桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
桜紋の扉 法徳寺の扉 御祈願の扉 汗露水の扉 御法歌 法話の扉 帰郷の扉 升紋の扉
御法歌とは御法歌の栞聖歌集夢殿の歌碑歌碑の御奉納

聖 歌 集

─心を癒す法の歌声─



聖歌集に収められた御法歌の数々は、お大師様の御高徳を仰ぎ、御生涯を衆生済度ひとすじに捧げられ、平成の生き仏となられた普門法舟大菩薩様(菩薩様)が、一人でも多くの人々の菩提心を覚醒させたいとの一念から、老若男女のへだてなく、誰もが、いつでも、どこでも歌えるようにと作られたものです。

御法歌は、いかなる汚泥にも染まらず染められずに咲く清らかな蓮華のように、苦しむ人々の罪穢れを代って背負う代苦者として、人生のあらゆる苦難の中を生きぬかれた菩薩様の魂の奥底から涌き出た清らかな仏性の息吹そのものですから、その息吹に触れる人々はみな魂を清められ、知らず知らずのうちに、感涙がこみあげてくるのであります。

御法歌は、その一文字一文字が生き仏となられた菩薩様の大慈大悲の御説法であり、その美しい旋律はみ仏が奏でる極楽の調べそのものと申せましょう。

それゆえ、お大師様、菩薩様の救済を深く信じ、敬い、心を一つにして御法歌を歌わせていただくならば、生き仏さまの限りなき慈悲心と、大いなる智慧の光明に照らされて、安らぎと歓びあふれる人生を開かせていただくことが出来るのであります。

「歌は世につれ世は歌につれ」と申しますが、御法歌は、この世に苦しむ人々がいる限り、衆生とともに生きつづけ、末代までも歌い継がれてゆくことでしょう。

どうか、御法歌(聖歌)を通して、お大師様、菩薩様の広大無辺なる御高徳に触れられ、苦しみ多き人生に救いの光明を見出されますことを、心より御祈念申し上げます。

歌え人 歌えば福も来たるなり
   天にとどけと 声高らかに



著作権について


聖歌集に収められた御法歌の著作権は、すべて高野山法徳寺にあります。
 しかし、心を病んでいる人に是非聞かせてあげたい、苦しむ人々の為に活用したいと考えておられるお方は、個人、団体を問わず、自由にダウンロードしてご活用下さって構いません。ご連絡は任意ですが、ご一報いただければ幸いです。
 多くの悩み苦しむ方々のお役に立てる事を願っています。
 なお御法歌は、苦しむ人々の救済の為に作られた聖歌ですので、営利目的につながる商用利用はご遠慮下さい。もし商用か個人利用か分らない場合は、お気軽にお問合せ下さい。



大悲の御祖(弘法大師讃歌)

作曲 大西良空

紀州高野山をはじめ、お大師様とご縁の深い霊場や足跡を辿らせて頂きますと、そのご苦労がひしひしと伝わってまいります。
 どこへ行っても、「お大師様、お大師様」と言って、悩める多くの人々がお大師様の足跡を巡拝する姿を目の当たりにしますが、さすがお大師様の御高徳の御光は広大無辺であり、まことに偉大と言わざるを得ません。
 高野山に、そして各地の霊場にと、救いを求める人々の姿が絶えないのは、お大師様が苦しむ人々の声に応えて、救済の利益を施していて下さるからであり、お大師様の救済の御光が、私たちの身の上に感化して、働いていて下さるからに他なりません。
 御法歌「大悲の御祖(みおや)」は、生き仏として今もなお苦しむ衆生と共に生きつづけ、大悲の大御祖(おおみおや)として救いの御手を差しのべていてくださるお大師様のご苦労を偲びつつ、その広大無辺なる御高徳をたたえた弘法大師讃歌です。


 


慈悲の海(法舟菩薩讃歌)

作曲 大西良空

御法歌「慈悲の海」は、悩み苦しむ人々の代苦者として、衆生救済に生涯をささげられ、お大師様と不二一体の生き仏となられた普門法舟大菩薩様の御高徳をたたえる菩薩讃歌です。
 母親の慈愛のふところに抱かれた幼子が怖れを知らぬように、菩薩様の救いの御手にいだかれた者は、いかなる生死の荒波にもまれようと、母の子守唄を聞いているかの如き安らぎを覚えながら、人生の荒波を乗り越えさせて頂く事が出来るのです。
 「慈悲の海」はまさに、救いの法舟(のりぶね)を頼む人々の心を癒し、慰め、安らぎを与え給う菩薩様の慈悲の子守唄と申せましょう。


