桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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御衣替えの儀式


紀州高野山の龍光院というお寺に、お大師様が御入定(注1)なさった「御入定の間」と呼ばれるお部屋があります。お大師様は、承和2年3月21日、御年62歳にて、龍光院のこのお部屋で御入定され、その後、御法体は、弟子たちの手によって、奥の院の御廟所に移されました。

それから八十六年後の延喜21年、お大師様は、醍醐天皇の夢枕に立たれ、次のお歌を詠まれたと伝えられています。

 高野山 結ぶ庵に袖朽ちて
    苔の下にぞ ありあけの月

お大師様が苦しむ人々を救済するためご苦労しておられる事を知った醍醐天皇は、早速、勅使を高野山へ遣わされ、「弘法大師」の諡号(おくりな)と、新しい御衣を御下賜されました。

時の東寺長者で、高野山金剛峯寺の座主(ざす)であった観賢(かんげん)僧正が、御衣を頂き、御廟所の扉を開けて中に入ったところ、靄のようなものが立ち込め、お大師様のお姿を拝する事が出来ませんでした。そこで、一心に罪障を懺悔したところ靄も晴れ、お大師様の尊いお姿を拝ませて頂く事が出来たと伝えられていますが、そのお姿は、余りにも尊く、神々しいばかりであったに違いありません。

それ以来、紀州高野山では、観賢僧正がお大師様の御衣替えをされた故事にならい、お大師様が御入定なさった旧暦3月21日に合わせて、毎年、御衣替えの儀式が行われています。


お大師様御入定の御影


毎年御衣替えのお衣をお加持しているのが、観賢僧正が開かれた高野山の宝亀院(ほうきいん)というお寺ですが、或る時、菩薩様は本山のお方から、一枚の写真を頂かれました。それは、観賢僧正がご覧になったお大師様の御入定のお姿を描いた絵を写した写真でした。

僅か3センチ四方程の小さなモノクロ写真ですが、その絵は、誰の目にも触れる事のない本山の奥深くにお祀りされているとの事で、菩薩様は、いつも「この写真を見ると、お大師様のご苦労が偲ばれて、見るに耐えない」とおっしゃって、とても大切にされ、仏壇の奥深く閉っておられました。

菩薩様がそのお写真をご覧になったのは、恐らく一度か二度ではないかと思いますが、勿論、私達にも一切見せては下さいませんでした。

ところが、或る日、「良空、お前に一度だけ見せてあげよう」と言って、たった一度だけ見せて下さった事があります。

そのお写真には、頭髪や髭が長く伸びたお大師様の御入定のお姿が写っていましたが、そのお姿はまさに、観賢僧正が御入定から八十六年後に御廟所に入られ、ご覧になったであろうお大師様のお姿を彷彿とさせるものでした。

菩薩様が残された御法歌の中に、

 寒き夜は 高野の山の岩かげに
    ふとん着せたや 涙こぼるる

という法歌がありますが、この法歌をみれば、菩薩様が、何故「この写真だけは見られない」とおっしゃったのか、そのみ心がよく分ります。

しかし、その頃の私は、まだ信仰心も浅く、お大師様や菩薩様の事もよく分っていませんでしたので、「この写真だけは、余りにも勿体ないから見られない」とおっしゃっておられた菩薩様のみ心を悟る事は出来ませんでしたが、今になってようやく、菩薩様のみ心の深さが分ってきたような気がいたします。


宝亀院境内の井戸端にお祀りされていた御影


私が、そのお写真に写っている絵と同じ絵が、宝亀院にある事を知ったのは、菩薩様から、そのお写真を見せて頂いてから、随分後になってからの事でした。

はじめの内は「本山でもそれほど大切にされている絵なのだから、きっと、誰の目にも触れることのない宝亀院の建物の奥深くに、秘仏として大切にお祀りされているのだろう」と思っていました。

