桜紋の扉―自殺防止への取り組み、納骨堂「帰郷庵」へのご納骨、供養の意義などについてご紹介します。
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法徳寺のパワースポット(3)

〜夢殿と御回廊と四十九基の歌碑〜




夢殿と御回廊


平成16年4月13日、高野山(たかのやま)法徳寺が発足し、同年10月21日、開創を記念する落慶法要が盛大に執り行われました。

翌平成17年4月13日、高野山法徳寺の根本経典とも言うべき御法歌(みのりうた)『頼め彼岸へ法(のり)のふね』を刻んだ四十九基の歌碑(うたひ)が、夢殿の周囲に建立されたのを祝し、その開眼法要が、ご同行(注1)の皆様の御参列のもと、厳かに営まれました。

開眼法要に先立ち、夢殿の御本尊である秘仏の身代り升地蔵尊が、特別に御開帳(注2)されましたが、秘仏の御開帳はこの時一度限りで、二度と御開帳される事がないため、御参拝された皆様全員が、その尊いお姿を、心の奥底にしっかり焼き付けられた事と思います。

また歌碑の開眼法要にあわせて、歌碑の周囲を廻る「四国八十八ヵ所霊場お砂踏み回廊」の開創式も行われ、開創式の後、御参列の皆様と共に、篤信者の方々の手によって集められた霊験あらたかな紀州高野山と四国八十八ヶ所霊場のお砂が敷き詰められた御回廊の踏み初めをさせて頂きました。

ご同行の皆様と共に、お大師様、菩薩様の御苦労の御足跡を偲びつつ、御回廊を廻らせて頂いた時の感動は、今でも忘れる事が出来ません。

菩薩様が残された三千首余りにのぼる御法歌(注3)を刻んだ歌碑をご奉納頂き、境内の参道に添って建立する事は、予てよりの悲願であり、その門出となる四十九基の歌碑が、夢殿の回廊に添って立ち並び、その開眼法要を厳修させて頂けました喜びは、ひとしおでございました。

宇宙生命そのものを人格化した根本仏である大日如来様を中心に、その周囲を大日如来の分身である諸仏諸菩薩様が取り囲んでいるみ仏のお浄土を曼荼羅(まんだら)と言いますが、夢殿とその周囲を取り囲む四十九基の歌碑は、まさに御本尊である普門法舟大菩薩様(身代り升地蔵菩薩様)を、菩薩様の分身ともいうべき歌碑をご奉納されたご同行の皆様が取り囲んでいる曼荼羅浄土そのものと言っていいでしょう。


夢殿の歌碑が四十九基でなければならない理由


夢殿の周囲に建立された四十九基の歌碑には、菩薩様が、老若男女のへだてなく誰もが簡単に唱えられるようにと編纂された御法歌『頼め彼岸へ法のふね』四十九首が刻まれていますが、何故菩薩様は、『頼め彼岸へ法のふね』を編纂するに当り、三千首余りの御法歌(道歌)の中から四十九首だけを選ばれたのでしょうか?

四は死につながり、九は苦を連想する事から、四と九は、日本人が最も忌み嫌う数字であり、常識的に考えれば、四と九が二つも重なった「死苦」を意味する四十九という数の御法歌を選ばれる筈がありません。

しかし、菩薩様は、誰もが忌み嫌う四十九首をあえて選ばれたのです。何故か?

それは、四十九という数字に、代苦者として生きられた菩薩様の苦難の体験と、衆生救済にかける強い一念が込められているからです。

菩薩様が突然、激しい頭痛に襲われたのは、御入定(注4)される7年前の昭和58年5月24日未明でした。

その日から滝のような汗をかく日々が何日も続き、幾つかの病院で検査をして頂いても原因が全く分りませんでした。

ところが、汗をかきはじめてから数えて三十七日目(注5)の6月29日未明、霊夢をご覧になり、飛び散る灼熱の汗を流しながら、升の中に凛とたたずむお地蔵様を御感得なさったのです。

仏体からほとばしる玉のような汗は、まぶしいほどに光り輝き、升から溢れて、湯気が立っていたそうですが、不思議な事に、その霊夢をご覧になってから身体が楽になり、それまで全く変らなかった菩薩様の体調がどんどん快方に向い、汗をかき始めてから四十九日目の7月11日、ようやく床を離れる事が出来たのです。

今になってみれば、床に就かれた四十九日間の苦行は、菩薩様が、衆生の代苦者(注6)として生きなければならない自己の姿(身代り升地蔵菩薩)を感得する為には、どうしても耐え抜かなければならない試練の行であった事が分ります。

