桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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会うたびに 一期一会と人思え

無常の中の 人の身なれば



一期一会の出会い


平成27年度(2015)の人口動態統計によれば、いま日本では31秒に一人が生まれ、24秒に一人が亡くなっています。

いまこうしている間にも、日本のどこかで、誰かが生まれ、誰かが亡くなっているのです。勿論、私も皆さんも、24秒の中の一人である事は言うまでもありません。

残念ながら、24秒がいつわが身に訪れるかは、誰にも分かりません。しかし、諸行無常の世である以上、いつ訪れても不思議ではありません。

その意味で、人生は、まさにいつ割れてもおかしくない薄氷の上を歩いているようなものと言っても過言ではないでしょうが、だからこそ、常に「一期一会」という事を忘れてはならないのです。

菩薩様が、
  会うたびに 一期一会と人思え
    無常の中の 人の身なれば
 と詠っておられるように、人生には、ひとときの待ったもありません。

昨日は生かされた、今日も生かされている、明日もどうにか生かされるだろうと、泡沫(うたかた)の夢を見て、当てのない人生を送っているのが、迷える人々の姿と言えましょうが、親も子も、夫も妻も、人のいのちも一切の財も、すべてが無常の中の「一期一会」の出会いである事を忘れてはなりません。
(普門法舟)
 昨日見た人 今日はなし
 明日なきことも 知れよ人
   残る桜も 散る桜
   待ったないのが 人生だ 

私は、僧侶という仕事柄、たびたび人の死に接し、嘆き悲しむ人々の有様を見る事がありますが、
  逝きてのち 思い哀しや人の名を
    呼べど答えぬ くちなしの花
 という古歌があるように、人は誰でも、肉親の死や他人の死に接して、はじめて無常のきびしさ、命のはかなさを思い知らされるのです。

特に肉親の死に直面した時は、誰でも、「生きている時に、ああしてやりたかった、こうしてやりたかった、あんな事を言わなければよかった、こんな事をしなければよかった」と、後悔の念にさいなまれますが、家庭の中であれ、社会の中であれ、肉親であれ、他人であれ、つねに「一期一会」という事を忘れず、出会いを大切にして、あとで悔いる事のないようにしなければなりません。


相互供養、相互礼拝


一期一会という事が分って来ると、人との出会いが、かけがえのないものであり、人と人が争ったり、憎しみ合う事がいかに愚かであるかという事も分ってきます。

もう二度と会えないかも知れない者同士が、お互いに争って罪を重ねるほど愚かな事はありません。

無常の中の「一期一会」の出会いだからこそ、お互いが真心を供え合い、親切を施し合っていかなければいけないのです。

それが、お大師様の言われる「相互供養、相互礼拝」です。

菩薩様が、
  人ごころ 己が心ではかるなよ
    みんな仏の います身なれば
 と詠っておられるように、どんな人の中にも仏性という光り輝く宝物があります。

たとえ、どんなにみすぼらしい姿をしていても、どのようなボロをまとっていても、心の奥底には、光り輝く仏性(仏となるべき本性)が宿っているのです。

だからこそ、外面だけを見てその人を判断したり、裁いたり、軽蔑したりするのではなく、人の世の無常を思い、「一期一会」ということを常に忘れず、お互いに仏性を拝み合っていかなければならないのです。

お互いに仏性を拝むことが出来れば、「相互供養、相互礼拝」の輪が広がり、身も心も清められ、自ずと平和な世の中になっていきます。

よく憎い相手を拝むのは難しいと言われるお方がおられますが、憎い相手を拝むのではなく、その人の中に眠っている、光り輝く仏性を拝ませて頂くのです。

眠っている仏性に一日も早く目覚めて頂けるよう、その救いを祈り、仏性を拝ませて頂くのです。

菩薩様の言われる「仇を拝み、因縁を拝め」というのが、まさにそれですが、その祈り(仏行)が誠であれば、やがて仏性が目を覚まし、拝み合える日が必ずきます。

もしまだ拝み合えなければ、まだ救いを祈る心が足りないのだと思わせて頂き、祈りの行を続けさせて頂けばよいのです。


森羅万象とも一期一会


一期一会は、人と人との出会いだけではありません。無常の中にある森羅万象すべてとも一期一会です。

今日という一日とも、生きとし生きるものすべてとも、一期一会です。今日のお天気とも、目に見える大自然のたたずまいとも、一期一会です。

いま見えている景色も、明日はもう見られないかも知れない一期一会の景色です。

昇る朝日とも、沈む夕陽とも、咲く花、散る花とも、行く雲、流れる水とも、移り変わりゆくあらゆる四季様々の有様とも、「一期一会」の出会いです。

沈む陽も 昇れば朝日また沈む
   一期一会の 道を教えて
 春秋は 桜もみじの晴れ姿
   人の心を うるおして散る

桜も、短い一生の中で、精いっぱい咲き誇り、桜吹雪となって散っていく際までも、美しい晴れ姿を見せてくれている一期一会の姿そのものと言っていいでしょう。

こうして花の姿を思い、花のいのちを思い、花の心を思うとき、たとえ人生は物質的に貧しくても、精神的に苦しくても、人世のために咲いて咲き甲斐、散って散り甲斐、生きて生き甲斐、死んで死に甲斐のある「一期一会」の人生としなければなりません。

生きがいは 己がためにぞあるでなし
   人のためこそ 生きる甲斐あり
 後の世を 思いて尽せ人の世に
   花のいのちを 知る人ならば
 人の身は 咲いて散るこそ桜花
   いのちあるうち いのちあるうち

合掌


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