 


大師のすくい

作詞・作曲 普門法舟

御法歌「大師のすくい」は、生き仏として今も紀州高野山に生きつづけ、苦しむ人々に救いの御手を差しのべていて下さるお大師様の御高徳を讃え、その偉大さを歌った聖歌ですが、この歌には、誕生にまつわる逸話があります。

昭和51年(1975年)10月17日、法舟菩薩様は、お計らいにより、人々の苦しみを代って受ける厳しい代受苦行に入られました。

17日目の11月2日未明、霊夢にて、お大師様より「37日間の旅だから」とのお告げがあり、その示現通り、37日目の11月23日、37日間の代受苦行を結願されました。

一週間後の11月30日未明、菩薩様は、お姿は見えないけれど、天より朗々と響くような声で、誰かが「われは、ひのつきのみの命なり」と語りかける夢をご覧になられました。

夢から目覚めると、メロディが浮かんできたので、一気呵成に書き上げられたのが、この「大師のすくい」です。

5ヶ月余りかけても出来なかった曲が、僅か30分ほどで完成したのですから、まさに夢に見た「ひのつきのみの命」より授けられた歌と言ってもいいかも知れません。

翌12月1日、菩薩様は再び、茶色の帽子を被り、頬がくぼみ、目にかぶさるほど長い眉毛と短いあごひげをはやしたお爺さんが、藁がうず高く積んである広い田んぼの道端に座っている夢を、ご覧になられました。

天より、クラッシック歌手が唄うような、朗々と響き渡る澄み通った声で、前日完成したばかりの「大師のすくい」を唄う声が聞えてきたので、「あの素晴らしい声で唄っているのはどなたですか?」と尋ねると、お爺さんが、「あれは、ひのつきのみの命です」と答えたので、「あんなに美しい声は今まで聞いた事がありません」と言うと、「声の綺麗な人は、心が綺麗だから」と言われたそうです。

「では私も唄います」と言って唄っているところで、夢から目覚められましたが、今にして思えば、灼熱の汗を流された37日間の代受苦行は、この聖歌を授けられる為に、どうしても耐え抜かねばならない試練の行だったのかも知れません。

この歌を聞かれたお方が、心を洗われ、救われていかれるのは、尊い代受苦行のご苦労によって授けられた乾坤の一曲であるからに相違ありません。

この歌を授けて下さった「ひのつきのみの命」と名乗るお方がどんな神様なのか、今まで一度も聞いた事のない名前の神様なのでよく分りませんが、聞かせて頂き、唄わせて頂く度に、お大師様、菩薩様のご苦労が偲ばれ、目頭が熱くなります。


1、忘るなよ 高野の山に照る月は(注1)
   衆生を照らす 衆生を照らす 光なりけり ありがたや
 2、いつの世も 宗教人種のへだてなく
   大師のすくい 大師のすくい まことなりけり ありがたや
 3、高野山 四国ばかりか人の世を
   照らす大師の 照らす大師の 救いの御足跡 ありがたや
 4、気高きは 蓮台のすがた高野山
   仰ぐ高峯は 仰ぐ高峯は 世界を照らす ありがたや
 5、極楽に 衆生を渡すかけ橋は
   高野の奥の 高野の奥の あの彼岸橋 ありがたや
 6、南無大師 遍照金剛唱うれば
   往くも帰るも 往くも帰るも 大師の御手に ありがたや
 7、香煙の 絶ゆる間もなし高野山
   これぞ大師の これぞ大師の 法のともし火 ありがたや


 


遍照金剛は世を照らす

作詞・作曲 普門法舟

御法歌「遍照金剛は世を照らす」にも歌われておりますように、お大師様は、今も紀州高野山奥の院に御法身を留め、日本のみならず世界中を隈なく照らし、苦しむ人々に絶ゆる間もなく救いの御手をさしのべていて下さるのであります。