菩薩様が三千首余りある御法歌の中から四十九首を撰ばれて御法歌『頼め彼岸へ法のふね』を編纂されたその裏には、身代り升地蔵菩薩様として灼熱の御汗を流された四十九日間の尊い代受苦行があったのです。


四十九首に込められた菩薩様の願い


この四十九という数字は、仏教では、亡くなられた方が来世に生まれ変わる期間(中陰)と言われていますが、菩薩様が四十九首を選んで『頼め彼岸へ法のふね』を編纂され、その四十九首を刻んだ四十九基の歌碑を夢殿の周囲に建立させたのは、ただ亡くなられたお方を供養する為ではありません。

お大師様が説かれた「人みなこの身このまま仏になれる」という即身成仏(そくしんじょうぶつ)の教えを、一人でも多くの皆様に身を以て実体験して頂き、生き仏の分身として生まれ変わって頂きたいからなのです。

その悲願成就の願いを込めて選ばれたのが、まさに生まれ変わりの数字を意味する四十九首の御法歌『頼め彼岸へ法のふね』であり、四十九基の歌碑には、「全ての人々に生き仏の分身として生まれ変わって欲しい」という菩薩様の切なる願いが込められているのです。

御法歌『頼め彼岸へ法のふね』は、代受苦の御汗を流しながら四十九日間の行に耐え、身代り升地蔵菩薩として生きなければならない自己の使命を悟られた苦難の体験から生まれたものであり、菩薩様の代受苦行の裏付けがなければ生まれていなかった聖歌と言っても過言ではありません。

その代受苦行の裏付けがあるからこそ、御法歌『頼め彼岸へ法のふね』は、霊験あらたかな根本経典として、日々私達を守り、導いて下さっているのであり、夢殿の御回廊廻りの行を続ける全ての人々を、四十九基の歌碑を通して見守り、終わる事のない仏行を昼夜の別なく支えて下さっているのです。


何故八角堂なのか?


これらの事実を見ても、生き仏様のお計らいには寸分の無駄も狂いもない事が分りますが、その事を改めて痛感したのは、菩薩様の御廟の形として、八角形のお堂が選ばれている事の真相を悟らせて頂いた時でした。

今から24年余り前の平成3年4月11日、私達はお計らいによって奈良県斑鳩町にある聖徳太子ゆかりの法隆寺へ導かれ、そこで菩薩様の御廟は、四角形でも六角形でもなく、八角形のお堂であり、その名称は夢殿であるとの御示現を頂いたのですが、今になってみれば、その周囲に四十九基の歌碑を建立する事を前提として決められた形である事が分るのです。

仮に四角形や六角形のお堂であれば、四十九基の歌碑を建てようにも等分に建立する事は不可能であり、正八角形のお堂であるからこそ、四十九首の歌碑を、正面を除いた他の七辺に、七基ずつ等分に建立する事が出来るのです。

当時は、何故菩薩様の御廟が八角形でなければいけないのか、そのお計らいの真意がよく分りませんでしたが、八角形のお堂こそ、四十九基の歌碑を建立するのに最もふさわしい形であり、菩薩様の御廟は八角形のお堂以外にはありえなかった事が、今になればよく分るのです。


夢殿の名前の由来


菩薩様の御廟を「夢殿」とお呼びする事にも、深い意味があります。

お計らいによって法隆寺へ導かれた平成3年4月11日は、聖徳太子様の1370年御遠忌の正当日であり、その為にこの日は特別に、 法隆寺で唯一秘仏とされている夢殿の救世観音(ぐぜかんのん)が御開帳されており、そのお計らいにより私たちは、夢殿において普門法舟菩薩様より、「御廟を八角円堂の夢殿にせよ」との御示現を頂いたのですが、法隆寺の夢殿は、聖徳太子の霊夢に金色に輝くみ仏が現れ、太子を導いたという伝説に基づいて名付けられたものであり、御本尊の救世観音は聖徳太子御自身のお姿と言われています。

先ほどお話したように、法徳寺の夢殿にお祀りされている御本尊の身代り升地蔵尊も、法舟菩薩様の霊夢に、灼熱の御汗を流しながら升の中に凛とたたずむ神々しいお姿のお地蔵様が御出現された事に由来しています。

聖徳太子様が霊夢で御感得なさった御自身のお姿が救世観世音菩薩である事と、法舟菩薩様が霊夢で御感得なさった御自身のお姿が、代苦者である身代り升地蔵菩薩であるというこの二つの相似点は、ただの偶然でしょうか?

