桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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あれこれと 変えることよりわが心

変わることをば 変えるとぞいう



悟りなき教えに迷う人々


以前、「法嗣様、今年は八方塞がり(注1)だと言われ、何も出来なくて困っているんです。どうしたらいいでしょうか」と言って、ご相談に来られた方がおられます。

「八方塞がりなんて誰に言われたのですか」と聞くと、「お伺いを立てて下さる方がいて、そこへ行ったらそう言われたんです」と言われるので、「では今年は何もしないのですか」と尋ねると、「それで困っているんです」とおっしゃっておられましたが、世の中には、このような事を言われて迷っている方が大勢います。

菩薩様は、

「家相が悪いから家の位置を変えた。流しが悪いから流しの位置を変えた。井戸の位置が悪いから井戸を埋めなさいと言われて、井戸を埋めたと言う人もいるんです。長い間ご厄介になって来た井戸を、まだ水がどんどんと湧いているのに、それを埋めてしまった訳です。そういう敬いを知らない事をするんです。拝み屋さんか霊感者か知りませんが、お伺いを立てて貰ったら、何々が悪いからこうなるんだよと言われたので、言われた通りにしたけど、少しもよくならないと言って、駆け込んでくるんです。そうして益々不幸せな泥沼へ入って行くんです」

とおっしゃって嘆いておられますが、ご相談に来られる方々を見ていていつも思うのは、人間とは、迷えばとことん迷う生きものだという事です。

どんな苦しみでも不幸せでも、災難でも八方塞がりでも、悟りに変える事によって、幾らでも幸せになってゆけるし、道も開けてゆくのですが、悟りのない教えや霊感によって、益々迷いを深め、人生の泥沼に入ってゆくのが、仏法を知らない人々の哀れな姿であり、悲しい現実と言えましょう。
  さとりなき 人の霊感はからいは
    衆生も己れも 破滅にみちびく


八方塞がりは発心せよの親心


よく「人間が不幸になるのは運命だから仕方がないのだ。そういう悪い星の下に生まれたと諦めるしかないのだ」と言うお方がいますが、み仏の教え(仏法)に、運命などというものはありません。

み仏が説いておられるのは、縁起であり、因(原因)と縁(条件)によって結果が生じ、現在があるのですから、良い因を積み、良い縁を引き寄せれば、幾らでも人生は好転してゆくのです。

人生は、すでに決まっている運命的なものでは決してなく、自分の思い方ひとつ、行いひとつで、どんどん幸せになってゆけるのですが、その為には、どうしても仏法による導きを頂かねばなりません。

菩薩様は、八方塞がりについて、「仮に八方塞がりというものがあっても、天(上)と地(下)はいつも開いている」とおっしゃっておられますが、天地とは、神仏の事で、神仏の救いの門はいつも開いていて、一度も閉ざされた事がありません。

ですから、仮に八方が塞がっていても、神仏の救いの門は閉ざされた事がなく、その門に救いを求めればいいのですが、仏法(お悟り)の導きがないと、中々そこへ心が向いてゆかないのです。

その為に、八方塞がりだと言われたら、「もう駄目だ。今年は何も出来ない」と言って、ひとりで悩み、駆け込んでくるのですが、残念なのは、誰もがみな、八方塞がりだといわれたら、そこで止まってしまい、その先にある信仰(神仏)の門に救いを求めない事です。

神仏の救いの門は、全ての人々に開かれた普き門、つまり普門であり、八方塞がりなど恐れるに足りない最強の門であるにも拘らずです。

紀州高野山へ行かれた事のある方はご存知でしょうが、お大師様の御廟がある奥の院には門がありません。門がないのは、すべての方に開かれている普門だからです。

苦しい時は、時と場所を選びません。しかし、門があれが、そこで閉ざしてしまい、苦しむ人々をそこで拒絶する事になります。

しかし、お大師様は、「心配いりませんよ。苦しかったら、いつでも、どこからでも飛んで来なさい。私はいつでも、誰でも、分け隔てなく受け入れ、救いのみ手を差し延べていますからね」と言って、苦しむ全ての人々を待っていて下さるのです。