1、勅使下向は 高野山 大師の高徳 称賛られ
   御衣諡号を 御下賜るる 遍照金剛は 世を照らす
 2、菩薩の行を 教えられ 広く法輪 残された
   教化救済 大師さま 遍照金剛は 世を照らす
 3、相互供養に 相互礼拝 同行二人の 信心は
   お大師さまの 教えなり 遍照金剛は 世を照らす
 4、説法加持は 大師さま 即身成仏 示された
   教えはこの世の 光なり 遍照金剛は 世を照らす
 5、御年六十二才にて 入定なされし 大師さま
   大悲の光は 絶えやせぬ 遍照金剛は 世を照らす
 6、高野の奥に 身を留め 苦しむ衆生を 済度する
   生きたこの世の 大師さま 遍照金剛は 世を照らす
 7、お大師さまの 足跡に 徳と法の 花が咲く
   光り輝く高野山 光り輝く高野山 遍照金剛は 世を照らす
   南無大師遍照尊 南無大師遍照尊
   南無大師遍照尊 南無大師遍照尊


 


大師頼みの遍路笠

作詞・作曲 普門法舟

御法歌「大師頼みの遍路笠」は、お大師様の救済をたのみ、四国霊場をめぐる遍路行者と、人生の苦難を越えてゆく人々のありさまを、遍路笠にたとえて詩ったものであります。
 「詩」の中の「同行二人(どうぎょうににん)」とは、お大師様と共に、人と共にということです。当然、親子、夫婦みな「同行二人」であります。「上り下り」とは、修行の山坂もあれば心の難所もあり、九十九折れも八十八所の霊場巡りも、そのままが人生の山坂であり、菩提への道しるべと申せましょう。


1、悩み苦しむ 人の世に 大師のすくい たのみつつ
   四国札所を 巡りゆく 金剛杖の 遍路笠
 2、雨の降る日も 風の日も 難行苦行 あればこそ
   前生の罪を 果すなり 霊場巡る 遍路笠
 3、上り下りの 山坂も 苦あり楽ある 人生も
   同行二人で 越えてゆく 大師たのみの 遍路笠
 4、鈴鐘を鳴らして 霊場を たのむ心で 納札
   現世来世の 極楽を 祈る白衣の 遍路笠
 5、峠 七坂 九十九折れ 辛い苦しい 人生も
   大師たのみて 越えてゆく 上り下りの 遍路笠
 6、阿波を発ったら 土佐の国 巡る修行で 伊予に入る
   やがて讃岐も 近くなる 頑張れ頑張れ 遍路笠
 7、八十八所の 霊場を 巡り巡りて 結願寺
   欲な心も 笈摺に 添えて納める 遍路笠
   欲な心も 笈摺に 添えて納める 結願寺



 


無常教える花仏

作詞・作曲 普門法舟

御法歌「無常教える花仏」は、散る際までも人々の目を楽しませ、この世の無常を教えながら、満開を盛りと散ってゆく桜の花にたくして、身も心も衆生済度ひとすじにささげられ、限りなき御高徳を成就なさった菩薩様の御生涯を歌われたものであります。
これぞ、浮世の人々に「明日なきわが身の無常を知りなさい。限りあるいのちを世のため人のために精いっぱい生きぬいてください」と語りかける菩薩様の大慈大悲の御説法と申せましょう。


1、どこから来るか 桜の花は 春の縁で 咲くという
   裸で生まれて 裸で帰る 無常教える花吹雪 花吹雪
 2、わが身忘れて 人世のために いのち限りに 咲く桜
   桜吹雪で 散るときさえも 晴れの姿を見せて散る 見せて散る
 3、いのち短き 桜の花も 可愛い笑顔に 薄化粧
   晴れの振袖 人世に見せて 咲けと教える花仏 花仏
 4、花は散っても青葉の桜 春夏秋冬の 様見よと
   夏の日差しを 盛りと生きて  秋に無常の 風に散る 風に散る



 


救済和讃

作詞・作曲 普門法舟

御法歌「救済和讃」は、文字どおり地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上という六道(注2)の苦界をさまよう人々が、お大師様、菩薩様の慈悲の法舟(のりぶね)に乗せられて、三途の荒波を乗り越え、彼岸の故郷へ帰るまでの救いの道のりを、順々にわかりやすく説かれたものです。