灼熱の御汗を流された四十九日間の代受苦行と、その苦行の中から生まれた御法歌『頼め彼岸へ法のふね』、そして、夢殿の周囲に建立された四十九基の歌碑と、歌碑を建立するのに最も相応しい八角形のお堂が菩薩様の御廟として選ばれた事など、法徳寺開創までに頂いた様々なお計らいが、すべてお大師様と不二一体の生き仏となられた菩薩様のみ手によってなされたものである事を考えれば、この相似点もただの偶然とは思えません。

もし菩薩様が、お大師様と不二一体の生き仏と成られただけではなく、聖徳太子様とも不二一体のみ仏と成られたお方だとすれば、菩薩様の御廟に夢殿という名前が冠せられたとしても、何ら不思議はありません。


生き仏様との御縁


法隆寺の夢殿の美しさは今更申すまでもありませんが、法徳寺の夢殿の美しさも引けを取らず、夢殿にお参りされた皆様の誰もが、思わず「本当に美しいお堂ですね」とおっしゃって下さいます。

我田引水と言われるかも知れませんが、秘仏である身代り升地蔵尊の慈悲心溢れる優美な御姿もさることながら、日本建築の粋を集めて建立された夢殿と、その周囲に作られた四国八十八ヶ所霊場お砂踏み回廊、そして御回廊に添って並び立つ四十九基の歌碑によってかもし出される妙なる光景は、まさしくこの世の曼荼羅浄土と呼ぶにふさわしい優雅さと品格を兼ね備えているのではないでしょうか?

御回廊のお百度廻りの行を終え、夢殿と四十九基の歌碑の前に額づく度に、生き仏様と深い御縁を結ばせて頂けた幸せを痛感いたしますが、パワースポット巡りの真の目的が、み仏様とご縁を結ばせて頂き、過去世から背負っている絡まった因縁を解かせて頂く事にあるとすれば、私一人が幾ら幸せを痛感しても仕方ありません。

私達はみな、縁と縁で結ばれており、縁で結ばれた全ての人々が幸せにならなければ、私自身の幸せもまたあり得ないのです。

それだけに、一人でも多くの皆様に生き仏様と御縁を結んで頂き、絡まった因縁の糸を解いて、末代までの幸せを得て頂きたいと願わずにはいられません。


平成27年8月3日

 

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法徳寺の草花と自然

ノウゼンカズラ
(花言葉 名声、栄光)

 

 

(注1)救いを求めて共に修行する仲間の事。
四国八十八ヶ所霊場を巡るお遍路さんが、よく「同行二人(どうぎょうににん)」と書かれた笈摺(おいずる)を着ているが、「同行二人」とは、「いつもお大師様と共に在る」という意味で、遍路にとっては、お大師様が同行なのである。
広く言えば、親子、夫婦、兄弟姉妹、友人など、ご縁のある人は、すべて同行という事になる。

 

(注2) 秘仏としてお厨子やお堂にお祀りされている仏像を、お厨子やお堂の扉を開けて一般に公開する事。
しかし、仏像のご開帳は、あくまで方便としてのご開帳に過ぎない事を忘れてはならない。
ご開帳の真の目的は、私達一人一人の心の中に眠る仏性(秘仏)を覚醒させる事であり、心の扉を開けて、内なる仏性と出逢い、本来仏である自分自身の真相に目覚めるのが、真実のご開帳である。

 

(注3)衆生済度の道すがら、人生のあらゆる苦難を体験された菩薩様の魂の奥底から、知らず知らずの内に口を突いて湧き出てきた悟り(仏法)の短歌、和歌の事で、道歌(どうか)とも言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注4)御入定(ごにゅうじょう)とは、肉身なき後も、衆生救済の一念をこの世に留め、悩み苦しむ人々の救世主として生き続けること。

 

 

 

(注5)何故菩薩様は、身代り升地蔵尊を感得する為に三十七日間の長きに亘って苦しまねばならなかったのか?三十七という日数にどういう意味があるのか?
仏教に、三十七道品(さんじゅうしちどうぼん)、又は三十七菩提分法(さんじゅうしちぼだいぶんぽう)と言われる悟りの境地に至るまでの修行方法が説かれている。
四念処・四正勤・四神足・五根・五力・七覚支・八正道を合わせた三十七の修行方法で、これを修めなければ悟りの境地に到達出来ないと言われているが、菩薩様が床に就かれた三十七日間は、悟りに至るまでの三十七の修行期間だったのではないかと思う。だからこそ、身代り升地蔵尊を感得する為には、どうしても三十七日間の苦行が必要だったのであろう。

 

 

 

(注6)代受苦行(だいじゅくぎょう)をする人。
代受苦とは、文字通り、悩み苦しむ人々を救済するため、その人が背負うべき様々な罪汚れを、その人に代って受ける事。「身代り」とも言う。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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