、ディエゴやベルナデッタやルシアが決して嘘を言っていない事を証明されたのです。

この事実から、聖母マリアが奇蹟を現わされたのは、決して奇蹟を現わすことが目的ではなく、自分の眼に見え、耳に聞こえる事以外は信じようとしない人々の心のまなこを開かせんが為である事が分ります。

私たちは、ともすると、指の動かなかった人の指が動くようになり、失明寸前の人の眼が見えるようになる奇蹟だけに目を奪われて、奇蹟を現わす事が、さも神仏の本心であるかのような錯覚に陥りがちですが、奇蹟を現わす事が、神仏の本心ではなく、見えない世界が厳然と存在し、神仏が実在する事を、万人に知らしめんがためであり、奇蹟は、私たちの心を神仏に向けさせるための方便(手立て)なのであります。

大切な事は、奇蹟が現わされるか否かではなく、見えない世界の存在を信じられるか否か、肉眼に見えない神仏の存在を信じ切ることが出来るか否かなのです。


ルルドの奇蹟を否定したベルナデッタ


伝えられるところによれば、ルルドの奇蹟の聖女、ベルナデッタは、後に聖母の出現について尋ねられ、「ルルドに聖母が現れ、奇蹟の泉があるというあの話に本当のことは何もありません」と、否定したと言います。

また彼女自身は、自分の見た女性が聖母マリアであると言ったことは一度もなく、聖母の出現についても積極的に語ることを好まなかったと伝えられています。

何故彼女は自らルルドの奇蹟を否定するような事を言ったのでしょうか。

ベルナデッタが聖母に出会ってから六年後の1864年に、ルルドの洞窟に聖母マリア像が作られ、更にこの話がヨーロッパ全土に広まっていったため、大勢の巡礼者が奇蹟の水を求めてルルドへ集まってくるようになります。

そして八年後の1866年にルルド大聖堂が建てられ、ローマ法王がミサを開き、ルルドは一躍、カトリック教会最大の巡礼地となるのですが、その同じ年に、ベルナデッタは一人静かにルルドを去り、外界から遮断されたヌヴェール愛徳修道会の修道院へ入るのです。

大聖堂が立ち、カトリック最大の巡礼地となったルルドの輝かしい姿を見ながら、生まれ故郷ルルドを去るベルナデッタの心の奥底は知る由もありませんが、彼女の眼に映ったものは、何だったのでしょうか。

もしかしたら、奇蹟が起きなければ神の実在を信じられない人々や、ただ奇蹟の水だけを追い求めて神への祈りを忘れている人々の浅ましい姿だったのではないでしょうか。

「あなたたちは、奇蹟が起きなければ神を信じられないのですか。奇蹟よりも、もっともっと大切なものがあるのではありませんか」

ベルナデッタは、きっとそう言いたかったに違いありません。


あの水は私のためではない


立派な大聖堂が建ち、ローマ法王がミサを開かれたその年に、一人静かにルルドを離れ、修道院へ入った彼女は、病の床にある時も、周囲が幾らルルドの水を勧めても、「あの水は私のためではない」と言って断わり続け、二度とルルドの水を飲む事はなかったと言います。

「あの水は私のためではありません」

彼女は、どのような思いで、この言葉を口にしたのでしょうか。

常識的に考えれば、「あの水は、手が動かなかったり、眼が見えなかったり、不治の病で苦しむ人々に与えられた奇蹟の水なのですから、私が飲むべき水ではありません」という意味に解釈する事も出来るでしょう。

しかし、私には、彼女がそのような気持ちで言ったとはどうしても思えないのです。

もしそのような気持ちで言ったのであれば、「ルルドに聖母が現れ、奇蹟の泉があるというあの話に本当のことは何もありません」と、ルルドの奇蹟を否定するような事を、彼女自身が言う筈は絶対にないからです。それでは、奇蹟を願いながらルルドを訪れる人々の心を、自ら裏切ることになります。

ルルドの奇蹟を体験した彼女自身が、「あの話に本当のことは何もありません」と、自らその体験を否定するという事は、よくよくの事であります。

一体彼女は、ルルドの奇蹟を否定する事によって、何を伝えたかったのでしょうか。

もし、ルルドの水によって不治の病が治癒する事が真の救いであるならば、肺結核に侵され、病の床にあった彼女にとっても、必要な水であった筈です。

でも、彼女は、周囲の勧めにも拘らず、二度とルルドの水を口にする事はなかったのです。何故でしょうか。

それは、ルルドの水を飲まなくても、救われていたからです。

神を信じ切る事によって、救われていたから、肺結核に侵されていても、ルルドの水など必要としなかったのです。

私は、彼女が「あの水は私のためではない」と言ったのは、真の奇蹟とは何か、真の救いとは何かを、不治の病が治癒しなければ救われないと考えている人々に伝えたかったのではないかと思うのです。

彼女はきっと、

「あの奇蹟の水を飲まなくても私は救われています。何故なら、神を信じ切っているからです。あの水は、神を信じ切れない人のための水なのです。だから、あの水は私のためではないのです」

と言いたかったに違いありません。

ルルドの聖女、ベルナデッタには、すでに奇蹟が起きていたのです。

しかし、その奇蹟をもたらしたのは、ルルドの水ではありませんでした。

彼女の神に対する深い信心が、彼女に真の奇蹟をもたらしたのです。肺結核に侵されていても、「あの水は私のためではない」と言い切れたのは、その為です。

ルルドの奇蹟を目の当たりにした彼女が35年間の短い生涯で伝えたかった本当の奇蹟とは、「神を信じ切る」という、たったそれだけの事だったのではないでしょうか。

合掌

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(注1)四苦八苦とは、生老病死の四苦に、「愛別離苦ーあいべつりく」(愛する人とも別れなければならない苦しみ)、「怨憎会苦ーおんぞうえく」(恨み憎しみ合う人とも会わなければならない苦しみ)、「求不得苦ーぐふとっく」(欲しても思うように得られない苦しみ)、「五陰盛苦ーごおんじょうく」(煩悩が盛んな事によって起こる諸々の苦しみ)の四苦を加えたもの。

 

 

グアダルーペのマリア

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

マッサビエル洞窟

 

 

 

 

 

 

 

 

 

14歳当時のベルナデッタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

向かって右からルシア
フランシスコ、ヤシンタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ルルド大聖堂

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

シスターとなったベルナデッタ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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