1、帰命頂礼 遍照尊 南無や大悲の 遍照尊
   無常の中で 人はみな 前生の罪業を 背中に負い
 2、流転生死の 橋渡り 八十年と するならば
   何年渡って 来たのやら 何年何して 来たのやら
 3、日々に暮れゆく 人の身に 無常の風が 吹きすさぶ
   徳のかけらも 残さずに 欲しい惜しいで 罪業つくり
 4、六道輪廻(注2)の 輪の端を まわりまわって 尽きはせぬ
   地獄へゆくか 極楽か それとも餓鬼か 畜生か
 5、この世の業が 岐れ道 万苦が尽きる 地獄道
   欲しい惜しいが 餓鬼の道 わが身ばかりが 畜生道
 6、これが三途の 道ならば 救いの道は ほとけ道
   人よ急げよ 法(のり)ぶねに 彼岸へ通う 法ぶねに
 7、乗れば迷いの 雲晴れて 三途の川も 越えてゆく
   櫓櫂(ろかい)の音も 安らかに 往くも帰るも 弥陀の中
 8、やがて彼岸へ 着くころは 心に蓮華も 開くなり
   あーありがたや ありがたや 法の救いは ありがたや
 9、高野(たかの)の山は 法の山 かなわぬ時は ただ頼め
   法の救いを ただ頼め 宿世の罪業は 重くとも
 10、一心帰命(いっしんきみょう)の その暁は 救い給える 遍照尊
   南無南無南無は 遍照尊 南無南無南無は 遍照尊


    


人生かぞえ歌

作詞 普門法舟
作曲 大西良空

御法歌「人生かぞえ歌」にも歌われているように、徳施(ほどこし)の種を蒔かずしては決して幸せの芽は出ません。世のため人のために生き、使命に生きてこそ、花も咲けば実にもなるのです。私たちは、幸せであってもなくても、とにかく世の中のお役に立たせていただくことが人の心の誠(真心)というものであり、それがまた徳の目方となって、後の世までもわが身を照らすのであります。


1、一つはエー
   人と生まれて 世のために 尽くす誠は己がため 己がため
 2、二つはエー
   不足ごころが 起きたなら 己が心の不足知れ 不足知れ
 3、三つはエー
   未来の極楽 願うなら 善根功徳を忘るなよ 忘るなよ
 4、四つはエー
   欲は苦の因 悔の元 欲でほろぼす身と心 身と心
 5、五つはエー
   怒りねたみで 日を暮らしゃ やがていのちの時間切れ 時間切れ
 6、六つはエー
   無病息災 願うなら 心浄める法を聞け 法を聞け
 7、七つはエー
   悩み苦しみ いただいて 前世に造りし罪業果たす 罪業果たす
 8、八つはエー
   山程財宝を 積んだとて 死出の難所はただ独り ただ独り
 9、九つはエー
   弘法大師は 世を照らす 照らす光は徳の種 徳の種
 10、十はエー
   徳を残して 往く人は 生きる身なくてもみな仏 みな仏
 11、もう一つはエー
   苦労すりゃこそ 人となる 苦労菩提の道しるべ 道しるべ
 12、もう一つはエー
   無常さとりし 人ならば 生きる身そのまま仏なり 仏なり
 13、納めはエー
   南無や普門の 大菩薩 徳と仏法で守り給う 守り給う


 


極楽浄土へありがたや(同行二人講・講歌)

作詞・作曲 普門法舟

同行二人講とは、仏法を根本として、お大師様、菩薩様がお示しになられた「人みなこの身このまま仏になれる」という「即身成仏」と、「相互供養、相互礼拝、同行二人」の教えを、自己の生活の中に生かし、実践してゆくことを目的とする人々(御同行)の集いであり、法縁の輪であります。
 人間誰でも、人を忘れ、菩提心を忘れていては、何年信仰をしていても、決してしあわせを得(う)ることは出来ません。人を思い、人を忘れぬ「同行二人」、この教えの中にこそ、人間が求める真(まこと)のしあわせがあるのです。

1、春と秋には 霊場へ 揃い白衣の バスの旅
   法の光に みちびかれ 御詠歌となえて 遍照尊
   あーありがたや ありがたや 極楽浄土へ ありがたや
   南無や同行二人講 南無や同行二人講
 2、人を忘れぬ 同行は これぞ発心 菩提心
   重き罪業(つみ)をも 巡拝で 共に果たせる うれしさよ
   あーありがたや ありがたや 極楽浄土へ ありがたや
   南無や同行二人講 南無や同行二人講
 3、親も子も孫 人はみな 同行二人で あるならば
   家も栄えて 福来たる 遍照金剛は 人照らす
   あーありがたや ありがたや 極楽浄土へ ありがたや
   南無や同行二人講 南無や同行二人講
   極楽浄土へ ありがたや
   南無や同行二人講 南無や同行二人講


