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君に遇いにゆくよ




君に遇いにゆくよ

作詞・作曲  大西良空


夏が過ぎて 人影もまばらな
 海岸通りの カフェテラスで
 君と遇ったあの日の 思い出いまも心に
 そっと顔を出して たわむれている
 時計の針を 逆に回したら
 きっと君に遇える そんな気がして
 時を翔けていますぐ 君に遇いにゆくよ
 過ぎ去ったあの日を もう一度やり直せるなら  

街灯りが 若いふたりだけを
 照らしているような 気がしてたね
 甘くせつない夜を 走馬灯のように
 連れ去った時間は もう帰らない
 誰もがいつか 別れの涙を
 流した青春の 1ページなのさ
 時を超えていますぐ 君に遇いにゆくよ
 走り去った過去を ふたりで呼び戻せるなら

白髪混じりの マスターはいまでも
 若い頃のように 気取っているのさ
 時を翔けていますぐ 君に遇いにゆくよ
 過ぎ去ったあの日を もう一度やり直せるなら
 時を超えていますぐ 君に遇いにゆくよ
 走り去った過去を ふたりで呼び戻せるなら

 



前にしか進めないものと後ろへも進めるもの


世の中には、前にしか進めないものと、後ろへも進めるものがあります。例えば、自動車や私たち人間は後ろへも進めますが、蜻蛉(とんぼ)(注1)、百足(むかで)、飛行機、時間、人生などは前にしか進めません。

前にしか進めない蜻蛉は、昔から「勝虫(かちむし)」と呼ばれ、戦国武将の兜の前立てなどにもよく使われましたが、前にしか進めないという事は、強さ、勇ましさの現われでもある反面、柔軟性、融通性に欠けるきらいがあり、それが負け戦につながることもあります。

また前にしか進めないという事は、後戻りが出来ないという事ですから、どの方向に進むべきかの判断は大変重要になってきます。

例えば、名古屋などでは、嫁入り道具を運ぶトラックがバックすると出戻りを意味して縁起が悪いからというので、バックしなくてもよい様に前もって道順を調べたり、対向車が来ても優先的に道を譲ってもらえるよう、嫁入り道具を運ぶトラックに紅白の幕を巻いたりするそうですが、縁起をかつぐお祝い事だけに、後戻りは厳禁という訳ですね。

将棋の駒で言えば、王将、金、銀、飛車、角などは、前後左右斜めに駒を進められますが、桂馬、香車、歩などは前にしか進めませんから、それを念頭において駒を進めなければなりません。

勿論、後退出来る場合であっても、前進すべきか後退すべきかの判断は容易ではありませんが、少なくとも後退する事が出来れば、前方に大きな試練の壁が立ちはだかっていたり、袋小路に迷い込んだりしても、立ち往生しなくて済みます。

しかし、前にしか進めなければ、壁に突き当たった段階で万事休すという事になります。

人生も同じで、前進しなければいけない時もあれば、前進を止めて後退しなければいけない時もあり、後退という選択肢が用意されていれば、それだけ行動の幅が広がり、限りある人生を、より良いものにしてゆける可能性が大きく開けます。

もし私たちの人生が、前進しか出来ない人生であったとしたら、今よりもっと不自由な生き方を余儀なくされていた筈であり、それだけに、後退の道が用意されている事を幸運と受け止め、人生をより良く生きてゆく上で欠かせない後退の知恵を学んでゆく事が大切なのではないかと思います


心(記憶)と名づけられた現代のタイムマシン


一言に後退の道と言っても様々で、例えば時間軸を後退させれば、過去へさかのぼれる事になりますが、残念ながら、三次元空間(注2)に住む私たちは、時間をさかのぼって過去に逆戻りする事は出来ません。

SF小説や、「猿の惑星」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」(右写真)、「ターミネーター」(下写真)などに代表されるSF映画の中には、主人公がタイムマシンに乗って過去や未来へタイムスリップする場面が出てきますが、これは映画の中だけの世界で、現実には過去や未来にタイムスリップする事は不可能です。

しかし、タイムマシンやタイムスリップについては、その実現可能性が学問的に研究されている事も事実で、もしかすると遠い将来、タイムマシンが開発されて、過去や未来を自由自在に往来できる夢のような時代が到来するかも知れません。

もしそうなれば、あの時こうしておけばよかったとか、あんな事を言わなければよかったというような事が、過去に戻ってやり直せたり、未来に起こりうる事件や事故や災難を未然に防いだり、未来から特効薬を取り寄せて不治の病を治したり出来るようになる訳ですから、まさに誰もが望む夢の時代の到来と言ってもいいでしょう。

しかし、どのような時代が到来しようとも、私たちが絶えず肝に銘じておかなければならない事が一つあります。

それは、過去や未来を往復出来るかどうかではなく、それによって人類は果たして幸福になれるのかどうかという事です。

もしそれが幸福をもたらさないなら、タイムスリップなど出来ない方がいいでしょうし、幸福につながらなければ、天地は、そのようなものを決して人類に与えられはしないでしょう。