高野山法徳寺の菩薩様の御廟にも、勿論、門はありません。苦しいときは、いつでもそのお膝元まで迎えて下さいます。

大切な事は、いかなる時でも、お大師様、菩薩様に心を通わせ、仏法のみ光に触れる事であり、そうすれば、どんなに苦しくても、辛くても、悲しくても、迷いの中にいても、その苦しみや辛さや悲しみや迷いを、悟りに変えてゆく事が出来るのです。


五人の僧侶の解答


今年(平成23年)3月1日の午後7時過ぎ、たまたまテレビをつけたところ、TBS系列のテレビ局で、コメディアンの島田紳助さんが司会するバラエティ番組を放送していました。

『お坊さんがズバリ解決・紳助の駆け込み寺!』という番組で、出演者が、様々な悩みをかかえる視聴者からの相談に答えるという内容でしたが、出演者の中に5人の僧侶の方がいたので、興味を持って見ていました。

5人の僧侶は、熱血和尚、やんちゃ和尚、おねぇ和尚、東大卒和尚、癒し系僧侶(尼僧)と名付けられていましたが、私が見た時は、一人の女性からの相談でした。

相談の内容は、「小さい頃から、周囲のみんなに、ブスだ、ブスだと言われ、自分の容貌に劣等感を抱きながら生きてきました。男性から声をかけられた事も、ラブレターをもらった事もなく、今までさびしい人生を送ってきたので、この際思い切って整形手術をして生まれ変わりたいのです。そうすれば今までの人生が変わるのではないかと思い、整形手術をした方がいいかどうかのご相談に来ました」と言うものでした。

勿論、相談者のお顔も姿も映りませんので、どんなお顔をしているのか、どんな姿形をしているのか分かりませんでしたが、番組では、まず出演しているタレント全員が、今のままでいいというA解答と、整形手術をした方がいいというB解答のどちらかの席に分かれ、その後、司会の島田紳助さんが、A解答とB解答を選んだタレントたちに、その解答を選んだ理由を聞き、最後にいよいよ5人の僧侶が意見を述べる事になったのですが、この時は、5人の内、今のままでいいというA解答を選んだ僧侶が4人、整形手術をした方がいいというB解答を選んだ僧侶が1人でした。

整形手術をした方がいいというB解答を選んだのは、オカマの僧侶でしたが、五人の解答を聞いていてふと思ったのは、「私だったら何と解答しただろうか」という事です。


私の解答


この女性は今まで、みんなから「ブスだ。ブスだ」と言われて、劣等感にさいなまれて生きて来ました。年頃になって、恋愛もしたいし、家庭も持ちたい。しかし、まだ一度も男性から声をかけられた事がない。そこで、思い切って整形手術をして生まれ変わりたいと決意したものの、自分ひとりでは、どうしても決断出来ないため、相談に来られたのですが、この女性の立場にたてば、整形手術をして生まれ変わりたいと思う切実な気持ちは、分らないでもありません。

しかし、相談の結果は、今のままでいいという意見と、整形手術をした方がいいという意見に分かれ、結局、この女性は再び、自分ひとりでどちらかに決めなければいけないという、相談前と同じ状況に立たされたのです。

5人の僧侶の解答を聞いていて思ったのは、この方たちもまた、「八方塞がりだから、今年は何もしてはいけません」と言って、人の心を惑わす人々と何も変わらないという事です。

この女性にとって何が一番問題なのかと言えば、容姿が美しくない事でも、男性から声をかけられた経験がない事でもなく、自分ひとりでは、自分の進むべき道が決断出来ない事です。だからこそ、相談に来られたのでしょうが、自分で判断できないという事は、自分の判断に自信がないという事です。