 


往くも帰るも弥陀の中

作詞 普門法舟・大西良空
作曲 大西良空

御法歌「往くも帰るも弥陀の中」は、わが魂の出所を知り、使命に目覚めたすべての夫婦、親子、兄弟姉妹、親族、友人、そして法縁の人々(御同行)が、み仏と共に生きる幸せを噛みしめながら、み仏に導かれて魂のふるさとへ帰る悦びを歌に綴ったものです。

1、この世に生まれて 来たけれど
   やがてあの世へ 旅支度
   徳施(とくせ))のみやげを 山と積み 
   往くも帰るも 弥陀の中
 2、苦しみあれども み仏の 
   慈悲の御手にと 抱かれて
   三途の川瀬も 夢ごこち 
   往くも帰るも 弥陀の中
 3、生きる身なくとも 徳残し
   法(のり)のふねにと 乗せられて
   彼岸へ渡りし わが夫(つま)は 
   往くも帰るも 弥陀の中
 4、深き仏縁を いただいて 
   同行(とも)と手を取り 菩薩行
   使命にささげし 人はみな 
   往くも帰るも 弥陀の中



 


真心の水仙(はな)

作詞・作曲 大西良空

御法歌「真心の水仙(はな)」は、人生のあらゆる苦難に見舞われながら、お大師様、菩薩様の大慈大悲のお導きによって真心(菩提心、慈悲心)を成就され、魂のふるさと「宗教成合の郷・高野山法徳寺」へ帰られた高知県室戸市の御同行0さんの尊い体験を基に、人として忘れてはならない真心(菩提心、慈悲心)の尊さと、み仏(お大師様、菩薩様)を信じ切る事の大切さを歌ったものです。

1、苦しみ悲しみ超えて み仏(おや)の待つ故郷へ
   溢れる涙をぬぐい 同行(とも)と帰らん
   救われし夫(ひと)の面影 偲びつつ祈らん
   み仏に捧げたてまつる 真心の水仙(はな)
 2、幾たびも苦難の峰を 越えて来たけれど
   あの道この山坂も 救いの御足跡(みあと)
   今はただ両の手合わせ 拝み参らん
   み仏に捧げたてまつる 真心の水仙
 3、年月(としつき)の流れは遠く 去りゆくけれど
   頬を流れる涙 渇く間(ま)もなし
   耐えるより耐えてこそ知る 慈悲の深さよ
   み仏に捧げたてまつる 真心の水仙
 4、人の世の闇路を照らす 法(のり)のみ仏(おや)に
   深き宿世の縁(えにし) いただくからは
   いつの日も誓いを胸に 真心を尽くさん
   み仏に捧げたてまつる 真心の水仙
   永遠(とこしえ)に捧げたてまつる 真心の水仙



 


菩薩さま

作詞 大西良空
作曲 普門法舟

御法歌「菩薩さま」は、身代り升地蔵菩薩となって人々の衆苦を背負っていて下さる法舟菩薩様のご苦労を偲び、その御高徳の偉大さを歌ったものです。

1、永遠のいのちを 高野山(たかの)に留め 徳と法(おしえ)で 世を照らす
   その名普門の 法舟(ほうしゅう)菩薩 大悲普き 救いの御足跡(みあと)
   南無や大悲の菩薩さま あーありがたや菩薩さま 
 2、この世のちの世 永遠(とこしえ)までも 生きて利益を 賜(た)び給う
   老いも若きも 御法(みのり)の舟に 乗せて渡さん 彼岸の郷へ
   南無や大悲の菩薩さま あーありがたや菩薩さま
 3、苦厄諸病を その身に代り 流す御汗は 慈悲の露
   四方(よも)にかがやく 汗露の聖水で 清め救わん 重き罪業(つみ)をも
   南無や大悲の菩薩さま あーありがたや菩薩さま
 4、南無や普門の法舟菩薩 光り輝く ほとけざと
   花のいのちは 短いけれど 慈悲の誓いは 永遠(とわ)に変わらじ
   南無や大悲の菩薩さま あーありがたや菩薩さま



 