いずれにせよ、タイムマシンのような夢の装置が実現出来るか否かは、ひとえに人類がそれによって幸福になれるか否か、幸福になる為に活用出来るか否かにかかっていると言っていいでしょうが、実は、三次元空間を生きる私たちにも、すでに過去にさかのぼる事の出来るタイムマシンが、一台与えられているのです。

勿論、それは、SF映画に出てくるような、形を持ったタイムマシンではありません。皆さんもよくご存知の、心(記憶)と名づけられた眼に見えないタイムマシンです。

生きとし生けるものの中で、記憶をたどって、過去へタイムスリップ出来るのは、恐らく私たち人間だけでしょうが、今まで歩んできた過去の人生を、心(記憶)というタイムマシンに乗ってさかのぼり、もう一度自分の生き方を見つめ直す機会が、私たち人間だけに与えられているのは、何故なのでしょうか。

これは大変難しい問いであり、答えなどないのかも知れませんが、敢えて答えを一つ出すとすれば、過去にさかのぼる事が、私たちにとって幸福なのか否か、言い換えれば、過去という時間は、私たちが幸福になる為にあるのか、それとも不幸になる為にあるのかを、私たち自身に自問自答させる為ではないでしょうか。


過去は人生の宝庫である


私たちが歩んできた過去という時間は、喩えれば、人生をより良く生きる知恵がいっぱい詰まった宝の庫のようなもので、その中には、人生をより良く生きてゆくために必要な知恵や体験が、いっぱい詰まっています。

その知恵や体験は、失敗をしては挫折し、恥をかいては冷や汗を流し、人を傷つけては後悔し、裏切られては傷つき、競争に負けては嘆き、様々な喜びや悲しみや感動を味わう中で培われてきたものです。

それは、私たちがこれから進むべき方向を決定付けるほどの影響力を持った、人生の先達(せんだつ)のようなものと言ってもいいでしょうが、その貴重な知恵や体験が詰まった過去という宝の庫を活かせるか否かが、これからの人生をより良いものにしてゆけるか否かの別れ道と言っても過言ではありません。

しかし、その過去を、未来に向かってより良く生きてゆく為の知恵や教訓を学び取る宝の庫として活用するのも、ただ悔やんだり、嘆いたり、憎んだり、妬んだり、自分を卑下する為だけに活用するのも、みな私たち自身なのです。

心(記憶)と名づけられたタイムマシンが私たち人類に与えられているのは、過去を見つめて嘆いたり悔やんだりする為ではなく、人類の幸福につながるより良い人生を見出す為である事は言うまでもないでしょうが、そのタイムマシンをどのように活用するかの決定権は、私たちにゆだねられているのです。

過去の教訓を活かすも活かさぬも、最後は私たち自身が決断しなければならないのです。

もし過去に重ねてきた失敗や挫折や過ちを教訓として、明日に向かってより良く生きてゆく知恵を磨く事が出来れば、これに勝るタイムマシンはないでしょうが、活用できなければ、宝の持ち腐れに終わってしまいます。

世の中には、「過ぎ去った過去は、もうやり直す事が出来ないのだから、今さら過去を振り返ってみても無意味だ」という人もいるでしょうが、様々な失敗や挫折や過ちや喜びや感動によって彩られた過去があるからこそ現在があるのであり、また現在をより良く生きてゆく上での様々な知恵や教訓を学び取る為に過去があり、心(記憶)という眼に見えないタイムマシンが与えられているのだとしたら、過ぎ去った過去から、生きる上での知恵や教訓を学び取る事は、まさに人生をよりよく生きる上で欠かせない現代のタイムスリップと言えるのではないでしょうか。

合掌

平成22年10月10日




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(注1)蜻蛉は、前にしか進まず、また空中に飛んでいる虫や、草花や木に止まっている虫を、すばやく捕らえて食べる食肉虫としてのたくましさを兼ね備えていることから、「勝虫」と呼ばれ、戦国武将のかぶとの前立てによく使われた。「勝虫」は「かちむし」と読むが、「甲冑」になぞらえて「かっちゅう」と読むという説もある。兜の前立てに蜻蛉を使った戦国武将としては、一代で加賀百万石を築いた前田利家や、武田信玄の家臣・板垣信方、徳川家康の家臣・本多忠勝などが知られているが、利家の家臣の村井又兵衛は、百足を前立てに使っている。後ろに退かない蜻蛉や百足の強さ、たくましさにあやかったものと思われる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

(注2)「次元」とは「空間の中で進める方向の数」という意味で、点の世界は、どこへも進めないので0次元、直線の世界は一方向にだけ進めるので1次元、平面の世界は縦、横の2方向に進めるので2次元、そして、私たちが住む世界は縦・横・高さの3方向に進めるので、3次元という事になるが、時間という次元があるので、私たちの世界は、4次元時空と言う事になる。これと良く似て非なるものが、縦・横・高さ以外に、もう1つ進める方向がある空間で、これを4次元空間と言うが、最新の物理学では、宇宙は10次元の空間で、それに時間の次元を合わせて11次元時空であると考えられている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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