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十二月二十九日につくお餅は苦餅?福餅?


皆さんは、年末にお餅をつかれると思いますが、日本では、十二月二十九日に、お餅をつかない家が多いようです。九のつく日につくと、苦餅(九餅)と言って縁起が悪いからというのがその理由ですが、法徳寺では、毎年二十九日にお餅をつきます。

しかし、二十九日にお餅をついたからと言って災難に遇った事は一度もありませんし、二十九日についたお餅を食べて、腹をこわしたり、苦しくなった事もありません。

何故、人々が嫌がる十二月二十九日にお餅をつくのかと言えば、二十九日を、苦とは考えていないからです。読み方によっては、二十九を福(ふく)と読むことも出来ますが、本来二十九という数字には、苦の意味も福の意味もありません。ただ、私たちが勝手に二十九日についたお餅を、苦餅と見なして避けたり、福餅と見なしているに過ぎません。

人間には、自分にとって都合の良い事と悪い事を分ける分別心があります。

例えば、「これは幸せ。これは不幸せ」と言うように、幸と不幸を分別します。しかし、幸不幸というものは、決まったものではなく、見方、考え方によって、幸が不幸になったり、不幸が幸になったりするものです。

この事は、ものの見方、考え方を変えるだけで、全く違う世界が見えてくる事を意味します。

誰もがみんな、自分に都合の良い事と、都合の悪い事を分別して、都合の悪い事は全部避けて通ってゆくのですが、二十九を苦と見るか、福と見るかの違いによく現われているように、世の中には、同じ物事でも、見方、考え方を変える事によって、正反対の結果となる事が少なくありません。

ご存じのように、日本人は、四と九を嫌います。四は「死」を、九は「苦」を連想するからですが、二十九日を苦(九)として避ける論法でゆけば、二十四日も死(四)につながる日として避けなければならないでしょう。

しかし、二十四日は、昔からお地蔵さまのご縁日として、多くの人々の尊崇を集め、これほど有り難い日はないと言われている日なのです。

面白い事に、病院やデパートへ行きますと、四階と九階がなく、三階から五階へ跳び、八階から十階へ跳ぶようになっています。実際には四階も九階もあるのですが、四や九は、死や苦を連想して縁起が悪いからというので、四階を五階と呼び、九階を十階と呼ぶのです。

しかし、菩薩様は、

「四は三と五の架け橋。九は八と十の架け橋。四という架け橋がなければ三から五へは行けない。九がなかったら、八から十へは行けない。日本人はみんな、縁起が悪いと言って避けるけれど、四も九も必要だから、天地神明はこの数字を作っておられるのだ。だから、嫌だと言ってこれを避けても、幾ら逃げても、付いて来るものはどこまでも付いてくる。では、どうすればいいのか。縁起が悪いと思っているものを、悟りによって福に変えてゆけばいいのだ」

とおっしゃっておられました。


九に対する日本人と中国人の考え方の違い


お大師様が御入定しておられる紀州高野山の奥の院に、玉川と言う川が流れており、その上に橋が架かっています。

お大師様の御廟へお参りする時に必ず渡る橋で、菩薩様は「彼岸橋」と名付けておられましたが、紀州高野山では、「無明橋」と呼ばれています。

無明(むみょう)とは、迷いという意味ですが、「無明橋」と名付けられた迷いの橋を渡らなければ、お大師様の御廟へはお参り出来ないのです。

しかし、幾らお大師様の御廟へお参りする為とは言え、「迷い橋」を渡るのは、誰でも嫌なものです。喜んで「迷い橋」を渡る人など、一人もいないでしょう。

しかし、この「無明橋」を渡らなければ、お大師様の御廟へはお参り出来ないのです。「無明橋」が架かる川の手前が此岸で、お大師様の御廟がある川の向こうが彼岸(極楽浄土)ですが、お大師様のおられる彼岸へ渡る為には、「迷い橋」であろうが、「無明橋」であろうが、渡らなければ行けないのです。いくら嫌だと言っても、避けて通ることは出来ないのです。