南無や普門の大菩薩

作詞・作曲 大西良空

御法歌「南無や普門の大菩薩」は、今も生きて苦しむ人々に救いの御手をさしのべていて下さる普門法舟大菩薩様の御高徳を仰ぎ、その救いの御足跡を偲びつつ、報恩の誠を歌ったものです。

1、法(のり)の灯しを 人世にかかげ
   この世のちの世 守(も)り給う
   彼岸に通う 法の早舟
   南無や普門の 法舟大菩薩
 2、誰が名づけた 法舟桜(ほうしゅうざくら)
   移り変わりを 知れと咲く
   教えも深き 法の花道
   南無や普門の 法舟大菩薩
 3、峰にこだます 調べも清く
   老いも若きも もろともに
   救う菩薩の 法の歌声
   南無や普門の 法舟大菩薩
 4、錦織りなす 高野の山の
   暁空(そら)にかがやく 明けの星
   ひかり伝えん 法のともし火
   南無や普門の 法舟大菩薩
 5、慈悲の誓いを 高野山(たかの)に留め
   利益あらたかな 生き仏
   永遠(とわ)にかがやく 法のおやざと
   南無や普門の 法舟大菩薩
   南無や普門の 法舟大菩薩


 


父子遍路の哀歌

作詞・作曲 普門法舟

御法歌「父子遍路の哀歌(うた)」は、菩薩様が四国霊場を廻っておられる時に出会われた父子二人連れの遍路を偲んで作られた歌です。
 可愛い幼子を残して先立った亡き妻の救いを一心に願いながら、「母親恋し」と云って泣くわが子に導かれて、四国霊場を廻る父と子の姿は、余りにも切なく涙を誘わずにはいられません。
 先立った妻は、後に残った夫を、信仰の道へ導くため、その罪を一身に背負ったみ仏の化身であり、母親恋しと泣く幼子は、父親を救いの道へ導く亡き母の名代なのかも知れません。

1、菊の花咲く 神無月 亡母(はは)の菩提を 弔いに
   四国札所を めぐりゆく 父子(おやこ)遍路の ものがたり
 2、背中(せな)に負いたる 笈摺(おいずる)に 同行二人の 筆のあと
   可愛い小さな 手を合わせ 祈る子供の いじらしさ
 3、今日で幾山 越えたやら 父子遍路は 道をゆく
   難行苦行の その中で 亡母(はは)の冥福(すくい)を ただ祈る
 4、亡母を恋しと 泣く涙 頬を伝うて 笈摺を
   濡らす遍路の 父(おや)と子が 両手合わせて 遍照尊
 5、上り下りの 道すがら 受けた情けが 身にしみる
   人に真心 施せと 教えられます 御接待
 6、今日も暮れ行く 四国路に 父子二人の うしろ影
   沈む夕陽に 手を合わせ 今日も一日 ありがとう
 7、可愛いわが子に 手を引かれ 越えてきました 苦難坂
   今日はいよいよ 打ち納め うれし涙が 頬つたう
 8、重き罪業をも 大師さま 救い給える 御慈悲の
   足跡(あと)を伝える結願寺 南無や大悲の 遍照尊
   南無や大悲の 遍照尊 南無や大悲の 遍照尊


 


同行二人がしあわせよ

作詞・作曲 普門法舟

四国霊場を廻るお遍路さんはみな、お大師様と共に四国霊場を廻らせて頂くという意味から、「同行二人(どうぎょうににん)」と書かれた笈摺を身に付け、金剛杖を持って霊場をお参りします。
 しかし、同行二人とは、「お大師様と共に」という意味だけではなく、夫とも妻とも、兄弟姉妹とも、子や孫とも、友人とも、自分とご縁があった人とも、みな同行二人なのです。
 「家族の断絶」「家庭崩壊」などという言葉が叫ばれる昨今ですが、お互いが相手を拝み合い、敬い合う「相互供養、相互礼拝、同行二人」の心さえ忘れなければ、断絶も崩壊もありません。
 御法歌「同行二人がしあわせよ」は、何時いかなる時も「相互供養、相互礼拝、同行二人」の心を忘れてはならないと、私達に呼びかけていて下さる菩薩様の法の歌声です。