何故自信がないのかと言えば、まだ自分の色を見つける事が出来ていないからです。

ここにいう自分の色とは、自分だけが持っている色、つまり、他の誰もが真似の出来ない、その女性だけが持っている光り輝くものの事で、その女性の本当の姿と言ってもいいでしょうが、この女性はまだ、自分の本当の姿を見つけられずにいるのです。

勿論、自分本来の姿を見つけられずにいる今の状態のままでよいとは思いませんし、良い筈がありません。この女性は、何としても今の状況から抜け出さなければなりません。ですから、「今のままでよい」というA解答には、賛成出来ないのです。

では、今の状況を変える為に整形手術をした方がいいのでしょうか。

仮に手術をしたとしても、成功するという保証はどこにもありませんし、明日の事など誰にも分かりません。成功すればいいのですが、仮に失敗したとすれば、この女性は、きっと整形手術などしなければよかったと、後悔するでしょう。

場合によっては、整形手術をした方がいいというB解答を選んだタレントや尼僧さんを恨むかも知れません。そうなれば、この女性は、幸せになるどころか、益々不幸の泥沼に沈んでゆく事になります。

ですから、手術が必ず成功するという保証がない以上、整形手術をした方がいいというB解答にも賛成出来ないのです。


女性が進むべき道


ではこの女性は、どうすればよいのでしょうか。

この方が真っ先にしなければいけない事は、整形手術をした方がよいのか、今のままで居た方がよいのかの判断ではなく、自分だけが持っている色(本当の姿)を見つける事です。

皆さんは、前方に進むべき道が二つあり、右へ行くべきか、左へ行くべきか、迷ったら、どうなさいますか。

この女性は、「今のままで居たほうがよい」という道と、「整形手術をした方がよい」という道を前にして、自分ひとりでは決断出来ないため、テレビに出て解答してもらおうとしたのです。

ところが、返ってきた答えは、「今のままでいい」という意見と、「整形手術をした方がいい」という意見に分かれ、再び振り出しに戻ってしまったのです。

ある僧侶は、「右の道を行きなさい」といい、別の尼僧は「左の道を行きなさい」と言っているのですから、この女性は、自分の進むべき道が益々分からなくなったのではないでしょうか。

いつもお話ししているように、このような場合、先ずしなければいけない事は、右へ行くべきか、左へ行くべきかの判断ではなく、自分自身が背負っている因縁を解いて、自分の本当の姿に目覚める事です。

それが、自分だけの色を見つけるという意味ですが、自分の色を見つけるには、人生を生きていく上で、自分が信じられる心の依りどころを持つ以外にはありません。

私は、この世の中で心の依りどころとなり得るものは仏法しかないと思っていますが、心の依りどころを他に求められるお方もいるでしょう。

いずれにしても、大切な事は、先ず心の依りどころとなるものを見つける事であり、それを見つけられない内は、自分の色を見つける事も出来ず、結局、今のままで居ても、整形手術をしても、この女性の今の状況は、何も変わらないでしょう。

心の依りどころとなるもの、自分が信じ切れるものを見つけることが出来れば、他人に判断を仰がなくても、自分で答えが出せるようになり、どの道を選んでも、自分にとって一番良い結果が出るようになりますが、自分の色を見つけられないうちは、他人の意見に右往左往するだけで、どちらの道を選んでも、救われないでしょう。

自分で判断できず、答えが出せないという事は、まだ自分の色が見つかっていない証拠であり、その状態で他人に判断を仰いでも、結局最後は、再び自分で判断しなければならなくなり、堂々巡りを繰り返すだけです。

ですから、この女性がいま為すべきことは、A解答の中にもB解答の中にもないという事になりますが、僧侶が5人も揃っているのに、ただ「今のままでいた方が良い」と言い、「整形手術をした方がよい」と言うだけでは、「八方塞がりだから何もしてはいけません」という無責任な拝み屋さんと少しも変わりありません。
  外面(そとづら)を 変えて人生変わるなら
    この世に苦しむ 人なきものを


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(注1)どの方角にも障害があって、手の打ちようがないこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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