ではどうすればいいか。答えは簡単です。

この無明(迷い)を、迷いのままにしておくのではなく、悟りに変えてゆけばいいだけの事です。

「無明橋」は嫌だと言って、避けたり逃げたりせず、「無明橋」(迷い)を悟りによって、「彼岸橋」に変えてゆくのです。

「無明橋」を「彼岸橋」に変えるには、仏法(悟り)に頼る以外にありませんが、悟ることによって、幾らでも、災い転じて福としてゆけるのです。

しかし、人間というものは、迷いを悟りに変えないで、ものごとの善悪を分別し、嫌な事は避け、自分にとって都合の良いものだけを、手に入れようとする為、いつまでたっても、幸と不幸の間を右往左往しなければならないのです。

四や九を避けたり、苦餅と言って二十九日にお餅をつくのを避けるのが、その良い例ですが、日本では苦につながるからという理由で嫌われている九が、風水の盛んな中国では縁起の良い最高の数字とされているのを、ご存じでしょうか。

九は、一から始まる数字の最後の数字で、無限につながるという事で、陰陽思想の盛んな中国では、陽(奇数)の極まった最高の数字と考えられ、特に九を苦と見る日本人から見れば、九(苦)が二つも重なった不吉な日となる九月九日が、中国では、「重陽(ちょうよう)」と呼ばれて、九(陽)が二つも重なる非常に縁起の良い日とされているのです。

また五重塔や三重塔や多宝塔の屋根の最上部には、九つの輪が積み重なった細長い九輪(相輪)が立っていますが、輪が九つあるのは、九が陽(奇数)の極数で、無限につながる数字だからです。


災い転じて福と為す道


同じ九を、日本人は苦と見て避け、中国人は無限につながる縁起の良い数字と見て好んで用いるのは、それぞれのお国柄や思想信条の違いを反映していて、中々興味深いものがありますが、これは、ものの見方、考え方を変えれば、幾らでも災いを転じて福に変えていける良き見本と言えましょう。

世間には、四や九に対する考え方を根底から変えるよりも、都合の悪い事は避けて通ればよいと考えて生きている人もいますが、昔から「災い転じて福と為す」と言われるように、どのような災難であっても、考え方を変えれば、福に変えてゆく事が出来るのです。

しかし、見方、考え方を根底から変えなければ、災難は災難のままで何も変わらず、「災い転じて福と為す」ことは出来ません。

それは、四や九という数字だけに留まらず、例えば、未曾有の大災害をもたらした東日本大震災にもそのまま当てはまるのではないかと思います。

東日本大震災によって壊滅的な被害を受けた被災地では、いま様々な復興事業が計画され、復興に向けた作業が進められていますが、東京電力福島第一原子力発電所では、いまも予断を許さぬ状況が続いており、被災地の皆さんの苦難は想像を絶するばかりか、電力不足による節電の義務化も始まり、多くの人々が不便な生活を強いられています。

しかし、この大震災や原発事故を、ただ私たちに災難や不便をもたらす疫病神と見るだけでは、その真相は見えてきません。

「人間万事塞翁が馬」(注1)という諺があるように、人間の一生というものは、何が幸せになり、何が不幸になるか分らないのです。

苦しみも災難も禍も、最初からそうと決まっている訳ではなく、見方、考え方一つで、どの様にも変えてゆく事が出来るのですから、いついかなる時も、「災い転じて福と為す」悟りの智慧を磨く努力を忘れてはならないと思います。


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(注1)中国辺境の要塞に一人の老人(塞翁)が住んでいて、ある時、老人の馬が逃げてしまったので人々はその不幸を嘆いたが、やがてその馬がもう一頭の優れた馬を連れて戻ってきたので、人々は幸運を祝福した。ところが老人の子供がその馬から落ちて大怪我をしたので、再び不幸を嘆いた。ところが、中国で戦争が始まり、大怪我をしたお陰で、若者たちの殆どが戦死したのに、老人の子供は兵役を免れて死なずに済んだという故事。
人生というものは、何が幸福となり、何が不幸になるか分らないから、むやみに喜んだり悲しんだりしてはいけないという戒め。

 

 

 

 

 

 

 

 


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