1、両手合わせる 心になれば 憂いも辛いも なきものを
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 2、忘れ物でも 気が付くはずに 仏を忘れて ふしあわせ
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 3、人を忘れぬ 同行二人 親子夫婦に 人はみな
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 4、わが身ばかりじゃ 功徳は積めぬ 幸も不幸も 種次第
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 5、明日もわからぬ 人の身なれば 残せ人世に 徳の種
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 6、欲しい惜しいで 日暮らしするな 財もわが身も 死出の中
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 7、世話をした心で 世渡りするな 世話をさせるも 仏ごころ
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 8、人の世話した 言うではないぞ 世話をしたのは 己が功徳
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 9、苦労してみよ 人世のために 弥陀も悟りも 菩提心
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 10、散ってまた咲く 桜の花も 移り変わりを 知れという
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 11、人はどの様に 思おうとままよ わたしゃ大師と 二人連れ
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ
 12、わが身ばかりか 人みな共に 頼め彼岸へ 法のふね
   同行二人が しあわせよ 明けても暮れても しあわせよ


 


慈悲のおやざと(高野山讃歌)

作詞・作曲 大西良空

世界にあまたの霊場、霊山ある中で、生き仏様をご本尊としておまつりする霊山は、世界広しと雖も紀州高野山をおいて他にはありません。高野山は、今も悩み苦しむ人々と共に生き続けておられる弘法大師様の御高徳のみ光にあふれる慈悲のおやざとであります。
 承和二年三月二十一日、お大師様は
  虚空尽き 衆生尽き 涅槃尽きなば
    わが願いも 尽きなん
 との大誓願を立てて高野山に御入定されました。
 その救済の御霊光は、今もなお宗教人種のへだてなく全世界に降り注がれ、闇路をさまよう人々の心を普く照らしています。
 その御霊光に導かれ高野山へ参る人々は今も数知れず、お大師様御入定の霊地である奥の院御廟所は、今も香煙の絶える間がありません。
 そのお大師様より「入定せよ」との示現をいただかれ、平成二年四月十三日、御年七十一歳を以て御入定され、平成の生き仏と成られたお方が、普門法舟大菩薩様であります。
 菩薩様御入定の聖地・高野山法徳寺は、紀州高野山と共に、生き仏様がおわします霊場として、救済を仰ぐ人々にとって心安らぐ慈悲のおやざとと申せましょう。
 御法歌「慈悲のおやざと」は、弘法大師様の御高徳のみ光に包まれた御入定の聖地・紀州高野山(こうやさん)と、平成の生き仏と成られた普門法舟大菩薩様の御霊光あふれる聖地・甲州高野山(たかのやま)を讃えた聖歌です。

1、忘るなよ 高野の山の慈悲の月(注3) この世のちの世 助け給わる
   南無大師遍照金剛 南無普門法舟大菩薩
 2、人の世も 人の心も変われども 高野山に映ゆる 月は変わらじ
   南無大師遍照金剛 南無普門法舟大菩薩
 3、わが身をば 捨てて人世を守り給う 普き門に 誰をへだてん
   南無大師遍照金剛 南無普門法舟大菩薩
 4、人の世を 救う心は慈悲の海 高野の山の 法の仏舟
   南無大師遍照金剛 南無普門法舟大菩薩
 5、ひとすじに 心通わせ高野山 大悲の救い 絶ゆる間もなし
   南無大師遍照金剛 南無普門法舟大菩薩
 6、ありがたや 慈悲のおやざと高野山 永遠に輝く 法のともし火
   南無大師遍照金剛 南無普門法舟大菩薩
   南無大師遍照金剛 南無普門法舟大菩薩




このエントリーをはてなブックマークに追加 mixiチェック


サイト内検索 help
 


法徳寺の草花と自然

ソメイヨシノ

グラジオラス
(花言葉 用心、堅固)

 


 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注1)「高野の山に照る月」とは、弘法大師のこと。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注2)六道とは、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の世界を云い、この六つの世界を心で作りながら苦しんでいる境涯を、六道輪廻と云う。
輪廻とは、文字通り、輪の周りを果てしなく廻り続ける事で、自分の事しか考えない人間は、いつまでも六道の世界を作って、苦しみを受けなければならないのである。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注3)慈悲の月は、み仏を現わす。ここでは、お大師様、菩薩様を指している。

 


高野山法徳寺(たかのやまほうとくじ) TEL:0551-20-6250 Mailはこちらから
〒408-0112 山梨県北杜市須玉町若神子4495-309 FAX:0551-20-6251 お問合せフォーム