ところが、その尊いお大師様御入定の御影は、宝亀院の境内にある井戸端の小さな祠の中にお祀りされていたのです。境内にある井戸ですから、いつでも自由に入る事が出来ますし、誰でもその御影を見る事が出来るのは言うまでもありませんが、その尊い御影がお祀りされていたのは、井戸端という思いもよらぬ場所だったのです。

確かに、この井戸は、お大師様にお供えする御衣をお加持する井戸ですから、その事を考慮すれば、井戸端に御入定の御影がお祀りされていたとしても、何ら不思議ではありません。

しかし、御入定なさったお大師様のご苦労を何もご存じないお方ならいざ知らず、お大師様の御衣をお加持する大切なお役目を担い、お大師様を生き仏と仰ぐ高野山内の寺院が、そのような敬いのない事をされている事は、甚だ残念という他はありません。

ましてや、お大師様のお姿を目の当たりにされ、御廟所の扉を封印された観賢僧正の深いみ心を考えれば、お大師様の御入定のお姿を、誰の眼にも触れるような場所にお祀りする事が、いかに観賢僧正のみ心に反し、敬いのない行為であるかは、誰の眼にも明らかではないでしょうか。


入定大師は秘仏である


一般の人々は、「御入定の御影といっても、弘法大師が御入定しているお姿を描いた、ただの絵に過ぎないではないか」と言われるかも知れませんが、お大師様を生き仏とあおぎ、その御高徳を慕う者にとって、御入定の御影は、ただの絵ではなく、御入定しておられるお大師様そのものなのです。

世間でよく知られるお大師様の御影と言えば、右手に五鈷金剛杵を握って胸の前に持ち、左手に数珠を持って高座に座っておられるお姿(右の写真)ですが、このお姿は、お元気だった頃のお大師様のお姿であり、お大師様ご自身が、後の世に伝えられていく事を念頭に描かせられたものです。

しかし、御入定のお姿は、誰の目にも触れさせてはいけない、誰も彼もが見る事の出来ない秘仏なのです。たとえ、それが絵であったとしても、秘仏である事に変わりはありません。

お大師様が、その御誓願に、
  虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば
    わが願いも 尽きなん
 と詠っておられるように、御入定は、一切衆生を救済したいと願うお大師様が、苦しむ人々の救世主として末代までも生き続けるとの誓いを立てて臨まれた大行であり、そこには、お大師様にしか分らぬ深秘不可思議なお計らいが秘められているのです。

その事を誰よりも深く悟っておられたのが、他ならぬ、宝亀院を開かれた観賢僧正であります。だからこそ、延喜21年に御廟所に入られた後、扉を固く閉ざし、誰も入らぬよう、観賢僧正自ら封印なさったのです。


ふとん着せたや涙こぼるる


どのような経緯で、宝亀院の井戸端に御入定の御影がお祀りされるようになったのかは存じませんが、井戸端に御入定の御影が祀られているところから推察すれば、宝亀院の方々は、「御入定の御影は、ただの絵に過ぎない」と、簡単に考えているのかも知れません。

しかし、たとえそれが絵であったとしても、お大師様が御入定しておられる尊いお姿を描いた絵であれば、それを、誰の目にも触れる場所にお祀りしておく事は、観賢僧正が封印された御廟所の扉を開けるようなものであり、余りにもお大師様に対する敬いの心が欠如していると言わなければなりません。

しかも、残念な事は、それだけではありません。実は、その絵が、絵葉書として一般に売られていると言うのです。

この事実を知った時は、愕然として言葉を失いましたが、お大師様を生き仏と信じ、そのご苦労が分っていさえすれば、秘仏とも言うべき御入定の御影を絵葉書になどできる筈がありません。

敬いの心さえあれば、御入定の御影を井戸端にお祀りしたり、絵葉書にして売ることが、如何に観賢僧正のみ心に背き、そのご恩に仇なす事であるかは、すぐに分ります。どれだけに、観賢僧正の嘆きはいかばかりかと、心を痛めない訳にはいきません。


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(注1)御入定(ごにゅうじょう)とは、肉身なき後も、衆生救済の一念をこの世に留め、悩み苦しむ人々の救世主として生き続けること。

 

 

 

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